東京物語のレビュー・感想・評価
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ドメスティックなようでインタナショナル 洋の東西、国も人種も超えて普遍的なものを表現できている作品です 永遠の名作、世界の映画遺産そのものです
言わずと知れた小津安二郎監督の代表作です
世界的にも評価は高く「映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン」で1位になったこともあります
というか毎年その上位の常連です
小津安二郎監督自身も世界一の監督に選ばれたりして、近年ますます評価が高くなるばかりです
ファンとしては嬉しいばかりです
つまりドメスティックなようでインタナショナルなのです
洋の東西、国も人種も超えて普遍的なものを表現できている作品なのです
本作は1953年11月3日公開
今年2023年は公開70年の節目の年に当たります
また小津安二郎監督の生年月日は1903年12月12日です
つまり生誕120年目にも当たります
そしてお亡くなりになったのは1963年の誕生日と同じ12月12日
即ち没後60年でもあります
小津安二郎監督が青年期を過ごした松坂市のある三重県など全国各地でいろいろなイベントが開催されているようです
これから本作の公開記念日の11月3日や、誕生日と命日の12月12日に向けて、秋から初冬にはさらに各地で盛り上がりがみられることと思います
自分も今年になって三重県松坂市の「小津安二郎松坂記念館」と、本作のロケ地である広島県尾道市にある「おのみち映画資料館」に観光がてら訪問させていただきました
松坂では小津安二郎監督がどのように人間形成され映画監督を目指すようになったのかの原点を知る旅になりました
また尾道では、本作に登場するさまさなロケ地が公開後70年を経てもなお数多く残されていることをその現場で確かめることができて感激する旅になりました
「おのみち映画資料館」には小津安二郎監督に関する資料も数多くありいくら時間があっても足りないほどでした
「おのみち映画資料館」の建物自体本作の冒頭すぐにちらりと登場する古い倉庫をリノベーションしたものです
本作に登場する尾道の浄土寺や住吉神社の石灯籠は一目でこれだ!とわかります
もう何度目になるのか、また本作を見て感動を新たにしました
永遠の名作、世界の映画遺産そのものです
公開70年、生誕120年、没後60年
この記念すべき年にもう一度本作を鑑賞して、鎌倉だけでなく、松坂や尾道にも足を延ばされ聖地巡礼をされてみては如何でしょうか
自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が。。。
始めは退屈そうだと思いつつ見てたら、なぜか惹きつけられる独特の魅力があった。綺麗事無しに、実際はこの物語のように親を鬱陶しく思う子供たち、親子とはいえ言葉とは別の本心が垣間見えたりする。この映画の解釈は様々なので、色んな映画批評家達の感想なども見てみたいと思えた。
市井の人の中に宿る神性の如きもの
言わずと知れた世界映画史上屈指の傑作である。その所以は、私の記憶が正しければ、本作監督小津安二郎を敬愛して止まないドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースが評した、本作登場人物の何でもない市井の人々が尊く思われてくるという、秀逸な脚本と演出によるものではないかと思われる。監督の小津安二郎は、観客がこの映画を見て、少しでも親孝行をしようと思ってくれたら嬉しいと語ったそうだが、正に主題はそうなのであろう。しかしこの映画の真価は、観客にそういった感情を起こさせる作品構成そのものにあると言って良い。極めて日本的な作風であるが、世界映画ランキングが更新される度に上位を占め続けるということからしても、世界的普遍性も合わせ持っているのであろう。見終わった後に、人間の心の中の神性の如きものに触れた気がする映画である。
戦後の悲しさ
第2次大戦後、父権は失われ、個人は自由を享受するが、地方の地縁は崩壊し若者の流出は止まらず過疎化し、核家族化した家庭では多くの子を育てられず、少子高齢化は止められない。個人を単位とする社会は流動的に過ぎ、派生する問題はもはや複雑系に属す。だが、大戦に至り多くの若者を死なせた父権は復権できず、手に負えない社会にも対処するしかない。
「日常を描く」映画
東京で働いて暮らす息子たちのもとを訪れる両親の話。両親たちは広島に住んでいて、めったに東京に出ることはない。しかも、映画が作られた当時はまだ新幹線もなかったので、夜行列車に乗って、まるまる1日くらいはかけて行かなきゃいけない状況。今でさえ、ある程度歳をとってしまうと、田舎から東京まで出るのは骨が折れるのに、この時代はなおさら大変。それでも両親は、東京の息子たちの様子を見に行こうと決めたわけです。
ただし、息子たちは東京で日常の生活を送っていて、それを邪魔してやたらと騒ぎ立てるのは息子たちの迷惑になる。東京訪問を通して、もし息子たちに迷惑をかけてしまい、ギスギスした状況に陥ってしまえば、せっかくの一大イベントが台無しになってしまうし、息子たちも東京から広島に帰る機会が減ってしまうかもしれない。だから両親は、絶対に非日常感を表に出してはならない。短い間泊まらせてもらうというだけでも、すでに手間をかけさせているのに、それ以上に気遣いやらなんやをさせてはならない。あくまで日常に溶け込むという形で、非日常のイベントを遂行しなくてはならない。
だからこの映画は、表面的には淡々と進む。しかしそれは表面のことであって、本当のところでは、これは、両親にとっての非日常的なイベントだった。
つまり、映し出されるのは当時の日常だが、描かれるのは、日常と非日常、ホンネとタテマエの間で揺れる両親の感情と行動のその揺らぎである。
本当は彼らにとって色々な思いをもとに動き出した東京訪問だったが、その思いを直接出すわけにはいかず、あくまで自分たちの中でそれを消化していかなければならないという状況の中での、彼らの感情の動きを想像してみると、特にラストの方で使われる何も起こらない風景のショット(空ショット)が実に深い味わいを持ち始めるに違いない。
退屈な上に心が荒む!!
現代で言うと是枝裕和の「歩いても歩いても」のような感じだと思いますが、一家の生活を神の視点で淡々と眺め続け、退屈で眠くなります。役者の棒読みも辛いですが、当時の生活ぶりを観る事ができる点では貴重な映像だと思います。お爺さんお婆さんは悪い人ではないのに厄介者扱いされ、息子のヒステリー嫁の糞っぷりも心がガサガサになります。他の人も当たり障りのない事を言っているだけで全く心がこもっておらず、私の両親や親戚を思い出して嫌な気持ちになります。名作とされているので、同調圧力に弱い方は面白く感じるのではないでしょうか。
昭和の風景
何もない。素朴に淡々と続く何も無い日常の風景をリアルに切り取る。独特な撮影方法であたかも自分に語りかけるかのような家族の言葉はすっと入ってくる。家族の形、思いやりの心。
ラスト15分美しい風景、変わらない日常の中最後のおとうさんの表情が際立つ。
なにもない。なにもある。
なにも起こらない。なにも起こらないからこそ伝わってくるものがある。
実際の生活の中で、何か起こることなんてそうそうない。家族の中で何か大きな事件が起こるとすれば、それは「生」であったり、または「死」であったりということしかない。ほとんどの家族は、そうだろう。
だからこそ、生について死について考えるには「家族」というのはいい題材になるのだと思う。
この映画にあるのは、そうした徹底的なリアリズムである。生と死の本当のところを見つめる。現実には起こらないような事件を通してでなく、私たちの日常を切り取ることで日常の中の「生」と死を直視させる。
淡々と物語は進んでいくが、映画に込められたメッセージは強烈だ。
言わずと知れた世界一の映画。ようやく見ることができました。 話はた...
言わずと知れた世界一の映画。ようやく見ることができました。
話はたんたんと進みます。特別なことは何も起こりません。なのに何故か見入ってしまいます。これが名作って奴か。
親子とは何ぞや、家族とは何ぞや、考えさせられました。これが世界一に認定されるということは、万国共通の想いなんでしょうね。
ネットでの様々な解説、解釈を見るとさらに楽しい。みなさん、様々な見方。
やはり名作。
●珠玉の名作。
もう、のっけから抜群の安定感。
あっという間に古き良き昭和にタイムスリップする。
笠智衆の昭和のお父さんぶり。東山千栄子の完璧な受け応え。
「思いがけなく」「ありがとう」
あのセリフ、トーンは笠智衆しか出せないんじゃないかと思う。
そして原節子。惚れるわー。
ぶっきらぼうな杉村春子とまた対照的だ。
なんだろあの存在感。清涼感。
プロなのか素人なのかのギリギリライン。
これほどの俳優陣に加え、またストーリーが素晴らしい。
何度観ても新鮮だ。
そのときの自分の年齢、環境によって、こうも受け止め方が変わるのか。
毎度、唸らされる昭和の最高傑作。
黒澤映画は何本も観ているが、小津映画は初鑑賞。 大きな事件は全く起...
黒澤映画は何本も観ているが、小津映画は初鑑賞。
大きな事件は全く起こらず、固定カメラで淡々とした日常が描かれるのみ。
でも不思議と退屈せずに、引き込まれました。
昔の60代ってああいうイメージですが、今の60代って元気ですよね。
親と子
子どもはいつか離れていくもの。
それでいいのですね。
尾道から東京の息子や娘たちを訪ねる老夫婦。忙しい都会生活を送る子どもたちと心の隔たりを感じながらも、二人はまだ私たちは
幸せな方なんですよね、と頷き合うシーンが印象的だった。
戦死した次男の嫁である原節子演じる紀子との心の繋がりを感じる老夫婦だったがやはり葬式で泣きじゃくるのは実の娘。
親と子は生涯繋がっている。
前半退屈だったけど
子供達がいる東京におとずれて、のけものにされたり観光したりする前半はすごく退屈に感じたのだけど、お祖母様が亡くなってから前半部分が超大事で不可欠なストーリーだったとわかった。
まだ22才のモラトリアム期間の子供なので、親は大事にしたい、絶対あの美容師の娘や息子たちのような態度、心持ちになりたくないと思ってるし、あんな子供達おかしい。と感じたけど、あと20〜30年たったら自分もそうなるのかな。原節子さんのセリフがすごく心にきた。私だってなりたかないけど、そうなるのよ。
余談やけども、自分も広島におじいちゃんがいるのだけど、顔がそっくりですごく親近感がわいた笑
スタンダードでもありオリジナリティーでもある、まさに記念碑
今さら何か言うこともないくらいの名作なのですが、自分がこの作品を知るきっかけは外国人監督からリスペクトからで、初めて見たのは映画生誕100年を迎えてから。いろんなメディアでドキュメンタリーなどの企画があり、雑誌などでも100年のベスト100とかあったり─。その中で、自分が記憶しているのは世界映画ベスト100という中で「東京物語」が堂々の1位になっていたこと。日本でなく世界で。キューブリックでも黒澤明でもなく。その1位を自分は見たことがなかったので、余計に衝撃を受けたのでした。
これはいかん!ということで、どうにか見ることができて(当時は古い名画を見ることは結構大変だったような…)、それがまぁなんとつまんないこと・・・正直、なんで世界のトップなのか理解できませんでした。3回ぐらい見てようやく笑えて泣けた記憶が蘇ります。しっかりと作品そのものと向かい合うことができたとき、しみじみと作品の良さを実感できた気がします。そして、何度も見ることにより、風景や風景、社会背景などの記録的な要素としても非常に重要な作品と感じるようになり、他の小津作品も堪能してなおさらこの作品の良さとオリジナリティーも感じるようになりました。シンプルかつ何度も繰り返されるような確固たるフィックス。静寂につつまれた笠智衆の座位は、お手本のようであり、その絵を真似ようとすれば陳腐になってしまいかねない、まさに唯一無二といった印象。ほかにも、尾道とか原節子さんとか、時代を越えて影響を受けたものは計り知れないような気がします。
とまぁ美辞麗句を並べ立てなくともその評価は揺るがないわけで、その評価や色眼鏡などはなるべく無視して、この作品の真の価値を見いだすまでじっくりと鑑賞してほしいものです。学びとかではなくそのドラマをしっかりと楽しんでください。
『東京物語』
永遠の処女原節子、カリスマ女優杉村春子、日本が誇る大女優二人に圧倒される。
おでん屋の櫻むつ子、旅館の女中では田代芳子、秩父晴子がイイ。
全編定点カメラ撮影からか何故か「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と同じ空気を感じた。
未だ世界で評価される作品に感無量。
軍艦マーチのシークエンスⅡ
今まで幾度となく観る機会のあった作品だが、劇場での鑑賞は初めて。終盤の葬式が終わったあたりから、場内のそこかしこからすすり泣きの音が。私と同じく、おそらく何度も観てきたのであろうが、やはり胸にこみ上げてくるものを抑えることは難しい。
しかし、今回は全く別のことが頭の中を占めていて、隣の幸福な観客と一緒に涙を流すことはかなわなかった。
それと言うのも、「秋刀魚の味」で気になっていた「軍艦マーチ」が「東京物語」からの引用だったことが分かったのだ。分かったといっても、どちらの作品もこれまでに何度か観たことがあるのだから、どちらにも「軍艦マーチ」が出てくることは知っていたはずなのである。
ところが、小津安二郎の作品群に特徴的な自己複製を無防備に受け入れていると、似たような映画の要素の記憶が作品間で混乱してくることが多くなる。
この軍艦マーチに関しても、泥酔した笠智衆が座り込んで歌っているシーンの記憶は鮮明に残っているものの、これは「秋刀魚の味」のものだと思い込んでいたのだ。しかしこの思い違いは仕方のないことだと言える。なぜなら、どちらの軍艦マーチのシークエンスにも東野英二郎が出てきており、しかも役の名前も同じ沼田なのだ。さらに飲み屋のマダムを死んだ妻に似ていると言うくだりも同じである。
このことから、明らかに小津は「東京」でやった軍艦マーチのシークエンスを「秋刀魚」でも繰り返していると言える。
かように軍艦マーチのシークエンスを挿入することを繰り返すのはなぜだろう。小津の作品では登場人物が戦争のことについて言及することがしばしばある。この「軍艦マーチ」のシークエンスもその一つであるが、小津の映画で戦闘シーンを再現したものを観たことがない。
「戦争」というものへの「われわれ」「日本人」の記憶。この共同幻想を彼はこの軍艦マーチのシークエンスで分節化しているのではなかろうか。
日本映画初の英国映画協会の選ぶ世界第一位作品
総合75点 ( ストーリー:70点|キャスト:80点|演出:70点|ビジュアル:55点|音楽:60点 )
小津監督作品をいくつか観たが、舞台劇のように科白がかぶらないように順番を守りながら交互に言い合う不自然な演出が好きになれなくて、自分には合わないと思ってそれ以降は避けてきた。しかし「東京物語」に影響を受けたというロバート・デ・ニーロ主演の「みんな元気」がなかなか良かったので、再び小津監督作品に挑戦してみる気になった。本作品が世界第一位に日本の映画として初めて選ばれたというのも後押しになった。この作品でもやはり科白は交互に言い合うのだが、ゆったりとした雰囲気に加えて、この時代の家族の持つ距離感や礼儀というのもあってか、それは思ったほど気にならなかった。
多くのひどい家族関係を直接・間接に見聞きしている自分としては、この作品の中に大きな展開は見いだせなかった。作品中に悪人は一人も登場していないと思う。むしろある程度年齢を重ねた大人にとって、この程度のことはありきたりのことではないだろうか。それぞれが自分の生活を築き上げて今を生きれば、立場も変わるしいつまでも昔と同じではいられないのは当然。だから話に引き込まれたというほどではない。
しかし家族関係が変化しそれまであったであろう絆も微妙な関係になっていく姿を捉えてまとめあげた小津監督の巧みさはあった。そのような様子を演じる善良な老夫婦・それぞれの立場のある子供たち・優しさを見せる未亡人は存在感を見せた。映像は古い白黒なうえに建物内での撮影が多くてたいしたことはないが、そこにある見えない人間関係をうまく表現してあったように思う。家族はこうあるべきと思って上を見ればきりがないし、理想と現実は違うのだ。
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