さらば愛しき大地のレビュー・感想・評価
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云わずと知れた柳町の出世作
学生時代に見て衝撃を受けた作品だったが、今見ても全く見劣りしない。中上健次の原作をベースにしたものよりさすが地元舞台にしただけあって、生々しさが半端ない。稲穂が大きく画面で揺らいで風の神の通り道を描いたシーンが好きだ。今も変わらぬ茨城平野の風景だ。人は生き死にで入れ替わるが受けた文化や環境は継承し拡散される。つくづくたゆまぬ基礎教育の重要性が浮かび上がる名作である。
田園地帯から工業都市に変化していく鹿島を舞台に、時代に合わせられない根津甚八と秋吉久美子を描く、一方逞しく生きる矢吹二郎と山口美也子
柳町光男 脚本・監督による1982年製作(138分)の日本映画。配給:プロダクション群狼。
第一印象としては、覚醒剤中毒になって廃人同様の根津甚八が頑張って支えようとしてきた愛人秋吉久美子を刺し殺すとは、何てやりきれない暗い映画かと思った。途中、注射をする映像とか、段々とクスリに神経が犯されて行く様とか、リアルすぎて見るのが辛くもあった。
しかし、寡黙ながら深いメッセージ性の有る、味わい深い映画かなという気も段々してきている。
舞台は、美しい田園地帯から一大工業都市に変貌を遂げようとしている茨城県鹿島。柳町光男の故郷でも有るらしく、風により緑が揺らぐ様など、故郷への愛のなせるわざなのか、無くなっていく景色と捉えているせいか、限りなく儚く美しかった。
そして、この古い愛しいものが、無機質な風景に変わっていく様と、その変化の中で上手く時代に合わせられない根津甚八(弟への劣等感と長男としての責任感もあって)の不器用な姿(対照的に、弟の矢吹二郎は上手に自分を殺して大人の対応)は、日本そのもの、不器用な日本人の姿そのものにも思える。器用になれないのは、男だけでない。秋吉久美子も、廃人まっしぐらの根津を立ち直らすこともできず、別れることも出来ず、とても不器用な生き方に思える。一方、根津の妻だった山口美也子(好演で強く印象に残った)は、小林稔侍と豚小屋で宜しくやりながら、逞しく生きている様にも思える。
穿ち過ぎかもしれないが、後の世界では負け組と称される人間たちへの諦念を伴う深い愛と、負け組の彼らを必然的に産むだす近代日本社会のあり方への静かな怒りの様なものを感じた。
監督柳町光男、脚本柳町光男、製作柳町光男 、池田道彦 、池田哲也、撮影田村正毅、照明佐藤譲、録音井家眞紀夫、美術大谷和正、編集山地早智子、音楽横田年昭。
出演
根津甚八、秋吉久美子、矢吹二朗、山口美也子、松山政路、奥村公延、草薙幸二郎、小林稔侍、中島葵、白川和子、佐々木すみ江、岡本麗、志方亜紀子、日高澄子、蟹江敬三。
主人公の廃退的ドロップアウトが地方性が原因とは思われなくて…
鑑賞したタイミングが悪かった。 「蒲田行進曲」がキネマ旬報ベストワンの年の 第2位作品とのことで期待して観たが、 直前に鑑賞した作品が デヴィット・リーン監督の 「ライアンの娘」と「インドへの道」。 資料からは、製作費は、夫々、 「さらば…」の約100倍位はあるのだろうか。 充分な時間と資金に支えられたであろう 2作品との落差に、 この作品が、まるでTVドラマでも 見ているかのような気分になり、 鑑賞への集中感が削がれる一因にも なってしまった。 しかし、そんなことはさて置き、この作品、 あたかも地方社会の経済的・文化的側面が 悲劇をもたらしたかのような主人公の 廃退的ドロップアウトが描かれているが、 良く良く観ると 主人公の周りの人物のほとんどは 地域にしっかりと腰を据えて生きる 誠実な人々ばかりだ。 私も故郷の田舎を離れてかなり経ったが、 時折帰省しての 故郷の方々との触れ合いに際し、 なんら田舎だからと言う廃退性を 彼らに感じることはない。例えば 田舎町には不釣り合いと思われるような 立派な美術館があったりと、 手厚く福祉・文化環境も 保たれているような気がする。 もし、この映画の制作意図に、 二次産業的都市化の地方社会への悪影響が もたらした挙げ句の果てとしての主人公の 悲劇を描く意図があったのだとしたら、 この作品の内容では、 あくまでも個別の環境と彼自身の人格性が もたらしたこととしか思えず、 地方性そのもので括るべき内容ではない ように思えた。 結果、前述の理由も相まって、 キネ旬第2位にはなかなか納得のいかない 鑑賞になってしまった。
堕落の一途
今の売れている女優じゃ真似出来ない、秋吉久美子が素晴らしい女優魂を魅せつける、危ういままに突き進み一線を越える根津甚八の存在感が凄まじく、息抜きとばかりに場を和ませるような蟹江敬三はまさに逸品、とにかく出て来る役者が皆巧すぎる。 ダンプの運ちゃんは容易にシャブに手を出せてしまう危険な時代だったのか、小林稔侍が唐突にそれを受け入れてしまう女の鬱憤が炸裂、起こる全てが演技にしろリアルに映るには十分な脚本と演出が頗る冴えマクった柳町光男の手腕に脱帽。 激しくて痛々しい男女の関係性と静かで穏やかな雰囲気を感じながら幸雄と順子に魅了されてしまう。
我が故郷
僕にとっての田舎。 叔父や伯父にアルコール中毒の人もいて、彼らがダンプカーで砂利を運んでいたのを思い出す。勿論、今から50年位前の話で、皆、故人。所謂、この映画で語られる高度経済成長中の話。つまり、この映画そのものに近い。我が親戚が、薬物に手を出していたかは、故人を冒涜する訳には行かないので、完全に否定する。ただ、シジミを取っていた近所のある人物が、深川で事件を起こしたと言う事実がある。 小学5年生の頃、この地は天の川がよく見えた。しかし、70年代に入ると、工業地帯の灯りで、星が空から消えた。僕はまだこの映画を見ていなかったが、その後、この映画を見て、さらば愛しき大地の意味を知った。 不景気で、今はそのフレアーの火もまばらになり、星は消えたままだが、車が無いと行けない不便な所のままである。コロナ以前から、第二次産業の火は消えた様になっている。また、この地の原住民はこの地を殆ど去ってしまっていて、関西からの移民でこの街は出来ている。また、世代交代で、この地の美しき過去の姿を殆どの人が知らない。 野尻抱影の星座本を片手に、熱がこもったさらさらの砂丘に座って、天を仰いて、夏の大三角形を裸眼で見ていた時を思い出す。 さらば愛しき大地!
思い出の映画?(※感想ではなく私的なメモです。)
小学校低学年の頃、母と一緒に映画館へ行った。映画が始まると、母はその内容を子供の教育に良くないと判断したのだろう、間もなく映画館を出ることになった。
その時の映画について記憶しているのは、
①田んぼが広がる日本の田舎
②夏の様な日差し又は雰囲気
③蛆が湧く描写
④木製の小屋で男性が女性を襲う場面
成人してからこの記憶が蘇って、内容が内容だけに母には聞けず、ずっとその映画を探している。もちろん、タイトルは知らない。
「さらば愛しき大地」を最後まで見たのは、もしかしたら、これがその作品かもしれないと思ったからだ。
この作品は、上述の①②③に合致していた。ただ、③については気になる点もある。それは、記憶では映画の序盤しか見ずに映画館を出たので、早い段階で蛆が沸く場面があるはずだが、この映画では終盤にあったことだ。
④については、ぼろい貸家で男女が乳繰り合ったり、争ったりするのを記憶違いしたと考えれば、合致してると言えなくもない。…かも。
何せ小学生低学年の記憶なので信用できない部分も大いにあるだろう。
とすれば、③についての差異も「幼少の頃に見たのはこの映画の予告編だった」と考えると納得できる。…気もする。予告編という存在を知らず、それを映画本編だと記憶した可能性は充分にありえる。…かもしれない。
そして、映画が始まってすぐに退場した(と記憶している)のは、「子供の教育に~」ではなく、予告編を見ている段階で母に何かしらの用事ができただけなのかもしれない。
確定はできないが(もはや、どの映画でも確定はできないだろうが)、今まで見てきた映画の中で最も可能性がある作品だった。そして、その可能性はかなり高いだろうと感じている。
ある環境で生きる、ということ。
ストーリー自体はシンプルなのに、魅せられた。人物から小物に至るまで、そして写し方も、とても丁寧にリアル感を大切に作ってあるからかな。 冒頭の、茶飲み友だちのおばさんが訪れる場面ひとつからして引き込まれる。そうそう、こういう感じだよね!と。 俳優さんたちの演技もきっと細かかったのだろうと思う。生き方が各々の目ぢからにまで現れている。 登場人物のほとんどは、少しドロンとした目をした、あまりくせのない人たち。 一人だけギラギラしてやたら勘が強そうなのが幸雄で、こういうクセのある目つきをしている人っているな、この刺激のない環境ではキツいね、きっとイライラするよね、と、つい同情してしまう。 じゅん子もまた他と違っていて、蝋燭の細い焔が消えそうで消えないような…よくも悪くも繊細なオーラを放っている。 その対極的なのが、目つきに少しドロンとした感が漂う嫁のふみ子だと思う。自分の家はここだと一度だけ考えたらあとは何も考えず日常をこなす。 結局はこういう少し鈍そうな人の方が、どんな環境に適応して生きていけるんだ、と、納得。 この家は、こういう人がいるから、豚を追いかけながら明日も何とか続いていく。 写しかたも、引き付けられた。 子ども二人の姿が消えたときのはっとなる一瞬、洗車する主人公の視界に入っている水の粒、サワサワと風になびく水田、トラックが田んぼのなかを走る光景。 全体から感じたのは、ある環境で生きていかなければいけないときの、どうしようもない現実、のようなもの。 題名がなぜ「さらば愛しき大地」なのか、考えさせられる。
濡れ場の体臭
日本が今より不潔だった頃。 粗いからこそエロいフィルムにギラリ燻る根津、秋吉、そして蟹江(素晴らしい駄目さ)。 日本人が濡れ場の体臭を排除したのは朝シャンと言い出したバブル以降か。 地方の疲弊は今始まった事ではないという歴史資料的な価値も。 支持。
根津
プロダクション群狼。甚八のテカテカというかギラギラ感。素直に健康的。ピラニア的。暴力的というか野卑というか。ブラックエンペラー的というかヤンキーというかチンピラ。ポンプが似合う似合う。柳町光男はそういう殺気立った生々しい感じがありながら、変に構図に囚われた画を撮ったりする。田村正毅に任せれば良いのに。田んぼ、田んぼの緑、、開襟シャツ、虫の音、砂利トラック、鹿島灘の防潮堤、鉄塔、雨降りの霞ヶ浦。雰囲気は流石。ちょっと雷魚の匂いがする。実はサウダージはそんなに凄くはなくて、70年代80年代にはゴロゴロあるってことなのかも。田舎のアウトロー。アイパー、農家、老人、双子、どもり、びっこ、妊婦、台湾人ホステス、トラック運転手、田舎のキャミソール姿の秋吉久美子の茨城弁の艶、甚八の腕のぶっとい血管、蟹江敬三。カニエのシャブの決まり方は、デカプリオより上。謝れ、アキヒコ。やだよ、あんたといたい、スカート下ろして、背中に抱きつく秋吉、ママちょっと忙しいからね、と泣く息子を追い払う秋吉が素晴らしい。これだけのメンツが集まれば、2時間かけずに、さらに行けた気はする。窓外に稲がそよぐこの家に住みたい。青春の殺人者とか祭りの準備とかもう一度ちゃんと見てみたい。
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