オーソン・ウェルズのオセロ

劇場公開日:

解説

ウィリアム・シェークスピアの古典戯曲の映画化。監督・製作・脚本・主演は「黒い罠」のオーソン・ウェルズで、難航した製作資金調達のため四年間かけて撮影され、一九五二年カンヌ映画祭グランプリを獲得しながら、五五年にアメリカで短期間公開された後、幻の名画となっていた作品。ウェルズの娘ベアトリス・ウェルズ・スミスの依頼で、ドキュメンタリー作家のマイケル・ドーソンが20世紀フォックスの倉庫で発見したフィルムに、サウンド・トラック部分にドルビーステレオによる再録音を加えた修復版で、アメリカでは九二年三月に公開された。撮影はジョージ・ファント、アンキーゼ・ブリッツィ、G・R・アルドの共同。音楽はフランチェスコ・ラヴァニーノとアルベルト・バリベリスが担当。他の出演は「愛人ジュリエット」のシュザンヌ、クルーティエ、アイルランド出身の舞台俳優・演出家・劇作家で、本作が唯一の映画出演となったマイケル・マクラマー、イギリス舞台出身のロバート・クート、イギリス映画界の伝説的な名女優フェイ・コンプトンなど。

1952年製作/94分/モロッコ
原題:The Tragedy of Othello: The Moor of Venice
配給:ヘラルド・エース
劇場公開日:1993年7月10日

ストーリー

エーゲ海、キプロス島。ヴェネチア公国に仕える将軍オセロ(オーソン・ウェルズ)と、その妻デズデモーナ(シュザンヌ・クルーティエ)の柩を抱えた葬列が進んでいく。その光景を高い塔に吊り下げられた檻の中から見下ろしているのは、この悲劇を起こした張本人、イアーゴ(マイケル・マクラマー)である……。ヴェネチアの教会で結婚式を挙げているムーア人オセロと元老院議員の娘デズデモーナを、彼女に横恋慕しているロダリーゴ(ロバート・クート)と副官に昇進する機会を阻まれ、上官であるオセロを恨んでいる旗手のイアーゴが物影から窺っていた。ヴェネチアの将軍としてトルコ軍進行にさらされるキプロス島を出発したオセロは、見事トルコ人を打ち破り凱旋して来る。しかしイアーゴは、オセロに復讐すべく計画を練っていた。彼は、副官の地位を得たキャシオ(マイケル・ローレンス)を罠にかけ、副官の地位を失わせる。失意のキャシオに、イアーゴはデズデモーナに頼んでオセロに取りなしてもらえ、とそそのかし、そしてオセロには、デズデモーナがキャシオに特別な感情を持っていると仄かした。イアーゴは妻エミリア(フェイ・コンプトン)に、オセロがデズデモーナに贈ったハンカチを盗ませ、それをキャシオの部屋に放置した。キャシオの恋人の娼婦ビアンカ(ドリス・ダウリング)がそれを見つけ、オセロは不貞を働いたキャシオを殺すよう、イアーゴに命じる。イアーゴはロダリーゴにキャシオを殺させようとするが失敗し、口封じのため、イアーゴは逆にロダリーゴを殺し、罪をキャシオに被せる。その頃、寝室でオセロはデズデモーナに罪を告白するように迫っていたが、彼女の本当の言葉は嫉妬に狂うオセロの耳には届かない。オセロは、デズデモーナの首に手をかけ、駆けつけたエミリアにイアーゴの悪事を暴露させる。最愛の妻を殺してしまい、悔恨の心に苦しむオセロは、ついに剣で自らを刺して、死んでいくのだった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

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映画レビュー

5.0圧倒的なレイアウトとカメラワーク。時代を経てなお古びない天才的な映像センスに脱帽。

2021年2月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

『蛇の穴』を観にシネマヴェーラに来たついでに、20年ぶりくらいに鑑賞。
いやあ、やっぱりオーソン・ウェルズはマジもんの天才ですわ。

冒頭の葬送シーンから、まさに圧巻のレイアウト。
モノクロームの粘りのある映像。
大きく仰角で映し出される雲ひとつないモロッコの空。
その下部を「斜めに」古城の狭間城壁が切り取る。
空と城壁の境界をぬって進む、オセロと妻の葬列。
パンフォーカスで、下から、横から、とらえられる人々。
近景の巨大な影と遠景の蟻のような群衆が、重なるように交錯する。
奥行きのある三次元性が、斜め構図の不安定な平面性と行き来する。
そのスイッチとなるのは、光と影の描写だ。
光と影は、白と黒。デステモーナとオセロ。清純な潔白とどす黒い嫉妬。
檻に入れられて吊り下げられるイアーゴ。
そして物語は、過去へともどってゆく。

結末から始まる物語。
だから、「どうなるか」のサスペンスで引っ張る映画ではない。
むしろ、観客も「オセロ」の物語を知っていることが前提であるかのようなつくりだ。
しかも、上演に3時間以上かかる原作を、1時間30分に凝縮している。
なぜイアーゴがここまで執念深くオセロを陥れようとするのか。
なぜオセロがこれほどまで簡単に悪に騙されてしまうのか。
そういった、人によってはこだわる機微の部分に、ウェルズは必ずしもこだわっていない。

オーソン・ウェルズの意図は明確だ。
とにかく視せること。
絵にすること。
オセロの黒と白、光と闇の物語を、「映画」というメディアで、
実際の「黒と白」「光と闇」の映像に置き換えること。
だからこその、モノクローム撮影だ。

この映画に、いらないカット、創意のないカット、場つなぎのカットなど、
ただのひとつもない。
すべては考え抜かれ、研ぎ澄まされている。
画面の情報量、暗示とメタファーの濃度は、ただごとではない。
観ているだけで、脳が沸き、ただれてくるほどだ。

とくに、地下水廊(アル・ジャディーダがロケ地)やトルコ風呂での暗殺シーン(いずれも映画オリジナルの舞台設定)の映像は、21世紀の今見ても、まったく古びていないどころか、鮮烈な印象を与える。
僕はつねづね、ギミックをむき出しにさらして「凄い撮影をしている」ことを隠さず、むしろ「売り」にして撮り続けた「大監督」の筆頭が、ウェルズとヒッチコックだと思っているのだが、まさに本作はそんな彼の面目躍如といっていい傑作だ。

物語自体は、上述したように約半分の時間に濃縮されているので、
ナラティヴに関しては、けっこう早回しに感じる人もいるかもしれない。
そもそもウェルズには、サイレント時代を意識したようなせかせかしたテンポどりと、異常な頻度のカット割りによって特徴づけられる作品が結構多い。しょうじき、個人的には『市民ケーン』などは苦手な部類に属するのだが、「オセロ」の場合、おおむねシェークスピア台本の流れに従って話は展開するので、そこまでせわしない印象はせずに観ることができた。

なんにせよ、イアーゴがきちんと描けている時点で、この映画は成功だといっていい。
絶妙の卑俗さと、絶妙の底知れなさ。
得体のしれない猛烈な悪意に突き動かされて、
ひたすらはかりごとの網を張り、陥穽を掘り続ける、
どこまでも低劣で、俗悪で、それゆえに奇妙な魅力を放つ異常者。
世界文学史上でも類を見ないヒール中のヒールを、アイルランドの演劇人で映画出演はこれ一本のマイケル・マクラマーが、実に楽しそうに演じている。

対するオーソン・ウェルズのオセロ役も、さすがの仕上がりだ。
なんという圧倒的存在感。
ともすると、単なるアホの子になりかねないオセロを、
彼は威厳たっぷりに、説得力をもって演じている。
耳の奥までびりびり響くような、深みのあるバリトンも心地よい。

オセロと、イアーゴ。これに加えて、もうひとり主人公がいるとすれば、それは彼らが嫉妬と怒りの荒れ狂うドラマを展開する「場」、建築空間そのものだ。
この入り組んだ迷宮状の空間それ自体が、愛と不信の無間地獄へと迷いこむオセロの精神風景なのであり、成功者に対する狂気じみた妬みと破壊衝動に突き動かされる陰謀中毒者イアーゴの内的世界なのだ。
曲がり、うねる廊下。ぐるぐると壁をうがつ螺旋階段。穴をくぐれば、唐突に幻想的な装いの部屋が現れる。どの道がどこにつながるとも知れない、悪夢めいたあやふやなトポス。
陽光ふりそそぐ風光明媚な城塞の、壁ひとつ隔てたダンジョンの奥底で、オセロとデステモーナ、オセロとイアーゴは、地獄へと続くダンスを踊り続ける。

ちなみに、なんでこれが「オリヴィア・デ・ハヴィランド追悼 女優姉妹の愛と相克」中で上映されているのか不思議に思ったのだが、なんでもジョン・フォンテーンがどこかにノンクレジットでカメオ出演しているらしい。IMDbで見ると「Page」とあるから、小姓役なのだろうが、しょうじき一度観ただけではよくわからない。そういえば、このフォンテーンとウェルズは『ジェーン・エア』でカップル役だった。なお、ウェルズの盟友ジョセフ・コットンも、騎士のチョイ役でノンクレジットで出ているそうだ。

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じゃい
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