砂の器

劇場公開日:

解説・あらすじ

松本清張による同名原作を、野村芳太郎監督、橋本忍&山田洋次脚本で映画化した社会派サスペンス。モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞。2005年6月にデジタルリマスター版が公開されている。東京・蒲田にある国鉄の操車場で殺人事件が発生。被害者の身元がわからず捜査は難航する。しかし、被害者が殺害される直前にある男と会っていたことがわかり、2人の会話から「カメダ」という謎の単語が浮かび上がる。

1974年製作/143分/日本
配給:松竹
劇場公開日:2005年6月18日

その他の公開日:1974年10月19日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)1974 松竹株式会社/橋本プロダクション

映画レビュー

3.0経費で遠出するのにワクワク感が隠せない丹波哲郎がいい

2024年7月15日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

時間ができたので、ちゃんと観たことがなかった名作を観てみました。

結構脚本には無理があるなあ。汽車の中から、シャツを紙吹雪のように捨てる女、それに偶然居合わせた記者、その記事を偶然読んだ若い刑事、とか。う〜ん。

丹波哲郎が演じた今西刑事が好感。遠出するのが好き、経費で行くとソワソワする、手柄たてたい、でも独り占めはしない、涙もろい。。。めちゃくちゃ人臭いキャラ。これをクールな二枚目イメージの丹波哲郎が演じたからこそ、そこにギャップが生まれ、好感のもてる登場人物が出来上がった。

しかし、凄い役者達が出ていたんだなあ。
丹波哲郎、加藤剛、渥美清、緒方拳、加藤嘉、島田陽子、森田健作、、、。亡くなった元駐在さんが緒方拳だった時にはその豪勢さに驚いた。

クライマックスシーンが秀逸。
加藤剛の演奏シーンに合わせ、幼い頃から現在に至るまでの描写が展開される。音楽の盛り上がりと場面がシンクロする。斬新だ。

※島田陽子美しい。
※渥美清が演じる映画館の支配人は、寅さんに見えて仕方がない(笑

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momokichi

4.0丹波哲郎と加藤嘉

2025年6月8日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

難しい

とにかくこの二人の演技につきるのではないか?

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共感した! 0件)
MSUMO

4.0もろく崩れさるもの

2025年6月4日
PCから投稿

長く重く複雑な砂の器の映像化は難産で、ウィキにいくつかの逸話が記されていたが、なかんずく山田洋次の回想が興味深かった。

橋本忍とともに脚本を担当した山田洋次は──、

『「最初にあの膨大な原作を橋本さんから「これ、ちょっと研究してみろよ」と渡されて、ぼくはとっても無理だと思ったんです。それで橋本さんに「ぼく、とてもこれは映画になると思いません」と言ったんですよ。そうしたら「そうなんだよ。難しいんだよね。ただね、ここのところが何とかなんないかな」と言って、付箋の貼ってあるページを開けて、赤鉛筆で線が引いてあるんです。「この部分なんだ」と言うんです。「ここのところ、小説に書かれてない、親子にしかわからない場面がイメージをそそらないか」と橋本さんは言うんですよ。「親子の浮浪者が日本中をあちこち遍路する。そこをポイントに出来ないか。無理なエピソードは省いていいんだよ」ということで、それから構成を練って、書き出したのかな」』
(ウィキペディア「砂の器」より)

──と語ったそうだ。
言説どおり、映画砂の器は父子の浮浪者のイメージが常につきまとう映画になった。
病におかされた本浦千代吉(加藤嘉)が子を連れて行脚の旅に出る。当時ハンセン病は不治の病とされ、徹底した隔離・排除がなされていたので、行脚には世捨てと祈りの両義があったと思われる。
映画内では乞食という古い呼称が使われる父子は、文字通り行く先々でおめぐみに頼りながら、ぼろぼろになって津々浦々をあてもなくさまよい歩く。
薬や治療が確立されていなかった時代、ハンセン病は外見の変貌が人々から怖れられた。皮疹をもたらし兎眼から角膜障害へいたり激痛、脱毛、潰瘍、手指と足指は摩滅するかのように変形していく。
それは創作のなかでタタラ場の病者や大谷吉継のように描かれてきたが、ハンセン病の言語化可視化の原始は広く認知された砂の器と映画砂の器であったにちがいない。
その暗いハンセン病のイメージがつきまとうことで映画砂の器は推理ものでありながら深く黒々とした暗渠を見つめるような禁忌的重々しさをともなった。
また物語においてハンセン病はそれを差別しなかった者の善や正義を表象する機能を併せ持つ。タタラ場の病者を保護したのはエボシ御前であり大谷吉継を庇ったのは石田三成であり千代吉ら父子に慈悲をもって接したのは三木謙一(緒方拳)であった。

ただしハンセン病や行脚の父子がでてくるのは半ば過ぎからで、前半はずっと「カメダ」の謎を追う丹波哲郎が描かれる。
砂の器の推理の中枢は方言であり、方言が主役のドラマと言っていい。
松本清張が砂の器の着想としたと思しいエッセイがウィキに紹介されていた。

『雑誌『旅』1955年4月号に掲載されたエッセイ「ひとり旅」で、著者は以下のように記している。「備後落合というところに泊った(中略)。朝の一番で木次線で行くという五十歳ばかりの夫婦が寝もやらずに話し合っている。出雲の言葉は東北弁を聞いているようだった。その話声に聞き入っては眠りまた話し声に眼が醒めた。笑い声一つ交えず、めんめんと朝まで語りつづけている」。この経験が、のちに本作の着想に生かされたと推定されている。』
(ウィキペディア「砂の器」より)

筋が豊富かつ複合的で、推理が主知的で、ストーリーが独創的で、登場人物が多彩で、そこにハンセン病というトラウマチックな重みが加わり、こういうのを書ける人が今いるのだろうかと思わせる松本清張の凄みを感じる映画だった。
その凄みを色づけをせずに仕上げた野村芳太郎もさることながら、わざわざプロダクションをつくって書いた橋本忍の執念の映像化だったと思う。

ただし後半の演奏会描写がくどかった。
「宿命」は砂の器のために予算を投じて書き下ろした楽曲なので、大フューチャーしたい理屈はわかるが、加藤剛が演じるピアノ兼指揮者とオーケストラが、まさにオーケストラルな盛り上がりを構成するのは、大仰さと古さを感じた。悲愴な楽曲をバックに、悲劇的回想がフラッシュバックされるのも、今見ると大時代的だった。IMDB7.3。

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津次郎

4.5【“難病への偏見と、二つの親子愛が惹き起こしてしまった悲劇。”今作は、昭和の推理小説の傑作を名匠、野村芳太郎が見事に映像化した逸品である。】

2025年5月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

難しい

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NOBU