しいのみ学園
劇場公開日:1955年6月28日
解説
小児マヒの問題をテーマとして福岡学芸大学の山本三郎教授のベストセラーになった原作「しいのみ学園」から、「都会の横顔」の清水宏(1)が脚本を書き監督する。撮影は「大岡政談・妖棋伝 (前篇) 白蝋の仮面」の鈴木博、音楽は「男ありて」の斎藤一郎の相当である。出演者は「青春怪談(1955 市川崑)」の宇野重吉、「のんき裁判」の花井蘭子、香川京子、島崎雪子、「足摺岬」の河原崎建三、「喧嘩奉行」の竜崎一郎など。
1955年製作/99分/日本
原題または英題:Song of the Acorns
劇場公開日:1955年6月28日
ストーリー
大学の心理学教授である山本先生には二人の子供がいるが、不幸にも二人共小児マヒにおかされた。山本先生と妻の文子は全霊を傾けてその治療に尽したが効果は挙らなかった。長男の有道はビッコだと馬鹿にされ、或る日など友人のいたずらで盗人の嫌疑をかけられたため、遂に学校へ行くのもいやがる様になった。弟の照彦も小児マヒになったのはその頃である。山本は文子に激励され、全財産をなげ打って小児マヒの子供のための学校「しいのみ学園」を創ることにした。山本の教え子の渥美かよ子も志願して先生となった。この学園の教育法は、先ず障害者という劣等感を排除してノビノビさせることにあった。或る日、岡山から新聞記事を見た夫婦が小児マヒの子供を連れて来た。厄介者を置いて行く様な夫婦の態度だったが、子供の将来を想って預ることにした。鉄夫というこの子はいじけた子だったが、徐々に明るくなった。楽しいピクニックの翌日、鉄夫は岡山の父母に手紙を書いたが、返事がなく淋しそうだった。その頃、電車ごっこをしていた鉄夫は、誤って倒れたのが因で重病となった。「手紙手紙」というウワ言を聞いたかよ子は、自分で手紙を書いて郵便局から出した。それを父母から来たものと思い鉄夫は喜びながら死んで行った。その初七日にかよ子と子供たちは鉄夫にお別れの手紙を書き、しいのみ学園の歌を唄いながらポスト迄出しに行くのだった。