アメリカン・ヒストリーXのレビュー・感想・評価
全49件中、1~20件目を表示
【”我々は敵ではなく友人だ。”白人至上主義だった兄が刑務所生活3年で愚かしき思想を払拭した訳。今作は人種差別の愚かしさ、恐ろしさ、哀しさを描いたヒューマンドラマの逸品である。】
■白人至上主義を掲げるネオナチのメンバーであるデレク(エドワード・ノートン)は、黒人に殺された消防士だった父が愛した車を盗もうとした黒人を殺して投獄される。
同じ選択係のユニークな黒人の囚人と触れ合い、彼が刑務所内で黒人たちから自分を守っていた事に気付いたデレクは、それまでの考えを完全に捨て、3年の刑期を終え実家へ戻る。
そして、弟ダニー(エドワード・ファーロング)と久しぶりに再会するが、彼はかつてのデレクに感化されて白人至上主義にのめり込んでいた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・エドワード・ノートン演じるデレクの刑務所内に入る前のモノクロで描かれる狂的な白人至上主義の男と、刑務所を出てからのカラーで描かれる白人至上主義を捨て去り常人になった変化が凄すぎる。正にエドワード・ノートンが演技派として花開いた作品である。
■刑務所内で、それまでの敵なしだったデレクが、黒人たちに怯えて暮らす姿。そして、彼と共に洗濯係として働く黒人囚人ラモントから言われた事。”刑務所内では、黒人の方が勢力があるんだぜ。”
そして、”何をしたんだ?”と聞くデレクにラモントが答えた事。”TVを窃盗したんだよ、警官の前でな。その時にTVが警官の脚に当たって、刑期6年だよ。”
それを聞いて、”黒人を殺した自分が刑期3年で、窃盗で捕まったラモントが刑期6年”という矛盾に気付いて行くデレク。
更には、黒人囚人たちから憎しみの目で見られながらも、何ら問題なく過ごしていたが、白人の囚人たちとも交流を持たなくなったデレクをシャワー室で襲ったのは、白人6人だった。医務室で泣き崩れるデレク。
そして出所日。デレクはラモントの所に行き、言うのである。”謎が解けたぞ。お前が俺を守っていたんだな・・。”そして、笑顔で別れる二人。見事なるストーリーテリングである。デレクが白人至上主義思想を捨てた理由が、矛盾なく分かるからである。
・そして、デレクは且つての自分に憧れていたダニーの白人至上主義思想を徐々に無くしていくシーンと、二人で壁に貼られていたナチスのハーケンクロイツが刻まれたポスターを次々に剥ぎ取って行くシーンは、沁みる。
<そして、デレクはネクタイを締めて且つての仲間であるキャメロンとセスが襲われた事で、刑事に説得され且つての仲間達に話を付けに行くのだが・・。だが途中で別れたダニーは学校に行くのである・・。
今作は、人種差別の愚かしさ、恐ろしさ、哀しさを描いたヒューマンドラマの逸品なのである。>
真面目が一番
人は誰しも偏見や差別的な考えを多かれ少なかれ持っているものだろう。しかしそういった考えに傾倒する余り、同じ思想の者で集会を開いたり、他者を攻撃したりするのは、自分の人生にマイナスの影響しかもたらさない。主人公のデレクが仲間のセスを負け犬と呼んだように、こういった活動に時間を費やしても、成長もしないし普通の人間は離れていくしで、無駄でしか無い。デレクは服役の経験を通じてそれに気づくことができた。デレクがネオナチ集団からの脱会を表明した途端に、メンバー達が手のひら返しをするのも、所詮その程度の繋がりでしかなかったのを表している。
ストーリーは続きが気になる展開で面白いが、デレクが服役によって過激思想から抜け出せた理由が、いまいち弱いような気がする。店を襲ったり、黒人を酷い殺し方をしたりしていたのに、そんな簡単に転向するものなのか、やや疑問だった。
差別怖い
ケツが危なすぎる
なんというか・・子供の頃 道徳の時間に見させられたやつに似ていると思った。 だからそれっぽい音楽とか入ってくるとバカバカしすぎて 笑いそうになった。 この物語で一番良くできてる部分は刑務所でのいい黒人との出会いだな。ここでいい黒人に出会って気持ちが変わるんだろうな・・と、 シーンが始まる前にわかる。 だからそのいい黒人ってのはどんな風に見せてくれるのかなと思って楽しみにみていたら・・上手く描いたな、と思った。とっても洒落た感じでのいい出会いだった。それで、この作品がこんな 高評価になったのであろう。
主演俳優はとても面白い 雰囲気を持ってるし 特に声のイントネーションが独特で魅力的な俳優だと思った。
あとこの作品はもしかして、まだ 黒人 労働者を受け入れてない国に対する警告なのかなとも 思った。アフリカとかで狩猟採集 生活 営んでいた人々は、 食べ物がなくなったら 隣の部族を殺すしかない。 殺すことが唯一絶対の正しい解決。突然 文明国に連れてこられて まだ200年ぐらいしか経っておらず 本能の中からそういうのが 強く 残っていて消えていないんじゃないかと思った。黒人の人と話したことはないので分かりませんが・・・そう思った。
怒りは君を幸せにしたか?
4年ぶりくらいに再鑑賞。
デレクの過去が白黒なのは、人種を感じさせないような演出なんやろうなと思った。出所したデレクが家の鏡の前でナチスのマークを隠すシーンが印象的。
この映画名言もあって「怒りは君を幸せにしたか?」っていう校長の言葉にハッとするシーンも好き。デレクは父親の洗脳もあり考え方が偏ったんやよね。根が深い。最後のシーンでこんなのないよって確かにそうやよね。2人の人間を無惨に殺した報いなのかとも思ってしまう。3年って短すぎるよね。
ノートンがムキムキ
線が細いあのエドワード・ノートンがムッキムキになってて驚いた。
でもやっぱり肩幅は狭くて華奢。
主人公は元々優秀な生徒だったが、父からのナチズム思考を植え付けられてネオナチになった。真面目そうな華奢なノートンも似合うし、ネオナチのイカれた坊主役も似合う、、。
刑務所の回想シーンは色々酷かったけど、同じ仕事してた黒人のキャラよかった。白人ボスグループが黒人と白人新人との防波堤になっているのは現実でもそうなのかな。
エドワード・ファーロングも相変わらず顔・目付きが良かった。
ノートンが序盤黒人を殺した方法がえぐい、、。
縁石を噛ませて、頭?首?を思いっきり踏んで殺す。
一生忘れなさそう。
ラストはノートンが殺されて終わりかと思ったら、弟が殺された、、。まさかのオチ。悲しすぎるし、この映画は人種差別良くないよ、ということを伝えたいのかと思ったからこのオチは、、。
映画としては良い。差別への警鐘してるのかな。
25年程前の作品ですが、全くもって色褪せ無い強烈で素晴らしい映画で...
物凄い根が深い
人種差別は人間性を破壊する
エドワード・ノートンが、カッコエェ〜です!
白人至上主義の兄弟の兄が、車を泥棒しようとした黒人を撃ち殺したことで刑務所に収容されるんだけど、受刑者同士で問題が起きて その件で焼きを入れられたもんだから、辛くて泣きを入れてしまうんだけど…この辺りのシーンは私的にはチョット雑に描かれてるかなと。
ただ、配属されたシーツを畳んだりする仕事で、黒人の男性と一緒になったことで、デレク(エドワード・ノートン)は少しづつ変わってくるんだな。
そして出所する頃には、全くの別人に!
そう、人種差別を植え込んだのは 何を隠そう彼らの父親なのだ。
それを自らの経験で正すことが出来たのだ。
そして、弟にも今までの自分達は間違っていたんだと説く。
そして、新たに旅立とうとした矢先に……。
白人至上主義のエドワード・ノートンの演技と、悟りを開いたかのようなエドワード・ノートンの演技と…この対比が凄く良くて、のめり込む様に観た。
未だに世界には差別が残っていて、本当に根深い問題だなと。幼い頃から間違った主張を植え付けられると、余程強いストレスがかからない限り、なかなか抜け出せないのかな…。
実際、日本の“刷り込み教育”も凄いしね…。
色々と考えさせられるわ。
家族と学校の先生の影響力は多大
兄のデレック(エドノートン)の心の動きを追うと切なくなる。ロサンジェルスのベニスビーチ高校時代は学校でNative Sonを読んで、人の痛みが理解できたようだが、父親の影響力と死でネオナチに傾倒しリーダーに。監獄の中で人生経験や再発見して、人に戻ろうとする。激動に満ちた人生を送る若者たち。果たして救われるのか?God ! What did I do. これはデレックからの呻きの言葉。
2021年の新年の抱負はネオナチ、KKK、Qアノン、レッドネックなどの右翼系の作品を鑑賞するだった。私は個人的に大変リベラルで、自分の意見を持っている。 トランプが大統領になった時、自分の意見と背反する思想を紐解く必要があると思った。 そして、この一年で、宥和外交的な思想を学ぶつもりで下記の作品を観た。
1)Son of the South(原題)(2020年製作の映画)
2)White Terror(原題)(2005年製作の映画)
3)デンマークの息子(2019年製作の映画)
4)ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印(1993年製作の映画)
5)憎しみ(1995年製作の映画)
6)ディス・イズ・イングランド(2006年製作の映画)
7)The Other Side(原題)(2015年製作の映画)
8)SKIN/スキン(2019年製作の映画)
9)SKIN 短編(2018年製作の映画)
一作として、ノートンと監督ケイとの折り合いの悪かったこの作品を見たいと思っていた。(リリースされた映画はノートンがカットした映画らしく、ノートンの移民反対演説のスピーチや父親がいたときの家族のシーンが含まれていると読んだ)ノートンバージョンの方が家族の考えがわかる大事なシーンが含まれていると思う。 ノートンが 歴史の授業でこの映画を使って討論をするうクラスがあるとか言っていたので観たかった。
1998年の映画で 1991年3月3日、ロドニー・キング殺害事件、ロサンジェルスのベニスビーチの人種や貧富の格差の変化、特に白人警察の横暴が問題になり始めていた時のようだ。
映画の簡単な歴史背景を頭に入れておくと見やすいと思う。
私はこの映画で一番の問題点は家庭と学校教育だと思う。それがよく描かれていると思った。その視点からこの映画を捉えたい。
兄弟の父親が生きていた時、家族間では会話はあった。父親がNative Son を知らないだけで母親も知っている。母親はトム・クランシーじゃないんだよという。きっと父親はこの類の本が好きに違いないと思った。父親は黒人の歴史の週間じゃないのになぜ黒人の本を読むのかと教育観が狭い。父親は積極的格差是正措置を嫌って、黒人が昇進していったり仕事をとったりするのが面白くないようだ。デレックは父親の考えになびいていく。妹も弟もそれをじっと見ている。 デレックは問題意識の強い、頭のいい生徒だったようだが、父親のデレックに対する期待感が英語の成績はBかと過小評価する。残念だ。
デレックは父親が殺されてから右翼のリーダー格になる。
大勢のネオナチの前で白人至上主義を演説する。移民難民が米国に流入するから我々が仕事を失う、どちらが国民なんだ!とトランプの演説より説得力があると思う。カリスマ性があり弁がたつだけでなく論理的だ。思想は最悪だけど上手い!
この彼も差別攻撃がエスカレートするとイタチごっこになることに気がつかない。気がついて改心した時に、その代償として以前からダニーに目をつけていた黒人の生徒(まず、最初のシーンでダニーはタバコを吹きかける、次のシーンで黒人が使っているバスケットコートを奪う。デレックに殺された仲間の中にいる)に高校の便所で銃で殺される。最近は学校に銃を持って入ることは難しくなっているが、当時は校内で殺されることがありえただろう。
ボブ・スウィーニー - (エイヴリー・ブルックス)校長先生はデレックも弟ダニー(エドワード・ファーロング)も知っている。そして、ベニスビーチコミュニティーギャング更生(?)役割をしているようだ。
スイニー校長先生はヒットラーの我が闘争を分析するダニーを諦めず、ダニーの歴史の先生になると宣言する。ダニーに監獄に入っている兄のデレックがいかに家族やダニーに影響を与えたかについてアメリカンヒストリーXとして書けと。Xは匿名でという意味で、特に監獄の中のことをと。特に米国の刑の問題(シーツを畳む作業中黒人の青年が店のテレビを盗んで壊したというが6年の刑。デレックは殺人罪。なぜ刑が彼より軽い?)にも関心があったのではないかと私は勝手に想像する。そして誰にも言わない自分が読むだけだと。ここで個人的にアプローチをして一人でも問題だと感じれば放って置かずすぐ声をかけることは素晴らしい。
一番感激したところは、監獄の中で6針縫ったが命を取りとめて打ちひしがれているデレックと話した言葉。スイニー先生は医務室で横たわるデレックを尋ねる。ここで初めてデレックは泣く。ギャングと家族のリーダーである彼がなける場所なんてどこにもなかった。自分をさらけ出すことができるこのシーンが一番大事に私は思えた。 自分がこの場に合わないし、混乱していると訴えるデレックに怒りが頭を塞いでいるから『Stay Open』という先生。この先生はデレックと似た立場にあったようで、白人(先生は黒人)の責任や、神様の責任や、みんなの責任にしていた時代があったが、これでは問題の解決の答えがなかったと。ここで大切な先生の投げかけた言葉は『今までに、いろいろなことをしてきて、自分の人生をよくするために何かしたことがあったか』。 これに、首を横に振るデレック。 もうここで、デレックは立ち直れると私は思った。そして、デレックは助けてくれとまた、泣き出す。 家族で逃げ出すと言うデレックに先生は逃げるだけでは十分じゃないと(私の理解が間違いなければ)、いつまででもついていてはあげられない、自分で考えて動けと。
デレックは出所してから、弟に刑務所での話をして、弟にどうしろとは言わない。自分で決めろと。愛しているよと言う。 デレックの凄さはここ! ギャングの仲間から出ろとは言わなく、弟に決めさせる。
人間は変われる。 批判的思考力があって、人生に気づきがある。それはスイニー先生のお陰であり、デレックは疑問や問題意識を解決に結びつけるのが早い頭のいい人だと思う。
ジャパニーズヒストリーならどうなるかな❓
アメリカの人種差別問題に斬り込んだ作品です。
問題提起としては正当ですが、展開は支離滅裂なところもあります。
金持ちの白人が私利のために無知で貧乏な白人を煽動するのが主な原因です。
無知で貧乏な白人が警官に多いのが悲惨な現実でもあります。
コロナで貧富の格差が増大してるので、これからは人種差別がさらにエスカレートするでしょう。
この映画の結末は、唐突で、あまり差別の現実を反映はしていません。
刑務所の描写も非現実的です。
それでも評価されるのは、正面から斬り込んだ勇気なのでしょう。
日本では、人種差別よりも、イジメで自殺させられたり、交通事故で殺される人が外国と比べて桁違いに多いです。
でも、正面から斬り込んだ映画はありません。
イジメの根源には教師の存在が大きい。
交通事故は自動車メーカー。
ジャパニーズヒストリーで真実を暴いてください。
無情さ
虚しさが響くラストでした。わかり合おうとする努力もそれが何だというのか…
もちろん努力は重要で、実際にそれ以上に有効な打つ手は我々の手には無いと言っても過言ではないですね。しかし、それで解決するほどこの問題は簡単ではないことが象徴的に示されていると感じました。
ネオナチの演技が素晴らしくてドキドキしました。
全体的な作りは分かりやすい方向に振った作品だと感じました。この映画が少し公開から時間が経っているのもあるのですが、その分かりやすい方向性が少し安っぽさを感じさせました。しかし少しチープな演出だからこそあのラストを理解しづらくしています。弟が殺される意味がよくわからないです。その製作者の意図と、殺した少年の動機の両面でよく分かりません。なんぼなんでもあの程度の衝突で、まして学校で引き金を引くでしょうか?それこそ黒人というカテゴリーの方々をストレートに馬鹿にしているように感じました。「これくらいのことでキレて学校で人を殺す思慮の浅い連中」そう言っている様に感じます。そこに少し疑問と憤りを感じました。つまり舐められているように感じました。これを観てもそういう感情を抱かない、と観客として馬鹿にされている感覚です。
差別を扱った作品にマジカルニグロ的なキャラクターが登場するのも「浅さ」を感じました。
私の大好きなネオナチ改心映画の「skin」との比較ですが、この映画があったからこそ少し攻めた方向の「skin 」なども生まれたのだと思います。
衝撃の重さの大切な作品
非情
最初の方はつまらなかったが
痛みを感じ続けて、救いのないまま終わる
暴力と暴言の応酬、人種間だけでなく家族間でもぶつけられる憎しみ、盲目的に崇められるヒトラーの姿。
正直嫌悪感が止まらないし、目を背けたくなるシーンが続くし、見続けるのがかなり辛かった。それでも最後まで観たのは、刑務所という限られた社会の中で、これまで自分が絶対的に信じていた白人優位主義が崩された経験をしたデレクがダニーを誤った方向から救い出し、明るい未来を目指す結末を期待したから。
それがあの終わり方……物語の構成としては間違ってないと思うから、理性的には納得できる結末なんだけど。
これがこれまでデレクやダニーの犯した過ちの代償だ!と結論づけるのもなんだか違う気がして…きっとそういう不条理が現実だよ、ということなんだろう。
それにしても、このアメリカで黒人差別問題が激化してるタイミングで見たからか、いろいろと考えてしまった。社会的な格差や優遇って、それがシンプルに個人の能力や素質によるものであっても、人種や性別や貧富のせいにしてしまいがちになる。そうやって、本当の差別と屁理屈の差別(あえてこういう言い方をしているのはデレクの父の言い分がまさにそうじゃないかと思ったから)の見分けはつかないから、余計ややこしいんだよな。
最後に言うことじゃないけど、エドワードノートンはやっぱり顔といい喋り方といい、めっちゃタイプだ(^^)
全49件中、1~20件目を表示