野菊の如き君なりき(1955)

劇場公開日:

解説

大正二年に死んだ歌人伊藤左千夫が明治三十九年に発表した小説「野菊の墓」を「お勝手の花嫁」の木下恵介が脚色し自ら監督、「遠い雲」の楠田浩之が撮影に当った。主なる出演者は新人有田紀子、「七つボタン」の田中晋二、「サラリーマン 目白三平」の笠智衆、「婦系図 湯島の白梅」の杉村春子、「あこがれ(1955)」の田村高廣、「お勝手の花嫁」の山本和子、「遠い雲」の小林トシ子、「若き日の千葉周作」の雪代敬子など。

1955年製作/92分/日本
原題または英題:My First Love Affair
配給:松竹
劇場公開日:1955年11月29日

あらすじ

河の流れに秋のけしきが色濃い。渡し舟の客、斎藤政夫翁は老船頭に、遠くすぎ去った想い出を語った……。この渡し場に程近い村の旧家の次男として政夫は育った。十五歳の秋のこと、母が病弱のため、近くの町家の娘で母の姪に当る民子が政夫の家に手伝いにきていた。政夫は二つ年上の民子とは幼い頃から仲がよかった。それが嫂のさだや作女お増の口の端にのって、本人同志もいつか稚いながら恋といったものを意識するようになって行った。祭を明日に控えた日、母の吩咐で山の畑に綿を採りに出かけ二人は、このとき初めて相手の心に恋を感じ合ったが、同時にそれ以来、仲を裂かれなければならなかった。母の言葉で追われるように中学校の寮に入れられた政夫が、冬の休みに帰省すると、渡し場に迎えてくれるはずの民子の姿はなかった。お増の口から、民子がさだの中傷で実家へ追い帰されたと聞かされ、政夫は早々に学校へ帰った。二人の仲を心配した母や民子の両親のすすめで、民子は政夫への心をおさえて他家へ嫁いだ。ただ祖母だけが民子を不愍に思った。やがて授業中に電報で呼び戻された政夫は、民子の死を知った。彼女の祖父の話によると、民子は政夫の手紙を抱きしめながら息を引きとったという。政夫の名は一言もいわずに……。渡し船をおりた翁は民子が好きだった野菊の花を摘んで、墓前に供えるのであった。

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映画レビュー

3.5花嫁は顔をあげない

2025年5月3日
iPhoneアプリから投稿

年上だから、従姉だから、若いから、金持ちだから。呪いのような社会が若い芽を踏みつぶす。これからがあるから治癒されると、無責任な裁きを受ける。返ってみれば人生はさほど長くなく、それが人生のすべてであったりする。
この時すでに婆役の浦辺粂子が諭す。果たせなかったのは自分自身と罪を背負った母役、杉村春子が熱演。当時においても社会に響いたであろう。問いただした姿勢の末に現在がある。

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Kj

4.5【“野菊の花の如き君。竜胆の花の如き貴方。”今作は、伊藤左千夫の傑作悲恋小説「野菊の墓」を、木下恵介監督が品性高く映像化した切なき恋物語である。】

2024年10月23日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

知的

難しい

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共感した! 2件)
NOBU

4.5美しい信州の風景の中の「君」有田紀子‼️

2023年11月13日
スマートフォンから投稿

泣ける

悲しい

楽しい

この作品は「二十四の瞳」と並ぶ木下恵介監督の代表作です‼️15歳の男の子が2歳年上のいとこの女の子と愛し合うが、周囲の反対で結ばれず、女の子は別の家に嫁ぎ、ほどなく死ぬ・・・。老人となった男の子の回想という形で物語が進むのですが、ホント遠い昔の淡く悲しい恋の思い出をそのままフィルムに焼き付けたような作品‼️観てると自然と涙が・・・。回想シーンになると画面に白くぼかした額縁のようなものがかかって卵形になる‼️これぞタマゴスコープ‼️まるで古い時代の写真を見ているような気持ちにさせてくれます‼️舞台となる信州の風景がモノクロの画面とタマゴスコープによって美しく展開していて、その風景の中の「君」有田紀子さんの純真さがホントに胸を打つんです‼️主演の2人の演技もセリフなんか棒読みに近いんですが、それが逆にこの無垢な物語に真実味を与えているような気がします‼️そして老人となった男の子を演じる笠智衆さんの佇まいも、なーんか涙を誘うんですよねー‼️

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活動写真愛好家

3.5野菊の「墓」としなかったタイトル変更に拍手

2022年12月7日
iPhoneアプリから投稿

伊藤左千夫の小説『野菊の墓』を名匠・木下惠介が映画化した作品。どうでもいいけど『野菊の墓』ってのはあんまりにも直球のネタバレタイトルなんじゃないかと思う。「野菊」が何を指すのかわかった瞬間にそれがどういう運命を辿るのかわかってしまう。だから『野菊の如き君なりき』という、物語の主題は明確に表しつつもネタバレとは慎重に距離を取ったタイトルに変更した本作は偉い。

映画は小舟に乗った笠智衆の回想から始まる。そして記憶は流れる川のように滔々と、不可逆に進行していく。円形に真ん中をくりぬいた紙をカメラに貼り付けてるだけなんじゃないの?というくらい主張の強い白ビネットが回想の回想性をことさら強め、強固で狭隘な社会的因習に阻害される政夫と民子の悲恋を痛切に描き出す。ときおり笠智衆の声でその都度の感情を謳い上げた短歌が吟じられ、それが流麗な筆文字で画面に表示されるのも作品のメロドラマ性をさらに強めていた。

短歌という形で感情を外部化し、努めて平静を装っていた政夫だったが、流産による民子の死を知ると真っ暗な部屋で慟哭する。「私が殺しちまったようなもんだ」と懺悔する母に対しての「いつ死んだんだい?」という政夫の不慣れに上ずった叫び声が切ない。温和で心優しい彼を一体誰がここまで追い詰めてしまったのか?問いかけの視線を投げかけても、家の人々は互いに責任を押し付け合うばかりだ。ただ一人、婆さんだけを除いて。

婆さんは自分の結婚には後悔がないと、また民子が裕福な隣家へ嫁いでいくことそれ自体は嬉しいことだとしたうえで、民子本人の気持ちに思いを巡らせる。本当にこれが民子の選択なのか?私たちはこのまま民子を行かせてしまっていいのか?しかし彼女の倫理的問題提起は、保守性の穏便な継続を是とするムラ社会の因習にあえなく呑み込まれてしまう。被害者はいつだってか弱い若者と老人なのだ。

概して良質な作品だったが、木下作品にしてはモチーフの運用が少々大雑把な気もした。死んだ民子が今際の際まで政夫の手紙と竜胆(生前、彼女は政夫のことを「竜胆に似ている」と形容していた)を抱えていたなんてのはちょっとやりすぎだ。原作における「ラスサビ」の部分だから削ろうにも削れなかったというのはあるんだろうけど、クドすぎる。だったら長い回想が終わって現在の政夫が久方ぶりに民子の墓を訪れるあのラストシーンで、墓の横に偶然竜胆が咲いているのを発見する、みたいな描き方でよかったと思う。

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因果

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