神々の深き欲望

劇場公開日:

解説

「東シナ海」の今村昌平と長谷部慶治が共同でシナリオを執筆し、「人間蒸発」の今村昌平が、神話的伝統を受けついで生活する沖縄の一孤島を舞台に、因襲や近代化と闘う島民の生活を描いた。撮影は、栃沢正夫。

1968年製作/175分/日本
原題または英題:Kuragejima-Legends from a Southern Ialand
配給:日活
劇場公開日:1968年11月22日

ストーリー

今日もまた大樹の下で、足の不自由な里徳里が蛇皮線を弾きながら、クラゲ島の剣世記を語っていた。この島は、今から二十余年前、四昼夜にわたる暴風に襲われ津波にみまわれた。台風一過、島人たちは、根吉の作っている神田に真赤な巨岩が屹立しているのを発見した。神への畏敬と深い信仰を持つ島人たちは、この凶事の原因を詮議した。そして、兵隊から帰った根吉の乱行が、神の怒りに触れたということになった。根吉と彼の妹ウマの関係が怪しいとの噂が流布した。区長の竜立元は、根吉を鎖でつなぎ、穴を掘って巨岩の始末をするよう命じた。その日からウマは竜の囲い者になり、根吉の息子亀太郎は若者たちから疎外された。そんなおり、東京から製糖会社の技師刈谷が、水利工事の下調査に訪れた。文明に憧れる亀太郎は、叔母のウマから製糖工場長をつとめる亀に頼んでもらい、刈谷の助手になった。二人は島の隅々まで、水源の調査をしたが、随所で島人たちの妨害を受けて、水源発見への情熱を喪失していった。刈谷は、ある日亀太郎の妹で知的障害者の娘のトリ子を抱いた。トリ子の魅力に懇かれた刈谷は、根吉の穴掘りを手伝い、クラゲ島に骨を埋めようと、決意するのだった。だが、会社からの帰京命令と竜の説得で島を去った。一方、根吉は、穴を掘り続け、巨岩を埋め終る日も間近にせまっていた。ところが、そこへ竜が現われ、仕事の中止を命じた。根吉は、二十余年もうち込んできた仕事を徒労にしたくなかった。根吉は頑として竜の立退き命令をきき入れなかった。豊年祈祷の祭りの夜、竜はウマを抱いたまま死んだ。そのあとで、根吉は、妹ウマを連れて島を脱出した。小舟の中で二人は抱きあったが、島から逃れることはできなかった。亀太郎を含めた青年たちに、根吉は殴り殺され、海中の鮫に喰いちぎられた。ウマは帆柱に縛られたまま、いずことも知れず消えていった。五年後、クラゲ島は観光客で賑っていた。亀太郎は一度東京へ行ったが、いつの間にか島に戻り、今は蒸気機関車の運転手をしている。そしてトリ子は岩に化身して刈谷を待ち焦がれているという。里徳里が今日もまたクラゲ島の創世記を観光客に蛇皮線で弾き語っていた。

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映画レビュー

3.5人間の本質、根本が暴かれる‼️

2024年12月10日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、DVD/BD

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活動写真愛好家

4.0ムラ社会と土着信仰、そして開発。

2023年10月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 174分という長編。何か不思議な感覚の映画であった。沖縄で撮影されたと思うが、そこには古来より続く土俗信仰の「神」とともに生きるムラの人たちと、ムラの決まりを破った仕打ちを受ける男(三國連太郎)を取り巻くドロドロとした生身の人間のぶつかりあい。男女の欲望が渦巻いている。  神様へのお祈りを欠かさない祖父(嵐寛寿郎)、その子で鎖に繋がれている主人公(三國連太郎)、真面目で働き者の男(河原崎長一郎)、知的障害のある若い娘(沖山秀子)の4人の一家を軸に物語が展開していく。  3時間近い映画にも関わらず、その長さもあまり感じさせない。「神」と「欲望」が入り混じってさまざまな事件や出来事が繰り返し起きる。特に、東京からやってきた製糖会社の技師(北村和夫)がムラ社会のしきたりを無視して開発を迫っていくところから、開発か先祖代々の地を守るのか、別の要素が加わっていく。  信仰中心の現実から逃れられないムラの人たちを前に、感情むき出しの人間同士のぶつかりあいはどう展開していくのか。最後まで目が話せない。  底辺の人々の逃れられない現実から、開発、自然破壊、信仰、ムラ社会、貧困問題をあぶり出す物語。工業化、娯楽、快適さを求める文明・近代化が奪ってきたものは何かを感じさせる。  クラゲ島と呼ばれる南の島で、昔ながらの農耕と信仰に生きる人々。しかし、彼らも近代化の波にのまれていく。日本の家族や共同体の根源的な姿とその崩壊を、神話を思わせる物語で描き、今村昌平監督の集大成ともいえる作品。(映像文化ライブラリー「生誕100年三國連太郎特集より引用)

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M.Joe

4.0今村昌平監督は本作をもって、70年安保の騒然とした世情の中に自身の思いの丈を映画として公開したのだと思うのです

2023年1月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

1968年、今村昌平監督の初カラー作品 南の島の眩しい日差し、亜熱帯の植物の緑、赤い土、赤い瓦屋根、色とりどりの魚、花々 それが初カラー作品の舞台に選らばれた動機でしよう デビッド・リーン監督の作品にも負けない美しい映像があります 邦画屈指の美しい映像です 島は劇中ではクラゲ島という架空の名前で呼ばれます ロケ地は、南大東島と波照間島です 南大東島は沖縄本島から東に400キの 太平洋に浮かぶ絶海の孤島です 船なら8時間かかります 波照間島は沖縄本島から南西に500キロ弱、石垣島のさらに50キロ先にある離島です 南大東島や波照間島は沖縄県ですから、沖縄復帰の1972年までは米国施政下のことだったのです つまり本作の撮影時点では日本ではなくパスポートが要る島だったのです かといってこの島に米軍は駐屯しているわけでもなく、米軍施政下であることは明示されません 中盤にジェット機が上空を通過する爆音があり、「ありゃあ、ベトナム行きじゃ」というセリフがあるぐらいです 特に南大東島の歴史については、本作の物語のベースになる、いろいろな深い因縁があるので各自お調べ下さい 物語はこうです 東京から来た技師が、因習に満ちたこの島にやってくる 目的は島にある精糖工場を閉鎖するのか拡張するのかを、工場用水確保の観点から調査することです 島民の区長は工場が閉鎖されては困るからと技師に協力をしているのだが、本当は工場が拡張されて島の暮らしが変わってしまうことは望んではいない なので技師の仕事を妨害するように島民に裏では指示しているのです とは言いながら、飛行場建設の話が持ち上がり工場とは比較にならない利益が島にもたらされるとわかれば、島の大事な神聖な場所も簡単に用地買収に応じるのです 島民を見つめる監督の目線は東京から来た技師と同じです 奇異な習俗の貧しい暮らしている人々と見下した視線なのです シンパシーはどこにもないのです 島の暮らし、歴史、感情などを紹介はしてもそこにリスペクトも共感もありません 本作が一体何を言いたいのか それを知るには、当時の時代背景をまず踏まえるべきかと思います 本作は1968年11月22日公開です 同年2月26日、3月10日、3月31日には今の成田空港の建設予定地で激烈な第1~3次の成田デモ事件が連続発生しています また公開1ヵ月前の同年10月21日には新宿騒乱という大事件がありました 公開の2ヵ月後には1969年1月18日には東大安田講堂事件が起こっています そして公開の3ヵ月後の1969年2月15日には、大島渚監督の「新宿泥棒日記」が公開されるのです さらに公開の7ヵ月後には、新宿西口フォークゲリラ事件と続いたのです これらをの事を、踏まえながら本作を観るならばだんだんと読み解けてくると思います 東京からやってくる技師 彼は米国を象徴しています 島の精糖工場 米軍基地の暗喩です クラゲ島 日本のことです 区長 日本政府です 島民達 日本国民です ノロのウマ 60年安保のこと 知的障害のトリ子 70年安保のこと クラゲ島の空港建設 成田空港建設計画のこと つまり、1968年11月の本作公開時点での日本を取り巻く政治情勢をクラゲ島のお話としてなぞらえてあるのです ある男女が、白人の特徴を備えた仮面を被った島民達に追われ、組織だった制裁が加えられるシーンがあります これは機動隊によるデモ隊制圧のことでしょう つまり米国の言いなりになって機動隊はデモ隊を暴力もって屈服させたとの主張です 制裁をうけるのがウマと根吉であるのは、60年安保の時もそうであったということです ウマは区長の竜を殺してはいません 勝手に死んだのです つまり無実のデモ隊に理不尽な暴力が振るわれているとの抗議です トリ子は70年安保を象徴しています 今村昌平監督は1926年生まれ 本作公開時42歳です 彼の20歳代は戦後すぐのこと 今村昌平監督か黒澤明監督の「酔いどれ天使」に感動して映画監督を志して東宝への入社を希望したが募集がなく、1951年に松竹大船撮影所に入ったのは有名な話です 「酔いどれ天使」は1948年4月公開 そして同年6月1日は東宝争議が最高潮に達していたから東宝は助監督の募集どころでは無かったのです しかし本人にの政治的な志向は自身の出世作「豚と軍艦」に明確に示されています 彼の目からは70年安保に向かう左翼運動が、ひどく幼稚なものに見えていたのだと思います だから彼女は知恵障害がある設定なのです そしてこのような監督のメッセージも込められてあるのです 彼女が孕むのは技師の子供です そして5年後には実はもう生きていないと事が暗示されるシーンが挿入されます 米国と迎合するな、子供は堕胎させろ 米国と寝るような女は生きていてはだめだ 米国は米国の思惑があるのだ 利用されるだけだ ラストの場面は5年後です クラゲ島には空港が完成しています 最後は海の向こうに何か赤い小さなものが浮かんでいるのをカメラが捉えて、エンドマークとなります あれは制裁が加えられた男女が乗っていた小舟の赤い帆です その帆柱には女が縄でくくりつけられたままになっているはずです もちろんとうにミイラになっていることでしょう 成田国際空港が反対運動を押し切って、将来開港することがあっても、反対運動を暴力的に制圧した結果であることは、必ずや後々明らかになるであろうという意味です 大きな石が巨大な男性器の形をしています それが終盤で20年かけて掘られた大穴に先端から落ち込みます その様は男性器を挿入する性行為の大写しそのものです そして、そのシーンは空港建設計画で竜区長から立ち退きを要請されたシーンの後にあるのです すなわち「この○○○○野郎!」という監督の罵倒だったのです そのように今村昌平監督は本作をもって、70年安保の騒然とした世情の中に自身の思いの丈を映画として公開したのだと思うのです では題名の意味するものは? 神々とは? 島民達の信仰する神々のこと 島民は日本国民のメタファーなのだとしたら? 今村昌平監督の政治的立場から類推すれば自ずと分かるはずです 今は2023年です 本作から55年の年月が経ちました すべては昔話 70年安保以降は大きな反対運動が起こる事もなくなり、そんな事を唱えること自体ナンセンスになりました 成田空港は本作の10年後の1978年に開港しています これを廃止するなんて考えられもしませんし、21世紀生まれの人からすれば、なんで反対運動なんかしていたんだろう?と不思議に思われるほどでしょう しかし今現在も本作当時のマインドセットのまま生きている人々はいるのです 成田空港のど真ん中にポツンといまものこる監視小屋のように 半世紀以上経って何もかも変わってしまったのに、当時のまま物事をみている人々です 団塊左翼老人と言われる人々の事です 彼らが本作を高く評価するのはそれが大きいと思います 21世紀の時代に生きる私たちが本作を観る意義は何でしょうか? 美しい映像もたしかに価値はあります それよりもこのようなマインドセットで今も生きている人々がいるということを知ることだと思います 彼らに洗脳されて利用されないために 前任技師が腑抜けにされたように、新しく来た技師が腑抜けにされかけたように そんなことにならないように気をつけないとなりません 蛇足 ある登場人物がこう言います となりの島にはあくせく働かなくても良い島がきっとあると その二人の男女は島を抜けだしてその島を目指すのです 自分達はそこで神になり子孫を増やすのだと 本作公開の1年半後に起きる1970年のよど号ハイジャック事件を予感させませんか?

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あき240

3.5今村にとっての神話表現

2021年10月4日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

興奮

寝られる

ミッドサマーという作品からの紐付けで見ました。内容は、半隔離状態の島で起こる閉鎖空間物語と監督今村昌平から見た神話の成り立ちだと思いました。非常に長い作品ですが、大変面白かったと思います。賛否両論あるでしょうが自分なりにそう思います。映画内での耳痒いの台詞回しも上手いですし、昔話語りの浜村純も良かったです。ミッドサマーより濃い内容が監督の伝えたい事がダイレクトに響く作品だと思いました。もし時間に余裕があるのであれば観てみて損はない作品だと感じます。

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コバヤシマル

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