女の園のレビュー・感想・評価
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女であることの苦しみ
名作。さまざまな思惑が交差するなかで女たちが抱え込む自己矛盾と葛藤。通底するのは女であることの苦しみ。明滅する連帯。それは容易いことではないから。
金子信雄(若い!)演じる男性教師の存在だけが物語から遊離しているような。彼の芳江への共鳴は自身の妻(劇中一度も登場しない)を見る目を通してのものでしかない。それ故に的外れな同情と連帯の表明しかできない。芳江に「君は妻の若い時に似ている」と真面目くさって言うシーンなんてトンチンカン過ぎて滑稽そのものだった。あれはもしかして木下自身だったのだろうか。
戦後の腐敗・堕落を強調し、男女間の道徳など封建的な考えを演説する教師たち。
学生の中でも芳江(秀子)は高校卒業後に社会人してたおかげで勉強が遅れがち。消灯後も勉強させてくださいと頼む彼女がかわいい。一方、明子(久我)は学生運動のリーダー格。アカと言われるも先生(三枝子)の過去の恋愛を知り、かなり優位にたっていた。
芳江が学生運動とはちょっと離れて目立っていたのが愛らしい。失踪したり、恋に落ちたり、今の時代にもいそうな雰囲気。恋の相手下田はこの映画がデビューとなる田村高廣。しかし学校側の圧力により自殺に追い込まれた芳江。学生の結束を分断しようとする目論見も逆効果となってしまった。
たかが学生の自主性を訴える運動であったかもしれないが、封建的な学校では画期的なことだった。ちょっとしたことでも“アカ”や“共産党”と罵られ、ただただ良妻賢母となるように育てられる大学そのものがおかしい。ラストに団結する女子学生の姿の昂揚感は胸揺さぶられるシーンであるが、途中のストーリーにそれほど燃えるものがないのが残念。と感じるのは時代の差かもしれないが・・・
寮生活と学生集会と恋愛の3本がテーマの映画かな、 感動場面もある
1=この女子大学は、良妻賢母を目的とする学校で、規則が厳しい
2=通学は、自宅か、寮に限定し、下宿は禁止
3=寮生の要求は、①研究課題の自由、②寮生自治会の確立、③帰寮時間の緩和、
④私生活の届出制の廃止、⑤手紙・電話の検閲の廃止、⑥消灯後の勉強の許可、
⑦学長渡米の資金割当の撤回、等
4=端的に書くと、手紙は見られるし、電話は聞かれるし、夜10時過ぎたら、勉強禁止は嫌
5=「女の園」の題名から、軟弱な映画と思ったら間違い
6=ただ、要求するだけで傷害事件や、窃盗事件や、刑法事件が発生する訳ではない
7=1954年公開の映画だから、60年安保の走りみたいだが、過激度は1/100以下
8=なお、放映時間の半分位は、恋愛絡み
9=印象深い場面は、
①88分:姫路城の最上階から女が、東京へ行く列車から男が、ハンカチを振る場面
②女学生が合唱する場面=2分、16分、34分、138分
10=この映画、最後に寮生側と学校側で対立するが、結論が出ないまま終了
観覧者に問いかける内容で終了している
11=1955年当時の、女子の大学進学率は、2.4% → 学生は、ほぼエリート
12=感動場面もあった、案外良かった → さすが、木下恵介監督
13=なお、この映画のモデルの事件があったらしい
自由と人権を求めた女性映画の記念碑的な傑作にある、木下監督の強い意思
戦後の日本映画を支えた名匠木下惠介監督の「二十四の瞳」「日本の悲劇」に並ぶ傑作。終戦からまだ10年も経たない時代の閉塞感を背景に、自由と人権を主張した社会派ドラマの力作にして、女性映画としては日本映画の最高峰の一本。高峰三枝子の残忍な寮母役を始め、新しい生活を求める岸恵子の新鮮な魅力、財閥の令嬢ながら家柄に反抗する久我美子の清楚な佇まい、そして男子学生との交際に活路を見出せず自殺してしまう高峰秀子の演技力と、女優陣の充実度が見事。厳しく張り詰めた木下演出と共に、それら人物配置と役割のドラマ展開が無駄なくラストまで運ばれる脚本の完成度が、この上もなく高い。戦後民主主義の過程の中のひとつの時代を知る価値がある。そして、それが分かり易く描かれている主張の明確さ。「二十四の瞳」の抑えた反戦思想に対して、こちらは木下監督の熱い意欲がストレートに映像化されている。名作「二十四の瞳」に隠れて余り話題に挙がらないのがとても残念ではある。
66年も昔の現代とは関係のない映画では有りません、むしろ21世紀の現代にこそ価値と意義を増している名作です
原作は、京都女子大学で実際に起こった事件がモチーフの作家阿部知二の短編小説人工庭園とのこと
公開前々年の東大ポポロ事件の事も劇中に触れられます
冒頭、大学における学問と人間について、その自由と理想についてテロップがでます
本作は1954年3月公開です
東大ポポロ事件の判決は同年5月にでました
その判決要旨には、大学の学問と自治の自由の文言が展開されているのです
つまり1950年代に大きな波となった学生運動の高まりが背景であり、それがテーマです
どうしてみんなこんなに苦しむんでしょう
高峰秀子の演じる芳江は何度も泣きます
女子学生達の言い分は現代からみれば当たり前過ぎる話です
当時でも行き過ぎな学校と寮の運営規則であったように過剰に描かれてあるとおもいます
そして、それをもって学校側が戦前体制への逆コースを歩もうとしているといい指弾する女子学生の主張も過剰に見えるのです
あなたは共産党員なんですか?
岸恵子が演じる富子は、その先鋭化する運動を主動するメンバーのひとり久我美子の明子にズバリ訊きます
自分たちの運動は学校における学問と自由であって、政治の闘争ではないと
この対立が露わになったとき芳江はヒステリックに泣き喚くのです
学校側からも、学生側からも、実家からも責められて彼女は居場所を無くすのです
つまり彼女は普通の一般大衆を代表しているのです
東京の恋人の下宿先に一度は現れるのですが、彼女は結局姿を消し、物語はクライマックスに突入します
姫路にある、お夏清十郎の比翼の塚
その伝説の悲劇が繰り返えされるのです
高峰三枝子の演じる五條真弓はこう言います
あなた方は二言目には、人間だとか人権だとか叫びます
でもあなた方には人間のの本当の苦しみは分からない
その言葉どおり、その悲劇を悲しみ悼むものは、恋人と退学した友人だけなのです
学校、学生、実家、その対立は更に先鋭化するだけなのです
誰も起こった不幸を悲しみはしていないのです
涙を流してはいてもそうなのです
その悲劇を利用する事に向いているのです
これこそが木下惠介監督が本作で訴えているメッセージです
学生運動側と体制側との対立の先鋭化は結局のところ、一般大衆の国民の不幸であるのです
それがテーマなのです
だから芳江は神経衰弱となり何度も泣くのです
このメッセージは60年安保の樺美智子さんの悲劇のクライマックスまでを予見したものといえるでしょう
翻って21世紀の現代
私達は国民の分断化の中にいます
アメリカもヨーロッパも日本も、言論の分断に苦しんで主張は本作の女子大のように全く噛み合いません
先鋭化した両論が一般大衆の国民を分断するだけで苦しめているのです
田村高廣の恋人役下田参吉が芳江の父をなじります
お父さん、あなたはご自分がやったことを考えてみないのですか!と
SNSの扇動者やオールドメディアへの告発として、21世紀にまでその声は届いているのです
66年も昔の現代とは関係のない映画では有りません、むしろ現代にこそ価値と意義を増している名作といえるでしょう
お夏清十郎の比翼の塚は姫路城から徒歩5分位の慶雲寺の中にあります
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