劇場公開日 2024年3月2日

英国式庭園殺人事件 : インタビュー

2024年3月3日更新

ピーター・グリーナウェイが語る 映画監督としての仕事、マイケル・ナイマンとのコラボレーション

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英国を代表するアートフィルムの名匠ピーター・グリーナウェイ監督の特集上映「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」が開催中だ。

今回の特集は、「ピアノ・レッスン」で世界的に知られるマイケル・ナイマンが音楽を手掛けた作品をラインナップ。動物の死骸にとらわれた双子を描いた衝撃作「ZOO」(85)、12枚の絵画に隠された完全犯罪の謎を描いた初期グリーナウェイを代表するミステリー「英国式庭園殺人事件」(82)、3人の女による殺人を描くサスペンス「数に溺れて」(88)、シェイクスピア最後の戯曲を原案に日本を代表するデザイナーのワダエミが衣裳を担当した、魔法書を手にした男の復讐劇「プロスペローの本」(91)の4作品だ。

英国式庭園殺人事件」と「数に溺れて」は、4Kリマスター素材で上映、他作品についてもオリジナリティを尊重し、本国より提供された上映素材をそのまま使用し、全作品すべて修正無しのオリジナル版で劇場初上映となる。※4K上映は対応劇場のみ。その他は2K上映

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徹底された構図と色彩表現で構成された偏執狂的な映像美で、唯一無二の世界観を作り上げるグリーナウェイ監督の作品群から、現代の鬼才として注目を集めるアリ・アスターヨルゴス・ランティモスらも大きな影響を受けていることを公言している。このほど、グリーナウェイ監督が映画.comのオンラインインタビューに応じた。

――画家を志し、アートスクール出身のあなたが職業として映画監督を選ばれた理由を教えてください。

まず第一に、絵を描くことはとても孤独です。ギルバート&ジョージのようにデュオで働く人を除いて、たいていひとりでやっています。しかし、人間は共同体で、他者とかかわって生きていくものです。繰り返しになりますが、絵を描くことはとても孤独な職業なのです。それは1つの望ましくない部分でした。私がアートスクールに通っていた頃の同窓生も、社交がない生活、孤独に耐えられないという理由で、絵を続けることを諦めた人が多かったと思います。

「ZOO」
「ZOO」

一方で映画という20世紀の新しいテクノロジーは、実験的かつ魅力的でした。空間、構成の可能性に溢れ、例えばジャン=リュック・ゴダールによる「映画は1秒に24回の真実だ」という言葉がありますが、たったの1秒で24の新しいイメージを扱えるということです。1枚のイメージ(画)をデューラーでしたら半年かけて描くでしょう。絵を描くことは映画を作るよりもずっと時間のかかる仕事です。ですから、映画制作は社会的な意味合い、そして技術的な面でとても魅力的だと思いました。

あと、世の中がよりイメージを意識するようになったこともあります。1930年代にテレビが発明され、大衆に普及したのはおそらく60年~70年代頃。それに対して、絵画はエリート主義的なものになっていきました。私が美術学校で知り合った30人くらいのうち、画家としてだけで生活できている人は一人もいないと思います。彼らは何らかの映像の仕事に携わっていると思います。

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――映画監督として仕事の楽しさを教えてください。

観客がいること、観客からお金をいただくこと……そして制作そのものが楽しいですね。もちろん本なら出版されなければいけないという恐怖があり、絵画や映画なら、見てもらわなければならない、しかし、そういう絵画や映画が何であるかという核心に迫るべきではありません。

絵を描くときに、青の横にピンクを置いたり、構図を縦や横にしたり、映像や文章制作で様々な文字を用いたり、意味を持たせたり……それらの作業はお客を興奮させるものではないかもしれませんが、作り手にとっては奥深く魅力的です。だから、ギャラがもらえなくても、また年をとるにつれてお金がもらえなくなってきても、実際の制作の喜びは残ります。それは私にとって不老不死のようなものです。

私はおそらくあと20年も生きられません。4人の子供がいるのでその遺伝子は続くでしょうが、私が死んだ後も、多くの絵画、映画、文章を残せます。ウランの原子番号は92、私の目標は92才まで生きること。ご覧の通り、私はまだ考えたり話したりすることができ、とても元気です。

「英国式庭園殺人事件」
「英国式庭園殺人事件」

――あなたの映画の物語も、奇想天外でオリジナリティに溢れています。まず映像としてこういうシーンを見せたい、という欲望から物語が生まれるのでしょうか?

私の映画制作にとって、なにより大事なのはロケーションです。今取り組んでいる新作映画はイタリアのトスカーナ州にある美しい街を舞台にしています。そこの教会のプロジェクトマッピングの企画で訪れ、その街の美しさにとても興奮し、また戻りたいと思い、実験的に脚本を書きました。私は今、81歳で長くは生きられません。ですから死について語りたいと思いました。すべての人の人生には2つの大きなテーマがあります。エロスとタナトス、一つはセックスで、もう一つは死です。

エロスは人生、性の目覚めや愛の始まりで、私はセックスをテーマにした映画は作りました。そして今回は死、人生の終わりについての映画です。本当に人間に死は必要なのかを問いかけたいのです。もちろん永遠に生きる人はいませんし、宗教的な示唆ではなく、自殺や安楽死における死の幇助について、感情的に掘り下げたいと思っています。死というものに友人のように対峙して描きたいと思います。

「数に溺れて」
「数に溺れて」

――あなたの作品ではグロテスクで忌み嫌われるモチーフも、魔術のように美しく表現されているのが特徴です。あなたにとっての芸術、美について教えてください。

美しさは見る人の目にあるもの、その考え方は人それぞれです。例えば日本の文化、ヨーロッパの文化でそれぞれの基準、態度、信念があります。しかし、どんな文化も美しさとは欲望だと思うのです。私たちが何を感じようと、どんな文化を選ぼうと、美と結びつきたいという願望です。

例えば、日本でしたら庭や桜、陶器や詩などからもたらされるかもしれません。そういったものから私がインスパイアされて作ったのが「ピーター・グリーナウェイの枕草子」(96)という映画です。清少納言の文章は抽象的で、感覚的で、断片的でした。

「プロスペローの本」
「プロスペローの本」

彼女は次のようなものに魅了されます。赤いもの、緑のもの、丸いもの、柔らかいもの……などと表現します。それはヨーロッパの映画では、このように表現するのが非常に難しいので、私は映画を作ることにしたのです。私は彼女の著作を翻訳で読んでいるので、日本人の皆さんに笑われてしまうかもしれませんが、私にとって彼女の言語はとても力強いものです。非常に儚く、あるいは無意識のうちに、映画に発展することができました。

私はプロットやストーリーに興味はありませんが、映画をまとめる構造が必要であることは理解しています。映画的な自殺をしたいわけではなく、自分でも見られる映画を作りたいと思っています。でも、限界を押し進めて、映画はもっと実験的でもよいと思うのです。映画制作には高額な製作費がかかると思われますが、私が考える最高の映画のいくつかは、それほど予算はかかっていないと思います。「第七の封印」や「蜘蛛巣城」などのように美しさや欲望と関連のある世界に自分は生きていたいのです。

「ZOO」
「ZOO」

――今回はマイケル・ナイマンが音楽を担当した作品が上映されます。あなたが考える映画音楽について、ナイマンとの仕事についても教えてください。

私はどちらかというと文学的な教育を受け、たくさん本を読み、文章を書いてきました。その後美術学校に行って、絵の描き方を学びました。ですから文学の芸術、視覚的芸術もカバーしていますが、音楽の教育は全く受けていませんでした。残念ながら、両親は私にバイオリンもピアノも習わせることはなかったのです。

ですので、脚本を書くことも絵を描くこともできますが、音楽だけは作れないので、映画においては音楽制作者、ミュージックメイカーとのコラボレーションが必要です。

一般的な映画の劇伴は出来がよいものは少なく、音楽的というより、クリシェ的で商業的すぎるものが多い。自分はフィリップ・グラスのような実験的な音楽を作る人とコラボしたいのですが、彼らが作るような音楽に親しんでいないと、なかなか耳に入ってこないものです。商業的にはあまり世に出てこない音楽なので、うまくいかないことが多いのです。

私にとっての偉大な音楽制作者のヒーローはジョン・ケージです。とても実験的な音楽を作ります。生前の彼は、必ずしも音楽についてではなく、哲学に関する多くのことで非常に有名でした。チャイコフスキーやワーグナーは政治的な理由だけでなく、よく聴かれるので残り続けますが、商業的な音楽と比べて、ジョン・ケージの作品を広く聴いてもらうことは難しいので、彼の仕事が忘れられてしまうことを憂いています。

「英国式庭園殺人事件」
「英国式庭園殺人事件」

私がマイケル・ナイマンとかかわれたのは幸運でした。アメリカでミニマリズムと呼ばれる音楽運動があり―もちろんミニマリズムは絵画や彫刻でも使われる言葉ですが―彼は、音楽制作者として初めてミニマリズムという言葉を発明した人だと思います。今になって、そう呼ばれるのはよしとしないかもしれませんが。どこか皮肉がある音楽だったと思います。既にあるフォルムを新しいものに入れ替えるようなやり方です。たとえば、古いボトルに新しいワインを入れるような。

それはとても生き生きとしていて、とても現代的でした。バイオリンや弦楽器などのクラシック楽器はもちろん、シンセサイザーも使っていましたが、新しい形で表現する音楽です。アイロニーがあるということは自分のことをシリアスに捉えすぎないこと。人間という哀れな存在ということを脳裏に持ちながら作品制作をする、彼と私はそのやり方が共通していて、良い仕事ができたと思います。

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