元作はスタークの成り上がりから凋落までの全編を描くスペクタクルドラマでしたけれども。
本作の方は、スタークがバージニア州知事にまで登り詰め(更なる売名目的の?)自身の名を冠した病院を建設するあたりが、物語の中心に据えられています。
エッセンスを抽出したという意味では、本作の方がインパクトは大きいのですけれども。
しかし、それは、評論子が元作(1949年版)を観ていて、スタークをめぐる「全体像」が既にアタマに入っているからという理由も大きいと思います。
(両作とも未観の方には、元作=1949年版を先に観ることをお勧めします。)
彼が政界進出の、いわば「足がかり」として踏み台にした、小学校の非常階段の崩落事故。
その不明朗な政治的背景が、本作でははっきりと浮き彫りにされるのですけれども。
彼が今回、彼の名を冠した病院(黒人と白人貧民層の治療費は無料)を建てようとしていたことも、どうやら、事故が発生した小学校の工事と同じように、公共工事をいわば「錬金マシーン」として機能させようとする政治的な打算が見え隠れしていたようです。
郡の木っ端役人を務めていた頃は、権力(の腐敗ぶり)に批判的ですらあった当のスターク自身が、いったん権力の座についてしまうと、今度はその権力を維持し、あまつさえ更に拡大しようとする彼の姿からは、そのポピュリストぶりが覆うべくもない彼の政治姿勢と呼応して、かのアドルフ・ヒトラーすら彷彿とさせると言ったら、それは言い過ぎになるでしょうか。
いずれ、本作とも共通するのですけれども。
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。」というのはイギリスの歴史家ジョン・アクトンの名言と承知していますけれども。
その言葉そのものを体現するかのような本作は、いわゆる統治行為論に関する「Cinema de 憲法」としても好適な一本であり、佳作としての評価は揺るがないと、評論子は思います。