「「撤収~っ!」 それが良し。」ザ・マジックアワー とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
「撤収~っ!」 それが良し。
チョイス間違えた。確かに笑えるんだけどゲンナリしてむかつく。疲れた時に観るんじゃなかった。疲れた頭と体に”笑いを”と思ったんだけど。
作りものの世界。
設定がすでに入れ子状態。セットも某テーマパーク等を思い起こさせる可愛い作りもの感満載。
その中で展開していく嘘の物語。嘘が嘘をよび空回り。
駆け引きの緊迫したやり取りの映画は好き。
それが、妙に外された”間”なんて、だ~ぁい好き。
だから、心地よくだまして、笑わせてくれるんだろうと、この映画をチョイスしたのに。
何が、こんなにげんなりさせられるんだろう。
役者の演技がすごくて、笑いは出る。
でもなんだろう、このイライラ感。
騙されていく人が哀れで、自分すらも騙している人も切なく。人を利用して生き残ろうとする人が鼻につく。
…
そうか、まじめに真剣にやっている人を、陰で笑っているようなそんな気持ちになるんだ。
三谷監督は確かに人物観察は見事。いるいるこんな人というのを描き出すのが上手だし、役者への当て書きができるのもその観察眼で役者の特徴を捉えられるからだ。すごい才能だ。
でも、それをどうやれば笑いになるか、上から目線で采配して、クスクスおもしろがっている。
コント・コメディ、喜劇って、もともとそういうものだ。コント55号、ドリフターズ、クレイジーキャッツ他、あまたあるコント・コメディ・喜劇は大好きだ。羽振りのいいギャングが騙されていく姿を、いつばれるのかというスリルとともに小気味に描いた『スティング』は大好きだ。自分自身もその渦中にあって、笑い・失策の対象になる可能性もあることが前提の笑い。
だけど、それらと三谷監督の「笑い」とは、質が違う。一緒に楽しむというよりも、陰に隠れて馬鹿にした感じで笑っている。その人が他者に見せたくない、ひょっとしたら自分自身でさえ自覚したくないところを炙り出して、さらけ出す。その姿を指さして、陰で笑っている感じ。その場面を笑うことで共犯者にさせられているんだ。そんな状態にゲンナリさせられてイライラするんだ。
どこかのレビューで「(三谷監督は)『何かをごまかすためのドタバタ劇というのが好きな監督』」とあったけど、私もそう思う。誤魔化さずに向き合ったことってあるのだろうか。いつも、眼がキョドキョドしている。
そして、観客は笑うけれど、この映画の登場人物で幸せになった人はいただろうか。『スティング」は敵討ちができた。他の喜劇も、かき回されはするものの、ちょっとしたハプニングによる刺激があり、また日常に戻っていく。けれど、この映画は?私がちゃんと見ていなかっただけか?今までの生活が破城したように見える。そこに、新しい価値観の創出もなく、たんにおちょくられただけ…。
西田さんの演技だけが鬼気迫るし、信じようとする心の哀れさが見事。
村田だって、村田なりに一生懸命やっているのに。この映画を観た大部屋俳優の方々って、笑えたんだろうか?
役者は当て書きしてもらって演じやすい役をノリにのって演じられるから役者冥利に尽きるのだろう。そんな風にノッテいる演技を観るのは楽しい。
でも、普段仕事や人生でまじめに頑張っているのを笑われているのってイライラする。
だのに「人生のマジックアワー」って綺麗にまとめているつもり。
その偽善ぶりにイライラしてゲンナリする。
話や演出は、おもちゃ箱ひっくり返して、話のつじつま合わせとか、展開とか全部無視して、とにかく監督がやりたかったこと全部やったという感じ。そりゃ、この時点での自己最高傑作だろう。やりたいこと全部やったんだから。
それを「見て観て見て」ってどれだけナルシストなんだ。
と、映画に対してはボロクソですが、やっぱり役者の怪演は見事です。
佐藤さんも見事なダサぶり。
西田さんの凄味の中に見え隠れするヌケ感。…
etc.
役者の芸は堪能できます。
美術もすごい。
内容は☆マイナスだけど、役者と美術に☆2つです。