暗黒街の弾痕(1937)のレビュー・感想・評価
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【前科者と言うレッテルに引き裂かれた愛し合う男女の人生を、切なくも美しく描いたフィルムノワールの逸品。】
ー 恋人ジョーン(シルヴィア・シドニー)の尽力で短気出所したエディ(ヘンリー・フォンダ)。
二人は結婚し、ささやかな幸せを求めて再出発を図るが、前科者であるが故に、職を失ったエディは、新婚の妻が待つ家にも帰れず路頭に迷っていた。
そんな折、銀行強盗の犯人のぬれぎぬを着せられ、不当にも死刑判決を受ける。
しばらくして冤罪だったという知らせが届くも、疑心暗鬼になった彼は誰も信じることができなくなっていて、彼を諭そうとするドーラン神父を射殺してしまう。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作品が、単なる前科者とその妻が悲惨な人生を送る物語になっていないのは、エディの恋人ジョーンを演じたシルヴィア・シドニーの、彼を只管に信じる潤んだ瞳に惹きつけられるからであろう。
・エディを演じるヘンリー・フォンダも、前科者というレッテルを貼られ、次々に理不尽な仕打ちを受ける中、脱獄し妻に会おうとする必死な姿を、見事に演じている。
■冤罪だったエディがドーラン神父を射殺してしまい、本当の犯罪者となり多額の懸賞金を掛けられ、絶望的な逃避行を続けるエディとジョーン。
男の子を生みながらも、その子を預け車で逃げる二人の前に立ちふさがる警察。そして、車は道から転落して・・。
<理不尽な理由で、転落していくエディとジョーンの姿が、美しい映像とシルヴィア・シドニーとヘンリー・フォンダの名演によって、切なく描かれている作品。
冤罪の恐ろしさがエディの心を蝕んで行く中、只管に彼を信じてついて行くジョーンの姿が実に哀しく、哀れで切ない。
ラスト、一人生き残ったエディが聞いた”無実だ。自由だ。”と言う天の声の演出も効果的な作品である。>
ショットの密度と恋愛ドラマの濃密さがブレンドされたドイツ表現主義の巨匠フリッツ・ラング監督の傑作
ドイツ表現主義のフリッツ・ラング監督がナチスドイツから逃れ、アメリカに亡命して演出したハリウッド映画の第二作品目。製作が「駅馬車」「海外特派員」などのウォルター・ウェンジャーで、音楽が映画音楽の大家アルフレッド・ニューマン、撮影が「王様と私」「クレオパトラ」「猿の惑星」の巨匠レオン・シャムロイと、超一流スタッフが揃っている。第二次世界大戦後はB級映画専門のプログラム・ピクチャー監督の扱いであったが、戦前戦中にはドイツ時代に匹敵する傑作を生みだしたことは、映画ファンにとって貴重な遺産となっている。他に「死刑執行人もまた死す」を観ているが、甲乙つけがたい傑作だった。 物語は、三度めの服役を模範囚として3年務め、担当弁護士や神父から厚意を受けて人生をやり直す主人公エディー・テイラーの、どう足掻いても犯罪者の烙印を押された不運と悲劇に、弁護士事務所で働くジョージ・グレアムとの熱烈な恋愛が描かれて、濃密な人間ドラマになっている。同じ原案をニューシネマとして再生したアーサー・ペンの「俺たちには明日はない」とは全く趣を異にする犯罪映画で、その特徴を一言で云えば、ショットの密度とプロットの正確性である。登場人物の、特に主人公ふたりの性格描写や心理の変化がショットに込められて、モノクロ映像の際立つ光と影の美しさが素晴らしい。特に後半の道行きからは、エディーを愛さずにはいられない女性の衝動と想いが伝わり、不覚にも涙を堪えて観てしまうほどに感情移入してしまった。ジョージを演じたシルヴィア・シドニーの可憐で清楚な美しさがいい。女優歴10年を超える26歳の演技とラング演出に迷いはなく、対してエディを演じるデビュー2年目の若き31歳のヘンリー・フォンダの初々しさ。名優になってからのフォンダしか知らないのでそう感じてしまうのだが、既に確かな演技力を備え、耐え難い苦しみとジョージの愛に応えようとするエディーの抑えた感情を巧みに表現している。 それにしても、このラング監督の無駄の無いショットとモンタージュには大変驚かされる。90分にも満たない上映時間でも、この内容の濃さでは120分以上必要とするのが普通ではないか。それは簡潔なモンタージュと観る者の想像力を信じた省略の演出法によるラング監督のドイツ表現主義から生みだされた映画術と言っていいと思う。刑務所の庭で野球に興じる場面の地面すれすれから見上げる囚人と建物のショットや主人公エディが独房内を往復する場面の鉄格子から漏れる光を放射状に捉えたショットなど、ドイツ表現主義らしいショットが印象的だが、映画技法としてはロングショットを使わずスタンダードサイズ内に収めたアップとミドルの集中力の凄みであり、場面変化の説明ショットの省略は一貫している。例えば銀行強盗の冤罪の逮捕から判決が出るところでは、連絡を待つ新聞社のデスクと部下が三種の紙面を壁に貼っているシーンが繋がり、電話を置いたデスクがその中の一枚を指して終わる。無罪、評決出ず、有罪の紙面に使われているエディーの顔写真が違っている点や、これをワンカットで表現したカメラワークの雄弁さ。演出で特に緊張感に満ち優れているのは、エディーが独房で自殺未遂を図るシーンで、エディーの表情のアップと看守の対比、そしてアルミのコーヒーカップをエディーが後ろ手で潰すショットと床に落ちる血のショットの4カットで収めた演出である。この時のヘンリー・フォンダの表情の演技ですべてが解るのだ。他にも毒ガスを使用した銀行強盗のどしゃ降りのシーン、現金輸送車が逃走して事故を起こすのをフレームアウトの音だけで表現したシーン、死刑執行に絶望して自殺を図るジョージのシーン、そしてラストの照準器に映るふたりの姿と、強烈な印象を残すシーンが全編に張り巡らされたフリッツ・ラング監督の傑作である。 視聴を重ねると、その素晴らしさに思わず唸らざるを得ない貴重な映画、そのショットの素晴らしさに酔える映画の教科書のような映画に、心から賛辞を送りたい。
目の動きが印象的
ボニーとクライドを取り上げた最初の映画ということでしたけど、『俺たちに明日はない』とは随分、取り上げ方が違いましたね。どちらかと言えば、『俺たちに』の方が事実に近いのかな? しかし、この映画は、細かい部分がとても印象的でした。特に印象的だったのは目の動きと、それを映す際の切返しのショットでしたね。見るものと見られるものとの対峙を、こんなにも緊迫感を持って演出できるのは、さすがにフリッツ・ラングだな、という気がしました。あと、銀行強盗シーンでも目の動きがポイントでしたよね。こういう細かい演出がやっぱり映画を面白くするんでしょうね。
淡々と、破滅は近付く
「俺たちに明日は無い」で有名となった悲劇のカップル、ボニー&クライドを世界で最初に映画で取り上げた、ドイツの巨匠、フリッツ・ラングの悲恋物語。 1937年の公開作品でありながら、そのスピード感溢れる展開と、気品ある演出、そして観る者を一気に物語に引きずり込む圧倒的な力は、現代のサスペンスが持ち得ない、時代をしっかりと乗り越えてきた魅力を存分に発揮する。 希望に満ちた表情で、刑務所を出た男。その男との間にもうけた子供の出生を心待ちにし、男と幸せに満ちた生活を夢見た女。その一組の男女が、少しずつ、少しずつ他人に壊され、汚され、貶められていく悲しみを、淡々と描き出していく。 「俺たちに明日は無い」で描かれた男女の最期は壮絶な怒りと諦めに満ちたカットで劇的に描かれるが、本作はファンタジックに、ささやかな幸せを予感させる最期が用意されている。ここに、フリッツ・ラング監督がもつ優しさ、この男女に向ける慈愛の眼差しがある。何故、この男女の悲恋物語に私達は惹かれてしまうのか。その根底にある夢と、愛の深さをどのように描くか。ボニーとクライドの物語は、多くの映画人によって違う解釈があって良い。 古典作品の奥深さと底知れぬ迫力を存分に感じられる一品。最近になって傑作選として世に出たフリッツ・ラング監督の名作を、目を見開き、隅から隅まで味わって欲しい。
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