ワイルド・アット・ハート : 映画評論・批評
2021年1月5日更新
1991年1月よりロードショー
リンチ絶頂期。「ツイン・ピークス」のリバウンドから生まれた、能天気なノワール
日本では「ブルーベルベット」から4年後に公開された「ワイルド・アット・ハート」ですが、私もリアルタイムで鑑賞しています。「ブルーベルベット」では初々しいティーンエイジャーだったローラ・ダーンが大胆なベッドシーンを披露し、その相方はカイル・マクラクランとは全然違うタイプのニコラス・ケイジになっていましたが、イザベラ・ロッセリーニは怪しい情報屋役で続投していたし、「イレイザーヘッド」以来の常連ジャック・ナンスもいい味を出していたりと、「リンチ組健在」を確認できる嬉しい案件でした。
そして、これは初見の時にはまったく気がつかなかったのですが、実は「ツイン・ピークス」とのキャストのカブりは(スタッフのカブリも)もっと激しい。
「いい魔女」役で宙に浮かんだのは、ローラ・パーマー役のシェリル・リーだし、ローラのお母さん役のグレイス・ザブリスキーは眉毛がつながったメイクで怪演してます。交通事故で血まみれになって錯乱している若い女子は、オードリー・ホーン役のシェリリン・フェンだし、トレモンド夫人(劇場版ではシャルフォン夫人)もちょろっと出ています。
しかし「ワイルド・アット・ハート」には、秘密を探りに行くような知的好奇心の喚起は一欠片もありません。単にセックスと快楽を求めるカップルの能天気なノワール。「ツイン・ピークス」にずっぽりハマった人たちには、かなり物足りない代物でもある。
時系列を整理しましょう。日本では「ワイルド・アット・ハート」(1991年1月公開)→「ツイン・ピークス」(91年4月にWOWOWで放映開始)の順番ですが、アメリカでは「ツイン・ピークス」(90年4月放映開始)→「ワイルド・アット・ハート」カンヌ映画祭(90年5月)でパルムドール→全米劇場公開(90年8月)という順番になります。
2020年秋に発売されたリンチの自伝本「夢見る部屋」にこんな記述がありました。「どこかの時点で『ツイン・ピークス』は映画というよりテレビ番組になって、それがマーク(・フロスト)と私だけのものじゃなくなったとき、私はなんだか興味を失ったんだ。そこで『ワイルド・アット・ハート』を読んで、キャラクターがすごく気に入った」とリンチは語っています。
同じ本で、リンチ組の編集担当デュウェイン・ダンハムが語っています。「『ツイン・ピークス』のパイロットを仕上げているときに、デイヴィッドが降りると言うんです。そして一週間後にやってきて『ワイルド・アット・ハート』を撮るから編集しろと言うんです」<中略>「デイヴィッドは『どうすれば『ワイルド・アット・ハート』を編集してくれる?』と尋ねるので、監督する機会をもらえるならやりますと言ったら『オッケー、『ツイン・ピークス』7話分の依頼が来たから、最初のやつとあと何本か監督してよ」
身内の間とはいえ、そんなディールがあったとは!
リンチは「ツイン・ピークス」パイロット版の仕上げの時点で、すでにシリーズに対するモチベーションを失っていたんですね。確かに、ファーストシーズン第1話の監督はデュウェイン・ダンハムが務めていて、リンチが監督した回は、パイロット版を除けば第2話の1回だけ。パイロット版を製作した時に気に入ったキャストやスタッフに声をかけて「ワイルド・アット・ハート」を作っていたというわけです。
暴力やセックス描写、音楽など、テレビの窮屈なコードで背負ったストレスを、「ワイルド・アット・ハート」で憂さ晴らししてた。まさに「アンチTV」な映画です。観客は、「謎解き」からも解放されて、映画館で目と耳と身体で浴びるように楽しんでくれと言わんばかりの。
冒頭、1本のマッチの炎から始まって、3分あまり画面がメラメラ燃えさかるオープニングクレジットのシークエンスからして、その美しさは尋常じゃありません。できるだけ大画面で、できるだけ大音声で楽しんでください。
(駒井尚文)