砂の器のレビュー・感想・評価
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経費で遠出するのにワクワク感が隠せない丹波哲郎がいい
時間ができたので、ちゃんと観たことがなかった名作を観てみました。
結構脚本には無理があるなあ。汽車の中から、シャツを紙吹雪のように捨てる女、それに偶然居合わせた記者、その記事を偶然読んだ若い刑事、とか。う〜ん。
丹波哲郎が演じた今西刑事が好感。遠出するのが好き、経費で行くとソワソワする、手柄たてたい、でも独り占めはしない、涙もろい。。。めちゃくちゃ人臭いキャラ。これをクールな二枚目イメージの丹波哲郎が演じたからこそ、そこにギャップが生まれ、好感のもてる登場人物が出来上がった。
しかし、凄い役者達が出ていたんだなあ。
丹波哲郎、加藤剛、渥美清、緒方拳、加藤嘉、島田陽子、森田健作、、、。亡くなった元駐在さんが緒方拳だった時にはその豪勢さに驚いた。
クライマックスシーンが秀逸。
加藤剛の演奏シーンに合わせ、幼い頃から現在に至るまでの描写が展開される。音楽の盛り上がりと場面がシンクロする。斬新だ。
※島田陽子美しい。
※渥美清が演じる映画館の支配人は、寅さんに見えて仕方がない(笑
殺人を犯してまで隠したい過去
1974年作品。
原作・松本清張。
監督・野村芳太郎。脚本・橋本忍と山田洋次。
社会派ミステリーの傑作です。
ピアニストの和賀(加藤剛)の殺人の動機・・・それは生い立ちにあった。
父親(加藤嘉)が、ハンセン病の患者だった過去。
今では感染しないと証明されていますが当時は忌み嫌われた病でした。
父親と幼い和賀は巡礼の汚れた白装束に身を包み、
放浪の日々、物乞いをする乞食のようにして生きてきた。
父は衰えた腕を杖に頼り、幼ない和賀はいつも腹を減らしていた。
そして成人してピロアニス・作曲家として有名になり、
良家の娘を婚約をしていた。
《ストーリー》
ある日、見知らぬ男から、懐かしい、成功されて嬉しいとの電話が来る。
その男は人の良い刑事だった。
和賀は過去を知るその男の存在を、受け入れることは不可能で、
ただただ抹殺したい・・・それしか考え付かなかった。
そして彼は用意周到な完全犯罪を目論むのです。
過去や隠したい秘密・・・松本清張の小説では、隠したいことが、
殺人の動機になります。
「ゼロの焦点」も「波の塔」も「点と線」もそうです。
過去は変えられないから、消すしかない?
殺人者は思い込みます。
ラストでは、和賀のキャリアの絶頂期と言えるピアノ協奏曲「運命」を、
和賀が自らピアノ演奏する姿に、
父と息子が海辺を放浪する巡礼のシーン、
過去の回想シーンが、オーケストラとピアノ演奏の美しさと対照して
それに被さる親子のみすぼらしさ、哀れさが、
津波のように覆いかさぶってくるのです。
鮮烈で心揺さぶられます。
主演の加藤剛(日本人の良心のような人の犯罪者役、)
父親役の加藤嘉(惨めさを演じたら、右に出る人はいない、)
ペテラン刑事の丹波哲郎、新米刑事の森田健作。
原作・監督・脚本・俳優
全てが最高の役割を果たした傑作です。
またジャケット写真の美しさは比類ない。
原作が良い、緒方拳が良い、加藤嘉が良い、がチカラの伝わらない作りは残念。
物語の設定は昭和初頭から中期。
撮影は1970年初め頃と随所に昭和感がある。
やはり原作の松本清張ありきで
綴られる物語の内容は深い。
主演よりも後半登場する緒方拳・加藤嘉が良い。
どちらも善人・悪人を演じられる優れた俳優で
この映画の中でも「その人」を演じている。
その他の登場人物も本当に多彩・豪華で
ほとんどワンシーン・ワンカット登場が多く
彼らだけで後何本も映画の撮れるほどだ。
しかし残念なのは犯人の薄さ、意図のなさ
人間としての「その人不在」は悲しくなる。
また音と演奏の動きの合っていないピアニスト
その姿には残念以外に思い当たる言葉はない。
プロならもっと練習して挑んでほしく
プロならOKを出してはいけない、
レベルは低い、と厳しく思う。
その中で救いは緒方拳・加藤嘉の演技
そして今はもう無い昭和の風景だった。
※
望まれない善意
「誰からも恨まれることのない善人」と呼ばれた
元警官が殺された事件
犯人は昔助けたハンセン病の父を持つ息子
「子どもだけは絶対に産むな」といった男は、幼少期の自分の過去を恨んでいたのか
父もまた過去のどうしようもなかったとはいえ
自らの病気により
息子に重い「宿命」を背負わせた罪から
「全く知らない子」だと会うことを拒否
しかし、父はたった一人、文書を交わしあってきた
元警官である恩人には心の内を明かしていた
親子を想う善人により再びはっきりと
浮かびあがる親子の「宿命」
望まない善もある
人の人生に踏み込むことの恐ろしさ
かわいそうな父子の道行き→名作となる「宿命」!
原作未読、映画は初見での感想です。
本作の脚本には、設定やプロットに突っ込みどころが多々あります。
● 冒頭の秋田旅行が全く無駄!
● あの少年が成長していきなり天才ピアニスト!売れっ子作曲家!という設定が無理…
● 三木謙一が写真一枚で和賀英良の正体に気づく?親でもないし、30年も会っていないのに…
● 和賀英良は三木謙一と面会しなければいいのに。会ったとしても本浦秀夫なんて知らないと突っぱねれば済む話!
● 和賀英良は血のついたシャツの始末を愛人に託す?自分で始末せえ!
● 愛人はシャツを切り刻んでわざわざ列車の窓からばらまく?燃やせよ…
● 愛人は都合よくあっさり失血死!?肩透かし!
● 和賀英良は他人を石で撲殺した後に平然と作曲活動にいそしめるの?
● わざわざ政治家を登場させておいてなんにも悪さをさせない…
ではなぜこの映画が大ヒットし多くの日本人の心を掴んだのか。昭和を代表する俳優陣の熱演や音楽の素晴らしさもさることながら、「かわいそうな父子のお遍路の道行き」にスポットを当て、浄瑠璃風味映画に仕立てた橋本忍の大勝利ではないでしょうか。本作は私達の「共感性スイッチ」を見事に押します。「差別され迫害される弱き者たちがそれに耐える姿」を見せられると、私達はそれだけで胸が締め付けられてしまいます。それが親子の姿であればなおさらです。この感覚は日本人のDNAに刻み込まれた性のようなものであり、それを描いた作品はすべて名作となる「宿命」です。
0076 そんな奴はしらん!ウッウッ
1974年公開
プログラムピクチャー全盛の日本では対応不可能だった
1年越しの撮影期間。
監督、カメラマンが納得するまで待ち続けて捉えた
映像の深さ。それによって表現される日本の四季。
ジャニタレ、CG全盛では生まれない美の大作。
原作目線では成功者の過去を知っている知人を殺害、
という推理小説の1パターンの元祖で
原作は原作で味があるが脚本の橋本忍は
あれはミステリーとしては全然面白くない。
親子の宿命の話にする、と。
コンサート会場から奏でられる「宿命」素晴らしい!
バックでは迫害される親子が日本の四季を旅する。
オープニングの砂の器が壊れていく様も印象深い。
初鑑賞は高一でしたが泣けましたね。
話を最後に統括する丹波哲郎も板についています。
あー45年後に亀嵩駅行きましたよ
90点
初鑑賞1977年2月23日 梅田コマゴールド
捜査の中で人物が浮かび上がる
「ある男」と同じ構成、と思ったら実際「ある男」は「砂の器」を意識していたよう。
のんびりと全国を観光するかのような捜査ののちに、徐々に被害者や加害者の人物像が浮かび上がってくる
捜査はかなりのんびり描かれていて、電車から服を散り散りに切って飛ばすのを新聞のコラムで偶然見つける、なんてのは正直嘘くさくてうーんとなる
犯人の指揮者は、父との縁も切るし、不倫相手の子供も認めない
犯人にとっての父と子の関係は一概には断言できないような複雑なところがある
映像と音楽で描かれる親子の旅路は確かに父と子の関係を強く結びつけ、同時に父の受ける差別をそのままに子にも与えている
じゃあそこに不用意な善意で踏み込んだ被害者が、果たして押し付けがましい偽善者だったのかというと、そこも難しい
少なくとも差別者よりはましだったわけで、殺されてしまったのは気の毒
ただまあそういう善意の鬱陶しい部分もあるよなあとは思いつつ
けど、じゃあハンセン病患者を差別するでも手助けするでもなく、傍観するのが良かったのかと問われればそうでもないわけで
どうしようもない根深い問題がそこに残る
ハンセン病を知らなければ分からないだろう。
ハンセン病の悲惨な歴史を知らなければこの作品の重さは分からないだろう。
幸いに自分はある程度その歴史や病気を教える立場にいるので、何の前情報も持たずに観た本作が本疾患の暗い歴史から生まれた悲劇であることの意味を十分に理解出来た。まず、ハンセン病を簡単にでも学んでから観ることをお勧めする。
しかし後半の壮大な音楽「運命」と回想シーンとのマリアージュは大変素晴らしく、これは映画ならでは。原作の小説だけではこの音楽には出会えなかった。
また、丹波哲郎、森田健作、緒形拳などの名優の演技も素晴らしい。
しかし、一回観ただけではちょっと理解しづらかったですかね。
ここまで主張性を含めたいならドキュメンタリーでやった方が良いのでは?
個人的にミステリーに関しては、島田荘司や綾辻行人由来の新本格嗜好なので、松本清張に代表されるような所謂「社会派」はあまり好きになれない。
「差別問題」や「偏見」に対する異議申し立てとしての意味合いは分かるものの、あまりにもテーマが重々し過ぎて、ミステリーやサスペンスとしてのエンタメ要素や謎解きのカタルシスはまったくない。そう言う意味で、あえてこのテーマを「推理もの」というジャンルで扱わなくてはならない必然性が分からない。ここまで主張性を含めたいならドキュメンタリーでやった方が早い。むしろ、こういう形でハンセン氏病を扱う事に疑問が残る。
入手した情報による点と線の結び方も強引で、論理的な推理部分はほとんど無い。
それ以外は旅先の風景の叙情性でもっているようなもの。無駄に時間が長いのも辛い。
過酷な運命が紡ぐ壮大な人間ドラマ
かなり大昔に劇場鑑賞した作品だが、今でも鑑賞した時の衝撃ははっきり覚えている。
冒頭シーン。波打ち際に作られた砂の造形物が、波が打ち寄せる度に少しずつ崩れていく様を憂いを込めて描く。作品タイトルとリンクしていて、作品世界に観客を誘うプロローグであり、凄い作品を観るんだなという予感がした。
JR蒲田駅近くで発生した殺人事件。犯人に結び付く手がかりは少なく、捜査は難航する。しかし、捜査を担当した二人の刑事は、わずかな手がかりをもとに、執拗に、粘り強く、執念の刑事魂で、犯人に迫っていく。
本作は、単なる犯人捜し物語ではない。壮大な人間ドラマである。
犯人の犯行動機が、あまりにも切な過ぎる。
犯人の子供の頃の回想シーン、差別を受けて父子で日本各地を放浪するシーンが、感動的で美しく、哀しく切ない。日本の美しすぎる四季の風景と、壮大で優美な音楽が相まって、いつ果てるともない放浪を続ける父子の姿に感涙必至。繰り返し挿入される、このシーンが作品の背景色的な役割を担っている。作品の雰囲気を作り出している。
父子がようやく辿り着いた安息の地での出会いが、後の過酷な運命につながっていく・・・。
差別、運命、宿命、生きること、愛すること、栄光、悲劇、等々、様々な要素を巧みに盛り込んでいる。それらの要素について深く考えさせられる作品である。長尺作品であるが、作品世界に入り込んで、この壮大な物語を鑑賞、否、体験することができる。正しく映像体験することができる。
観終わって、場内が明るくなっても、席から離れられなかった。暫く観終わったという充足感と、圧倒的な感動の余韻に浸っていた。
こんな作品を後何本観られるだろうか。
こんな作品に出逢えることを信じて、映画生活を続けていきたい。
生き地獄
松本清張作品、初めて。
松本清張の原作は昔読んでいたが、映画は初鑑賞。140分によくまとめ...
当時の時代背景ほかを知らないとやや解釈が難しい
今年38本目(合計1,130本目/今月(2024年1月度)38本目)。
(ひとつ前の作品は「ゴジラ-1.0/C」、次の作品は「燈火(ネオン)は消えず」)
ミニシアターで、当該監督さんの特集がありその一環でみてきました。
原作小説や元の(リマスター前の)映画があるので、それを超えることはできないかな、といったところです。
戸籍うんぬんについては、やや行政書士の資格持ちの立場からは微妙なところがあるのですが、戦後の混乱期においてこのような行為が行われていたということは容易に推知・推測が付く範囲だし、それほど突飛な設定ではないかな、といったところです。また、映画が古いためややハンセン病ほかいわゆる「病気」の差別についての配慮がない点については、2023~2024年で「復刻上映で見るという観点では」気にはなりましたが(断り書きなどはなし)、まぁそれも許容範囲の一つなのだろうと思います。
ミステリーものとして見る場合、時代背景がいまから70年前といった事情や法律の取締り(特に戸籍関係)という違いもあるため、やや「当てにくいかな」という部分はあります(それらしい発言からある程度推測はできますが)。ただその分、この映画はそういった事情よりも戦後間もない時代に取られた映画で戦後の混乱期にどのような混乱が生じていたのかという点を含むところに鑑賞意義(知識を吸収する意義)があると思います。
採点上特に気になる点はないのでフルスコア切り上げにしています。
なお、VODなどでは最初の30秒くらいは見られるしVODでも見られるようなので(ただしリマスター版ではないらしい)、放映されている映画館の少なさという観点ではVODもやむなしかなというところです。
名作。
鑑賞直後、言葉が何とも出て来ず…なんと言えばいいか…とにかく、ただ咽び泣き。
原作は未読。まず、映像が美しい。日本の四季があまりにも瑞々しく美しく、そのせいで余計悲しい。自然がこんなに美しく撮れていなければ、多分ここまで苦しくない。東北やら出雲やらムード満点。原作は松本清張だが、あまりトリックやロジックに重点は置かず、あくまでハンセン病への差別や親子の宿命に焦点を合わせた作品にしている。
すごく良いなと思ったのが、加藤剛演じるヒデオがどんな気持ちだったかについて、本人の口からはほぼ何も語られないところ。刑事や当時を知る人々が境遇を色々語るシーンはあるが、あとは映像を見ながら、彼の音楽を聴きながら、鑑賞者がひたすら想像する作品になっている。日本的だなーと思うし、そのおかげでペラい感じにならずに済んでいる。最後、捕まるシーンも無く、加賀英良が事件について語ることも一切無い。つい語らせたくなっちゃうものだけど、これでもかと泣きのシーンが畳みかけるので、更に語られたら野暮ったさ200%だったと思う。
子どもの頃、実家では頻繁に映画が流れていたので目にはしていたし、タイトルもあらすじも何となく知っていたけど、自分が大人になって結婚して子を持ち、今になって改めて鑑賞すると、ほんとに言葉では言い表せない感情になり、また観たいかと言われるとなんか複雑、でもきっと何年かしたら見ちゃう。そういう類の映画だと思う。
緒方拳の真っ白い制服姿が目に沁みる。
これ、三木が悪いんじゃないよね。親子にしか分からない気持ちがあるのに土足でズカズカ入るから、正義感振りかざして余計なことするから…じゃなくて根底にあるのはハンセン病への差別よね。
ノスタルジアを喚起する悲劇のシーンの数々
日本では社会批判を良しとする文学観が長く続き、太宰治は芥川賞を獲れなかったし、村上春樹も芥川賞選考委員から蹴られた。その代わりに、今や読者が限られてきた社会派の石川達三や松本清張が芥川賞を獲っていた。
その松本の代表作の映画化が本作らしい。小生は『点と線』くらいしか読んでいないので知らなかったが、内容は完全な社会批判である。
日本では「ライ病」ないしは「ハンセン病」と呼ばれる皮膚病に対する隔離政策が1931年から取られたが、後日、その措置が適切だったかどうかの議論が起こっていく。
病気による差別と、それに起因した親子をはじめとする人間関係の悲劇を描くことによって、社会の是正を訴える――本映画はそんなテーマだったのだろう。
ハンセン病は現在、治癒できるとされており、らい予防法は1996年に廃止された。ハンセン病政策の転換遅れの責任を追及する国賠訴訟も提起され、2001年に元患者側の勝訴が確定している。
そうした時代の変遷を経て、現在、本映画を観るに「ああ、昔は大変だったんだろう」という感慨は湧いてくるのだが、それ以上の感情はちょっと持ちようがないというのが正直なところだ。社会批判をテーマとする作品は、社会的問題が変われば存在意義がなくなる。そんな印象を否定できない。
…いや、ちょっと違うのではないか。本作にはそれだけで片付けてしまえないものがある。
例えば、丹波哲郎をはじめとする昭和の名優たちの演技の見事さ、彼らが動き回る舞台のリアルさはどうだ。昭和の暑苦しい夏に汗を拭きながら歩き回る刑事たちの姿はどうだ、緑濃い山村の景色はどうだ。一か所に定住できず裏日本の海岸伝いにさ迷い歩くライ病の父子の哀れな放浪生活はどうだ…。
そうしたノスタルジアを喚起する諸々のシーンが、今や葬り去られた悲劇の代わりに浮上してくるのである。監督はひょっとしたら、こうした時代の変遷を見越して、古き良き昭和を映像に定着させたのではないか、とさえ思われる。見事としか言いようがない。
芥川也寸志さん
ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を聴いて、久しぶりに「砂の器」の音楽を聴きたくなり、録画済みの本編の捜査会議場面から見始めました。
封切り当時、映画館で観て、その後 何度も何度も観てきた映画なのに、今回初めて気付いたことがありました。
ご存知の方には「今さら」の話題かと思いますが、最後の演奏会が始まる直前の楽屋の控室の場面に、なんと音楽監督の芥川也寸志さんが登場しているではありませんか!
打ち合わせテーブルの端に座って、ほんの数秒間ですが、一瞬カメラに顔を向けられます。
私の母校の校歌を作曲してくださった方なので、以前から勝手に親近感を持っていましたが、こんなところでお目にかかるとは…。
改めて驚きました。
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