砂の器のレビュー・感想・評価
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経費で遠出するのにワクワク感が隠せない丹波哲郎がいい
時間ができたので、ちゃんと観たことがなかった名作を観てみました。
結構脚本には無理があるなあ。汽車の中から、シャツを紙吹雪のように捨てる女、それに偶然居合わせた記者、その記事を偶然読んだ若い刑事、とか。う〜ん。
丹波哲郎が演じた今西刑事が好感。遠出するのが好き、経費で行くとソワソワする、手柄たてたい、でも独り占めはしない、涙もろい。。。めちゃくちゃ人臭いキャラ。これをクールな二枚目イメージの丹波哲郎が演じたからこそ、そこにギャップが生まれ、好感のもてる登場人物が出来上がった。
しかし、凄い役者達が出ていたんだなあ。
丹波哲郎、加藤剛、渥美清、緒方拳、加藤嘉、島田陽子、森田健作、、、。亡くなった元駐在さんが緒方拳だった時にはその豪勢さに驚いた。
クライマックスシーンが秀逸。
加藤剛の演奏シーンに合わせ、幼い頃から現在に至るまでの描写が展開される。音楽の盛り上がりと場面がシンクロする。斬新だ。
※島田陽子美しい。
※渥美清が演じる映画館の支配人は、寅さんに見えて仕方がない(笑
差別と偏見に晒されたハンセン病の苦しみと悲しみを殺人事件の捜査過程で情感豊かに描いた、日本映画の特筆すべき感動作
1970年代の日本映画では、山田洋次の「幸せの黄色いハンカチ」(1977年)と並ぶ感動作として記録される野村芳太郎監督の代表作。初見は初公開から5年後の飯田橋佳作座において、同じ松本清張原作の「鬼畜」(1978年)と二本立てでした。名画座通いの印象としては、いつもより混雑していて、更に高齢の観客層が目立つのに、如何にこの名作が愛されていることかと思い知らされたことです。但し先に観た「鬼畜」の無慈悲な惨酷さに衝撃を受けてからの鑑賞だった為か、作品の完成度に感心しながらも情に訴える表現に浸れずに観終えてしまい、曖昧な批評になってしまいました。拙文を承知で再録してみます。
低迷していた日本映画に、久しぶりの感銘を与える作品が登場して評判になった。今回僕の見学した名画座でも、多くの人たちが来ていた。特に年代の高い人たちが多い。それでどうしてもこれは期待して観てしまうことになった。
結局、僕の期待以上のものは無かった。もっとドラマ的に優れたものだろうと思っていたからである。殺人事件の犯人を追跡する面白さを狙った題材ではないから、他のところで構成的な工夫を凝らすのかというと、またそうでもない。何といっても、犯人和賀の恋人高木理恵子が電車の窓から紙吹雪(実際は布)を散らすシーンが甘すぎる。それでも、ベテラン刑事今西演じる丹波哲郎のいい演技があって、事件捜査の過程はテンポ良く伝わってくる。
この映画の良さは、単なる殺人事件捜査の枠では計れないところにあるようだ。それは何か。この映画の命が、ラストの三つのシーンのカットバックにあることは明白である。犯人和賀英良がまだ秀雄少年だった頃の、ハンセン病の父本浦千代吉と一緒に放浪するシーンが、なんと今西刑事の捜査説明で描かれる。この表現法があって観客は、新たな作曲家人生を始めようとする本浦英良の新曲発表の大々的な演奏会に流れる、そのピアノコンチェルト『宿命』のテーマに想いを寄せることになる。そして逮捕状発布に至る流れと和賀作曲の叙情的クライマックスが重なる映画的帰結で閉める。ストレートに情感に訴える、ある意味とても邦画的な表現だった。日本人ならば感傷的に観てしまうように創作されていた。
脚本家の橋本忍は、その本浦親子の流浪の旅をイメージ化することを強調したそうだが、これによって、映画の感動は一つに醸成されている。その為、暗い過去を持つ和賀が更なる名声を得ようとして殺人を犯してしまった真意が、彼自身から語られることはない。『宿命』の音楽で想像するしかないのである。
却って小品ながら問題の多い「鬼畜」を、映画作品として論じられるような気がする。
1979年1月22日 飯田橋佳作座
46年振りに見直して、見逃していた脚本の細部の丁寧さに感心しながら最後の演奏会の映画的なモンタージュを体感すると、漸くこの映画の良さ、延々と続くクライマックスの執拗な放浪シーンに感情移入しながら観てしまいました。理と情で言えば、情に偏り過ぎているのではないかの不満は無く、今西刑事と父千代吉の面会場面の台詞、“そんな人、知らねえ!”に、この映画が言いたかったことが集約されていて感動してしまいました。山田洋次と共作の脚本でも、これは原作に惚れ込んで映画化を叶えた橋本忍の執念も感じられる力作と再評価します。撮影川又昂の美しい映像、作曲とピアノ演奏の菅野光亮の「ピアノと管弦楽のための組局 宿命」の情感豊かなメロディの美しさも素晴らしい。
役者では今西刑事を演じた丹波哲郎の安定感が作品の内容に合致して、特に最後の逮捕状に至る説明シーンの冷静さと人情味が絡むところは魅せます。ハンセン病の千代吉を演じた加藤嘉は、この俳優以外想像できない程の成りきりの巧さ。善人を絵に描いたような三木健一の緒形拳もいい。監督に売り込んだ千代吉役を受けても、また違った千代吉像を見事に演じたと思います。(このキャスティングの不満が「鬼畜」で解消されていたなら良いのですが)主要登場人物で唯一の不満は、吉村刑事を演じた森田健作でした。特に前半部分では初見の時に大いに失望してしまい、作品全体に影響していると思いました。今回は、目を瞑りました。この役は三森署のジープを運転して今西刑事を案内した巡査役の加藤健一が適役だったでしょう。
ハンセン病の映画では、戦前の1940年に公開されキネマ旬報ベストワンになった豊田四郎の「小島の春」があります。偏見と差別にあうハンセン病患者に寄り添う教育映画的商業作品でした。戦前日本の良心を代表する映画として記憶に残っています。国立ライ療養所に勤める女医小川正子の体験記を夏川静江主演で映画化したヒューマニズム映画。「二十四の瞳」で大石先生の母役で戦後も活躍した女優さんです。
泣かずに観られる術がない。昔も今も。
中学生の時、クラスメイトと(今はなき松竹二番館)横浜大勝館で観た。
(松竹は何回もリバイバル上映をしていたし、横浜大勝館もよく上映するほど松竹の有名な作品だと子供でも分かりやすかった。)
観てから、この映画の哀しみは私のトラウマとなり、
安々と観ようとは思わなくなった。
何かで、あの父と子の旅のシーンを観るだけで、
哀しみが身体中を騒ぐほどである。
(そういう、もう観られない映画ってある。
観たくないキライ酷い映画だから観たくない、ではなく、
作品は評価できるが、悲しくてどうしょうもない映画。
同様に『火垂るの墓』がある。)
今日観たのは、縁、なのかもしれない。
今日、観なければならなかったのかもしれない。
脚本の熱意。
撮影・演出・俳優の見事さ。
人の体温や匂いが漂う、その生命。
うわぁ懐かしい、
森田健作さんの脚の長さに驚き、加藤健一さん(演劇界の国宝)のハンサムぶりに見惚れ、
島田陽子さんは幸薄い役が似合うというか、なんか貧乏ったらしいというか、
あれこれミーハーに観ていたが『宿命』が流れ父と子のシーンになったら声をあげて涙が止まらなくなった。
やはり、トラウマ、再びである。
私はもう中学生ではない。
でも、やはり、本作の殺意が、
いまだにどうしても分からない。
殺すほどのことはない。
人を殺す程のことなんてないのだ。
でも殺さなければならない命がある。
それも宿命なのだろう。
納得できない点が多すぎる
設定に無理があり、納得できない点が多すぎる。
殺人を犯してまでハンセン氏病患者の息子であった過去と戸籍を捏造してまで別人になった事実を隠蔽したいのであれば、本当の自分を知る三木さんには面会しないはずだ。
何人もの方が指摘しているとおり、証拠品の返り血付きのシャツを刻んだものを愛人がわざわざ電車から撒く理由が全く不明である。
設定以外で不満なのは最後のコンサートのシーンです。俳優が演じるピアノ演奏や指揮の映像を長々と見せられても、偽物感が強く感じられて辟易としてしまいます。音だけだったらよかったのかもしれませんが。
年老いた父親が「そんな人知らねえ」と言うシーンは確かに素晴らしいのですが、気になる点が多くて、好きになれませんでした。
邦画の最高峰に君臨する大傑作の1本!
午前十時の映画祭15で久々に鑑賞
言わずもがなの邦画におけるレジェンド級作品です
元々60後半〜70年代に作られた映画の“ホンモノ”臭い重厚な雰囲気やちょっと暗めの独特な映像がすごく好きなので本作の雰囲気も全編通して素晴らしいと思いました
終盤の加藤剛さん演じる和賀がピアノで『宿命』を弾くシーンと並行しセリフ無しで描かれる和賀の少年時代と加藤嘉さん演じる父親 千代吉の放浪の旅、さらに並行し丹波哲郎さん演じる今西刑事がその旅路を事件捜査による独自の解釈で語るという、この三つ巴が交互に描かれる編集と演出は見事で息を呑む圧巻のクライマックスに引き込まれました、邦画史に残る本当に素晴らしいシーンだと思います
所構わずタバコを吸いまくるとか、電車の中に食堂車があって気軽にビールを飲んだり、と60年代の風俗や車などがリアルに描かれ興味深い、そして10ヶ月を費やして撮りきったという春夏秋冬の美しい日本の風景、映像が重厚でどこを切り取っても最高にカッコいい!
この事件を長い年月かけて粘り強く追い続ける丹波哲郎さんがメチャクチャ渋くてカッコいい
島田陽子さんがメチャクチャ綺麗
バストアップのヌードまで披露して、昔の女優さんは大変でしたね
そして・・・加藤剛さんの幼少期を演じる春田和秀さんと父親を演じる加藤嘉さん、この2人の演技が群を抜いており圧倒的、素晴らしい歴史に残る名演技だと思います
この邦画の大傑作を劇場で観られるチャンスをくれた午前十時の映画祭に大感謝です
たった一つの答えを求め、全国を渡る
砂の器
何度見ても涙
子役の演技がいい
凄い違和感
ツッコミどころあり
他の方もおっしゃっているように犯人が三木を殺した理由が最後までよくわかりませんでした。一番大事なことなのにそれをうやむやにしてはいけないと思います。
重要な証拠品であるシャツを窓から撒いて捨てるとか意味がわかりません。
ちゃんと観て良かった
午前10時の映画祭にて。
ドラマや映画の断片だけ観ており、なんとなくストーリーを把握していた程度の状態で。
あまりにも有名な芥川也寸志による音楽と親子の放浪を描いたシーンのため、映画全体が過酷な内容であるような印象を持っていたが、刑事役の丹波哲郎の持ち味のせいか意外にもライトな描写が続きそれも悪くない。捜査の過程でカメラに捉えられた昭和日本の原風景に浸る。
あまりにも面白い謎解きは松本清張の原作のお陰だろうとも思ってたら、それもけっこう映画オリジナルで明らかに改善されているとのことで、橋本忍・山田洋次コンビもさすがだなと唸らせられた。
しかし白眉はやはりなんといっても丹波哲郎による真相の説明に重ねられるテーマ演奏と親子の放浪シーン。本作が邦画の枠を超えた傑作になってるのはそのお陰といっても良いくらい。
ちゃんと観て良かった…
宿命という言葉の重さ。
どの時代に、どんな親の元に生まれるのか。
子どもの人生に与える影響の大きさをものすごく感じた。
また、偏見、無知、恐れ、思い込みなどによって排除される人たちは、どんな時代にも、どんな場所にいるのだ。
その事実を見ようとしないだけで。
三木巡査のような人は、「正しい人」だと思う。
その正しさをしんどいと感じる人がいるということを、想像することさえできないほどに。
まさしくそこが、和賀が逃げ出した所以だ。
和賀の内面は、父親と旅していた頃のまま、孤独だったんだろう。
どこか古臭さを感じて、敬遠していた日本映画の名作たち。
今年、「八甲田山」と「砂の器」を観て、おじさん、おじいちゃんと認識していた俳優さんたちの若かりし頃を観て、その魅力を改めて感じた。
どちらも、ホントに観てよかったです、長さも感じなかった。
また、現代に比べて、この頃は本当に人と人との距離が近く、ボディタッチも多い。
今なら個人情報漏洩になるような情報が、バンバン出てくる。
うっとおしくも懐かしく感じる、もうこの密な感じで人と過ごすことはないのだろうなと思う。
だって、直接会うより機器を通しての方が、便利だし負荷が少ないもん。
でも、きっと、その分。
我賀のような孤独を感じる人は、増えているのかもしれないなあと思いました。
犯人の過去を映し出す演出が素晴らしい!
午前十時の映画祭で鑑賞。
原作は未読。
評価が高く、松本清張氏による原作も有名なので見てみようという気になりました。
今西刑事演じる丹波哲郎がとても魅力的に描かれてました。
昭和という時代の空気感がいい。
「カメダ」というキーワードをめぐる捜査も方言がからんでいて面白い。
ピアニスト和賀英良を加藤剛、今西刑事の相棒吉村刑事を森田健作、映画館の主人に渥美清、被害者で元島根県警の巡査部長三木謙一を緒形拳などそうそうたる俳優陣が出演しているのもすごい。加藤嘉さんの演技も印象に残る。
特筆に値するのは、終盤今西刑事が逮捕状を請求するにあたり、犯人の幼少期の辛い過去を宿命という曲をバックに映像で見せていくシーン。
犯人の自供ではなく捜査によってこれが真実であろうという映像を長尺で見せる演出。
丹波哲郎の語り口が説得力をもって見る者に迫ってくる。
なぜ彼が犯行に及んだのかいろいろ考えさせられるものがありました。
そして犯人逮捕のシーンをあえて描かない演出。
ただひとつ、なぜ彼女が列車から布片をまいたのか。
本当にバレないように処分しようと思えば燃やすなりもっと他に方法があったと思うのだが、あれは彼へのあてつけだったのでしょうか。
難航する事件の手がかりをひとつひとつ現地に出向いて真実を確認する中で新たに発見される真実。足で稼ぐ今では考えられないような地道な捜査によって真相が明らかになる刑事ものとしての面白さはもとより、時代背景やハンセン病が根底に描かれ、確かに一見に値する映画でありました。
いい映画だとは思ったが課題も感じた
時間ができたので、名作映画と評判だったので、今回、本映画を初めて観た。いい映画だとは思ったが課題も感じた。まぁー原作とは違うところもあるのだろうが、ミステリーとしては課題有りだと思った。名優のオンパレードではあるが、シナリオが。。。
【余計な突っ込み・コメント】
①30年前(うろ覚えの子供(6歳ぐらいの頃))の顔で、育った後の現在の大人の顔がわかるのか?
②殺人の動機としては弱い極めて弱い 殺人まで引き起こす必要性を感じなかった
A)親のハンセン病のこと
➜30年後の今も元気に暮らしていけているのに、それがバレるだけで何で殺人するの?
B)戸籍虚偽(証人がいるからこれは立件可能)
➜法律よく分からなかったから 間違えました。ごめんなさい で済みそうな気がする
③殺人の動機は弱いし、和賀英良に迫る証拠も少ないし、これじゃ、裁判したら絶対に無罪としか考えられない。そりゃ、高木理恵子との愛人関係は否定しないだろうけど、それ以外(下記3点)では殺人犯の有罪にはできないでしょう。
・中央線で拾った布きれ(O型血液付き)と高木理恵子とを直接結びつける証拠は無い
・高木理恵子は事故死
・和賀英良が、バァー「ろん」にいたという証拠はでてきていない
④エンディング近くの回想シーンが長すぎ。某情報を見ると、この映画でこの部分がキチンと表現したいところ(一押部分)らしかったようだが、それでも令和の今では長すぎだと思った。
⑤病気(ハンセン病等)への偏見ある人も世には多いのでしょう。なので、 他人にワチャワチャ言われないように、持家が必要だと再確認できた。
⑥砂の器が評判だった頃(子供の頃)、同級生の友達が先生に「超音波で人が殺せるのか?」という質問をしていた。あれは、映画では無く、原作のことだったのか! と今回初めて映画を見て確認できました。
<主な基準(今後のためのメモ)>
4.5 観て良かったと感じた映画
4.0 おすすめできる映画、何かしら感慨を感じる映画
3.5 映画好きなら旬なうちに見てほしい映画
3.0 おすすめはできるが、人により好みが分かれると思われる映画
死ぬまでに一度は観ておきたかった映画
若い時に一度観たことがあるのだけれど、全く覚えていなかったです。
多分、ほとんど寝てしまっていたのだと思う。まだ、この映画の良さが分からなくて、飽きちゃったのでしょう。
原作は、読んだことがありません。リメイク版も、観たことがありません。
そうは言っても、著名な映画だから大体のあらすじは知っていたのだけれど。
狂言回し役の刑事の丹波哲郎さん、その相方の森田健作さんは良かったです。特に、森田さんは、意外性のある役柄で良かった。
そして、被害者の元警官役だった緒形拳さんが、物語の骨格を演技で支えていると思いました。
今さら私が語るような映画ではないですが、終盤の捜査本部での解明、演奏、過去の回想のマトリックスは、凄い構成だと思います。
演奏シーンを、こういう大規模な形で映像的に構成したのは、この映画が初めてではないでしょうか。
しかし、加藤剛さんが演じた犯人が天才ピアニストだったという設定は、かなり違和感。
ピアノの習練というのは、そんな簡単なものではないでしょう、と思います。
死ぬまでに、一度は観ておきたかった映画です。
山田洋次さんが脚本に加わっているのは意外でした。
日本人の魂を揺さぶる名作
喰わず嫌いで今まで観ていなかった。観終わった今、その不明を恥じている。
喰わず嫌いは70年代の日本のメジャー映画会社の大作主義と、その出来の悪さに由来する。
ただ、この作品は、松本清張の原作、橋本忍の脚本、野村芳太郎の演出が上手く噛み合って奇跡のような作品に仕上がっている。例えば、同じ橋本忍の脚本である「八甲田山」(演出は森谷司郎)は予定調和的な筋運び、頻回挿入される四季の風景のカットなどが観客を辟易させるのだがそういうところがこの映画にはない。最大の見せどころというか、もっともエモーショナルなシーンは父と子の旅なのだと思うが最終段階まで挿入されない。実はこの映画の四分の三くらいは丹波哲郎演じる今西刑事の捜査で占められている。今西は淡々と、でも粘っこく、時には楽しそうに、全国を飛び回って事件のアウトラインを浮かび上がらせていく。そして、今西がすべての状況証拠を固め終わり、真実を捜査会議の席上で披露するにいたって、20年に渡る父と子の物語、宿命が、堰を切ったように一気に我々の目にも触れる。
それは、父と子がお互いをかばい合って美しいが厳しい日本の風景の中を彷徨い歩き、遂には力尽きて別れ別れになるまでの物語である。そして再び会うことは叶わず、そればかりか二人の過去が他人を殺めることに繋がる哀しい物語である。和賀英良がピアノ協奏曲として奏でる「宿命」に乗って語られるこれらの物語は何か心の奥底を揺さぶられるような感覚を受ける。恐らく、こういった道行きの悲劇に感応するDNAが組み込まれているのであろう。
今、これを映画化すれば、フラッシュバックやカットバックを使い父と子のシーンを早めに見せてしまうと思う。それを敢えてせず「ためてためて」一気に最後に見せた脚本と演出の冴え、そして前半部をそれでももたせた丹波哲郎の演技力に感服する。
誰が?でなく何故?な動機偏重型サスペンス。
ストーリーも良かったし、丹波哲郎、春田和秀、素晴らしかった
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