劇場公開日:

解説

大正・昭和の高知を舞台に、女衒一家の波瀾にとんだ事件の数々と、妻と夫の別離を描く。宮尾登美子の同名小説を「北の螢」の高田宏治が脚本化。監督も同作の五社英雄、撮影も同作の森田富士郎がそれぞれ担当。

1985年製作/134分/日本
原題または英題:Kai
配給:東映
劇場公開日:1985年1月15日

ストーリー

大正3年、初夏の高知。縁町界隈で芸妓・娼妓紹介業を商う富田岩伍は商用で大阪・神戸をまわって、旅の途中で拾った少女・菊を連れて帰ってきた。富田の家には岩伍と喜和の間に病弱な長男・竜太郎、きかん坊の次男・健太郎の息子があり、それに番頭格の庄、女中の鶴、若い衆の米と亀がいる。金使いの荒い岩伍のせいで、人知れず貧乏所帯をきりまわす喜和に、またひとつ菊の養育という苦労が重なった。ある日、喜和は岩伍に命じられるまま、赤貧にあえぐ裏長屋の巻に米を届けた。折悪しくそこは赤痢騒ぎ、しかも巻の無残な死骸を見た喜和は不覚にも気を失って倒れた。死んだ巻の娘・豊美を芸事修業のため、岩伍が大貞楼にあずけたのは、それから間もなくのことだった。そして大正15年5月。菊は19歳の美しい娘に成長していた。大貞楼にあずけられた豊美は名も染勇と改め、高知一の芸者になっていた。健太郎、竜太郎も19歳、17歳とそれぞれ成長していたが、喜和の心痛は竜太郎の病弱、健太郎の放蕩だった。この頃、岩伍は40歳中ばの男ざかり、豊栄座に招いた娘義太夫の巴吉と肉体関係をもっていた。かねてより女衒という恥かき稼業を嫌っていた喜和はそのことが原因で実家である小笠原家に戻っていたがそこに大貞楼の女将、大貞が訪れ、とりなしを計った。巴吉と岩伍は別れさせるが二人の間にできた子供は喜和が育てるべきだ、と。喜和はあまりの理不尽さに身体がふるえた。喜和が緑町の家に帰ってから間もなく、岩伍と対立する谷川一家の賭場で刃傷沙汰を起こし、弟をかばった竜太郎が多量の血を吐いて息を引き取った。そして一方、岩伍の子を産み落とした巴吉は高知を去り、綾子と名付けられた赤ん坊の育事は喜和の仕事となった。昭和11年5月。綾子は11歳の愛くるしい少女に成長したが、喜和は病いに倒れた。手術の末、奇跡的に命はとりとめたものの、髪を次第に失っていく悲運に見まわれた。岩伍は今では大成し、朝倉町に移っていたがそこに照という女を住まわせていた。ある日、今は父親の仕事を手伝っている健太郎は岩伍の意向で喜和に隠居を命じた。喜和は綾子を連れて実家に身を寄せたが、追い打つように岩伍からの離縁話、そして綾子を返せという達し。今では綾子だけが生きがいとなっている喜和はこれを拒否、岩伍の殴打が容赦なく飛ぶ。そのとき綾子が出刃包丁で岩伍に斬りかかった。こんな骨肉の争いがあって間もなく、喜和は大貞の意見を入れ、身を切られるような気持ちで綾子を岩伍のもとに返す決心をした。別れの日、橋のたもとで喜和は綾子が岩伍の家に入るまで見送った。喜和はひとり、岩伍の家に背を向けた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第9回 日本アカデミー賞(1986年)

ノミネート

監督賞 五社英雄
脚本賞 高田宏治
主演男優賞 緒形拳
主演女優賞 十朱幸代
音楽賞 佐藤勝
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映画レビュー

4.0我慢する女衒の妻

2023年12月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

緒形拳扮する女衒富田岩伍は女の子を拾って菊と名付けられ、十朱幸代扮する喜和に預けた。

貧乏は人の心を腐らせる。我慢する女衒の妻を演じた十朱幸代の熱演が光るね。菊が大人になったら石原真理子になったはたまげたな。久しぶりに観たね。しかしながら根底の安定感は底知れぬ緒形拳のド迫力演技によるものだろうね。

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重

4.0妻にもらうならこういう女性です 理想の妻と母を体現した素晴らしい演技を十朱幸代に見ました

2022年1月17日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

タイトルは劇中の台詞から採られています

櫂は三年櫓は三月

櫓の扱い方を覚えるには3月もあればよいが、櫂を自由自在に扱えるようになるには、3年あっても足りない
一人前になるということは、並み大抵のことではないというたとえだそうです

良い妻になるには、辛抱が肝心だという意味で使われます
しかし、その辛抱の程度が底なしであったならという物語です

原作は宮尾登美子のデビュー作
彼女の小説で映画化されたものを出版年、題名、映画公開年をリストアップするとこうなります

1972年 櫂 1985年
1976年 陽暉楼 1983年
1977年 寒椿 1992年
1980年 鬼龍院花子の生涯 1982年

寒椿は舞台が高知であり陽暉楼も登場しますが、これは降旗康男監督の作品です
というのも「寒椿」は1992年5月30日の公開ですが、その3ヵ月後の同年8月30日に五社英雄監督は食道ガンでお亡くなりになったからです
体調はその3年前からよくなかったそうです
もしガンにならなかったなら「寒椿」も五社監督の作品になっていた可能性もあったかもしれません
しかしマンネリを嫌って、本作「櫂」をもって宮尾登美子原作の映画化にはもう手を出されなかったかも知れません

ともかく五社監督の高知三部作と呼ばれる映画は本作でお仕舞いです
リストをみると、原作の発表とは逆の順番で映画化していったことに気がつくと思います
その時点で発行済みの食指の動く原作を求めて遡っていったということでしょう

名作「鬼龍院花子の生涯」のルーツを求めて遡って行ったと言い換えて良いと思います
なのでより現実よりになっていますが、それでも恐るべき物語なのは確かです

お喜和は、皆からお母あちゃんと呼ばれています
あれほど酷い仕打ちをこれでもかと繰り返し彼女に与える夫の岩伍ですが、彼女を愛しているのは間違いありません
なのに何故か、愛想を尽かされるようなことを何度も行い、隠そうとも誤魔化そうともしません
それは岩伍には5歳の頃に母は彼と家を捨てて若い男と逃げている過去があるからです
だから、いつかお喜和もまた自分を棄てて逃げだすかも知れないという不安にいつも駆られているのです
どんなに酷い仕打ちを与えても、良くできた辛抱強い女房だからこそなかなか匙を投げて出て行かない
本当はでて行きたいはずなのに何故出て行かないのか?
自分を本当に愛しているからなのだろうか?
どんなに酷いことをしても愛想をつかして自分を捨てて出て行くことはないのだろうか?
彼女を本当に愛しているからこそ、彼女の愛を試したくて仕方ないのです
これならどうだという具合にエスカレートしていくのです

とうとうやり過ぎとことを遂に悟ったとき、彼女が惚れてくれた若き日の青年相撲の自分の写真の額を壊すのです
なんと馬鹿だったのか愚かだったのかと自分に無性に腹立っていたのです

十朱幸代はその物語をよく理解して、我慢強くどこまでも優しいお母さんを演じています
妻にもらうならこういう女性です
理想の妻と母を体現した素晴らしい演技でした

でも女としての妖艶さは役として求められてはいませんから、そんなシーンは何もないのです
蚊帳の中で岩伍が彼女を抱くワンシーンがあるのみなのです
その点で、他の高知三部作より不満が残るのかも知れません

真行寺君枝のか細く白いエロチックさが、それを補う計算であったのだと思いますが、十朱幸代の良き母親の総量に釣り合うほどではありませんでした

しかし、お菊を演じた石原真理子が素晴らしい存在感を示しています
素晴らしい役者であったことは確かだと思います
その後、ブッツン女優となってしまって活躍の場が狭くなってしまったのは残念なことです

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あき240

4.0十朱幸代がいい

2020年6月25日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

五社英雄監督による高知シリーズの第三作で、主役は緒形拳と十朱幸代。
高知で女衒をしている男(緒形拳)は上昇志向が強く、妻(十朱幸代)には、いずれ胸の張れる仕事を、と誓っていた。
ただ女性関係がいい加減で、妻は苦労続きだったが・・・。
十朱幸代の演技には魅入られてしまった。

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いやよセブン

2.0女衒(ぜげん)

2019年4月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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kossy