リトル・ミス・サンシャインのレビュー・感想・評価
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このファミリームービーを傑作たらしめたもの
誰もが愛してやまない伝説的なファミリームービー。鮮やかに登場人物を紹介する手腕、小笑いを丁寧に積み重ねていく構成力、そしてハリウッドきっての芸達者たちに絶妙な化学変化をもたらす演出力。あらゆる計算が見事なほどハマっていく様には、驚きを超えて感動すら覚える。
そもそも最初の脚本から大変優れた内容だったとか。監督と脚本家はそこから更に長い時間をかけ、妥協することなく内容に磨きをかけていったという。プロジェクト初期にはアビゲイルちゃんやポール・ダノ、それにアラン・アーキンも役柄の割には若すぎて、スタッフは「本当に大丈夫なのか?」と不安を覚えたものの、撮影開始が遅れに遅れたことで見た目の年輪の刻まれ方もまさにベストな状態に。長い旅路を全て“順撮り”にすることも、家族の団結力を最大限に高めていく上で大きな功を奏した。こういったこだわりの組み合わさによって、ひまわりのような美しい花が咲いたのである。
欠陥を抱えたまま走る
作中のマイクロバスと同じように、人生に欠陥を抱えたまま突っ走る登場人物たち。個人的にはお兄ちゃんが一番ドギツイ一発を喰らっていたように思う。
物語の最後までバスは修理されないし、登場人物の欠陥は治らない。どころか、おじいちゃんに至っては問題と向き合う体力さえなくあの世へ。人生にはどうしようもできない問題があり、それらの多くは解決が難しく、人によっては向き合う猶予も与えられない。
厳しい現実を切り取った作品だが、明るいテイストと、お兄ちゃんと叔父さんの会話に救われた
家族がおんぼろ車で心を一つにする、それだけのストーリーが心温かいコメディ映画の佳編
2006年の日本公開時の評判がたいそう良く、いつか鑑賞したいと思って約20年経ち、今回廉価のDVDを購入して漸く見学出来ました。この動機にはアカデミー賞助演男優賞を受賞したアラン・アーキンの演技への興味と、鮮やかな黄色一色にコラージュされた家族が小型のマイクロバスに乗り込もうとするスチール写真の可笑しさと温かさに好感を持ったからでもあります。監督は私とほぼ同年齢のジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリスのパートナーが共同演出の異色さです。ミュージックビデオやコマーシャル制作のキャリアから、今作で劇映画に初挑戦した演出は、特に技巧を凝らしたものでなく、基本に忠実で素直なタッチでした。製作過程を調べると、マイケル・アーントという脚本家が2000年に初稿を書き上げたものの、紆余曲折あり制作まで難航したようで、それだけ多くのプロデューサーが映画化を諦めきれず惚れ込んでいたのが分かります。この映画の一番の良さと面白さは、この脚本家アーントの設定した個性豊かな登場人物たちの絡みと、小旅行を通してそのバラバラな家族だったのが最後奇跡的に団結するロードムービーとしてのストーリー展開にありました。このオリジナリティーは、アカデミー賞の脚本賞に相応しいと思います。
主人公リチャード・フーヴァーがモチベーショナルスピーカーのキャリアから作家デビューを夢見る設定は、昔よく観ていた『Ted Talks』で想像できます。これがアメリカで多分野に渡り職業として確立していることを知り、勉強になりました。個人的に想像するに、牧師が説教するキリスト教の慣習と生来の話し好きが多いアメリカ社会だから成り立つ仕事と思います。タイトルバックでリチャードが講演で夢を実現するための段階を自信たっぷりに力説すると、少ない観衆の一人だけが拍手を送ります。どう観てもリチャード自身が負け犬に近い状況なのが可笑しく、実際物語の中で挫折してしまいます。妻シェリルの前夫との長男ドウェーンは、家族の中で孤立した反抗期の15歳で、夢は大きくテストパイロットになること。しかし、旅の途中で色弱であることを知り、これも挫折します。身体を鍛えるノルマを消化し沈黙の誓いを課して禁欲的にしてきたのに、絶望から言葉を発して叫ぶ悲しさ。シェリルの兄フランクは、ゲイでプルースト学者のインテリで論文発表するも、ライバルの研究者に第一人者の権威を取られ、恋人も奪われるというダブルパンチから自殺未遂に至る抜け殻状態の敗北者です。そして、リチャードの父エドウィンは退役軍人の頑固さと気ままさで悠々自適と見せながら、ヘロイン使用から老人ホームを追い出された厄介者扱いのお爺さん。しかも家族に隠れてヘロインを吸う中毒症状に陥っている。これら頼りない男達の世話に手を焼くシェリル唯一の慰めが、美少女コンテストに憧れる7歳の娘オリーヴの成長のみというフーヴァー家族の現実。この変形家族6人を乗せた一台のマイクロバスが、ニューメキシコ州アルバカーキからカリフォルニア州レドンドビーチまでの806マイル(約1300㎞)を走破する珍道中の物語は、軽妙なコメディタッチで描かれていて、挫折の深刻度はそれほど身につまされるものではありません。それでもドウェーン演じるポール・ダノとオリーヴ役のアビゲイル・ブレスリンの好演が作品を微笑ましくしていて、心がほんわか温かくなります。これが映画の味になって、夢も希望もない家族の再生をさり気無く描き切っていて感心しました。
脚本家アーントの実体験が反映された、この中古のフォルクスワーゲンT2マイクロバスがぼろぼろ状態でその家族を道案内するロードムービーの面白さがいい。クラッチの故障で部品の手配に時間がかかることから、時速20マイルまで車を押さないとエンジンがかからない。目的に向かって家族が一つになる姿が、最初は滑稽でも繰り返すことで慣れて変わっていくところが巧い。また運転するリチャードの仕事の契約が上手く行かず、苛立つ心理をクラクションの鳴りやまない故障で表現します。最後はドアが外れて、このおんぼろ車も満身創痍なのが分かります。そして、美少女コンテストに4分遅れて到着の踏んだり蹴ったりからの、強引な出場懇願のなりふり構わぬ姿。受付係の温情で参加する、このリトル・ミス・サンシャインの再現度の高さがクライマックスを盛り上げます。大人顔負けの衣装や化粧を施し奇麗でも、子供本来の可愛さの無いコンテストへの批判があります。幼い女の子が抱く女性美への憧憬は自然でも、それを競わせる大人のエゴはけして美しくはない。オリーヴが祖父エドウィンから教わったバーレスク風のダンスが、会場全ての大人たちへの強烈な皮肉になっている。エドウィンは天国でやんやの喝采をしていることでしょう。当の本人オリーヴが淡々と踊る演出がいい。
このユーモアと皮肉の脚本に生命を与えたキャスティングがまたいい。アラン・アーキン(1934年~2023年)は、音楽家から俳優に転じて舞台に立つ経歴から映画に出演したのは30歳過ぎてからの遅咲きスターでした。デビュウー作「アメリカ上陸作戦」(1966年・未見)の評価が高く、その後「暗くなるまで待って」(1967年)「愛すれど心さびしく」「クルーゾー警部」(1968年)「キャッチ=22」(1970年)と初期の作品しか観ていません。とても真面目な俳優のイメージがありました。特に「愛すれど心さびしく」のろう唖者の演技に感動したことが忘れられません。監督業にも挑戦した36歳の時の「殺人狂騒曲」では、理念迷う努力作と感想を持ち、何を表現したかったのか理解できませんでした。監督作は、この一作で終わったようです。そして、今作アラン・アーキン71歳の渋味と落ち着きの演技は、劇中の途中でいなくなってしまい、もっと観たかったと惜しい気持ちもあります。登場シーンが少なくとも存在感があり、一寸変態で心に闇を持つエドウィンお爺さんを地味に上手く演じていたと思います。失恋したゲイの学者のユニークな役柄を演じたスティーヴ・カレルは、「40歳の童貞男」(2005年)でも印象に残る演技を見せていました。オフ・ブロードウェイの演目で活躍しそうな俳優さんのイメージ。小走りする姿にテクニックを感じます。21歳で15歳のドウェーン役を自然に演じたポール・ダノは、才能溢れる演技力を見せ付けています。何かで見たような記憶に残る風貌と思って調べたら、ジェームズ・マーシュの問題作「キング罪の王」でした。才能は演出にも秀でている様で、順調に活躍を続けているようです。父リチャードのグレッグ・キニアと母シェリルのトニ・コレットも堅実な演技をみせていて良いのですが、この映画の一番の魅力は、やはりオリーヴを演じたアビゲイル・ブレスリン(当時9歳)の純粋無垢な少女の可愛らしさです。無邪気さと素直さがあって、教えられた通り一途に踊る姿のギャップがまたいい。ポッコリお腹の体型が醸し出す幼さの演出の細かさ。美少女コンテストへの憧憬と、周りの美少女たちに物怖じしない鈍感さも微笑ましい。一年後は確かに変わっていくだろう少女期の成長過程の貴重な瞬間です。少女の願いを叶えるために挫折する大人たちが傷つきながらお互いを慰め、力を合わせて再生していく物語の温かさが心地良い脚本と、各俳優陣の個性ある演技のバランスの良さが素晴らしい。爆笑ではないユーモアも皮肉が効いていて、家族の有難さにも気付かさせてくれます。愛すべきアメリカ映画の佳編でした。
(蛇足)
坂を利用してマイクロバスを押してエンジンをかける、この行きのロードムービーでしたが、ラストシーンのその後が心配です。ニューメキシコ州とカリフォルニア州の標高差は約1600mあり、帰路は上り坂が多いはず。緩い下り坂や平地を探して利用しないと帰れません。そんなエピローグを付け加えても良かったのではと思いました。
家族の独立支援が生んだ、笑いと涙のロードムービー
「幸せな日々は何も学べない。苦悩の日々こそ最良の時代だ。」
やはり名作と呼ばれるだけあって、ここまでたくさんの題材が2時間以内にきれいに収まっているのは本当に気持ちがいい。
とにかく家族のクセが強い。でも、誰でも1つは「あるある」と共感できる苦悩があるのではないか。どうしても人生に完璧を求めてしまう人間を、やっぱり憎めない。初めは、みんな違う方向を見ていても、黄色いミニバンとが家族を繋ぎ合わせていく。問題だらけのバス旅も、人生と同じように問題と共に走り続けていく。オリーヴの笑顔が眩しい。
好きなシーンは、警官に止められてしまうシーン。人生何が自分たちを助けてくれるか分からない笑
ファミリー映画を見ると、本当に自分の観る年齢によって映画の印象が変わるのに驚くが、10年後に観たらまた感じ方も違うんだろうなあ。何度も観たい映画。
傑作だ。
あの日本映画の名作と言われる「たみこ、3部作」の一つを思い出した。
言うまでもなく、家族の絆などなく、それでいて大団円を迎える。何一つ解決もされていない。
レビュアーのどなたか、言っていらっしゃるが、この映画では、ギャグらしいギャグも言わないし、会話や話も頓珍漢。それでいて、矛盾していない。
会話はチグハグだが、演技と演技の間で笑わせていると感じる。まぁ、舞台劇の様な味がする。
僕は今年見た映画で一番感動した。
65~70点ぐらい。観たあと元気が出ます。
描き方
幸せな黄色いバス
18年振りに視聴したけど全く色褪せてない映画。
幸せな黄色いバスはポンコツ。
だがどこか人間味を感じる。
そのバスで人生の荒波に突入。
皮肉なロードムービーの始まり。
『負け犬とは負ける事を恐れて挑戦しない奴の事』
とじいちゃんの言葉だがヘロイン中毒。
でも心に響く。じいちゃんは色々試したからね笑。
自己愛だけだっだのに、誰かの為に出来る
愛の気持ちで成長。その思う気持ちが大切だよね。
成功だけが全てではないというメッセージも
あったなぁ。
子供にあんなダンスを教えるおじいちゃん。
ひどいよね。
でも最後の乱入して家族で踊り捲る姿は
爽快。肩をぶるぶるさせながら笑った。
人に評価されるより楽しんだ方が勝ち!
大好きな作品。
観察者羞恥心凄まじかった
シナリオのお手本
暗喩と皮肉に満ちたロードムービー
レビューの内容を見て、勝手に「泣ける癒やし系映画」を期待していたのですが、全然違っていて、私の苦手なジャンルである、ロードムービーでした。
リトル・ミス・サンシャインにエントリーした子役の演技がもう一つ乗ってこないのと、お父さん役の俳優さんが私の好みではないことも、ちょっとマイナスポイントでした。
問題だらけの家庭に、飛び込んできた、ミスコンテストの繰り上げ当選の知らせ。その道中に、一家は様々なトラブルに追い込まれていきます。
それは、旅の途中に起きるハプニングではなく、彼らがもともと抱えていた問題が一気に爆発したもので、上手にストーリーのライン上に登っていきます。
そして、それを乗り越えていこうとするだけのシンプルなお話ですが、見せ方はとても上手だと思いました。
でも、やっぱり夢がなさすぎるかな。
レビューの評価はアテにならないものだと再認識したところです。
サクセスストーリーではないのがいい。
破産した父
鬱で学者くずれの義弟
引きこもり気味の長男
ぽっこりお腹の娘
麻薬中毒でエロじじい
問題だらけの家族が娘のミスコンに出場するためオンボロの車で会場まで向かう話。
破産したとか、鬱とかぶっ飛ぶほどの出来事が起こりつつも会場に向かうが、その目的のミスコンには箸にも棒にも掛からぬレベルで出てしまう。
ポッコリお腹にエロじいい振り付けのひどいダンスで入賞どころか出禁になってしまうほど。
それでも家族の絆が再生されたのだからそっちの方がよかったのではないか。
登場人物たちはギャグはいっさい言わないからこそ、笑えるし感動する
走れ、オンボロの黄色いワーゲン!
バラバラだった家族に、フランク(夫の兄)が居候として一家の中に転がり込んで来たことで、彼が、いわば「触媒」となって家族が変わり、娘のミスコンのために一体、一丸となっていく姿が、何とも心に温かい一本でした。
本作で、リチャードの運転で、家族を乗せてひた走るオンボロの黄色のワーゲンは、クラッチが焼けてオシャカになっても、ドアが外れても、それでも一つとなることを取り戻した家族を、正に象徴していたのだと思います。
充分に秀作としての評価に値すると思います。
(追記)
<映画のことば>
20年かけて1作書いただけ。
でも、今ではシェークスピア以来の大作家だ。
彼は人生を振り返り、苦しんだ月日こそ自分を形成した最良の日々だと悟る。
幸せな月日はムダに過ぎて、何も学ばせない。
せっかく心に決めた目標があり、その目標の達成まではと「無言の行」を続けていたドウェーンでしたけれども。
彼自身にはいかんともし難い、彼のある身体的な特徴が、決定的なその欠格要件に該当することが判明する―。
ドウェーンの落胆、悲嘆は並み大抵ではなかったことと思いますが、彼の心を癒やしたのは、やはり、彼にはどうすることもできない事情で奈落の底に突き落とされ、メンタルまで破壊されてしまっていたフランクでした。
映画作品として言ってしまえば「脚本の妙」ということに尽きるのかも知れませんけれども。
しかし、このセリフ(映画のことば)は、やはりフランクのものでなければなかったように思います。評論子は。
正しく「至言」というにふさわしいセリフではなかったでしょうか。
本作の全編を通じるポリシーを象徴するものとしても。
(追々記)
<映画のことば>
「分かった。行くよ。」
黙って寄り添う妹・オリーヴの感触から、彼女の必死な思いを感じ取ったのだろうと思いました。ドーウェンは。
たったこれだけのセリフで、その感慨の全部を余すところなく表現できるとは、なんと素晴しい脚本かとも思います。
(内輪のお話で恐縮なのですけれども。評論子の息子・兄と、娘・妹は、一頃は寄るとさわるとケンカばかりしていました。評論子が思い起こす限りでは。…が、しかし。二人とも社会に出てみると、「おっ、こいつら案外と仲がいいのかも?」と思うこともないではありませんけれども。オリーヴとドーウェンみたいな関係を、ちゃんと築けるのかしら。汗)
「映画を観る楽しみは、こんなところにもあるなぁ。」と、改めて思うことのできたシーンでもありました。評論子には。
記録用
ひっくりかえし
それでも僕たちは生きている
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