恋は緑の風の中

劇場公開日:

解説

中学生の愛と性のめざめを正面からとりあげて描いた異色青春映画。脚本はいえきひさこ、監督は「ひとりっ子」の家城己代治、撮影は佐藤昌道がそれぞれ担当。

1974年製作/93分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1974年11月23日

ストーリー

純一は東京近郊の住宅地にある中学校の二年生。中流家庭のひとりっ子である。母夏子は、若くて美しく、解放的だ。純一が秘そかに想いを寄せている八百屋の娘雪子の父が交通事故に会い、彼女が店を手伝わなければならなくなった。雪子のテキパキと働く姿を見た純一は、時々、店を手伝うことにした。藤井先生の保健の時間、男女の性の違いについて、純一たちは昂奮し、騒ぎたてる。純一の家庭はなごやかである。純一の誕生日、ワイワイ騒いだクラス・メートたちが帰った後、純一は、ふと母に異性を感じ、唇をあわせた。夏休み。雪子の店でアルバイトをする純一は、配達の途中、林の中で雪子との将来を語り合った。その時チンピラが二人を襲った。純一は自ら傷つきながらも雪子を救った。病院にかつぎ込まれた純一は誇らし気だった。退院した純一の家に、同級生の花枝が見舞いに来て「あたしの体、あげる!」と迫るが、純一は断った。その夜、純一は夢を見た。林の中で、天使のような雪子を襲いかかったのだ。純一は、射精して目が覚めた。「おれは汚ねえ!」純一はこぶしで自らを叩いた。数日後、雪子は、父が再起不能のために田舎へ越すことになった。純一は、雪子をせめて中学卒業まで、家に下宿させるように夏子に頼むが、夏子はとりあわない。純一は家を飛び出し、親友の武たちに協力してもらい、レンガ工場跡地にある廃屋に「雪子の部屋」を作った。だが、そこへ教師と母親たちが踏み込んで来て、大人と子供の対立となった。雪子はその時、思い出の林をさまよっていた。やっと雪子を探しあてた純一は、必死にはげまし、初めて激しく抱きあった。「雪子の部屋」に戻った雪子は、明るく田舎へ行く決心を皆に語った。驚いた純一は、小川のほとりで一人泣いた。向こう岸に雪子がいた。二人は見つめ会いながら川ぶちを歩く。雨が降り始めた……。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0オープンな家族とワケアリ娘

2019年11月15日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 当時ストライクの年代だったため、映画館では観れなかったが、カットされまくりの地上波で興奮しながら見た記憶がある。あらためて見てみると、中学生の愛と性のめざめを描いた異色作ではあるが、青少年向けの映画ではなく、性教育をする親や教育者が見るべき映画だったんだとわかった。主人公の純一(佐藤佑介)が天真爛漫すぎるために一般家庭向きではないのかもしれないが、何かしらのヒントになるに違いない。

 とにかく裸で家の中を駆け回ったり、チンカスが病気じゃないかと心配になったり、父親と勃起したモノを比べようと言ったり、若くて綺麗な母親(水野久美)にキスしたりと、天然ぶりを発揮するが、両親ともその対処が上手くいっていたように思う。

 ストーリーは誰もが経験しそうな危なっかしい中学時代のことだが、長髪でチャラく見えても正義感が強い主人公なので、八百屋の娘雪子(原田美枝子)を不良たちから守るという行動にはちょっと感動を覚えたほど。その武勇伝は誇ってもいいほどなのに、世間の目は好奇に満ちているという大人の汚さも描かれる。純一に惚れている女の子もいるのだが、ケガを負った彼に大胆に迫るのに対してキッパリと拒むところも頼もしい。なかなか男らしいのだ。

 同級生たちとの絆も強く、雪子が両親の都合で転校することが決まったときには、転校しなくてもいいように隠れ家的な住まいを皆で作っていく過程も見ていて楽しい。

 恥ずかしくなるくらい純情なストーリーと切なさを兼ね備え、今じゃこんなの流行らないなぁとも思うのですが、底辺にあるのは男らしさを貫くことだと感じました。

 残念なのは独立プロであるため予算が少なそうだと思えることで、高価なフィルム代を惜しんだためか、子役たちの演技がまるでダメなところだろう。主演の二人はOKですが・・・

 若き日の原田美枝子のヌードが見たい方はどうぞ。

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kossy
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