劇場公開日 2007年4月14日

「何と大きな存在なのか…。母よ!」ツォツィ shin1babyさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5何と大きな存在なのか…。母よ!

2007年11月21日

泣ける

悲しい

単純

あらためて強く思いました。

人間教育において家庭環境がどれだけ大事なのか。

母と言う存在がどれだ偉大なのかを…。

舞台は南アフリカ(ヨハネスブルグ)の黒人貧困街(スラム)。

劇中の映像でとても印象深いのはスラム街の原っぱから望む高層ビル群…。

その社会の底辺である貧困街を我が物顔で歩くチビッ子ギャング(が、ちょっと大きくなった)のリーダー、彼がツォツィ(不良という意味)と呼ばれる主人公の少年です。

ある意味彼らは極悪非道で生きるために簡単にタタい(強盗)ちゃいます。そして時と場合によっては殺人をも犯してしまいます。

そんなツォツィがある日、一人でタタいた富裕層の黒人女性が運転するベンツ。彼は女性の足をピストルで撃った上にベンツを強奪。

でも、その強奪したベンツの中には、まだ小さな命である赤ちゃんが乗っていたのです…。そして、その赤ちゃんをツォツィは何故だか自分の家に連れ帰ってしまいます。

その赤ちゃんを通じて…、というよりもその赤ちゃんと接することによって今まで封印してきた自分という存在を確認し始めるツォツィ。彼の心の中にさまざまな想いが嵐のように吹き荒れ始め、少しずつ何かを思い出し始めるのです。

実際に見て頂きたいから…、ストーリーはこのぐらいにして…。

ところで、

この映画はハリウッド映画などに比べ、チャッちいと思ってしまうかもなシンプルな造りなのですが、ところどころに張り巡らされた複線、というかメッセージが至極わかりやすく胸を打ちます。

大切なメッセージです。

アパルトヘイト後も、今だ混迷を極める南アフリカが舞台であるがゆえにシンプルかつ直情的なメッセージが有効になっているのではないかと思われます。

ツォツィは幼少の頃、誰もがそうであるようにお母ちゃんに抱かれたかった…。
何かの感染病にかかっていたお母ちゃん。でも触れたかった(抱かれたかった)でしょうに…。
しかし『病気がうつるからその女に近づくな!』という父親。
飲んだくれであまりに暴力的で人でなしな振舞いの父親。飼っていた犬(小さな生命です。)にまで攻撃を加え死なせてしまう(?)。
ツォツィはとうとう我慢しきれずに家を飛び出しました。
多感な時に独りぼっちになった彼は、自分の存在(名前)を封印しツォツィと名乗る事になったのです。

少年の中に、元々はあった人としての優しさ…。それがあるが故に暴力という存在に反発し、逆に暴力を振るう側になっていく。

少年の心にあった優しさを思い出すきっかけとなったのは、やはり母という存在でした。
赤ちゃんが泣きやまないので彼なりに苦肉の策としてとった行動が、近所に住む若き母親(シングルマザー)の家に潜り込み、ピストルで脅しながら『赤ちゃんに乳を吸わせろ!』、でした。
やむなく赤ちゃんに母乳を飲ませる若き母親…。その時、その女性の赤ちゃんに対する慈しむようなを振舞いの中に何を感じたか、ツォツィの表情が見事なくらい優しく変化します。

これをきっかけに、ツォツィは自分が生まれてから自分の母から受け継いだ、人としての大事な何かを、一つ一つ思い出していくのです。

一つ一つと言うからには、他にもおらたちが思いださなければならない人間としての大事な何かを、この映画はシンプルに訴えてかけてきます。

泣いてください!たまには…。

shin1baby