ええじゃないか
劇場公開日:1981年3月14日
解説
江戸時代末期に発生したええじゃないか騒動や百姓一揆など騒然とした世相を背景に江戸東両国界隈に生きた下層庶民のバイタリティ溢れる生活を描く。脚本は「復讐するは我にあり」の今村昌平と宮本研の共同執筆、監督も同作の今村昌平、撮影も同作の姫田真佐久がそれぞれ担当。
1981年製作/151分/日本
原題または英題:Eijanaika
配給:松竹
劇場公開日:1981年3月14日
ストーリー
慶応二年、日本は激動期の真只中にあった。源次はそんな江戸へ六年ぶりにアメリカから帰って来た。上州の貧農の出の源次は横浜港沖で生糸の運搬作業中に難破し、アメリカ船に救けられ、そのまま彼の地に渡ったのだ。その間、妻のイネは、病身の父に売られ、現在、東両国の“それふけ小屋”(ストリップ劇場)で小紫太夫と名乗って出演している。源次はなんとかイネを発見、六年ぶりの再会に二人は抱きあった。見せ物小屋の立ち並ぶ東両国は、芸人、スリ、乞食、ポン引きなどアブレ者の吹き溜り。源次は三次、ゴン、孫七、卯之吉、旗本くずれの古川など、したたかな連中に混ってそこに居ついてしまう。そして、金蔵がここら一帯を取り仕切っている。自由の国アメリカが頭から離れない源次は、イネを誘いアメリカ渡航を計るが、結局、彼女はこの猥雑な土地を見捨てられず、彼もイネの肉体にひかれて残ってしまう。この頃、幕府と薩摩、長州連合の対立は抜きさしならないところにきており、金蔵は薩摩の伊集院などの手先となって、一揆の煽動など、天下を騒がす仕事に飛びまわっていた。「ええじゃないかええじゃないか」と〈世直し〉の幟やムシロ旗を立てた群衆は次々と豪商の倉を襲っていった。この群衆の中に、金蔵配下の源次、ゴンたちがアジテーターとしてまぎれこんでいた。更に、この騒ぎの中に、親兄弟を虐殺された琉球人のイトマンが仇の薩摩藩士の姿を求めて鋭い目を光らせていた。そして、「ええじゃないか」の勢いは止まるところを知らず、群集は、歩兵隊の制止も聞かず、大橋を渡ろうとした。「死んだって ええじゃないか」源次が仆れた。数日後、復讐をとげたイトマンの舟が琉球へとすべり出した。舟を見送るイネ。その翌年、元号は明治となるのだった。
スタッフ・キャスト
受賞歴
第34回 カンヌ国際映画祭(1981年)
出品
ある視点部門 | |
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出品作品 | 今村昌平 |