ゴジラ(1954)のレビュー・感想・評価
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「新たなる帝国」が
あまりに酷かったので口直し。もう劇場で何度も観ているしLD、ブルーレイ、DVDも持っているのですが、未だにこの第1作を超える怪獣映画は観た事が無い。もう言い尽くされてると思いますが、内容にほとんど過不足がない。ぬっと出る恐怖とか、戦後の残る時代背景、被爆・災害描写、科学者の良心、そして結構刺さるのがその時分の習慣。玄関まで迎えに来て着替えを手伝う、お盆にビールとコップを乗せて持って来る、帰宅するとすぐエプロンを着ける、男女差別と言われるでしょうがそれが美しく見える。
実は「オッペンハイマー」ヘのアンサー作品とはこれなんじゃ?でも完全フィクションなんですよね。
戦争を生き抜いたスタッフと出演者。
全てのゴジラ映画を見てきた。
カラーになりシネスコになりステレオサウンドになりCG、VFX全盛になり特撮技術ばかりが注目されがちだがそれ以上に人間ドラマが重要。
戦争で傷つき生き抜いた人が多くいたからこその登場人物の台詞と感情、あの時代だからこその世相。
現代人と戦前戦中を生きていた人の演技はやはり何かが違う。そういう意味ではあの時代が生んだ傑作だと。
水爆大怪獣映画‼️
ゴジラ‼️怪獣王ゴジラ‼️日本、いや世界で "怪獣" という単語を初めて認知させた偉大なるゴジラ‼️建物を破壊し、戦闘機や戦車と大戦闘を繰り広げるゴジラ‼️怪獣なのに子供たちのヒーローでもあるゴジラ‼️怪獣映画なのに反戦・反核を訴える素晴らしい映画「ゴジラ」‼️今では数々の共演怪獣(巨大な鳥、蛾、ロボットのゴジラ、3本首の宇宙怪獣、超巨大なゴリラ)も有名になり、ハリウッドの最新映像でも描かれる一大フランチャイズと化してしまったゴジラ‼️ただやはり1954年に公開された第一作「ゴジラ」は格が違う‼️この作品は太平洋戦争を経た我々日本、ポスト・ヒロシマ、ポスト・ナガサキ時代の日本社会が生み出した不吉な不吉なお伽話なのである‼️相次ぐ水爆実験により太古の眠りから目覚めた体長50メートルの大怪獣ゴジラは、口から放射能線を吐き東京を焼土と化すが、芹沢博士が発明したオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)の前に敗れる・・・‼️この作品が素晴らしいのは、ゴジラ襲撃において描かれる人間ドラマで、大勢の家族が病院で泣き叫ぶシーンや、炎に包まれた街中で3人の子連れの母のセリフ「もうチョットでお父ちゃんのところに行けるからね」、最後まで実況を続けたラジオクルーの「皆さん、さようなら」‼️そしてこの作品の人間ドラマの核を成す芹沢博士‼️自らが発明したオキシジェン・デストロイヤーの威力を恐れながらも、ゴジラを倒すためと苦悩し、自らの命も道連れにゴジラを海中に没させる‼️平田昭彦さんが素晴らしい名演で魂を吹き込んだ、眼帯がトレードマークのこの天才科学者は、映画史上に残る名キャラクターですね‼️また山根教授を演じる我らが志村喬さんも、ゴジラへの警戒心と興味心を巧みに演じ分けていてサスガ‼️同じ年に「七人の侍」と「ゴジラ」に出演してるなんてスゴい‼️山根教授のセリフ「私は見た!確かにジュラ紀の生物だ」には心躍るし、シメのセリフ「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。このまま水爆実験が続けば、ゴジラの同類が世界のどこかにまた現れるかもしれない」‼️何たる反戦のメッセージ‼️素晴らしすぎる‼️特撮面に関しても着ぐるみのゴジラは今観てもメチャクチャ怖いし、東京湾から上陸、品川駅を叩き潰し、列車は放り投げられ、銀座のデパート、時計台、国会議事堂もペチャンコ‼️中でも高圧5万ボルトの高圧線の鉄塔をゴジラが一気に引きちぎり、溶かし去る‼️スゴいです‼️加えて、高らかに鳴り響く伊福部昭さんのテーマ曲もホント忘れられない‼️そして最も重要な事は、この作品が世界唯一の被爆国が、その9年後に水爆実験の恐怖に晒されながら必死になって作った怪獣映画であるという事‼️いろんな面で大変だったと思います、意義深いと思います‼️いろんな世代の方に観て欲しいですね‼️まぁ、ハリウッドの最高のモンスターであるキング・コングとの対決、コンビも実現した今、我々怪獣映画ファンに残された夢はあと一つ‼️ズバリ「ゴジラvsガメラ」‼️東宝と大映の英断‼️期待してます‼️
怪獣もの好きじゃなくても面白いと思うよ
この作品は面白い。50年代の作品なので演技が大袈裟なことや、映像が粗いこと、特撮の限界など、問題点はあるけれど、それを抜きにしても面白いのだ。
映画は光と音の総合芸術と言われたりする。つまり、映像と音楽、サンウドエフェクトで娯楽性や芸術性を創出するものということだ。
本作の場合は作中で使われているゴジラのテーマ、誰でも聞いたことがある馴染みのテーマ曲が実に効果的なのだ。
さすが、いまだに続くゴジラ作品群の一番最初の作品だけのことはある。
思っていたよりもスゲーな、と低能な感想しか沸かないほどに、なぜ面白いのか解き明かせない。
やはり高揚するテーマ曲の力なのだろうか。
自分もそうであったが、有名作品だけど古いしな、なんて思って観ることを躊躇っているあなた。観たほうがいいよ。
懐古主義的に評価されてるだけじゃない面白さがここにはある。
ゴジラという文化はここで生まれた
なんといっても、これこそゴジラですね。
この1映画で今も続いているゴジラそのものができている。
すべてのエッセンスが詰まっていますね。
何度見ても楽しませてもらっています。
「ゴジラ」の出発点
「反戦」そして「反核」を強く感じる映画でした。
「ゴジラ」の原点・・・
原点などとと偉そうに言っても、日本のゴジラ映画は
この1954年11月3日公開のこの作品と
2016年の「シン・ゴジラ」しか観てませんが、
ハリウッド映画の方がたくさん「ゴジラ」出演作を観ています。
今月公開したばかりの「ゴジラー1.0」はゴジラ生誕70年周年記念作品
とのこと。
映画鑑賞の何かの参考になればと思い観てみました。
2回目です。
映画がはじまると同時に
ゴジラの咆哮がする音が鳴り響きます。
そしてゴジラの足音。
足音をモチーフにしたテーマ曲。
「シン・ゴジラ」にも使われていた「ゴジラのテーマ」です。
一気にゴジラの世界へ引き込まれます。
1954年は第二次世界大戦が終わって10年も経たず、
「原子爆弾の投下」の傷跡も日本人の心には重く残っています。
この映画はモノクロですし、非常に画質が粗いです。
ある異変から始まります。
小笠原諸島近海で付近にいた貨物船「栄光丸」が突然SOSを
発信して沈没します。
救助に向かった貨物船も同じ地点で行方不明になります。
栄光丸の船員たちは見たのです。
白く煌めく光を。
そしてそれと共に爆発か?爆撃を受けたような衝撃があり、
船は木っ端微塵に砕け散る。
そして何人かが救命ボートに乗るものの、
またもや何物かの襲撃を受けて沈没。
しかし乗組員の1人が筏で大戸島に漂着する。
船員は一言、
「やられただ……船ぐるみ」を残してと絶命する。
大戸島には、「ゴジラの伝説」が古くからあったと言う。
そして本格的にゴジラが画面に現れるのは25分過ぎ頃。
この映画ではゴジラは太古の恐竜の一種で、水中で生きるように
変化したものと定義される。
それが人間の度重なる水爆実験により、口から放射能を吐く・・・
形態に進化してしまう。
海で大暴れして17隻も沈没させてしまう。
その後は大戸島に出没して島の家屋をなぎ倒す。
考古学者の山根博士は大戸島の調査で、ゴジラが放射能を
撒き散らすことを確認する。
そして山根博士は「ゴジラ」と命名する。
ゴジラは200万年前ジュラ紀に生息していたと推測する。
ゴリラの襲来した大戸島は放射能で汚染していた。
井戸水の一部は汚染で、山根は飲まないようにと村人に告げる。
大戸島で大暴れしたゴジラは海を伝って東京湾に出没する。
放射能を口から吐きながら、家を壊しビルを破壊し橋を壊す。
東京の街はB29の空襲を受けたような惨状。
山根博士はゴジラを殺さずに考古学の研究に繋げるべきと主張する。
しかしそんな呑気なことを言っている場合でないことは、
誰でもわかる。
その頃、山根博士の娘の恵美子は元婚約者の芹沢博士から、
ある重要な事実を告白されて、他言しないと約束する。
芹沢が発明したのは原爆・水爆にも匹敵する新型の化学兵器で
名前を、エキシジョン・デストロイヤーと呼ぶ。
(この芹沢博士は2021年の「ゴジラvsコング」で小栗旬がその息子・
芹沢蓮を演じています)
恵美子は今こそそのエキシジョン・デストロイヤーを使用すべき時が来た・・・
と芹沢を説得する。
使用を決意した芹沢は潜水服を身につけて、容器に入れた
エキシジョン・デストロイヤーを抱えて
芹沢と尾形は海底深く潜る。
芹沢が命を捨てる覚悟で、エキシジョン・デストロイヤーを起動して
ゴリラに振りかける。
ゴジラは苦しみ悶えて海のもずくとなる。
ゴジラは死んだが、山根博士は、
「人間が水爆実験を続ければ、また別のゴジラが現れる」
と鎮痛な面持ちで告げる。
映画は鎮魂の響きと共に幕を閉じる。
以上が簡単な概要です。
ゴジラ映画はそのはじめから、「反戦映画」だったと思います。
人間の愚かな行いが、人知が及ばない程の怪物・怪獣を産み出し
戦争のように無益な戦いを強いられる我々庶民の姿を
映す映画であると、そう思います。
ゴジラ-1.0を見て再視聴
現代基準のエンタメとして星3
怪獣映画のパイオニアとして文化的好奇心で星+1で
星4です。
星5でも良いぐらい楽しめましたが、その後の映画界の進歩に敬意を表し星4とさせていただきました。
初めて見た時の記憶があまり無かったので新鮮な気持ちで再視聴しました。
モノクロ映画は普段見ないので、視聴中断も覚悟で見ましたがこれがとても面白い!
1番感動したのがテンポの良さで
主人公周りの人間ドラマ、政府の動き等の群衆ドラマ、ゴジラが暴れ回る破壊シーンのバランスの良さが終始飽きさせませんでした。
ゴジラがモノクロである事で幽霊的な怖さも出ており、現代の映画と比べても絵作りが同等かそれ以上にカッコいい所も多々あり、思わず「かっけー」と口走ってしまいます。
それと同時に現在の映画と比べてお粗末な所と多々ありその【隙】な様な物も当時のスタッフの努力を想像し感慨深く笑わせてもらいました。
CGが無い時代の映画はあらゆるVFXに可愛げがあって安っぽさも又味になるのが良いですね。
少し悲しくなったと同時に考えさせられたのが瓦礫や焼け野原になった街の映像がその後のどのゴジラシリーズよりリアルで凄まじいクオリティーでした
やはり戦中世代は実物を見て体験しているだけあって瓦礫と化した街のシーンにそれぞれが特別な思い入れが入っていたのかな?と思います。
ゴジラから逃げ惑う人々がゴジラの進行方向から逸れて逃げるシーンもあり、初代の民衆の方が頭が良いんだなと笑(ダメでしたが)
ゴジラをキャストとして使用する後のゴジラ作品と比べ本作はゴジラが根底でありコンセプトそのものである為作品としてのパワーが違いました。
ゴジラ-1.0は非常に残念な出来でしたが、ゴジラシリーズはこの初代があるだけで安泰だと感じさせる名作です。
怖いけど面白かったぁ……
前提として
・本多猪四郎監督の他作品は未視聴。
・香山滋の作品は未読。
・『シン・ゴジラ』は視聴済。
めっちゃ面白い。
いつ観ても色あせない、恐怖と重さと面白さがある。
まずは恐怖。
船の沈没事故、謎の台風被害、放射濃度の高い足跡……と徐々に謎の生物の存在を想起させていき、ついにゴジラ登場。東京に上陸して踏みつぶし、噛み砕き、熱線で焼き尽くす。
建造物が破壊される様子は、ただ特撮としての良さが描かれている。怖いのは、その中に人が居るということ。原爆も同じ。街が崩壊して放射線が残るのが怖いんじゃない。そこに人がいて、死だけじゃ済まない恐怖と傷が残るから怖いのだ。
家屋が踏みつぶされて家族が下敷きになる。人の乗った電車がゴジラにぶつかって横転する。電波塔が倒れてそこにいる報道陣が落下する。そして火の海と化した東京を歩く姿は、まさに恐怖。
次に重さ。
車や船など、ミニチュアなのが妙にリアルで地震を思い出す。戦争を経験していなくても、自然災害によるトラウマが頭をよぎる。それも人が中にいるというシーンをいくつも描いた賜物だ。
ゴジラを目の前にして、「やっとお父さんのところに行けるよ」と子供と心中めいたことをしようとする母親。逆に母親だけ死んでしまった幼い子供。避難所で被ばくが確認される人々。戦争と原爆の生傷が垣間見える。
そして面白さ。
何よりもこの作品は、人がゴジラという災害に出くわしたときにどうするのか、何をするのかにカメラが向いている。これが面白さに大きく影響している。
特に山根博士と芹沢博士。
前者はゴジラを進化した生物、人間にとっての福音と捉えて生かしたまま研究するべきだと主張する。しかしそんなことを言ってられないほどにゴジラは暴れまわり、世間とは真逆の主張として追い込まれていく。彼の最後のセリフに注目。
後者はゴジラとのシンパシーがある人物。しかし核兵器を超えた大量殺戮兵器を生み出してしまう。ビジュアルのかっこよさと深い影、そして葛藤する姿が魅力的。
他にも、報道に命を懸けるテレビスタッフ、「また疎開なんて嫌だな」とぼやく人、(東京上陸前の)ゴジラという存在を隠蔽しようとする国会議員……この映画の主役は人なのだ。
あと、下手に恋愛の話を強調しなかったのも好印象。
ゴジラのデザインも誇張しすぎず、特徴も残しつつで良い。人型の中でも、かなりシンプルな部類なんじゃないだろうか。でもそれが美しい。背びれとか好きだけど、印象に残るのは眼。クレイアニメ調でどこを見ているのか分からない、生気のないやつ。もし真上にいたら全力で逃げたくなる。そういった怖さも持ち合わせている。
音楽も名曲ぞろい。後年にわたって何度も使われる説得力がある。テーマの後ろから聞こえてくるゴジラの叫び声も秀逸。
反核怪獣映画として何度もリメイクされてはいるが、第一作の時点でほぼ完成されている。原点にして頂点。これをリメイクするのが簡単じゃないのは間違いなく、『シン・ゴジラ』がかなり忠実なうえにすべてがパワーアップしているトンデモない作品であることも実感できた。
ミサイル一発も当たってないやんけ問題やら、もう少し外国の横やりが見たかった欲張りやら、ゴジラ抹殺の地味さなどはあるものの、怪獣映画の傑作として間違いない。そんな作品。
特撮、(プロレスしない)怪獣映画、『シン・ゴジラ』、戦争映画が好きな人におすすめ。
これはハマる。
「ちきしょう!」
この作品を観て、何故ゴジラの下半身があんなにも太いのかを理解した。恐怖は遥か遠くから大きな地響きとともに近づいてくるのだ。その為には、肉食恐竜のような細い脚では全くもって説得力が足りないのだ。
焼け野原の東京を地響きをたてながら悠然と歩くゴジラ。大戸島で家族を失った少年が、街を蹂躙するゴジラに向かって「ちきしょう!ちきしょう!」と叫ぶ。
その叫びを聞き、『ちちをかえせ ははをかえせ』で始まる峠三吉の「原爆詩集」を思い出す。東京大空襲への怒りを書に叩きつけた井上有一の「噫(ああ)横川国民学校」を思い出す。
ただ、この作品は過去を見つめたものではない。未来を見据え、警鐘を鳴らすものである。科学技術の進歩を止められないものとしつつ、山根と芹沢という研究者を通して、我々に理性を問うている。それは70年経った今、より重たいものになっている。
最後、海底に沈み骨となるゴジラ。その姿を見て悲しくなるのはなぜだろうか。
特撮映画としてだけでなく、骨太な中身を持った映画作品。今後、このような映画が作られることのないようにという、強い思いを感じる。
【”君は、伊福部昭氏の重厚なメインテーマを聞いたことが有るか!”邦画が世界に誇る怪獣&特撮映画の金字塔作品。強烈な反核映画作品でもある。】
ー 兎に角、本作のゴジラは無慈悲で、怖い。そして、それが良いのである。-
■今作後、ゴジラ映画は一体、何作公開されたのか。
日本だけでなくハリウッドにも進出し、ナント70年近く、人々に愛されているのである。
- 個人的には、ローランド・エメリッヒ監督作は無しにしたい・・。-
◆感想
・万民が鑑賞していると思われるので割愛。
<久方ぶりに鑑賞したが、1954年の今作は今でも十二分に面白い。
何よりも、今作が切っ掛けとなり、70年近く世界で様々な””ゴジラ映画”及び影響された”パシフィック・リム”を始めとした作品が製作、公開されている事に、日本人として先人の偉業を称えたくなる作品である。>
第五福竜丸事件
TDRのミッキーマウスやUSJのミニオンと同じく東宝のゴジラはイメージキャラクター。そんなゴジラがデビューした作品。
マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカ合衆国がおこなった水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件(第五福竜丸事件)に基づきゴジラが生まれた。
当時は東西冷戦の全盛期で核実験の全盛期でヒロシマ・ナガサキを超える水爆開発に余念がない米ソ。偶然、被害に遭い被爆したのが第五福竜丸。核実験に使用した「ブラボー」はヒロシマ・ナガサキの約1000倍の破壊力とされた。
ちなみに当時のアメリカ合衆国大統領は第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー。911のブッシュ大統領と同じテキサス州生まれで元大本営の岸総理とも交流があった。
ゴジラ、科学兵器、驚異と恐怖の大決戦‼
意外と評価が低かった『ゴジラ』(1998年)に比べれば、『ゴジラ』(1954年)は立派な怪獣映画です。円谷英二の特撮は今見ると安っぽく見えるが、それでも映画のインパクト、脚本、ドキドキワクワクする展開が止まらない。モノクロで、ほとんどホラー映画です。怖くて、面白くて、力強くて、宝田明をはじめとするキャストの演技が、原水爆への痛烈な批判でもあるこの映画に華を添えている。
科学者の倫理観を再認識しましょう
阪急交通社のたびコト塾で申し込んだので特等席で観れました
思えば、コロナで何度も中止になり、行く気が失せてたんですが、再開後好評だったので再上映との事
嬉しいかぎりです
上映前に講談師と落語家の前ふり付きでした
寄席なんて行った事ないから新鮮でした
それに、特撮への想い、ミニチュアへの想い
そして、ゴジラの着ぐるみに入った俳優の想い等々、講談で聞いてちよっとウルッときました
熱い熱い想いがあったんだ
ゴジラは何度も観ていたんですが
あらためて観ると、やはり名作です
若干の古さは感じられますが、演出もスムーズで新鮮
ツッコミどころは沢山ある
特に芹沢博士のうさんくささと河内子の天然ぶり
でも、ロシアの暴挙に決定的な策がなく、ズルズル状態のご時世
強力な武器の危険性について、今一度考えさせられるよい作品ですね
核までチラつかせるプーチンは何があっても許しておけない
アメリカの大量殺人を見てもわかるように
銃ひとつとってみても人間には手にあまる
ヒトはもう少しは善であるべきなのにね
昭和29年の昔から人間はちっとも変われない
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いので...
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いのでようやく観てみた。
戦後からまだそんなに経ってない時代でこれはけっこうリアルだったんだと思う。
白黒の方がゴジラの不気味さや恐さがすごく伝わってきた。
始まりにして、最高傑作
レンタルビデオ黎明期に、過去のアーカイブ的な扱いで、自宅のテレビで鑑賞。その異様な雰囲気に、引きこまれ、一気に最後まで見た。まるで、どこかの孤島が台風に飲み込まれるニュースのような、天災みたいな雰囲気だった。
当時から、原子力というもののあやしさに、不快感を感じる人は多かったけど、自分が生まれる前に、水爆実験を引き金に、また日本が核の被害に飲み込まれるという骨子を、極限の映像で表現したギリギリの映画だったと思う。
今は、都会のビル群をその太い尻尾で薙ぎ払うような映像が当たり前に見られるが、この時代小笠原の漁村に上陸し、暗い夜の村を襲う映像はかえって新鮮だったりする。その迫力に圧倒された。そこに本当に未知の生き物がいるように錯覚したものだ。
この始まりの恐怖と畏敬の念を、いまだに超えるゴジラが生み出されていない。それだけははっきり言えるだろう。
2019.7.3
ドメスティックな恐怖
初めてみたのはたぶん2015年。
山岸凉子のエッセイ漫画に描かれていた「ゴジラが山の端から顔を覗かせるシーンの恐怖」を味わいに劇場へ行きました。
ゴジラ映画はまだ10本ほどしか観ていない新参者ですが、結局この1本目が初代にして決定版だと思ってしまいます。
やっぱりゴジラの怖さも、ドラマも、映画全体の出来映えとしてもベストで、そもそもゴジラという仕掛けが極めてドメスティックな存在だったことを痛感させられます。
終戦から10年も経たない、記憶や傷跡の生々しい段階で公開された初代ゴジラの、街を破壊する場面が当時の観客にどれだけの衝撃をもたらしたかは、その後の続編とは一線を画すものだっただろうと想像します。
この初代だけが持っている暗さ、怪獣が暴れるような荒唐無稽な企画でありながら独特の静けさは死者に向けた弔いの様相。
これだけ沢山作られていながら、結局災禍の後のその時限りの企画でしかなかったことを示しているように思います。
だからこの初代のインパクト、ゴジラという仕掛けが真価を発揮できるのは戦争や水爆といった現実の災禍が起きた後に、その傷を再びフィクションの中で再現する以外にないのだろうとも。
その点で震災の直後に作られた「シンゴジラ」は奇跡的な一作だし、アメリカ版としてはレジェンダリーよりも「クローバーフィールド」の方がより正統なアプローチだったことになります(俯瞰のショットを作ってしまった後半はいただけないけど)。
レジェンダリー版もこれはこれで好きですが、せっかく怪獣たちのワールドツアーするなら現実の地震やハリケーンなどの被害があった場所を舞台にしてその被害を再現したらいいのにと思います。
ニュースや映像を通してであれ、現実の被害を共有している観客にこそゴジラは真の姿を現す。人間の無力さの象徴として。
1954年(昭和29年)の作品
ゴジラVSコング公開記念
これは何度も観た
一度でいいから映画館で観たい
戦後間もない娯楽といえば映画しか無かった時代
今と当時の人では受け止めかたが全く違うだろう
「長崎の原爆から命拾い」「また疎開か」「もうすぐお父ちゃんのとこに行くの」
民衆の一言一言に時代を痛感する
BGMとゴジラの鳴き声がとにかく素晴らしい
特にゴジラのテーマは聴くだけでテンションが上がり魂が揺さぶられる
1954年(昭和29年)
3月1日遠洋マグロ漁船第五福竜丸がビキニ諸島近海でアメリカによる水爆実験によって核の灰を浴びる事件が発生した年である
それから約8ヶ月後の11月3日に公開された作品がゴジラである
ゴジラの出現は水爆実験の影響によるものという設定は3月の悲劇で急遽盛り込まれたものだろう
リベラルの解釈では反核や環境破壊がテーマらしい
それならなぜ初代ゴジラは日本じゃなくてアメリカ本土を襲わないのか
GHQも解散してしばらく経つ時期だし遠慮する必要もあるまい
それにしてもなぜゴジラは都市を破壊するのだろうか
海の生物が激減しお腹を空いたから人間を食べにきたというわけでもないようだ
古代生物の生き残りらしいがなぜか火を吐く
山根博士役の志村喬が貫禄の存在感
良い味を出している
チョイ役だが志村喬以上に良い味を出していたのは野党の国会議員役の菅井きん
蓮舫もTwitterに夢中になってないでこのくらいの気概を少しは見習って欲しいものである
命を張って報道するラジオアナウンサーに大感動
今の新聞記者やテレビ局員にこんなことができるわけがない
さようならがせつない
なんとかデストロイヤーなるものでゴジラを退治するわけだがゴジラの最期としてビジュアル的にはシンゴジラの方が好きだな
このORIJINを超えるものは作れまい
シンプルな人間ドラマ。明確で力強く突き刺さるメッセージ。
1954年3月に起きたビキニ環礁での核実験。
それに巻き込まれた第五福竜丸の被爆事件の悲劇+汚染マグロ等の風評被害。
(1954年9月23日に、第5福竜丸の久保山愛吉無線長が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して亡くなった)
この映画からわずか9年前の東京大空襲。
(大空襲は各地でも被蓋にあった)
広島・長崎の原爆の悲劇。
戦争の爪痕の記憶が久しいうえに、またもアメリカ等の核の恐怖が呼び起こされる。
1952年にはGHQは廃止されたものの、
この映画の10年後(1964年)には東京オリンピックが開催されるものの、
スカイツリーどころか、東京タワーもまだなく(1958年竣工)、
新幹線だってまだまだ(1964年)で、
まだ復興途上。
当時の世相。
これらがベースになっている物語。
ドキュメンタリーのようにとった部分と、怪奇物の演出を取り入れた部分の融合。
(徹底的にリアルにこだわった部分、
恐怖を煽る音楽、楳図かずお氏の漫画かというような河内さんの大仰な演技等、恐怖におののくさまや被害の概況はリアルに見せるのに、その恐怖の実体はなかなか見せない等の演出)
宝田氏は、ニューフェースらしい「存在がさわやか」という立ち位置で、この重苦しい映画の一種の清涼剤。
河内さんの可憐な佇まいもこの重苦しい映画での華。それなのに、わざと?随所で見せる大仰な演技。
芹沢博士の出で立ちも怪奇物を踏襲。そこに平田氏が悩める若き科学者の繊細さと影を添え、物語がどう動くか、ドキドキさせてくれる。
(芹沢博士の研究室も、怪奇物ぽさ全開)
新吉の朴訥さ。
田辺博士の、らしさ。なのに、意味ありげに、意味不明な画面の隅での佇まい。不思議な存在感。
この映画がフィクションであることを思い出させてくれる。
それでも、
避難者・被災者の様子がリアル。
次々に破壊される街の様子が徹底的にリアル(Wikiによると、銀座の街を実際にロケハンしてsizeを測ってミニチュアを作ったそうだ)。
(崖から、ビルから覗くゴジラの怖さ。炎をバックに、ビルの向こうに見えるゴジラの美しさ…)
スーツアクター・中島春雄氏は、動物園に通って動物の動きを研究し、ライオンの持つ威圧感に、クマの直立する動き、ゾウの脚運びを参考にしたそうだ(Wikiより)。
志村氏の、根底に怒り・悲しみを秘めた演技。
国会での、情報を開示すべきか、秘すべきかの論争。ー戦争についての正確な情報を全く知らされないままに参戦させられたことへの怒りをここに見るのは、読みすぎか?
TV塔アナウンサー役の橘正晃氏の危機迫る演技。
音楽や効果音で煽られる危機感・高揚感。
静かに力強く響く鎮魂・祈りの歌。
企画から公開まで半年くらいの短期間に作られた映画なのに、それぞれの知恵と己の力量を最大限に投じられている。
なんだかわからない恐怖・困難がじわじわと迫ってくるドキドキ感。
今の災害情報の先取り?自然に?突然に的確にスイッチの入るTVとラジオが伝えてくる惨状。
見せるときにはとてつもない破壊力パワーが炸裂する。
そしてなすすべのない絶望感に叩きのめされるシーンへと続く。
その緩急。
と、演出・映像・音楽等々、一級品であることを褒め称える事柄は枚挙にいとまない、
とはいえ、この点だけでいえば、今後、この作品を超える映画が現る可能性はある。
けれど、この映画に関わっていた人々の思いは超えられない。
この映画から、とてつもない怒りを感じるのは私だけであろうか。
DVDのコメントで伊福部氏が「テクノロジーの技術の圧倒的な差で、日本はアメリカに負けた。そのテクノロジーが、原始的な生命体のゴジラにはなすすべない。気持ちよかったですね(思い出し引用)」とおっしゃる。
終戦間際は、宮内省帝室林野局林業試験場にお兄様と同じく戦時科学研究員として勤務され、放射線による航空機用木材強化(木材!!!)の研究に携わって(Wikiより)いらしたから余計にそう思うのだろうか。
伊福部氏と同じように思うかどうかは別にして、この映画の製作者も、公開時の観客も、皆”当事者”だった。圧倒的な破壊・惨状。命の危険。状況への怒り。恐怖。生き残った者としての責務等様々な気持ち…。何らかの形で戦争の傷を負い、この映画に思いを託していた。ある者は、戦争を早くに忘れて、復興にまい進したとしていても。
鎮魂・祈りの歌を歌う音楽学生も。だから、あんなに心に響くのだろう。
「核反対」「戦争反対」と頭で考える私たちとは違い、体験・心の底・魂からの訴え。
ましてや、核の本当の恐ろしさを知らないアメリカなんぞがこのメッセージを語るとしたら、単なるコピーにしか過ぎない。
体験したものにしか伝えられない迫力。それを、明確なメッセージ・思いとともに、史上最高なエンタテイメントとして昇華させた作品。
息詰まると、実際の生活を破壊する代わりに、この映画を見てすっきりしてリセットするとともに、
山根博士のラストの言葉を深く胸に止め、人為的なこのような破壊を二度と起こさないよう、何ができるのか。
この映画を見るたびに考えてしまう。
《蛇足》
Wikiによると、のちに、手塚治虫先生・水木しげる先生・淀川長治先生、小津監督が絶賛したものの、最初はジャーナリズム系では不評だったそうだ。その中で三島由紀夫氏だけがドラマ部分も含めて絶賛したのだとか。
手塚先生・水木先生・淀川先生・小津監督がこの映画を観るのは納得するが、三島氏も観ているとは。私の中で、三島氏のイメージがちょっと変わった。
(美輪明宏氏や坂東玉三郎氏をいち早く認めたのも三島氏と聞く。絶対的な己の美意識の持ち主。そんな方に『ゴジラ』は認められているんですね)
傑作の誕生は不幸なことかも知れぬ。
戦後10年を経ず復興する都市を背景に、あの戦火を、科学の怖さを、人間の愚かさを忘れぬぞという切実。
その時代ゆえの撮る動機がフイルムに焼き付く様に慄く。
庵野の311への対峙も然り。
傑作の誕生は不幸なことかも知れぬ。
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