「娘は描かれた時点では亡くなっていないのでは?」父と暮せば KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
娘は描かれた時点では亡くなっていないのでは?
山田洋次監督の「母と暮せば」があまりにも
期待外れだったので、こちらを再鑑賞。
やはりこの「父と暮せば」の方が
格段に優れていると思った。
黒木和雄監督は言葉の力を信じて、
あるいは井上ひさしを信じて、
舞台の二人芝居モードを徹底して
踏襲した結果、成功しているように思えた。
また舞台ではセリフの中でしか登場
しないという木下について、
図書館他での娘との語らいと
トラックで娘宅に向かうシーンだけで、
時間を割くことなく印象的に登場させ、
主役の二人芝居の主体は壊さない、
映画としての味付けに優れた演出力を
見せてくれていると思う。
一方「母と暮せば」の方は亡霊役が
登場するにも関わらず、
中途半端に映画としてのリアリティ感を
出そうとして失敗していると思う。
また登場人物が多すぎて
主役二人の会話に重みも無い。
もっとも、生者と死者、親と子、男と女、
の全てのひっくり返しに無理栗感があった
のが基本的な原因だとは思うが。
ところで、この作品へのレビューで
何人かの方が、
ラストシーンが原爆ドームの中での演技に
見えたり、
二輪の花が映し出されたしたことから、
娘も死んでいる前提だとしたら、
親子の会話との矛盾があるのではとか、
テーマにそぐわない等の
御意見が多くあります。しかし、
私はこの時点では
娘は亡くなっていないと思います。
この映画が完成したのは戦後59年ですから
終戦時に二十歳だった娘が既に自然死
している想定も可能だから、
2004年時点では父と一緒に二輪の花として
描かれても不自然ではないし、
更に言えば、
その後、彼女が原爆症で亡くなって
しまったと想像すると、
この花は、
娘が心配していた後遺症の怖さの
メッセージとも想像されるからです。
また原爆ドームの描写は、
そもそもがこの作品のテーマが
反戦・反核兵器なのだから、
原爆被害の記憶装置である原爆ドームを
全ての被害者を包み込むテーマの象徴
として使ったのであって、
死者同士の親子の物語だったのでは、
と捉えるのは読み過ぎではないかと
私は思いますが、如何でしょうか。
度々申し訳ございません。
「TOMORROW明日」観たかったのですが、私の契約している配信では取り扱っていなくって・・。
けれど、記憶に留めます。有難うございました。
この映画サイトは、一時期荒れましたが、最近は多くのレビュアーの方から、映画を紹介いただく機会が多く、嬉しき限りです。
これからも、宜しくお願いいたします。では、又。
今晩は。
随分前のレビューに対してのコメントで申し訳ないです。
”死者同士の親子の物語だったのでは、と捉えるのは読み過ぎではないかと私は思いますが、如何でしょうか。”
私も同感で、描かれていたのは1948年の夏の話であり、原爆ドームが印象的に下部から映されるショットと二輪の花は、その後ではないかと思いました。
でないと、父の娘に対する想いが哀し過ぎると思いました。
とても、佳き映画であるとも思いました。では。