音のない世界で

劇場公開日:

解説

フランスのドキュメンタリー映画の第一人者ニコラ・フィリベール監督が、音の聞こえない世界を異文化としてとらえ、そこで生活するろうあ者の姿を綴ったドキュメンタリー作品。ろう学校の生徒たち、手話教師のプーラン先生、ろうあ者同士で結婚するカップルという三者の日常を現在進行形で追いつつ、要所要所にインタビューを交えた構成となっている。製作はセルジュ・ラルー、撮影はフレデリック・ラブラックス、編集はギイ・ルコルヌ、録音は「アブラハム渓谷」のアンリ・メコフがそれぞれ担当。92年ポポリ映画祭、ベルフォール映画祭、ボンベイ国際映画祭でグランプリを受賞するなど各国で高い評価を受けた。93年山形ドキュメンタリー映画祭正式招待作品。

1992年製作/フランス
原題または英題:Le Pays Des Sourds
配給:ユーロスペース
劇場公開日:1995年6月24日

ストーリー

フランス・パリのろう学校でフローラン、アブゥ、カレンたち生徒が発声練習をしている。授業には電子機器が導入されており、生徒たちはモニターにビジュアル化された自分の声を見ながら発声法を学び、うがいをして発声感覚を覚えていく。手話に比べて発声の練習には大変な苦労が伴うにも関わらず、生徒たちの表情は明るい。自身もろうあ者であるジャン=クロード・プーラン先生が生徒に体験談を語る。「私はろう学校で、誰にも教わることなく手話を覚えた。耳の聞こえる赤ん坊が言葉を覚えるようにね。ろうあ者は視覚が発達していて、見たものを記憶する能力が優れているんだ」。クリスマス。サンタが生徒たちに贈り物をくばる。手話で生徒にやさしく話しかけるサンタは、プーラン先生だった。年長の生徒たちは、アメリカからやってきた交流団を迎え、エッフェル塔やルーブル美術館といった観光地を案内して回る。国によって手話は違うのだが、彼らはまたたくまに打ち解け、理解しあう。「健聴者が外国に行ったら辞書にかじりついても話せないのに、ろうあ者同士が違う国の人々とわかりあうのは二日もあれば十分だ」と語るプーラン先生。空港での別れ。電話によって連絡が取れない彼らにとって、この別れが意味するものはあまりにも大きい。工場で働く青年ユベールとマリア=エレナ。彼らはろうあ者同士で結婚式をとりおこなった。病気で学校を休んだフレデリックに生徒たちが手紙を書く。ポストに投函した後で、フローランが手紙に触らなかったと泣き出した。なぐさめるクラスメイトたち。彼らは堅い絆で結ばれている。ユベールとマリア=エレナは住居さがしに出かけるが、うまく言葉が伝わらず思いのほか難航する。ろう学校では学年末の成績発表が行われた。先生から励ましの言葉を受けた後、皆は遊園地へ行き羽をのばす。数か月後、マリア=エレナは無事に赤ん坊を出産、彼らの新しい生活はまだ始まったばかりだ。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画レビュー

4.0異文化としてのろう社会

2018年12月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

ろう者の世界を「障害」ではなく、異文化として捉えたドキュメンタリー作品として画期的だった。カメラに映るのは、ろう学校で口語の練習をする子どもたちや教師の姿、ろうのカップルの結婚式など様々だ。強制的にも見える口語の教育には、今観ると違和感を感じるのだが、そうした実態も含めてリアルにカメラに収めたのは貴重だろう。

映画の冒頭に出演しているろうの俳優、レベント・べシュカルデシュは『ヴァンサンへの手紙』にも出演している。本作は、ろうのコミュニティの間では意見の分かれる作品であるようで、ろう者の視点に欠けるという批判もあるようだ。時代が進み、ろう者の視点により近づいた『ヴァンサンへの手紙』と比べると確かに違和感を感じる部分もある。しかしながら、優れた作品であることには変わりなく、とりわけ音声が唐突に途切れるシーンはドキリとさせられる。子どもがマイクに掴みかかるのが原因なのだが、なぜあのNGにも見えるあのカットを使ったのか、監督の深い真意がそこにあるのかもと、と思わせられる。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
杉本穂高

二コラ・フィリベール特集 - その1  30年近く前のフランスのろ...

2024年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

二コラ・フィリベール特集 - その1

 30年近く前のフランスのろう学校に通う子供達や先生の日常を捉えたドキュメンタリーです。

 いやぁ、知らなかった事が多くてとても勉強になりました。まず、手話を貶めてろう者への口話教育に拘り続けたのは日本だけだったと思っていたのですが、フランスもそれほど遠くない頃まで「ろう者への口話教育」にしがみついていたんですね。この作品では「現在では口話と手話のバイリンガル」に取り組んでいると先生が話していましたが、恐らく現在ならばそれも更に変化しているのではないかと思います。

 また、一口に手話と言っても国ごとに異なっているのは知っていましたが、「国が異なっても、二日も一緒に居れば意思の疎通が出来るようになる」と先生が語っていました。へぇ~、それってすごいですよね。エスペラント以上の世界共通語です。各国で共通の単語もあるのでしょうが、文法も異なる筈なのにそれをどうして乗り越えるのでしょう。もっと詳しく知りたいなぁ。

 また、昔はろう者を家庭内・狭い地域内の中だけで育てていたので、当時のろうの子供は「ろう学校に行っても、ろうの子供ばかりで耳の不自由な大人が居ないので、『ろう者は長生き出来ず、大人になる前に死んでしまう』と思っていた」と語る言葉は重いですね。様々な障害を持つ人々が少しずつではあっても社会に出られる様になった現在は確かに良い方向に進んでいるのでしょう。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
La Strada

4.0暖かい木漏れ日のような映画

2018年6月10日
PCから投稿

楽しい

知的

幸せ

耳の聞こえない聾唖者の子供たちが学校で勉強する様子と、
大人の聾唖者の生活を交互に描いている。

最初は意外な聾唖者の生活に驚き、好奇心を刺激されながら映画に見入っている。
そのうちにゆったりとしたスピードながら価値観の転倒がおそってきて、観客は気楽な傍観者ではいられなくなる。

控えめで節度ある自然音と、暖かい木漏れ日のような映像は美しく、
映画が彼らの人生を優しく肯定しているようだ。

----------

以下は個人的に気になったこと
手話は話し言葉の代用ではない。しかし、話し言葉と手話では言語の数に違いがあるようだ。
物より先に言葉があるということを信じるとすれば、健常者と聾唖者では見えている世界、感じている世界も違うということになる。
彼らはどんな風に世界を見ているのだろう。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
ken7arooo

4.0多文化としてのカテゴリ

2017年4月10日
Androidアプリから投稿

ろうあ者の生活を追ったドキュメンタリー。

ろうあ者というとハンディキャップの面でしかとらえていなかった。
彼らの日常風景をこの映画で観て、手話が障がい者の為の単なる代替言語ではなく、音に依存しない独自の豊かさをもったコミュニケーション手段だと感じた。
たとえば、海外で外人のろうあ者と出会った場合について。辞書に首っ引きになってもコミュニケーションをとれないが、手話であれば2日もあれば話せるようになる、と語っていたことが印象的だった。
複雑なボディランゲージである手話は、囁きや怒鳴り声、喜びの声などが聞こえてくるようで、感情豊かに見えた。

音声をともなう言語の方が手話より優れているというわけではない。
ろうあ者が健常者と比べて、人生の全体が劣っていることではない。全く変わらなくもあるし、異なる部分も勿論ある。
健常者に比べて足りない部分がある、というのではなく、ある種多文化のカテゴリーとして感じられるような、瑞々しい価値観を感じた。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
laika