機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのレビュー・感想・評価
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ZZまで見た人なら見るべき作品
もう30年以上も前の作品なのね。
続き物なのでそれまでの作品を見てない人ならば、お勧めできないが、逆に見た人なら強くおすすめしたい(むしろ最初から全部見てからこれを是非見て!と言いたい)。アムロとシャアがケリをつけるのだから。
戦闘シーンは秀逸。あれほどワクワクするシーンは後にも先にもないのではなかろうか?(でも映像化したものをすべて見てないから断言できないのよね)戦闘シーンに流れる音楽も相まって、高揚感がたまらない。
この時のシャアは色んな意味を込めて地球寒冷化作戦を実行している。おそらく本編で語られた理由(複数ある)すべてが、正しいのだろう。
初見では知らなかったし気付かなかったが、後になってコロニーを外から眺めるシーンがCGを使っていたと知って、とても驚いた。たしかコスト面とかかる時間から、富野監督は限定的にしか使わなかったと記憶している。
ケリがついて、しばし損失感があったのも懐かしい。
当時、アムロもシャアも居なくなってガンダムはもう作られないのではないか?と思っていたが、杞憂だった(笑)
でもまさか、この時の最新技術・サイコフレームがユニコーン作品に繋がるとは夢にも思わなかったよ!😂
何度も見た作品だが、初めて劇場で鑑賞。まずは劇伴の荘重さに開幕1...
何度も見た作品だが、初めて劇場で鑑賞。まずは劇伴の荘重さに開幕1秒でやられる。大いなる悲劇を予兆するような弦の響きから始まって、主役機の登場・タイトルロールとともにティンパニーで最高潮に!文字通り「劇場版」に相応しい重量感あるBGMである。また改めて見直すと、昔は浅はかな小娘だとバカにしていたクェス・パラヤが、実に可愛く、また聡明に描かれていて驚いた。劇場版に登場する子どもたちは、大人よりも1歩先を見ているようで、作品自体のテーマ・理想を子供の口を借りて語っているところもある。一方で主役級のアムロもシャアも、パイロットや政治家として成熟していても、結局大人として一番大切な仕事-子供たちを教え導く、ということがまるで出来ておらず、結果大人の戦争に巻き込まれて子供たちの未来が奪われてしまう。(当時での)シリーズ集大成、の結末がこれと思うと、トミノ的現実認識のシビアさが怖くなるような…。また、今回英語字幕付き上映だったので、言外のニュアンスの多い本作を翻訳することの難しさも再発見できた。決して直訳ばかりではなく工夫されていたように思うが、解釈の違いを感じる場面も散見された。近作の「閃光のハサウェイ」(映画版)や「ジークアクス」を見たことでまた別のコンテキストも生まれていて、再見できて良かった。結末含め詰め込みすぎ、無茶な展開も多いが、富野作品中、そして日本アニメ史上においても最高傑作だと思う。
ガンダム映画のベスト作品
劇場公開時に映画館で観た。当時は第2次ガンダムブームで、僕がガンダムに最もハマっていた時期でした。当時の僕の実家の地方は民放が2局しかなく、それより8年前の最初の『ガンダム』(いわゆるファーストガンダム)の放送や再放送も早朝だったり夕方だったりで時々しか観ず、劇場版3部作はテレビ放送やレンタルビデオで観たものの、そこまでハマったわけではなかった。それから7年後ぐらいに続編『Zガンダム』の放送が始まったものの、やはり地元では放送が無かったこともあって当初は関心が無く、よく行く模型店でZのガンプラを見かけた時にリアリティのある設定と卓抜なネーミングセンスに衝撃を受けて、そこから当時趣味にしていたボードシミュレーションゲームのガンダムものや、アニメの設定資料集、富野由悠季の原作小説などでどんどんハマっていき、さらなる続編『ガンダムZZ』の終盤になってようやく早朝に放送してたことに気づいて録画視聴し始めたのだった。そしてそこからさらなる続編であるこの映画の公開となる。
とても良かった。富野映画としてだけではなく、ガンダム映画としてもベストの作品ではないだろうか。ガンダム映画はほとんどの作品が基本的にテレビの総集編であることが多く、また観ていても総集編感がありありで、映画としてはあまり高く評価できないが、この作品は最初から映画として企画され、なおかつ2部作・3部作などではなく1本の映画として完結してるのが良い。内容もキャラクター造形からストーリー展開や演出など全てが非常に高いレベルの作品となっており、最初に映画館で観た時には感動でちょっと目が潤んでしまった。もちろん一種の続編なので前作ありきの部分も無くはないが、独立した作品としても十分に楽しめる映画となっていると思う。素晴らしい出来でした。
初見の方には一切おすすめ出来ないガノタ専用の作品
やっぱ面白いよな逆シャアは
ガンダムオタクがアムロとシャアを擦り倒すのもわかる
こんなん見せられたら一生脳に刻まれるよね
戦闘シーンのスピード感がすごい。最近のコッテリCG戦闘に慣れた身体にセル画の独特の雰囲気がすぅーっと効いてくる
νガンダムvsサザビーは多分ずっと語り継がれるんだろうな……フィンファンネルもいいけど接近戦、MSチャンバラに見応えがあるのよね
近年の作品だとNTとかサイコフレームとかまあ色々出てはいるけれども、このアクシズを押し返す奇跡にはやっぱどの作品も敵わないなと思う
名もなき兵士が次々と止めるためにMSで集うのもいいし
石ころ一つ、νガンダムで押しだしてやるっていう半ばヤケクソのセリフなのにかっこいんだわこれが
あと、ガンダムには地球環境云々みたいな少し説教くさいところがあったりもするけれど、この映画のアムロのある種冷めた視点があるおかげで鼻につかないのも良いんだよな
革命はいつもインテリが始めるがーというやつ
人に絶望しちゃいない
シンプルなセリフだけどもこの端的さと力強さがこう魅力的なのかもしれない
何でそうなるの!?
だいぶ前に1度見たきりだったんで
ジークアクスで話題になったこともあり
久々に見てみたのだが…
タイトルの言葉を何度叫んだことか
一度はジオンとも戦ったのに
何でシャアが総帥になってるの!?
そしてあんたも地球人滅ぼしたいんかい!?
若い新キャラの行動が
無軌道過ぎて意味不明
いやいやいやモビルスーツじゃ
アクシズ押し返すの無理だろ
ララァがお母さんってどういうこと!?
等々
予備知識無しでは何のことやら
そして本作
ジークアクスとやってることは同じと気付いた
若い新キャラは行動が無軌道で意味不明だし
みんな行動原理が男(女)の取り合いだし
コロニーの偉い人は地球滅ぼそうとするし
結局人類はニュータイプに進化しても
合わない奴とは合わないということなのか
内容については上記の通りだけど
作画が頑張ってるので星3つにしました
映画になってない
ジークアクスが楽しめるなら、当時苦手だったこの作品もイケるようになってるかもしれない…と思って、久しぶりに観ましたが、やはり映画になっていない珍妙な作品であるという感想は変わりませんでした。
まず、セリフが多いのに登場人物が何をやろうとしているのか、何が起こっているのか、全然分からない。そのセリフも人間が喋るものとは到底思えないヘンなもので、そもそも会話になっていない。セリフとストーリーが矛盾しているので、ひたすら気持ち悪い。
戦闘シーンもセリフがアホみたいというか、みなさん、ずっと主に自分の気持ちなどをベラベラ喋るので、「闘ってるんじゃないの?なんでずっとポエムリーディングみたいなことしてんの?」と、ついていけない。
ということで、昔も今も、ニュータイプの人しか楽しめない作品なのではないでしょうか。
いろいろと嫌な部分がある
本作の嫌な部分を列挙した長文です。最後は本作を少しだけ褒めてます。
戦争の表に出ない部分を想像して嫌になる。戦争では双方が正義を主張するがシャアのネオジオン軍もアムロのロンドベル隊もどちらも正義で悪である。シャアが率いるネオジオン軍は地球を救うという大義名分をかかげるが小惑星落下で地球を壊そうとする。このような矛盾した行動をとるシャアはもっともらしい理由で言いがかりをつけて弱い国をいじめる軍事大国の様であり正義であり悪である。アムロが所属する地球連邦軍のロンドベル隊もシャアの行動のおかげで存在理由ができて実は願ったりかなったりなので背後にあるアナハイムエレクトロニクス社(AE社)の利益のために用意周到に作られた偽善の軍隊なので正義でもあり悪でもある。私は正義のふりをした悪や悪のふりをした正義を見ると現実のニュースを見たときのような嫌な気持ちになる。
キリスト教要素も嫌である。キリスト教要素が入っていて好きな映画もある。ショーシャンクの空に(1994年)だがこれはキリスト教への批判や皮肉が入っているから好きだった。一方で本作の逆襲のシャアはラストがキリスト教礼賛丸出しで嫌になる。最後に神のような力が輝いて奇跡を起こすような本作のラストは見ていて不快になる。このような場面を見せられると潜在的に神の奇跡を信じるようになってしまって地球にとっても人類にとっても悪影響だと思う。地球温暖化や戦争も最後は神がなんとかしてくれると世界中の人はなんとなく思っているはずだ。キリスト教礼賛映画は罪深い。キリスト教映画だけでなく人の作った創作物全部にもこれがいえる。創作物は空想と現実がごちゃまぜになっているのが問題の根源であり元凶だ。
一部のキャラクターやモビルスーツなどが気に入らない。まずヒロインのクエス・パラヤがセリフも行動も嫌いだ。クエスは15歳くらいなのにわがままな性格の幼稚園児のようである。テレビゲームをしている子供のようにモビルスーツで人殺しをやってのける。そのクエスを誤爆で死亡させるハサウェイ・ノアも手本になるような賢い少年には見えない。反抗期の少年少女につけこんで悪い大人が彼らを利用するのも嫌だった。(クエスはシャアに利用されハサウェイは監督に利用された。)モビルスーツもなぜテレビのZガンダムやZZガンダムのモビルスーツがほとんど登場しないのか。ニューガンダムはコアブロックシステムがない、合体しない、変形しない、色や武装が地味などのためプラモデルが組んでいて面白くない。変形したほうが視覚的にわかりやすく納得できる。ニューガンダムのフィンファンネルはプラモデルで6個組み立てるのが実に面倒くさい。サイコミュ兵器やサイコフレームなどはプラモデルのプレイヴァリューが地味で嫌だ。
キリスト教要素のラストが嫌。宇宙空間はまだ解明されていないことが多く未知の世界であり宗教世界と同様にそれは神秘的でもあるので2001年宇宙の旅(1968年)やインターステラー(2014年)などのようにSF映画は作者が意識してなのか無意識に入れてしまったのかは定かではないが観客にサブリミナル的に宗教的な印象を与えるようなラストが多い。本作はラストもそれ以外もキリスト教のモチーフが多い。地球に落ちてゆく小惑星アクシズを大勢のモビルスーツ(巨大人型有人ロボット兵器)が押し返そうとする絵は見え方によっては巨大な十字架を背負った大勢の人々に見える。小惑星アクシズは十字架のような形をしているし物語で頻繁に登場するサイコフレームの装置はT字型でまるで十字架のように見える。さらにヒロインの乗り込む巨大モビルアーマー(超能力者専用の巨大有人兵器)はまるで十字架に貼り付けにされたキリストにそっくりに見える。物語のラストもひどく、宗教的でオカルト的な終わり方だと思う。主人公アムロたちの地球防衛作戦の努力もむなしく、万策尽きて、敵役シャアの企みが成功し小惑星アクシズが地球に落下して地球がメチャクチャになろうとしていた時、謎の装置サイコフレームと人々の思いが共振し巨大な謎の光が発生し地球を覆いつくすまでになり、それがアクシズの落下の軌道を逸れさせて地球が助かりハッピーエンドなのだが私はこの宗教礼賛なラストは好きではない。キリスト教の光が地球を覆い尽くし地球を救うと解釈できるので面白くない。地球には無宗教やその他の宗教の種類も非常に多い。
本作は現実世界が宗教世界と同様に現実と虚構の区別がない世界になる2025年を予言していた。私は本作の作られた1988年ごろが好調に成長を続けていた日本の転換点の時期だったと思う。バブルの時代からテレビ、映画、漫画、アニメ、コンピューターゲームなどの空想の世界は現実を侵食し始めていたと思う。宗教は現実と空想がごちゃまぜになった世界だと私は思うが宗教の世界にとどまらず日本全体において現実と空想がごちゃまぜになり始めていた時代が1988年だったと思う。そういう意味でこの宗教的なラストの「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」は日本の非常に重要な作品である。2025年の現在ではIT革命などの力によって世界全体でこの現実と空想がごちゃまぜの現象が起こっている。それはキリスト教などの宗教とはもはや言えないもので他のなにか新しいものだ。現実と空想がごちゃまぜになった宗教の世界は映画やテレビやアニメと融合し現在のこの地球はまったく新しい世界に生まれ変わったといってもいいと思う。この機動戦士ガンダム 逆襲のシャアはエポックメイキングな作品である。真面目に、本当に2025年の地球は1988年と比べて全く新しい世界になったと思う。スマホ、インターネットなどの力で人々は現実と空想の区別がつかなくなりそれは宗教の世界が現実に出現したのと同じである。逆襲のシャアのラストシーンで最後にシャアとアムロはどこへ消えたのか。この宗教的なラストを拡大解釈すればアムロとシャアは映画のスクリーンを飛び出して現実にやってきたと解釈できる。2025年がそうなったように現実と空想が融合した世界を予言していた作品が本作である。この映画逆襲のシャアのラストではアムロとシャアという救世主は映画から現実世界に「復活」したと私は解釈した。映画の機動戦士ガンダムGQuuuuuuX(2025年)も気になる存在である。
追記1:
現在の世の中に不満で世界をリセットしたいと思っている人にとってはシャアは救世主であるし現在の世の中にやや満足~とても満足している人にとってはアムロが救世主である。この二人の救世主が本作のラストでは行方不明になるが実は二人は生きていて虚構と現実の区別がなくなった現実世界に移動したのではないかと私は最近のアニメGQuuuuuuXを見てこのように思うようになった。あるいはシャアとアムロはキリストのように映画で一度死んで現実世界に復活するとも解釈もできる。機動戦士ガンダムGQuuuuuuXではシャアなど初代ガンダムのキャラクターが登場する。
3行まとめ:
・本作は私の嫌いな要素が多く入っており楽しめず面白くない。
・ただ現実と虚構がひとつになる本作のラストシーンは時代を先取りしていたといえるので評価できる。
・虚構のキャラクターのシャアとアムロはラストシーンで行方不明になったのではなく現実世界に行っただけだと思う。
ジークアクス→機動戦士ガンダム→逆襲のシャア
一か月くらい前に機動戦士ガンダムジークアクスを映画館で見て、その後機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)を初めて全て見終わり、時系列的には少し飛ばすことになるがameba primeで見ることができたので視聴。
簡単で率直な感想は、悪くなかったし、ファーストガンダムを視聴した時にも思ったことだが、SFの戦争もので見る前は堅苦しいイメージがあったが、実際はそうでもなく、アムロやシャア、本作の一ヒロインのクェス・パラヤを代表するNew Typeたちの直観に根ざした感情的であったり時に俯瞰的であったりする彼らを取り巻く世界への想いや理想が鮮烈に衝突する様を見せられて、自分の中でも共感したり、あこがれたりする想いがあった。シャアに対してはまだZガンダムでの彼を見てないのでまだまだ分らない部分はあるが、彼の人格や人となりがそれなりに自分の中で解釈できた気がする(ララヘのマザコン的な思いやアムロへの憎しみとライバルとしての尊敬の思い、地球連坊政府への憎しみ等)。
そのほかに思ったことは、ファーストガンダム(1979)は作画が安定してなかったのに対し、このころ(1988)にはすでに戦闘シーンの描写や背景が現在みても美しく思えるほどに日本のアニメは発展していたんだなということに少し驚いた。・・・驚いたのだが、少し調べてみると、自分が見たことがある中ではとなりのトトロ(1988)、AKIRA(1988)、風の谷のナウシカ(1984)等があり、特にAKIRA、風の谷のナウシカは作画もすごかったので、1980年代前半には日本のアニメ業界の作画の力はすでにできあがっていたのだろうか?時間があれば今後も昔のアニメを見ていきたい。
最後に、自分はオカルト的思想が好きで、ニュータイプという設定や本作で示したサイコフレームが人々の思いと共振し、アクシズが地球に落ちるのを防ぐというような場面も好きだったのだが、富野由悠季の思いは何たるかに興味を持ち、wikipediaでニュータイプを調べて軽く読んでみると、彼はアニメで人々に教育しようとしていたということや、ニュータイプ思想が一方では選民思想として受け取られがちである点等が書かれていた。選民思想については納得の行くことだし、富野由悠季の創作の源泉には興味がつきないので、今更ながら富野由悠季の言葉をネットで拾い集めで彼の思いを調べたい。
映画として観るには無理が…
第一作の「機動戦士ガンダム」は「絵のキャラクター」が生き生きとしていて
アニメでありながら、血の通った人物の様であった
この作品は、その「絵のキャラ」が冷たく、台詞の言い回しなどでキャラの
選別をしている感がある
監督の小説家業が多くなった事にも起因するが、やはり最初のキャラを
デザインした安彦良和氏は、偉大であったと思う
台詞も小説なら、5行か6行も有りそうな長文を、声優に直接アフレコで
喋らせるという、最初に映画館で観ていた時に、台詞を追いかけるだけで
精一杯で「ちょっと待ってくれ!」と思った
これは「アニメ映画」ではなく「小説の絵書き」では…?
しかし、ギリギリ合格点とするのは、5つ理由がある
「声優の演技」… 第一作がら9年を経て、少年・青年だった者から
いい歳した大人になるまでのキャラを演じきった声優陣にリスペクト
「音楽」… Z、ZZと、これで3作目となる三枝成彰氏の、真骨頂
とも呼べる音楽! Blu-rayで改めて聴くと「神」!!
「美術」… ある時期から、サンライズは幼児帰りした作品を、多く
作る様になったが、池田繁美氏は「そんな作品に、そこまで細かい
美術を入れんでも良いのに…」と、思うくらいの美しさ
彼の美術は「ガンダムUC」にて、再び開花する!
「豪華なCG」… 過去に、どんなに素晴らしい絵でも、アニメでは背景の
静止画だから、動かない… という定説を覆し、ち密に書きこまれた
スペースコロニーが3Dで動く映像を、当時の劇場の大スクリーンで
観て驚愕!!
「主役メカのガンダム」… テロップでは、モビルスーツデザインは
出渕裕となっているが、実際のメカデザインは当時のガイナックスを
初め、多くの者が手掛けてMSは最後に出渕裕が総合的な
デザインとして、まとめただけ
よって、この主役メカのニューガンダムは、30年以上の時を経ても
評価される!!
「声優」「音楽」「美術」「CG」「主役メカ」と、これら5つがあって、
ギリギリの合格点とする
逆に言えば、この5つのうち1つでも欠けたら、評価しない!!
おとなアムロにピクリともせず
まだファーストガンダムテイストは残っている
みんな死んでしまって悲しくてつらい
30年前に何度もテレビで見たものを映画館で初視聴。映画館で見ると撃沈される艦艇や破壊されるモビルスーツの様子がよく見えて、やっぱり劇場公開用に作画されてるんだなあ、と納得。
さて内容は富野アニメの常道として説明のセリフがふんだんに入っていますが、やはりファーストガンダムからZ、ZZと観ていない方には背景がいまいちよく分からないんじゃないかと思います。それはさておき、敵味方に可愛げのあるキャラクターが配置され、それらほとんどすべてが死んでいくという、これまた富野アニメのお約束ですが、戦争を描く以上これは仕方ないことかもしれません。こんなにいい人たちがみんな死んじゃったら戦争はやっぱり駄目だと思えます。この辺りは少年ジャンプの漫画では描けない部分ですね(いいキャラみんな生き返っちゃうから)。
音楽もカッコいいし、息もつかせぬ戦闘シーンの連続で2時間たっぷり童心に帰り楽しめました。
村松康雄さんを偲んで
村松康雄さん
2024年4月11日老衰のため横浜市内の病院にて91歳で他界
小さな仕事ばかりでもコツコツコツコツ積み重ねていけば好きな道で食っていけるんだな
とても地味だけど幸せな人生だった思うよ
しかも老衰
大往生だよ
監督と脚本は『機動戦士ガンダムF91』の富野由悠季
TVアニメの再編集ではなく初の完全オリジナル劇場版ガンダム
ファーストガンダムの時代から14年後の宇宙世紀0093
ΖのあとまたはZZのあととテレビアニメ版と再編集した劇場版とでは設定が少々異なるのでややこしい
宇宙移民を支配する地球連邦軍に反抗しシャア・アズナブル大佐はネオ・ジオンを結成
核を搭載した巨大落下物をによって地球人を滅ぼそうと目論むシャア
それを阻止しようと躍起なる連邦軍側のアムロ・レイ大尉
シャアがザビ家の長男みたいになってる
立場が人を変えるのか
年月が人を変えるのか
こんなのはシャアじゃない
変なヘルメットつけてないし
池田秀一の声のおかげで本人確認できるのだが
あの当時は若さゆえの過ちかもしれないがこの時代は30代半ばのおじさんになっている
なんだかんだ理屈を捏ねているけど結局のところララァの仇を討つためアムロと決着をつけたいだけじゃん
クェス・パラヤにも若さだけでは片付けられないイタさがある
画像が逆さまになったりブレたりする演出
悪くない
ラストシーンが特にわかりにくい
知恵袋の解釈にしたって本人の弁じゃないから全くあてにならない
仮に本人の弁にしたってその場その場のでまかせもあるから簡単には信用できないが
理路整然としたうますぎる話はかえって紛い物
大抵の人間は理屈じゃなくて感情で動く
クェスほど極端な人はなかなかいないけど
エンディングテーマはTM NETWORK
富野由悠季という人物の思想を熟知しないことには的確は評価は困難
とりあえず星3
配役
地球連邦軍大尉のアムロ・レイに古谷徹
ネオ・ジオンの総帥のシャア・アズナブルに池田秀一
地球連邦軍独立部隊「ロンドベル」の旗艦ラー・カイラムの艦長で大佐のブライト・ノアに鈴置洋孝
ネオジオンのニュータイプ研究所所長兼戦術士官のナナイ・ミゲルに榊原良子
ブライトやアムロらとともにジオン軍と戦った地球連邦軍の元軍人で既に退役しているミライ・ヤシマに白石冬美
アデナウアー・パラヤの娘で自己中な13歳の川村万梨阿にクェス・パラヤ
νガンダムの開発を主導した地球連邦軍の技術士官で准尉のチェーン・アギに弥生みつき
ブライト・ノアとミライ・ヤシマの息子でクェスの友人のハサウェイ・ノアに佐々木望
ネオ・ジオンのニュータイプ研究所出身の強化人間のギュネイ・ガスに山寺宏一
ネオ・ジオンのモビルスーツ隊隊長で少尉のレズン・シュナイダーに伊倉一恵
ロンド・ベル所属のパイロットで少尉のケーラ・スゥに安達忍
ジオン軍に所属し一年戦争で戦死したララァ・スンに潘恵子
地球連邦政府参謀次官のアデナウアー・パラヤに嶋俊介
会計監査局の職員でミライ・ヤシマの元婚約者のカムラン・ブルームに村山明
ブライト・ノアとミライ・ヤシマの娘でハサウェイの妹のチェーミン・ノアに荘真由美
軍需複合企業アナハイム・エレクトロニクスの技術者でνガンダムの開発責任者のオクトバー・サランに牛山茂
ロンドベル隊のチーフメカニック担当のアストナージ・メドッサに拡森信吾
ジオン独立同盟党首のカイザス・M・バイヤーに村松康雄
カイザスと共に参謀役としてシャアを支える文官のホルスト・ハーネスに池田勝
想像より酷い
ビヨンザ・タイムを聞きたくなったので、映画見て気分盛り上げるか!と思ったら散々な内容だった。どいつもこいつも何言ってるか分からないし行動もめちゃくちゃなのは良いとして、最後皆でアクシズ押し返してるのに謎のオーラみたいなんに助かられるってどういうこと?ファンタジーになった?
結局、ビヨンザ・タイムは本編終わって申し訳程度に流れただけ。戦闘シーンで流れるもんかと期待してたのに。
あの頃の厨二崩れだった自分へ
タイトルなし(ネタバレ)
皆から尊敬され、いつも恋人がいるアムロレイは成功者だ。
対するシャアアズナブルは恐ろしいほど悪になった。
相変わらず女性を戦力として使おうとする。
女性がパイロットとして優秀な適性があるのは分かる。アニメだけではなく現実においても、かつて戦闘機のパイロットは女性のほうが上手いという話を聞いたことがある。
シャアは女性の社会進出を推奨するような人だし、保守的なエリートたちに反発するタイプだから理解できなくもない。
命がけで世界をリセットすることを目指す。シャアはボスであり、戦闘兵でもある。凄い人だ。
本作の気になったシーンは、クェスパラヤが宇宙服も着ずに宇宙空間をクルクル回転しながら移動するところ。いくらニュータイプだからって、それはマズいでしょって感じ。
うん、やっぱり宇宙ってないよね。って、確信してるので楽しめる。
面白いシーンに感謝。
最後までシャアはララァのことをグダグダ言っているので、それも面白い。
TMネットワークのエンディングテーマが懐かしかった。
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