イントレランス
劇場公開日:1919年3月
劇場公開日:1919年3月
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2018年2月15日1916年。D・W・グリフィス監督。これはすごい。長尺に気圧されて後回しにしていたことを後悔しました。誰かが「イントレラスには映画のすべてがある」と言っていたらしいが、それは誰でもいい。まさにその通りだから、いつでも誰でも言うことができるからだ。これも誰かが言っていてもおかしくない。
まず、制作された時代がすごい。第一次世界大戦中で、日本では夏目漱石が「明暗」を新聞連載していたころだ。この時代に、生まれてからさほど時間が経ってない映画という新しいメディアによって、4つの物語を平行して描くという離れ業をやっている。なんてことだ。有名なラストミニッツレスキュー(締め切りに向かって緊張感が高まること)は4つもあるので迫力満点なのはもちろんだが(人が走る。機関車も車も馬車も走る)、画角も画面の割り方もクロースアップもすばらしい。動きと静止、光と影、場面の反復などの「リズム」によって緊張と弛緩を自在に作り出している。劇中に音があるかないかや演技のはやりすたりは映画にとって本質的ではないことがよくわかる。
前作「國民の創生」に対する人種差別的だという批判をかわすという目的があったというが、社会がいかに「不寛容」(=イントレランス)に満ちているか、そのなかで人々の生命や愛情や生活がいかに生まれてはつぶされていくかという明確な主題がある。4つの物語のうち、現代アメリカ篇だけが最後に救われるがあとは悲劇。歴史は悲劇に満ちており、現代は可能性に満ちているという楽天的な結末だと捉えれば、これほど映画的な特徴をもった映画もないだろう。
「孤独な娘」のミリアム・クーパーと「山の娘」のコンスタンス・タルマッジが魅力的。
タイトルの意味は "不寛容"‼️人間の心の狭さが生む悲劇の事です‼️ストライキに騒ぐ現代の貧民街、ゴルゴダの丘を舞台にユダの裏切りによるキリストの磔、バビロニアをペルシャの侵略から守ろうとする山の娘、聖バルテルミーの虐殺の四つのエピソードが、オムニバスとしてではなく交錯して描かれています‼️そんな物語構成や、グリフィス監督が「国民の創生」と今作で確立した様々な映画技法は現代では当たり前になっているので、今この二作を観ても公開当時のような感激はないでしょうが、"映画の父" グリフィス監督に敬意を払い、1916年に脳内タイムスリップして観てみると、やはりこの作品の功績は偉大‼️特に力が入っているバビロニア編‼️その有名な巨大セットは映像で観ても驚嘆させられる‼️石器や石弓、象、巨大な火炎放射車、膨大な数のエキストラなどで展開するペルシャ軍とバビロニア軍の戦いは、現代のスペクタクル史劇の原点なのでしょう‼️戦いに勝ったバビロニアの盛大な宴のシーンも含めてホントにスゴい‼️そして四つのエピソードは、それぞれの悲劇に向かって収束していき、現代のエピソードだけが人間の善意によってハッピーエンドに終わる‼️この多少の救いがあるエンディングも素晴らしいですね‼️1916年、映画が見世物小屋的なエンタメに終始していた時代、その芸術性をいち早く世に示したグリフィス監督‼️ありがとうございました‼️
飛行機の中で無声映画を観ようと思い、色々調べるとこちらが名作とのことだったので挑戦しました。
結果、難しすぎて40分残して1時間半でリタイア…。
時代や場所を超えた4つの話が並行して進むというのは分かったのですが、誰が誰だかわからなくなる!それぞれの話が何を目指しているのかもわからない!画質という表現はおかしいかもしれませんが、白黒で画面がガサガサしているので正直みんな同じに見えます。辛うじて服装で見分けられるか?というレベル…。
色々な理不尽が降りかかってきて、それぞれの主役の女性(時に周りの男性も)がひたすらに大変な思いをしているなあという感想しか持てず…。
もっと映画や歴史や時代背景の知識が豊富な方が見ると違う感想を抱けるのだろうと思います。
この作品の評価には気を付けなくてはいけません。
そもそもこの作品を観ようというような人間はそこそこの映画マニアに限られ、且つそういう人たちは私も含めて観る前にあちこちで「映画史に燦然と輝く不朽の名作」といった評価や記事を目にしているので、点数はかなり上げ底になっています。
全く予備知識のない人にとっては「何だかよくわからなくて、やたら長い罰ゲーム無声映画」というのが公平でまっとうな評価です。
四つの独立したお話が「不寛容=許さない」という主題で並行的に進んでゆく点は初めの字幕で示され、そこは良心的です。
しかし、それぞれのエピソードは「本筋」の話に「脇道」の話が絡んで進んでゆくわけですが、「脇道」についての説明が不十分、且つ「本筋」にどう関係してゆくのかわかりにくく、更に無声映画全般にいえることですが、無声であるが故に登場人物や場所を特定しづらく、主題がどうこういう以前にあらすじがよくわかりません。とりあえず、あらすじの記載されたブログなどを横に置い観ることをお薦めします。
音楽についても「国民の創生」と同様に、戦闘シーンだろうが恋愛シーンだろうが、場面の雰囲気に関係なく、初めから終わりまで有名なクラシック音楽を、ただひたすら「かけっぱなし」で、音響効果も何もあったもんじゃありません。まあ、大正時代はこんなもんなんですかね?
映画史的には極めて重要な作品ではあるので、映画ファンなら一度は観ておくべき必須科目ではありますが「風と共に去りぬ」「七人の侍」「ゴッドファーザー」などの時代を超えた不朽の名作ではありません。