貴族の階段

劇場公開日:

解説

中央公論に連載された武田泰淳の同名小説を映画化したもので、二・二六事件を背景とした異色作。「電話は夕方に鳴る」のコンビ新藤兼人が脚色し、吉村公三郎が監督した。撮影も同じく「電話は夕方に鳴る」の中川芳久が担当した。

1959年製作/115分/日本
劇場公開日:1959年10月18日

ストーリー

《今日は、陸軍大臣が、お父さまのお部屋を出てから階段をころげ落ちた。》氷見子はメモをつける。父の西の丸秀彦は、進歩的貴族で貴族院議長である。満州事変以来、軍部が急速に台頭してき、少壮将校たちは国家改造を叫び、元老重臣や政党政治家の腐敗堕落を攻撃し、急進的な動きを示そうとしていた。陸軍大臣猛田大将は革新派将校にも理解を示す秀彦をかつぎ出そうと、しばしば訪問してきたのである。が、秀彦はいつものらりくらりと柳に風の態度だった。--猛田の娘、節子は氷見子の親友で、ともに女子修学院の生徒だ。白昼、陸軍省の軍務局長室で、相沢中佐が永田少将を斬った。何かが起り始めていた--。氷見子の兄、義人は近衛の見習士官だ。節子を秘かに恋している。夏、氷見子は節子と父の軽井沢の別荘へ行った。夜、皆で酒を飲んだが、秀彦は庭に出た節子に近づき、いきなり抱いた。節子は、義人を避けるようになった。母の多美子は滅魔教にこっていたが、彼女が義人と節子の結婚を言いだしたとき、秀彦はごく自然に反対をとなえた。女子修学院が近衛師団へ見学に行った時、射撃のうまい節子が全部的をはずし、挙句貧血を起して義人の腕に倒れた。箱根の別荘で、氷見子は節子が秀彦の腕の中にいるのを見た。兄には告げられなかった。冬が来、二月になった。義人は伊藤少尉らの青年将校の仲間に入っていた。雪が降りつづいた二月二十五日、氷見子に節子から電話があり、裏門で会った。明日の夜明けに何か起る、義人もその仲間だと節子は知らせた。義人が帰宅してきた。別れにきたらしい。氷見子はいつか父に貰った睡眠薬を秘かに飲ませた。早朝、襲撃の一隊が踏みこんできた。護衛の大山巡査が応戦したが、殺された。秀彦は不在だった。情報で、すでに脱出していたのだ。--節子は夜明けに氷見子あての遺書を残して自殺した。義人は銃声で目覚め、あわてて湯河原の襲撃地へ伺ったが、すでに襲撃が失敗した後だった。切腹し、拳銃でのどを撃った。--秀彦に組閣の大命が下ったのはそれから三カ月後のことだった。青年将校の首魁十七名には死刑の決定が近かった。

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