映画ドラえもん のび太の宇宙漂流記のレビュー・感想・評価
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幻でも良かったよ!もうこんな宇宙ばかり嫌だ!
映画ドラえもん記念すべき第20作目。
前作が芸能人声優が多かったせいか今作は野沢雅子氏に玄田哲章氏等々声優陣がやたら豪華。
「宇宙開拓史」「小宇宙戦争」と過去作の宇宙ものが名作なだけあり20作目としてはちょっと微妙というのが素直な感想、ゲストである宇宙少年騎士団の面々も声優こそ豪華だがキャラとしては印象が薄い。
特にゲストヒロインであるフレイヤに関してはスパイキャラなのは良いが裏切りも仲間に復帰する動機どっちもあまりにハッキリしないのであまり感じの良いキャラではなかったのが残念。
全体的には微妙な作品ではあったもののメカデザインは良かったのと幻惑の星あたりのトラウマ感は中々印象に残る。
EDテーマは賛否両論ありそうなSPEED、個人的にはそんなに悪いとは思わないけど名曲感はあまり無い気はする、エンドロールでこれまでの映画のイメージアートが流れる演出は20周年感があってかなり良かったです。
OP映像だけはドラえもん映画史上屈指の出来
見終わってからそれほど経過していないはずなのだが、マジでほとんど内容を覚えていない。
宇宙というテーマであれば『宇宙開拓史』『宇宙小戦争』といった良作が既にあるため、やはり作品として凡庸な印象は否めない。
ドラえもん一行が乗り込んだ宇宙船の船員である宇宙人4人の造形のバラバラさはどことなく『スターウォーズ』に端を発する20世紀後半のスペースオペラを彷彿とさせる。
船員の中の一人に裏切り者がいるという展開も面白いといえば面白いのだが、そこからの葛藤と回復があまりにもありふれていたように思う。
とはいえ本作で最も印象的なのは、宇宙冒険の途中で降り立った惑星がなぜか地球だった…という不可解な展開に端を発する一連のシーンだ。裏山で宇宙船を降りたのび太たちはそれぞれ帰路につくが、何かがおかしい。のび太は大目玉を覚悟で帰宅したにもかかわらず、彼の両親はそれを咎めないばかりか、不自然なくらい温かく彼を迎え入れる。
そこでのび太はハッと目を覚ます。すると異形の怪物がのび太を捕らえようとしていた。そう、そこは訪れた者に幻覚を見せる幻惑の星だったのだ。
演出上、現実と幻覚が地続きに描写されていたが故に、映画を観ている我々までもが疑似的に幻惑の罠に陥っていたのだ、とそのときようやく気付かされる。平穏な日常と荒廃しきった惑星の落差がまた恐ろしい。
あと、OP映像の出来でいえば本作はドラえもん映画史上屈指の出来だったといえるだろう。無重力を共通項にシームレスに接続された宇宙と深海をドラえもんたちが縦横無尽に動き回るダイナミックなアニメーションに心打たれた。それにしてもイントロ部分の作画は流石に気合が入りすぎだろ、と思う。
スタークラッシュゲーム
ドラえもん映画TV20周年記念作品
ゲームの中に閉じ込められたジャイアンとスネ夫。そんな状況なのに部屋で無重力ゲームをしてしまい、ママがスタークラッシュを捨ててしまった。追跡カメラを使い、裏山まで行ってみるととUFOが持ち去ってしまったことがわかったのだ。
拘束された5人。どこでもドアで帰ろうとしてたのに、もうちょっと冒険しようと好奇心むきだし。UFOは故障したため、ある惑星に到着した。植物好きのリアン。彼らは可住惑星を探していたのだ。5人は金属蜘蛛に襲われるが、どこでもドアが効かない。なんとかタケコプターで逃れたが、乗ってきたUFOが襲われた。なんとか追い払い、少年騎士団とも和解するが、ワープ装置故障のため地球に帰るのが困難となった。銀河船団に到着すれば何とかなるのだが・・・
UFOはまたしても不時着。ここは地球?と思わせる幻惑の星だった。手塚治虫か松本零次の世界だ。船の墓場に誘導されたUFO。船団に捕まった彼らは、リアンの父でもあるリーベルト司令官やアンゴルモアが力づくで地球に移住しようと計画してることでショックを受ける。そして、ティンカーベルのようなフレイヤがスパイだと判明する。1999年の映画だけあって、ノストラダムスの大予言に出てくるアンゴルモアという名前が面白い。『スターウォーズ』のキャラを真似たような雰囲気もある。
アンゴルモアの正体はロボットだった。超能力で少数の人々を操って独立軍を組織していたのだ。形を持たない生命体・・・それがモア。最後にはブラックホールに送って解決。
エンディングに時代を感じる
SPEEDのエンディング曲に時代を感じた。
作品としてはさしたる見所がないと思う。
物語にいい意味での二転三転がなく、流されるままの展開に乗り切れなかった。
宇宙でのリアンたちとの関係も何処かで見たようなもので、ドラえもんの映画でなかったら、客来なかったと思う。
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