硫黄島からの手紙のレビュー・感想・評価
全95件中、1~20件目を表示
【”ここはまだ、日本か・・。と名将は僕に言った。”今作は、第二次世界大戦末期、敗北が明瞭な硫黄島に赴任した栗林中尉と今や若き名優である二宮和成氏が演じた一兵士の生き様を描いた反戦映画の逸品である。】
ー 今作を、最初に観た際には落涙したモノである。それは、名優渡辺謙が演じた、硫黄島総司令官栗林忠道中尉の、それまでの戦争映画の指揮官にはない、米国留学の経験に基づく理性的、且つ人間味ある言動に痺れたからである。
又、一兵卒の西郷を演じた当時は俳優としては未知数だった二宮和也氏の理不尽な戦争の中、妻花子に再び会うために必死に生きようとする名演に驚きつつも、涙が溢れたからである。
だが、私は今作を鑑賞中、知識が無かったために栗林忠道中尉は、架空の人だと思っていた。その後、いつもの通り本屋の棚を眺めていた時に目に入ったのが、名ノンフィクション作家である梯久美子さんの本「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」を見つけ、驚きつつも速攻で購入し、一晩で読み切ってしまったモノである。
そこには、今作で描かれている栗林忠道中尉の人柄が詳細に書かれており、涙しながら読んだ事は今でも覚えており、その後数度読み返している。
ご存じの方も多いと思うが、”散るぞ悲しき”とは、栗林忠道中尉が兄に書いた決別電報の最後に記された辞世の句の一句である。
”国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき”
だが、この句が、戦時中の新聞に掲載された時は”散るぞ口惜し”に改編されて、掲載されたという・・。ー
■敗戦濃厚な1944年6月。
陸軍中将の栗林忠道が本土防衛の最後の砦である硫黄島に降り立つ。
アメリカ留学経験を持つ彼は、長年の場当たり的な作戦である水際作戦、万歳作戦を変更し、島に降り立った途端に、徒歩で島中を確認した後に、地下壕を掘ることを命じる。
そして、上官の部下に対する理不尽な体罰も戒めるのである。
日本に身重の妻花子(裕木奈江)を残して来た西郷(二宮和也)は新しい上官の姿を見て希望を抱き始める。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、当時先進的な思想を持つ人物として栗林忠道中尉と共に、ロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルを獲得したバロン西中尉(伊原剛志)が登場する。実際に硫黄島に赴任した方であるが、彼は負傷した若き米兵を砦に運ばせ”手当てをしろ。”と命じ、その米兵と流暢に会話し、握手を交わすのである。
そして、その兵士が亡くなった際に、彼の懐に会った母からの手紙を、日本語に訳して皆の前で読むシーンは、印象的である。“皆と、同じだろう。”と言いながら。
・当時の日本軍の将校を象徴する人物として描かれる、栗林に反発する伊藤(中村獅童)が、すり鉢山から逃げて来た西郷達に激昂し刀を抜くシーンや、米軍の戦車を吹き飛ばす、と言いながら、そのまま死んだ日本兵の中で眠ってしまい、虚ろな目で空を見上げるシーンも、演出としても巧い
・西郷と生きようとした元憲兵だった清水(加瀬亮)が硫黄島に来た理由を示す、彼が夜に泣く犬を殺せなかったシーンや、彼が米兵に捕虜になった時に、“見張りが面倒になった”若き米兵に撃ち殺されるシーンも、衝撃的である。
■今作では、栗林忠道中尉は息子太郎に、西郷は妻花子に頻繁に手紙を書いている。冒頭とラストシーンで、現代の発掘隊が地中に埋められたずた袋を見つけ出し、多数の手紙が袋の中から落ちるシーンも、この映画のタイトルにある通りに、見事なる反戦思想を示していると思う。
<今作は、名匠クリント・イーストウッド監督が描き出した、ほぼ日本人キャストで構成された画期的、且つ強烈なる反戦映画の逸品なのである。
何度観ても、涙が溢れてしまう作品であり、且つ当時は俳優としての実績が殆どなかった二宮和也氏を抜擢したキャスティングと、今や若き名優である彼の、”何故に自分はこのような理不尽な目に合わなければいけないのか”という一兵卒の憤りの心持を見事に演じた姿や、数々の哀しきシーンが忘れ難き作品なのである。>
DVDゲットシリーズ108円。 静かに、悲惨に、戦争はやはりダメだ...
歴史に残る名作
怖い
戦争映画を続けて観たんですが、この作品は正直怖いなと思いました。
戦争のリアリティなのか、死という描写が残酷すぎたからなのか…よく分からないけど。
昔プライベートライアンを観て同じ感覚になったのを思い出します。
外国人の監督の映画ということで、日本の映画とは違った凄みがありました。
これが本当にリアルな出来事なのかはわかりませんが、現代を生きる私にとっては戦争の悲惨さがあまりにもグロいカタチで見せられてる感じがして、途中で視聴をやめようかと思ったほどでした。
この時代の感覚として、天皇陛下や上官、日本という国に対しての忠誠心が絶対的なものとして描かれていることに対し、恐怖すら感じました。
それでも死への恐怖が大小あるにしても、上官にすら漏れなく描写されているのがまた恐怖心を植え付けられてる気がして、ちょっとメンタルやられました。
この作品は西郷視点の栗林閣下のストーリーなんだと解釈していますが、アメリカ軍にとっても親米かつ優秀な指揮官だからこそなのか、アメリカ人監督ならではのフィルターがかかっているような人物像のような気もします。
私自身付け焼き刃程度でしか知識はプラスしてませんが、この監督のような栗林中将へのリスペクトにも似た描写をしていることが、役を引き立ててて良かったです。
でもやはり戦争とは愚かなものだし、栗林中将も含めてですが、英雄なんていないしそう呼ぶのもおかしな事だと感じました。
タイトルなし(ネタバレ)
なんだこの映画は?漫画の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は読んだ事がある。8巻まで読んで途中とん挫している。
まぁ、映画の方は
イーストウッドさんの名前を使って、渡辺さんの映画をプロデュースしたのが直ぐに分かる様な映画だった
まぁ、だいたい敵国だつた国が作る映画としては及第点だが、なぜ?投降した日本兵を殺してしまうのか?そう言った事はあったろうが、なんか自虐的だ。
さて、
この戦い中で、本当の犬死はアメリカ兵だと旧大日本帝國人民は知るべし。こんな無益で勝てる戦争で若い有能なアメリカ人がたくさん死んでいて、その中には幼子がいた者もいるだろう。
やはり、総大将は率先して投降すべきだ。
ナチスドイツはソ連のモスクワで総大将が率先して投降している。その点がナチスドイツが日本の軍国主義よりも多面性を持っている所と思う。
本作とともに梯久美子著「散るぞ悲しき」を読むと万感こみ上げる
「地獄の中の地獄」であった硫黄島の闘い。
米軍人ならこの戦場で応召兵が多くを占め、精鋭部隊とは言い難かった日本軍人たちがいかに勇猛果敢な戦いぶりを見せたことを知らぬ者はいなかった。
「イオージマソルジャー」であると知ると、捕虜となった日本兵へ畏敬の念さえ見張りの米兵は見せたという。
本作の主人公は、帝国陸軍中将・栗林忠道。
映画の作中には直接的な描写は出てこないが、彼は陸軍中将という大変な高位の軍人でありながら、硫黄島に死を覚悟して赴任すると島内を毎日のように巡視して、栗林を見たことがない硫黄島兵士は少ないというくらいだったようである。2万以上の日本兵がここで闘い、そのほとんどがこの地で命を落としているが、彼らの「日本本土を守る」という決意は大変なものであったようだ。
栗林はヒューマニストであった。
島内に圧倒的に足りないのは飲み水と野菜。ある時、野菜がひと籠栗林のもとに届けられると、「将軍は目に涙、小刀で雀の餌ほどに細かく野菜を刻ませ、出来るだけ多くのものに分け与えられた。将軍自身は一口も召し上がらず、昭和の乃木将軍かと深い感銘を受けた」と「散るぞ悲しき」にはある。
監督のクリント・イーストウッドはかなりの年齢まで反日家であったようだが、栗林中将のような人物の人格を知り、だんだん考えを改められたようである。
イーストウッド氏曰く「戦争映画は人間性に焦点を当てて描かねばならない」とのことで、本作は日本人の心情をアメリカ人である彼がよくここまで描いてくれたと思うほど感動的なものである。
是非、この名作を多くの人にご覧いただきたい。また、原作と言ってよい内容の「散るぞ悲しき」は文庫化されているので、こちらも是非。
日本以外の世界を見てきた経験が、視野の広さに影響している
戦前の日本の軍人といえば、中村獅童演じる伊藤海軍大尉のように、部下を怒鳴り散らし無闇に玉砕したがる人間がステレオタイプだ。しかし栗林中将や西中佐のような、部下を大事にし、戦局を冷静に見れる人間もいることが分かる。この差が生まれるのは、栗林中将や西中佐がアメリカに居た経験が、彼らの考え方に大きな影響を及ぼしているからだろう。彼らは、当時のアメリカが日本よりも文明が発達していて豊かなのを目にしてきている。そしてアメリカ人にどのような人達がいるのかを、実際の交流を通じて知っている。インターネットも無く、交通手段も発達していない当時において、こういった経験の差が考え方に大きな影響を及ぼすことは想像がつく。
西中佐が、捕虜のアメリカ人サムの母親からの手紙を読み上げるシーンは切なくなる。戦場で戦う日本人もアメリカ人も、皆誰かが愛する子どもであり親である。彼らには人種の違い以外根本的な差は無い。それが戦争を理由に憎しみ合い殺し合う哀しさが、このエピソードに表れている。
栗林中将の考え方は、日本の軍人としての誇りを持ちつつ、できるだけ長く生き延びることにあるのが、彼の採る戦略や発言から分かる。洞窟を掘って立て籠もる戦略を立てたのも、危なくなったら部下に退却するように命じたのもそのためだ。アメリカ軍にギリギリまで抗い続けようとした。その時に考えられるベストを尽くす栗林中将の姿勢に、尊敬の念を抱いた。
タイトルなし(ネタバレ)
太平洋戦争の激戦地の一つである硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた2部作(米兵視点:父親たちの星条旗)の戦争映画の一つ。こちらは日本兵目線で描かれている。史実を基に作成されているが、齟齬が生じない範囲で上手にフィクション部分が加えられている。
ハリウッド映画なのに全編日本語・日本人という稀有な映画であり、この映画をこの形で世に送り出してくれたイーストウッド監督に深謝する。『変な日本人感』は一切感じない。悲劇を扱っているため娯楽性は一切なく、合わない人もいるだろう。ただ、先人達の歴史を知っておく必要はあり、視聴すべき映画の一つだろう。
彼らは天皇のために戦ったのでない。
家族を守るために戦争に駆り出され死なざるを得なかった先人達の苦痛が映像から伝わってくる。栗林中尉の『家族のために死ぬと決めたのに、家族のために死ぬのをためらう』というセリフが心に突き刺さった。
ちなみに米兵目線の『父親たちの星条旗』の方には『戦友の為に戦い、死ぬ。死んだ者はヒーローだ』とのメッセージが込められている。国民性の違いなのか興味深い。
なお、硫黄島の戦いとは第二次世界大戦末期に東京都に属する小笠原諸島の硫黄島で1945年2月19日から3月26日まで行われた戦闘でアメリカ軍側の作戦名は『operation Detachment』。日本軍20,933人(うち戦死17,845-19,900)とアメリカ軍250,000人(うち上陸部隊111308人、戦死6821人、戦傷19217人)が激突した。日本軍は栗林忠道(陸軍中尉・戦死後大尉)が率いた。
大掛かりな大量殺人事件。被害者にも共犯者にもなってはいけない。
硫黄島からの手紙
...............................................................................................................................................
二宮らが硫黄島でアメリカ軍と戦う。
結局投稿した戦友も米兵に殺され、憧れの渡辺も自決。
二宮だけが敵に発見され、捕虜として生き残る。
...............................................................................................................................................
史実をもとに作られた作品。
悲惨。本当に戦争は恐ろしく、罪だと思う。
人間性の強烈な抑圧と無視
戦争そのものが人間性を踏みにじるものだが、この映画では、その有様はもちろん、日本が戦争に向い、その戦争を支えるために組立てられ、人々が従っていた人間性の強烈な抑圧と無視が描かれている。一定の人間性を示していると思われた西は負傷し指揮も戦闘も行えなくなったとき、捕虜となることを良しとせず、自決する。同じく栗林も人間性にも感じられるその振る舞いや思考の多くは、この戦争での皇国の敗戦を一日でも遅らせるための合理性から来るものだ。そして、西と同じ身の処し方を選ぶ。生きて帰りたい気持ちを抑えつけ泣きながら手榴弾で自決する兵士たちもいる。西は、部下と別れる場面で、「正しいと思う道を行ってくれ」と言った。しかし、最初は仕組まれ、やがては、ある意味では民衆たちが自ら転がしていたを振り払い、逃れ、生き残った者は少なかったに違いない。
硫黄島からの手紙
【ピロシの映画レビュー①⑨】
硫黄島からの手紙
Letters from Iwo Jima
⚫︎監督
クリント・イーストウッド
⚫︎脚本
アイリス・ヤマシタ
⚫︎出演者
渡辺謙
二宮和也
伊原剛志
⚫︎公開
2006年
⚫︎上映時間
141分
⚫︎製作国
🇺🇸アメリカ合衆国
⚫︎ジャンル
戦争ドラマ
歴史ドラマ
『日本人、特に若者に見て頂きたい映画No.1❗️』
細かいことはwikiにお任せして笑
戦争反対を語るより、映像で見た方が絶対良いと思いますね。
どうしたって資源や補給路を断たれたら敵わないのはわかっていただろうに。
何故勝ち目のない戦争をしてしまったのか。
日本人は利発なはずでしょうに。
時折描かれる理不尽すぎる暴力は、許せませんね。
他は、あえてネタバレせずに、、、
役者陣で言うと、渡辺謙は勿論ですが、伊原剛志の芝居が渋くてグッド👍でした。
是非ご覧くださいませ!
#ピロシの映画レビュー
#水野晴郎
#おすぎ
#淀川長治
#町山智浩
#有村崑
#LiLiCo
#ライムスター宇多丸
#映画好き
#映画鑑賞記録
#映画記録
#映画レビュー
#映画紹介
#映画が好き
#映画好き
#ネットフリックスレビュー
#映画好きな人と繋がりたい
#映画好きさんと繋がりたい
#映画感想
#硫黄島からの手紙
#オシャレ王決定戦
何を描きたかったのだろうか。
硫黄島での攻防戦。
連合艦隊も補給すらもあてにならない状況。
海軍と陸軍の隔たり。
アメリカに対しての理解のある将校と
鬼畜米英天皇万歳の兵士。
摺鉢山が徐々に陥落していくなかで
天皇万歳で自害。
いったい天皇ってなんだ?
これは現実でも思う。
この不景気の中NYに夫婦で移住。
国のお金を一切使ってないならいいが警護費用はどこから・・・
国の象徴?戦後真っ先に廃止されるべきだったのでは・・・
脱線しましたが。
傷ついた米兵を助けるよう指示を出す将校。
捕虜になるべく脱走した日本兵を
保護した後に上官を無視して殺害した米兵。
同じ思いを持った「人間」は確実にその場に存在していたのに
交わることが出来ない「戦争」と「人種」という壁。
この作品は「父親たちの星条旗」と併せて観ていただきたい。
考えさせられる作品でした。
他の戦争映画に比べたら迫力が見劣るように思える。 戦争映画に迫力を...
ウッド監督は戦争でも他の戦争ものとは違う。
タイトルなし(ネタバレ)
アメリカ対日本の戦争。加瀬亮が雰囲気にあってる。防空壕の中でみんなが爆弾を使って自爆しているのがリアル。生々しかった。どんどん大切な人が死んでいって悲しい。自決する決意のできた顔や仕草がかっこいい。
戦争は人間の顔をしていない
戦争がなぜ不条理かといえば、そこでは述語がほとんど機能しないからだ。誰がどういう人間だとか、どういう出自を持っているかとか、そんなことは微塵も考慮されない。肌の色がどうとか、勲章の数がどうとかいった物理的な事実だけが絶対的権能を有している。
本作において頻発するコテコテのフラッシュバック描写は、軍人たちが皆それぞれに固有の過去を背負っていることを示す。単に郷愁や感傷を掻き立てるためではない。それらは戦火の中で否定され、焼け爛れ、やがて判別不能の灰燼となって中空に霧散する。彼らの想いはどこへも通じない。彼らの過去が饒舌に緻密に語られれば語られるほど、その絶望的なまでの不通性が強調される。戦争は人間の顔をしていない。
日本軍の描き方について、本作は安直なステレオタイプに陥っていないと感じた。特に、栗林中将と西郷一等兵の関係は「戦争映画」によくあるナショナリスティックな同胞意識とは一線を画していたように思う。
西郷はのっけから日本軍に不信感を抱いており「俺たちはどうせ死ぬんだ」というシニシズムに浸りきっている。それを見透かされてか上官から過酷な肉体労働を強いられていたところ、島に上陸したばかりの栗林の鶴の一声でその苦役を解かれる。
栗林は体罰やバンザイ突撃といった無意味な根性論的行動に対して懐疑的だ。窮状にあってもあくまで現実主義的に作戦を展開する。軍の中には彼の進歩的なやり方を「生温い」と非難する声も多かったが、西郷は次第に彼への尊敬の念を強めていく。
とはいえかつて駐在武官として欧米人との交流を深めてきたという栗林のキャリアを鑑みれば、彼の「進歩的」性格は、そのまま「欧米的」性格とも換言できる。そしてそこへ反日本軍的な西郷が憧憬の眼差しを送る。という図式は、結局のところ欧米的価値観を頂点とした史実の恣意的な読み換えに過ぎないのではないか。
この読みは安直だろう。栗林は「作戦を実行する」という物理的次元においては確かに欧米流の進歩的性格を有していたが、「戦争に臨む」という精神的次元においては、古臭く強固なナショナリズムに浸りきっていた。欧米の要人との会合で「それは君の信念か?それとも君の国の信念?」と尋ねられて「どちらも同じでしょう?」と返すシーンは印象的だ。彼は表層と深層で真逆の極を持つ人物だといえる。
また、西郷が栗林を慕うのは、彼の強靭なナショナリズムに思わず愛国心が萌したからではない。西郷は最後までバンザイを叫ばない。自決もしない。「日本軍」なるもののために命を捧げることを最後まで拒絶する。
彼はもっと素朴で人間的な恩義から栗林を慕っていたのだと私は考える。あらゆる述語が失効する戦争という空間において、なお優しく手を差し伸べてくれる栗林という存在、それは実際に見たことも触れたこともない「天皇」や「国家」よりもよっぽどアクチュアルに西郷の心を打った。彼はそんな栗林の個人的な優しさに対して個人的に報いるため、戦地へ赴くのだ。
栗林の遺体からコルトM1911を盗んだ米軍海兵に対して西郷が狂ったようにスコップを振り回すシーンは美しく切ない。西郷の命を顧みない恩義の発露に対し、米兵たちはうんざりしたような表情を浮かべる。極東の猿の考えは理解しかねる、といった具合に。彼らには西郷のごく個人的な怒りと悲しみは伝わらない。彼らは「日本軍」というフィルターを通じてしか日本人を見ることができない。
むろんそれは日本兵たちも同じだ。彼らは「鬼畜」と呼んで忌み嫌っていた米兵が、自分たちと同じように故郷を持ち、家族を持ち、優しさを持っていることを知って当惑していた。
両軍のギャップは永遠に埋まらない。戦争が終結しない限りは。
繰り返すようだが、戦争においては述語はほとんど機能しない。人が人を殺すためには、相手が人間であることを絶対に認めない必要があるだろうから。ナショナリズムとアドレナリンの美酒が効いているうちはそれでいい。極東の猿でも鬼畜米兵でも好き放題に殺しまくったらいい。
しかし酔いが覚めたとき、彼らはふと気が付くことになるだろう。己の撃った銃弾が、己の胸を貫いていることを。
全編・日本語・ほぼ日本人キャストのハリウッド映画
努力して観ました。
たとえ努力しても観なければならない映画はある。
「硫黄島の戦い」は1945年2月19日〜1945年3月36日。
日本兵・2万933名のうち2万129名が戦死したそうです。
アメリカ兵も6821名が亡くなりました。
日本人の捕虜は約200名だったそうです。
硫黄島は小笠原諸島にあり現在も日本の領土です。
草ひとつ樹々も一本も生えない無彩色の島です。
火山性の硫黄(二酸化炭素)の臭気が島を覆っている。
なんとも救いのない光景でした。
戦争も末期の末期・・・指揮する栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)も、
敗戦を覚悟しています。
名誉の戦死・・玉砕・・がもう脳裏をかすめています。
そんな死戦(しにいくさ)に、若妻と顔もまだ見ぬ乳児の娘のために絶対に死ねない男がいました。
クリント・イーストウッド監督自ら、この役・西郷陸軍一等兵(二宮和也)を、
脚本で更に書き加えて肉付けして主要な役にしたそうです。
藁も束ねれば強くなる・・・の例えの如く・・・生きて帰る・・その一念は、
幸運も重なり・・・
無駄死とも思える敗戦間近の戦死者たち。
二宮和也が最後に浮かべた安堵の笑みは、この映画の救いでした。
それにしてもハリウッド映画で監督は名匠・クリント・イーストウッド。
タイトルに書いたように全編ほぼ日本語。
俳優は99%日本人。
そして第二次世界大戦、最後のアメリカ兵と日本兵の死闘を描いた映画が、
世界でも日本でも大ヒットして認められ、多くの人が感動した。
続けて「父親たちの星条旗」も観たいと思います。
感動したが、直近の現実問題でも
全95件中、1~20件目を表示