うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのレビュー・感想・評価
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「終わりなき日常」における倫理的態度
本作ではうる星やつらの内包する世界観、そして「終わりなき日常」と呼ばれた80年代の空気感を批評的に描き出すことに成功している。
学園祭の前日が永遠に繰り返されるラムの夢は比喩的に言えば、うる星という作品の無限ループ構造そのものであり、同時にあたるを胎内に閉じ込めようとするラムの欲望である。
ラムの夢の世界を内破し現実に帰る方法は、あたるがラムに告白し「責任を取る」しかない。けれどもそれは、それこそ永久にラムの体内に閉じ込められることになるパラドックスでもある。
ここで示されているのは内破の不可能性を承知の上であえて内破を試みなければならないという一種のアイロニズムである。そしてそれこそが80年代的「終わりなき日常」における一つの倫理的態度だったのかもしれない。
夢幻のウチだっちゃ!
『うる星やつら』は高橋留美子の作品だが、押井守が手掛けたものだけは押井守の作品でもある。
それが最もよく表された劇場版第2作目。
押井が今のスタイルを確立した出世作であり、押井の傑作の一つであり、日本アニメーションの名作。
しかし、『うる星やつら』としては…、異色作。
高橋留美子が押井の才能は絶賛しながらも、作品には否定的な意見を述べたのは有名な話。
友引高校学園祭前夜。
連日泊まり込みで準備に追われるラムやあたるたち。
しかし、次の日になってもまた次の日になっても“明日”が来ない。
一体いつになったら学園祭の“明日”が来るのか、自分たちは一体いつから泊まり込みをしているのか…?
ようやく異変に気付いた一同は町から脱出しようとするが、何故か友引高校に戻ってしまう。
面堂の飛行機で何とか脱出。
空から見た驚愕の光景とは…!
本作は2つの概念に大胆に切り込んでいる。
まず一つは、時間。
年、月、週、日、時、分、秒…。
そもそも、時間って?
朝が来て夜が来て、日本には四季があって、それで時間や時の流れが何となく分かるとしても、そんなの誰が決めた?
それ以前に、時間という“もの”は存在するのか?
例えば、今日2月12日。今午前10時過ぎ。
これは本当に正しい時間なのか?
日付や時間がそう決められているから、皆そう思っているだけ。
時間なんてものは何処かで誰かが作ったに過ぎないもので、実際は時間なんて概念は存在せず、ただ延々と同じ時が流れているだけではないのか…?
そして、夢。
あたるたちが見た光景とは、巨大な亀の上に乗った友引町。
誰も気付かなかったのも無理はない。
劇中で何度も比喩されてる通り、全員が亀に乗って竜宮城に誘われたのだから。
全ては、夢邪鬼という妖怪の仕業。
いつの間にか、夢邪鬼が創り上げたある人物の夢の中に居た。
この楽しい時が永遠に続いて欲しい、そう思ってるその“ある人物”とは…。
ここでまた一つの概念に頭がくらくらと揺さぶられる。
夢。
夢は本当にただの夢なのだろうか?
私たちが生きる現実こそ虚無であり、自分の望みが溢れた夢の世界こそ自分自身の世界なのではないのか…?
“時間”と“夢”。
この2つの当たり前のように思われてる概念を、根本からひっくり返すように問い掛ける。
考えれば考えるほど頭がこんがらがり、分からなくなり、ショート寸前になりそうになるが、疑問や問い掛けや考えは無限に広がる。
難解な押井守の世界。
他のアニメでは絶対出来ない、これも『うる星やつら』という変幻自在なアニメだからこそ出来た世界。
『うる星やつら』を通して自分の世界を創り上げた大胆さに改めて感心させられる。
遊び心もいっぱい。
てんやわんやの学園祭準備中の校内に、様々なキャラのコスプレが。
これは挙げたらキリが無いので、見る機会があったら是非チェックを。
廃墟と化した友引町でサバイバルするあたるたち。そんな彼らが観る映画は、あの名作!
画のクオリティーも見事。
特筆すべきは、あたるの家でご飯をかっ食らうシーン。
全員が違った動きをする僅か1分ほどの長回し。
一見何でもないようなシーンだが、相当緻密な書き込みと力量が問われた名シーン。
緻密であり、終盤あたるが何度も何度も迷い込む夢のシーンはシュールでありイマジネーション豊かであり、クライマックスは壮大なスケール。
内容的にも作画的にもめくるめく。
これは、『うる星やつら』である。
異色の『うる星やつら』である。
ディストピア・ムービーである。
サバイバル・ムービーである。
ミステリアス・ムービーである。
“時間”と“夢”の哲学ムービーである。
ハイテンション快作ギャグアニメである。
ラムとあたるのロマンチックなラブストーリーである。
そして、唯一無二、夢幻の押井守作品である。
ほ、本当に俺が生まれる前の作品なのか?これが・・・!?
無限ループもの・・・これは当たりハズレが多い作品ジャンルの代表ではないか?
たしかに非日常ものを扱う映画には最適に見えて、同じ事をさせ続けたら飽きられ見続けるのも苦痛になる。
でもこの作品は個性が強いキャラやぬるぬる動く作画、ノスタルジックな舞台に引き込まれて気づけばクライマックス。久々に時間忘れて見れた作品だと感じました。
ていうか、やっぱうる星やつら面白いな(笑)
愛はブーメラン
押井守の独自解釈を前面に出しすぎて、原作者高橋留美子を怒らせたという伝説の作品。
私はうる星やつら世代ではなく、むしろはじめてちゃんと視聴したうる星関連作品が本作だったので初見時にそれほど違和感はなかったです。
冒頭から終盤まで印象的なシーンや掛け合いの連続で、ノスタルジーを感じさせるBGM(特にメインテーマ:モチーフ「不安」)も相まって、鑑賞後にはいつも感傷的になってしまいます。
終わらない文化祭前夜という舞台も、切なくもあり楽しくもあり、最高の作品だと思います。
なんだこれ…!!
この話全体が うる星をはじめとした日常
アニメを皮肉っているような作り。
後の時代に ループものは 飽きる程作られたが この映画は押井溶液に
どっぷりと 浸かっているためか まだまだ
異臭(良い意味で)が漂っている。
懐かしのアニメをみています
ひさびさに見返してみた。
よく出来てる映画だし、面白いんだけどやはり押井節全開のややめんどくさい場面が気にはなる。
例えばメガネのトラックに乗ってる時のモノローグ?とか
さくらと無邪鬼の一連のやり取りとかね。
唐突に難解な会話をほうりこんでくるからなあ。パトレイバーでもそうだったが
押井守がやると押井守作品にみんななってしまう。高橋留美子としてはそれが我慢ならなかったのかも。
それがうまいバランスで出来てるのがギリギリこの映画だとは思うけど。
難解と書いたが理解できないほどでなく、パトレイバーや攻殻みたいにあまりにそれが行きすぎてちょっとなかなかついていけないほどじゃない
とは言え何度見てもわからない場面があって
一番ひっかかってるのが
しのぶがみんなと歩いてる時に急に狭い路地みたいなところに迷いこみ、風鈴の屋台が通ったりするなかゆっくりと走る、スローモーション
それで、路地を出たところで立ち止まるとそれをアパートの窓から男がみている後ろ姿だけで誰かはわからない
あの場面は一体なんだ?なんかへのオマージュだろうか。自分はテレビアニメは全部みたけど全くわからない。
しかしながら、テレビアニメも原作とはかなり違うんだよね。アガサ・クリスティみたいなことしてみたりあたるのおかんを主役にしてみたり、たぶん原作にはない話だと思うけど。
原作全て読んでないので断言できませんが。
しかし、押井守が抜けたあとのテレビアニメや映画があまりパッとしないこと、この後作られた
めぞん一刻
らんま1/2
人魚の森
などどれも原作をなぞってるだけでいまいち面白味がないことを考えると
やはり押井あってこそのうる星やつらアニメだったと
この映画についてはさくらと温泉マークが喫茶店で奇妙な会話をする場面から一気に異世界に引き込まれるこれがやはり心地いい。
ラストについてはまあ、ちょっと微妙とも思うけど
噂に違わぬ80年代の傑作
よく日本のアニメ史やSFを語る時に名前が挙がるけど、うる星やつらなんて世代じゃないから設定もわからないし、シナリオの構造がループ物として凝ってるらしいけど、当時だから目新しくてチヤホヤされたってだけでしょ? まぁ、名作と言われるから一応観ておくけどさぁ…。一応ね。
ってノリで観てみたら、それはもうビックリするくらい面白かった。目からウロコとはこのことだ。何故日本は30年前にこのアニメを作れたのに、現在は作ることができないのか。どうしてなのか。
確かに日常ループものとしての設定自体が特殊なわけではない。ペラ1枚にまとめたプロットがあったら、至極平凡なものだろう。しかしアニメーションとしての練度が違う。ループする日常への導入、演出、そしてエンディングへの収束のテンポが絶妙。各キャラクターの演技(?)も凄まじく、台詞だけで語らせず、微妙な挙動や表情の変化でその心理をおおいに表現しており、その技術力に目を見張るばかりだった。それゆえに、うる星やつらの設定が一切わからない自分でも十二分にたしめた。これって本当に最近の和製アニメーションにとってロストテクノロジーになりつつあるんじゃないか?
“文化祭の前夜祭”という舞台設定もループものに適当な設定だ。おおいに動きまくる最初の数分間の文化祭の喧騒は、現役学生でなくともかつて感じた青春のお祭り騒ぎの楽しさを心に去来させ、その瞬間的な、過ぎ去ることが目に見えたひとときに愛おしいほどの名残惜しさを感じるがゆえに、ループものという設定が活きるのだろう。
キャラクターの挙動もそうだが、演出面も、存分に動き回るシーンと台詞の長回しをするシーンの差がしっかりついていて、この抑揚もSFのはちゃめちゃなお祭り騒ぎ感と、不思議な情緒や寂寥感、不気味さをより際立たせている。
冒頭の文化祭前夜祭のシーンや、巫女の先生と温泉マークとの会話、夜中にチンドン屋と遭遇するまでのシーン、荒廃世界でのメガネの独白などが特に印象に残る。
夢オチもたいていは悪く評価されがちだが、本作はなるべくして帰結した夢オチとして特に不快感は感じられなかった。
日常系SFアニメなんてこの30年間できっとたくさん出てるだろうに、これを越える作品は自分の知る限りではまだ無い。感銘は受けつつ、海外にもおおいに影響を与えた日本のアニメの全盛期が、やはり遠い昔の作品であったことが、否が応にも感じずにはいられなかった。
押井監督最高傑作!
押井監督作品は小難しいものが多いですが、こういうドタバタコメディに落とし込む方が得意なのだと思います。
謎を残した表現技法も多く、ラストは「お~~~っ!」となるオチで、「この作品はなんだったんだろう」と何度でも見返したくなります。
「BSアニメ夜話」で分かりやすい解説をしているので、観終わった後は是非。
ヤッパリ良くできてる
ハルヒやまどマギでもやってた無限ループ系の元祖?
久しぶりに見返したけど、今でも十分見れる。ラムがいないハーレムは意味がないってとこに少しだけホロッとくる。
最後3階建ての高校が2階しかないのは、まだ夢は醒めてない(何が現実かなんてわからない)ってこと?
たまらない
映画館で見て以来何度も見ていて久しぶりに見返した。ビジュアルイメージが凄まじくて、特に幻惑的なコラージュのようなクライマックスがたまらない。その手前の破壊された映画館でゴジラを見ている場面などもすごくいい。あんな状況で取りあえず遊んでいる彼らの図太さが、元気があってすごくよかった。夜の友引高校を探索する場面もお化け屋敷のようで楽しかった。
展開や構成がかなり無理矢理で、しかしそれでなければ描けないテンポや雰囲気があって見事に合致していたのではないだろうか。気にならなくなるくらい楽しい。
ナチスのコスプレを無邪気にやっていたり、様々な著作権がからむキャラクターを無邪気に描いていて、現在の観点からドキドキするのだが、それくらいが楽しくていいと思う。
久しぶりのラムちゃん
子どもの頃は、当たり前のように「うる星やつら」をテレビで観ていたんですが、今、久しぶりにこうして再びラムちゃんに出会ってみると、彼女の可愛さと、こんな風に牧歌的に人を好きでいられることの幸せを思い出しちゃいましたね。
でも、この作品自体は、あまり好きになれなかったかなぁ。なによりラムちゃんがもっと活躍してほしかったし、そこにこそ「うる星やつら」の魅力ってあると思うんですよね。どうも押井守監督の志向性が前面に出すぎてて、その魅力はむしろ減じられているんではないか、と。
押井守監督作ということで有名なのかもしれず、まただからこそ今回、これを観てみたわけでもあるんですけど、私としては、もっと単純にラムちゃんの魅力を感じたかったですね。私には、それほど名作のようには思えなかったですね、はい、すいません・・・
久しぶりに鑑賞。アニメ好きな私はやはりこの作品のやや強引だがグイグ...
久しぶりに鑑賞。アニメ好きな私はやはりこの作品のやや強引だがグイグイ観客を引っ張る展開力が大好きだ。昨夜TVで観て思った。爆音祭にて同作品を上映してもらえれば間違いなく足運ぶのだか・・まぁ爆音までいかずとも大きなスクリーンで観たい欲望はたかまったことは、間違いない。
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