「夢幻のウチだっちゃ!」うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5夢幻のウチだっちゃ!

2019年2月12日
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鑑賞方法:DVD/BD

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『うる星やつら』は高橋留美子の作品だが、押井守が手掛けたものだけは押井守の作品でもある。
それが最もよく表された劇場版第2作目。

押井が今のスタイルを確立した出世作であり、押井の傑作の一つであり、日本アニメーションの名作。
しかし、『うる星やつら』としては…、異色作。
高橋留美子が押井の才能は絶賛しながらも、作品には否定的な意見を述べたのは有名な話。

友引高校学園祭前夜。
連日泊まり込みで準備に追われるラムやあたるたち。
しかし、次の日になってもまた次の日になっても“明日”が来ない。
一体いつになったら学園祭の“明日”が来るのか、自分たちは一体いつから泊まり込みをしているのか…?

ようやく異変に気付いた一同は町から脱出しようとするが、何故か友引高校に戻ってしまう。
面堂の飛行機で何とか脱出。
空から見た驚愕の光景とは…!

本作は2つの概念に大胆に切り込んでいる。
まず一つは、時間。
年、月、週、日、時、分、秒…。
そもそも、時間って?
朝が来て夜が来て、日本には四季があって、それで時間や時の流れが何となく分かるとしても、そんなの誰が決めた?
それ以前に、時間という“もの”は存在するのか?
例えば、今日2月12日。今午前10時過ぎ。
これは本当に正しい時間なのか?
日付や時間がそう決められているから、皆そう思っているだけ。
時間なんてものは何処かで誰かが作ったに過ぎないもので、実際は時間なんて概念は存在せず、ただ延々と同じ時が流れているだけではないのか…?

そして、夢。
あたるたちが見た光景とは、巨大な亀の上に乗った友引町。
誰も気付かなかったのも無理はない。
劇中で何度も比喩されてる通り、全員が亀に乗って竜宮城に誘われたのだから。
全ては、夢邪鬼という妖怪の仕業。
いつの間にか、夢邪鬼が創り上げたある人物の夢の中に居た。
この楽しい時が永遠に続いて欲しい、そう思ってるその“ある人物”とは…。

ここでまた一つの概念に頭がくらくらと揺さぶられる。
夢。
夢は本当にただの夢なのだろうか?
私たちが生きる現実こそ虚無であり、自分の望みが溢れた夢の世界こそ自分自身の世界なのではないのか…?

“時間”と“夢”。
この2つの当たり前のように思われてる概念を、根本からひっくり返すように問い掛ける。
考えれば考えるほど頭がこんがらがり、分からなくなり、ショート寸前になりそうになるが、疑問や問い掛けや考えは無限に広がる。
難解な押井守の世界。
他のアニメでは絶対出来ない、これも『うる星やつら』という変幻自在なアニメだからこそ出来た世界。
『うる星やつら』を通して自分の世界を創り上げた大胆さに改めて感心させられる。

遊び心もいっぱい。
てんやわんやの学園祭準備中の校内に、様々なキャラのコスプレが。
これは挙げたらキリが無いので、見る機会があったら是非チェックを。
廃墟と化した友引町でサバイバルするあたるたち。そんな彼らが観る映画は、あの名作!

画のクオリティーも見事。
特筆すべきは、あたるの家でご飯をかっ食らうシーン。
全員が違った動きをする僅か1分ほどの長回し。
一見何でもないようなシーンだが、相当緻密な書き込みと力量が問われた名シーン。
緻密であり、終盤あたるが何度も何度も迷い込む夢のシーンはシュールでありイマジネーション豊かであり、クライマックスは壮大なスケール。
内容的にも作画的にもめくるめく。

これは、『うる星やつら』である。
異色の『うる星やつら』である。
ディストピア・ムービーである。
サバイバル・ムービーである。
ミステリアス・ムービーである。
“時間”と“夢”の哲学ムービーである。
ハイテンション快作ギャグアニメである。
ラムとあたるのロマンチックなラブストーリーである。
そして、唯一無二、夢幻の押井守作品である。

近大