もず(1961)

劇場公開日:

解説

テレビ・ドラマを「おとうと(1960)」の水木洋子が自ら脚色した、母と娘の情愛をテーマにしたもので、「バナナ」の渋谷実が監督した。撮影は「「青衣の人」より 離愁」の長岡博之。

1961年製作/94分/日本
原題:The Shrikes
配給:松竹
劇場公開日:1961年3月1日

ストーリー

新橋裏の三流小料理屋「一福」の住込み女中すが子のところへ、松山から娘のさち子が訪ねてきた。二人の再会は二十年ぶりで、さち子は結婚生活に破れ、美容師になるにめの上京だった。たまたますが子のパトロン藤村との逢う瀬を目撃したさち子は、母のすさんだ生活を嫌悪した。さち子が都心の美容院に職が決った日、母の同僚おなかがすが子が倒れたと知らせてきた。すが子は「一福」のお女将とうまくゆかず、同僚のおてるの家に厄介になっていた。さち子も一緒に住むことになり、病状とともに母娘の仲もよくなっていった。おてるの叔母一恵がさち子に縁談を持ってきた。相手が六十の老人だというのに、さち子が見合を承諾したことで、また母娘の仲は険悪になった。三カ月後、母娘は阿部ツネの部屋に移った。さち子の同僚アヤ子の紹介だった。すが子は「一福」をやめ、藤村と手を切った。その頃、松山から酒田という青年が上京した。彼は青年会で会って以来、さち子を愛していた。酒田の求婚をさち子は断った。すが子は酒田の出現を嫉妬した。口喧嘩の翌朝、すが子は自殺をはかった。母との生活に疲れきったさち子は、松山に帰る決心をした。が、すが子がまた倒れ、死の宣告をうけた。無理して入院させたものの医療費に困った。藤村に相談すると、交換条件にさち子の体を要求した。万事窮したさち子は藤村に身をまかした。その頃、すが子は息を引きとった。母の枕もとにはさち子名儀で六万二千八百円の貯金通帳があった。母の愛情をはじめて知ったさち子は母の亡骸にしがみついて、いつまでも泣きつづけた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0病院へ行こう

2021年1月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 女優の魅力を存分に引き出した作品ではあるが、プロットそのものは面白くない。母と娘の確執というほどの争いはないが、戦争が終わってから会ってないところから推察するとかなり苦労した母親。それでもパトロン藤島のおかげでやっと生きているといった感じだ。身をくずした母を見かねて美容師として稼いで母親と暮らそうとするさち子。

 一緒に暮らし始めたはいいが、母と娘はけんかばかり。それでも喧嘩が終わると母への愛が感じられる。その経緯の台詞のやりとりが絶妙だ。

 終盤は母が不治の病で入院。別れたパトロンに入院費を出してもらおうと迫るが、別れてしまった者には愛情のかけらもない。ましてや治らないとわかっている女に・・・映像には表れてないが、その藤島に抱かれ金をもらったさち子。まぁ、’61年作品だからしょうがないけど、金のために抱かれる心情をうまく表現できたらもっと凄まじい映画になってたかも。何しろ、その直前には松山からやってきた男(川津)に求婚され、それを諦めたばかりなのだ!そして、母と同じように身をくずしてしまい(とは言っても一度だけだからすぐに立ち直れそう)、病院へ行くと一足遅かった・・・そして母が握りしめていた袋の中にはさち子名義の預金通帳。死んでから母の娘に対する温かさに気付いたさち子だった・・・最後の急展開はなかなかよかった。

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kossy

4.0人間ドラマの佳作

2015年3月29日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

東京の下町を中心とした女のドラマは、主演の淡島千景を始めとして有馬稲子、山田五十鈴、乙羽信子、桜むつ子といった出演者達のアンサンブルが素晴らしいの一言。
更に中盤では、高橋とよさんによる楽天野村監督をも遥かに凌ぐ、ぼやきの連続で観客を大いに笑わせてくれる。

淡島・有馬コンビによるウェットでドライな母娘関係も絶妙だが、渋谷監督の描く風俗描写もまた見事。
男に媚びながら生きて行かなければならない悲しい女の生き方を通して映し出される戦後。
時折ハッとさせる場面が何度となく見受けられ、人間ドラマの佳作と言って良いでしょう。

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