田園に死す

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説・あらすじ

寺山修司が監督・脚本を手がけ、自身の同名歌集を映画化した自伝的作品。青森県・恐山のふもとの村。少年時代の“私”は父を亡くし、古い家屋で母と2人で暮らしていた。少年の唯一の楽しみは、イタコに父の霊を呼び出してもらい会話することだ。隣家に嫁いできた美しい女性や村にやって来たサーカス団が、少年を家出の誘惑へと駆り立てる。やがて上京した“私”は中年となり、1本の映画を撮る。そんな“私”の前に、少年時代の自分が現れ……。「十三人の刺客」などの菅貫太郎が主演を務め、隣家の妻を八千草薫が演じた。

1974年製作/102分/日本
配給:ATG
劇場公開日:1974年12月28日

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映画レビュー

1.5とてもシュール

2024年7月18日
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怖い

とてもシュールで、トラウマ級。
大学の映画史の授業で鑑賞。
当時、寺山修司が仲間内で流行っていました。
どんぶらこ〜どんぶらこ、と、真っ赤なひな壇がモノクロの川から、ひょおおぉお〜っと、流れてくるのは本っとにトラウマ級です。

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ホビット

1.0恥の上塗り

2025年2月20日
iPhoneアプリから投稿

自らの才能の越境性を誇示したいがために異種業参入する傲慢な態度の惨憺たる結果が本作である、ととりあえずは結論できるだろう。全編にわたって本当にしょうもなかった。

寺山修司といえば伝説的演劇集団・天井桟敷を率いた劇作家であり、他方詩人としても知られる。今でいうところのマルチクリエイターだ。演劇・詩の領域における彼の位置付けに関しては寡聞にして存じ上げない。ただ、映画監督としては非常に悪質である。

本作が褒めそやされる一番の要因はシュールレアリスティックな画面構成だろうが、決定的に瑞々しさが欠けている。理由は簡単で、画面を組成するモチベーションが寓意パズルと素朴なデペイズマンという二つの系列に分裂しているからだ。

たとえばサーカスの風船女をめぐる視覚情報はすべて性的営為に還元できる。風船女の浮気相手が風船のポンプを上下させると風船女はよがり声を上げる。一方で主人公の少年がポンプを上下させても風船は膨らまず、風船女は素っ気ない態度を取る。

或いは、主人公の部屋に立てかけられた無数の時計は、少年時代の主人公の生が現在の自分の回想によっていくらでも曖昧に捏造されうるフラジャイルなものであることの寓意だ。

他方、そこにまったく寓意を読み取れない、つまり単なるデペイズマン的な射程しか持ちえないオブジェクトも多々ある。田園に突き刺さった標識や土手を歩く稚児の群れなどがその好例だろう。

画面内に奇妙なオブジェクトが跳梁する作家といえばまず真っ先に鈴木清順の名が挙げられるが、しかし彼の場合、それらはすべて素朴な視覚的快楽を誘発するものとして配置されている。言うなればすべてが無意味である。しかしそうした表層への徹底によって彼の映画は類稀なる強度を獲得している。

一方、本作は素朴な視覚的快楽を追求するでもなく、かといって精緻な寓意パズルに徹底するでもない中途半端な様相を呈している。そうした分裂の素晴らしい成果が本作における画面の停滞ぶりだといえる。

輪をかけて酷いのは短歌やハイコントラストによってその決定的な汚点をあさましく隠匿しようとしている点だ。恥の上塗りとはまさにこのこと。短歌それ自体の出来については無学な私に言及の権利はないが、少なくとも鈴木清順『ピストルオペラ』の劇中で不意に挿入される「屍体は私だけのもの」の文言に匹敵するような衝撃は一切感じなかった。

画作りに関してはまったくもって面白味のない本作だが、物語も負けず劣らず面白くない。回想する主体と回想される客体が同水準で相互嵌入を繰り返すという物語構造に今更新鮮味はないし、「所詮これは映画なんだから」というあまりにも情けない予防線を張る軽率さも腹立たしい。賢しらぶってボルヘスなどを引用したところで、ボルヘスの簡潔さとの対比上に本作の装飾過多が浮き彫りになるだけだ。

映画を見てこれほどまでに罵詈雑言を並べ立てたくなったのは久々かもしれない。Not for meとかじゃなくてこれは明確にダメな映画だと思う。

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因果

4.0雛壇流し

2025年2月12日
iPhoneアプリから投稿

若い時分に見た記憶がある。そりゃあ素っ裸の女性に少年が犯される話であればトラウマにもなる。数多くの絵が鮮烈に蘇ってくる。ラストもそうだ。中身は記憶にもなく、訳の分からなかったのだろう。改めて見てみると、訳の分からなさが溢れるに変わらぬが、本筋自体は結構読み込みやすく、なるほど過去の記憶など確かに滲んんだ絵画のようなもので、確かに夢と大差ないものかもしれない。
鈴木清順もそうであるが、やはりこの手の絵作りは記憶に焼きつくものだ。それ以上に今回感心したのは音楽の方で映像と見事に調和しており、グルーブも感じられる。
ラストはアルタ前。といってもアルタは未だ誕生しておらず二幸とある。そんなアルタは今月末に閉館する。見事なラストショットへの繋ぎであるが、別の意味で興味深く見入ってしまう。

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Kj

3.5【アバンギャルド&エロティック&シニカルなるインパクト強大なる映画。今作は、寺山修司が自身の過去と精一杯向き合おうとする様を描いた映画なのである。】

2024年12月22日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

難しい

ー 寺山修司氏が自身の故郷である青森に対し、複雑なる思い(愛憎)を持っていた事は、有名であるが今作はその思いを映像化した作品である。

  今作では
  1.過去の出来事は、虚構
  2.記憶からの解放
  が、テーマとして描かれている事は、明らかである。

■青森県の下北半島で母とふたり暮らしをする少年は、恐山の霊媒に会いにいき、死んだ父を口寄せしてもらうことが唯一の楽しみ。
 ある日、村に不可思議なるサーカス団がやってきて、少年は団員からよその街の様子を聞く。
 村を出たくなった少年は憧れの女性を誘うが、彼女は男と自死していた。

◆感想

・今作を難解と捉える向きも多いと思うが、寺山修司氏が抱いていた
  1.過去の出来事は、虚構
  2.記憶からの解放
 という点を考えれば、分かり易い映画である。

・劇中、過去の人物達が白粉をしている事は、”過去の出来事は、虚構”として捉えれば、腑に落ちるし、

・劇中、出戻りの女に犯されるシーンも、彼の過去接して来た女性への、負のイメージを暗喩しているのである。

・ラストのインパクト大の現在の私と過去の母とが故郷で向かい合って飯を食べるシーンの青森の家からの壁が崩れて現代の東京の町のど真ん中にいる設定は、【記憶からの解放】を求めた寺山修司氏が、結局は母と故郷への思いを捨てきれずに持ちながら、東京に出て来て様々な芸術活動をしている事を示しているのである。

<エンドロールの、延々と続く真っ白な背景も、寺山修司氏の過去を全て白紙にするという思いが込められているのだろうか。
 尚、このレビューの感想は私個人のモノである事を、一応記します。>

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NOBU