いつか読書する日

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説・あらすじ

ひとりの男性を30年以上にわたって思い続ける女性の恋を描いたラブストーリー。朝は牛乳配達、昼はスーパーで働く50歳の独身女性・大葉美奈子。毎夜の読書を楽しみに、単調ながらも穏やかな毎日を過ごしている。一方、同じ街の市役所に勤める高梨槐多は、末期がんで余命わずかな妻・容子を自宅で看病している。実は美奈子と高梨は高校時代に交際していたが、ある事情から疎遠になったのだった。それから30年、ふたりは互いへの思いをずっと胸の奥に閉じ込めてきたが、ふとしたことで容子がその事実を知ってしまう。主人公・美奈子を田中裕子、高梨を岸部一徳、高梨の妻・容子を仁科亜季子がそれぞれ好演。監督は「独立少年合唱団」の緒方明。

2004年製作/127分/日本
配給:スローラーナー
劇場公開日:2005年6月11日

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映画レビュー

5.0今は叶えられない望みでも・・

2025年5月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、VOD

後回しにしている
私の人生の大きな望みについて、
今は叶えられない望みでも
それが《いつの日かのための》支えになってくれている事がある。

認知症の介護とか、がんの看護とか、児童保護司とか、
そして、きょう一日を精一杯生きるための、日銭を稼ぐパートとか・・
優先すべき事柄の山に私たちの日常は埋もれている。
どれが本当の自分の夢であったのか、埋もれて分からなくなっている。

・ ・

「なぜ働いていると本がよめなくなるのか」三宅香帆著
この本は実にヒットをして、“読めない本についての本”を世のサラリーマンたちが競って購入する変わった現象が起こった。そのこと自体が、ちょっとした皮肉でもあるのだけれど。そして

「『なぜ働いていると本がよめなくなるのか』を、なぜ働いていると読めなくなるのか」と
延々と三面鏡のようにボヤいた友人がいた。

田中裕子。

いつかは夢を叶えたいとぼんやりと思っていて
それが叶わずに、
きょうも牛乳配達やレジ打ちをやっている人たちって、田中裕子ならずとも、
(それがモデルケースとしては表には出ておらずとも)、
あの彼女の姿は我々人間の生き様の象徴なのではないだろうか。すなわち

自転車を漕いで牛乳を配りーの、文字通りの自転車操業の毎日であるならば
運転しながらの読書とかもちろん無理だし、その他にも両立はしない背負っている秘めた想いとかの実現は、今は、諦めるしかない。それは土台が無理だからだ。

相当のインテリの知人がいるのだが、一時期、彼は土方仕事の日雇い労働をやっていだ。そして自身に起こった変化を興味深く僕に分析解説してくれた、
「人はあそこまで疲弊すればスポーツ新聞がやっとやっとで、活字生活からは離れてしまうものだよ」。
彼がどんな見事な書庫を有していてもである。

「タコが言うのよ」
「恋は遠い日の花火ではない」
お酒のCMでは、ほろ酔いで目を奪った田中裕子さん。
「天城越え」では着物と美素肌。
40年前のYouTubeが未だにこれだけもてはやされていて、絶大なる女優の魅力は不動だ。

今こそが夢を叶える時だと、点滴スタンドを押して、冷たい夜明けの玄関を、裸足で出て行った
仁科亜季子の笑顔が
貴い。

今こそが夢を叶える時だと、
泳げないのに泳いでみた男の快挙が美しい。

顔を、その存在を見せずにここまで抑制して、
坂道を登る足音と、吐息と、ガラス瓶の音だけで行き来したひとりの女に手渡された奇跡のメモ。

田舎町の本屋の、棚の前で出会った高校生男女の
ついに永年の希望を叶えた物語であった。

・・・・・・・・・・・・・・

[追記]

◆渡辺美佐子がナレーションを語っていたが、彼女が劇中で書いていた「あの小説」が
この五十女=大葉美奈子の実写化ドラマの台本になっていたのかも知れないと気付くと
「自分の本」をば私たちは自分で読みながら、今日も、この日を生きていたのだなぁと、想いが及んでゆくのだ。
不思議な感覚だ。

◆みんな死んでしまって、ぽつねんと部屋に戻った美奈子と共に、鑑賞者の我々も彼女の部屋に居るようなエンディング。
彼女の軌跡である本を眺め、ひとりの女の歴史の頁をめくって見せてくれるような静かなカットだ。
画面をPAUSEして、その書棚の一冊一冊の背表紙を辿るのも
鑑賞の最後の作業として、佳い時を持てた。

◆本作、今回はYouTubeで鑑賞したのだが、合間に (いつもはとても邪魔なのだが)、挟まれる広告には、ティファニー・ハードウェアのコマーシャルが流れていた。
いまをときめく「アノーラ」=マイキー・マディソンだ。彼女が素顔で登場してくれたのは、期せずしてのボーナス。
本作と、そしてあのアノーラと。
この女たちの藻掻きのドラマが、相乗作用していて面白かった所以。
それは
愛とか、憧れとか、その気持ちの置きどころとか、想いの量とか。

解説やメイキングも見てみたいのでDVDも借りてみた。
以下、

【追記:2025.5.25.】
・しみったれていない美奈子のコート
・おばさんの「小説」と共に美奈子の生き方を導いていた若き日の「作文」が、本作のプロローグとエピローグとして対になっている構造
・池辺晋一郎の音楽が、この映画は悲劇ではないのだと告げる役目
・原作の小説なしに!ここまでの原案と脚本を仕上げた緒方監督と青木研次氏の驚くべき力

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きりん

4.0う~ん・・・これもまたコメントしにくい作品である。

2025年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

何とも言えないじんわりじんわり田中裕子と言う女優が染みてくる映画。そうこれも田中裕子なのである。世の中には女優の美しさを際立たせる映画は山ほどあるが、女優のきらめきを隠そう隠そうとする映画と言った方がよいだろうか・・・それでも光漏れてくる輝きは憧れや惹かれとは異なり、まさに見るものが浴びるかのような形で思い知らされる。おそらく脚本家の眼差しがその作為の根底だからなのだろう。今回も当てはまる感情対象アイコン無し。

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mark108hello

4.0「”これから”本でも、読みます。」

2025年2月4日
PCから投稿

岸部一徳と田中裕子は、
あえてこのキャスティングっすよね?
ジュリーこそ出てはいないが…。

本屋で自転車に乗るお互いの親を見かけて以来、
ミナコとカイタの時間は止まったまま。
止まったままなのでミナコは本を
買い続けるしかない。
ただ淡々と作業のように新聞を切り抜いて…。
カイタは一生地味に暮らすと心に決めるしかない。

止まっていた時間が30年ぶりに
動き出した瞬間に本棚を見たカイタは気づいてしまう。
想う人を孤独にしてしまった圧倒的で膨大な時間に。

止まっていた時間は動き出したと同時に”終わって”しまった。
もう作業のように本を買わなくてもよいのだ。
「これからどうするの?」
「これから、本でも読みます。」

50年過ごしたこの街を見下ろしながら、
離れない決心をした15の自分を確かめるように、
大きくひとつ息を吐くのだ。

このキャスティングは”あえて”かと思ったが、
あの飄々と何を考えているか不明な岸部と、
なにか捉えどころがなく本音を秘めているかのような田中は、
このキャスティングに最も相応しいと、
いや、この二人しかありえない。

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にゃろめ

4.5必ず訪れる人生のタイミング

2024年7月21日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2005年の作品
俳優陣が皆若い。
「いつか読書する日」
このタイトルにはいったいどんな意味があるのだろう?
物語の最後に皆川おばちゃんが美奈子に問いかける。
「これからどうするつもり?」
「これから、本でも読みます」
その「本」とは、おばちゃんが描いた小説なのではないだろうか?
自分の人生が描かれた本を老後になって読む。
自分の人生を振り返る。
自分の人生を、もう一度見つめてみる。
それが一体どういったものだったのか、小説を読みながら考えてみたい。
それはある意味、人生の終焉を表しているかのようだ。
高梨陽子も夫のカイタに言う。
「男と女の関係がすべてよ」
この作品は、
人生とはつまり男女関係がすべてであるという概念に則り作られたものなのだろう。
さて、
なぜ、カイタは最後に死ななければならなかったのだろう?
妻の陽子が望んだとおりに彼は行動した。
同時にしばらくの間気にかけてきたネグレクトの児童への想い。
彼は自分が成した決断が正しかったのかどうか迷うところがあった。
カイタがした児童の母に対する行為は、子供にとっては由々しきことだった。
子供のいなかったカイトにはそのことがよくわからなかったのだろう。
子供にとっては、どんな親も絶対的存在だ。
それを理解した上に、行政執行の決断が為される必要がある。
彼はそれを理解していなかっただけだろう。
このひとつのことが罰、または因果となって水難事故を招いたのだろうか?
2005年 平成17年 この時代はまだ昭和的な思想が色濃く感じる。
同時にタイトルに仕組まれた難解さがこの時代の新しさなのかもしれない。
あれから30年
当時起きた出来事 お互いの両親の事故死
それは大きな出来事だったが、カイタと美奈子の認識は違っていた。
カイタはプールの授業でおぼれそうになっていて、それを見ていた美奈子が笑っていると思った。死ぬと思った。
だから、カイタは美奈子を避け始めたのだ。なんて薄情な女だ
美奈子はそんな出来事など覚えてもいなかった。
このくだらないすれ違い。
きっとほとんどの人がこのような経験をしていると思われる。
カイタは笑顔で死んだ。
それはカイタが自分自身のすべてに決着をつけたからだろう。
これこそがカイタが死ぬ理由だろう。
「美奈子の長い恋は終焉した」
また、
冒頭、美奈子が作文コンクールで優勝したことが発表される。
「未来の私からの手紙」 15歳の私へ
自分が未来に立ち、当時15歳だった頃の自分に宛てた手紙
しかしわずか2年後に母が死ぬ。カイタの父と一緒に。
この出来事は美奈子の人生観を大きく変えたはずなのに、美奈子はすでに決めてしまっていた自分の歩く道を変更しなかった。
噂などすぐ広がってしまうこの町に留まり続けたのだ。
「変わらない」と決める
それこそが30年彼女を孤独にさせたのだろう。
陽子から言われなければ、ケイタとの関係もなかったはずだ。
「自分の気持ちを殺すのは、周囲の気持ちも殺すことになる」
そして、ケイタの気持ちを受け入れることができた。
でも、あまりにも短く終わってしまう。
このあたりが昭和色を濃く感じてしまう。
美奈子が毎晩聞いているラジオに、ある日とうとう投稿してしまう。
彼女の想いはもう処理できなくなっていたのだろう。
それを聞く陽子 ラジオというのはすでに時代の流れの中へ消えそうになっている。
陽子の心理もまた特別だ。
死を前に考えることは、自分のことではない。
「平凡」を決めた夫の生き方に疑問を持った。
市役所への就職はそれが理由だろう。
しかし児童課での仕事に向き合う選択をした。
同時に、彼にもタイミングが来たのだろう。
すべてにタイミングがある。
美奈子が誰もいなきなった高梨家に毎朝牛乳を届けるのは、お供え物だからだろう。
町の一番高い場所から町を見下ろす。
30年間の決着をつけた清々しさ。
人生遅すぎることなど何もない。
最後は、ゆっくり読書でもすればそれでいいのかもしれない。

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