乱のレビュー・感想・評価
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『七人の侍』、『生きる』、『赤ひげ』の次に好きな黒澤映画を挙げるとしたらこれかも。
スクリーンでは観たこともないのに、テレビ画面だけでも迫力に圧倒される。26億円をかけたと言われる超大作でフランスも出資している。『影武者』のときには感じられなかったダイナミクスはストーリーよりも個々のキャラがわかりやすくて面白いところ。史実に基づかないストーリーの良さなのかもしれない。
まずは一文字太郎孝虎(寺尾)と次郎正虎(根津)の性格の差といきなりの敵対関係。性格の差も面白いが、太郎の正室であった楓の方(原田美枝子)の存在がいい。身内の復讐も絡んで、ドロドロ劇を操作する立場。やがて次郎が彼女の才智に惚れてしまう。もう一人、ピーターが演ずる狂阿弥も狂った大殿(仲代)の心を対称的に描いていたことが面白い。演技は下手なんだけども台詞ひとつひとつに哲学が感じられるような・・・狂った世で狂うならまとも・・・とか。
城の燃え方は尻すぼみだけど、CGのない時代でこれだけ描かれば納得。合戦でも落馬がかなり多く、『影武者』にはなかった迫力が蘇ってきた。そして、黄、赤、青と父親の白。視覚的にもわかりやすく、生き残った次郎の赤に落ち着くところも皮肉なのか・・・狂ったような内輪もめの虚しさが伝わってくる。
4K修復版観たかったなぁ~
自分の中では彼の最後の映画
これは酷い
黒澤が書いた脚本を読んで脚本家の小国英雄はこうアドバイスしたと言う。
「原作のリア王が書かれた時代と現在とでは観客が違う。シェイクスピアの時代、観客は強力な王様がどれほど重要なのか肌で感じていた。彼が死んでいくこと、そしてその息子達が争うことがどれほどの悲劇のなのか彼らは知っていた。彼らの心の中にはいつも他国からの侵略の恐怖があった。だが今の映画ファンはそうではない。脚本はそれを説明しなければならない。キングがどのように強かったのか、どのように賢かったのか、どのように恐れられ、どのように愛されていたのか・・・」
これについて「七人の侍」や「切腹」で有名な脚本家の橋本忍もその自伝の中で同じ意見を述べている。
だが黒澤はアドバイスを無視して自分の書いた脚本のままで映画化した。彼の全盛期の傑作は彼らのアドバイスの賜物だったというのに・・・
そしてこのような酷い失敗作を作ってしまった。原作にはケントという人物が出てくる。その人物がリアを守ろうとする。 それによってリア王がかつて、いかに優れていて、いかにリスペクトされ、そして現在もいかに重要なポジションにあるのかが表現できている。リア王を守ろうとすることは同時に国家を守ろうとすることになるのである。それが上手くいくかどうかということが当時の観客にとってはとてもスリリングでだったのだ。
シェイクスピアは作品の中でこのような工夫をしているのだが黒澤はしなかった。彼の脚本でケントは縮小されリア王の惨めさが拡大された。スケールの大きなドラマとしてのリアリティが失われ、単なる老人が惨めになっていくドラマになってしまった。
それまで強権を振っていた王が突然耄碌したら周りはもっとパニックになるはずだ。原作では子供たちが娘だったので政治を知らない軽率な振る舞いをしてもリアリティがあった。そしてその夫たちの行動には慎重さがあった。乱ではリア王の娘たちのままに新王たちがマヌケな行動をとっている。前王の影響力を恐れて新王や側近はもっと慎重に振る舞うはずだ。そのように描いておけば前王とタッグを組んだ時の三男の持つポテンシャルが暗示され、前王がいっくら惨めになっても観客はそこに期待して最後まで映画を楽しめたことだろう。
・・・写真も全然美しくないし、演技も学芸会レベル。これは駄作中の駄作である。
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただ...
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただろう。合戦映画の頂点で、ライフワークとして望んだ作品を自身の最高峰に仕上げた黒澤明には感嘆する。もうこのような映画は作られることはないだろう。傑作、名作、一級、芸術。
マスベスとリア王との物語の違いはあれども、本作は結局のところ、蜘蛛巣城のリメイクだったのだと思います
紛れも無く黒澤明監督の映画を観たという満足感があります
全くの傑作で世界の映画賞の数々を受賞するのも当然です
黒澤明監督の最高傑作の一つと言って良いと思います
とは言え既視感があります
それは黒澤明監督が本作の30年前に撮った1955年の作品蜘蛛巣城のことです
蜘蛛巣城はマスベス、本作はリア王の翻案です
ですから筋書きは全く別です
ですが既視感があるのです
マスベスもリア王も観客がその筋書きをみな承知しています
それでも面白く、また翻案のレベルも高く完全に日本の物語になっている点は本作も蜘蛛巣城も同じです
しかしそれが既視感という訳では、ありません
一体何が既視感をもたらすのか?
まず似たシーンが多く有ります
原田美枝子の楓の方が入れ知恵をするシーンです
彼女の鬼気迫る演技は素晴らしいと思います
しかし、これは蜘蛛巣城での山田五十鈴が演じた主人公の妻に相当するシーンで既視感が有ります
そして、山田五十鈴を上回ったかというと空恐ろしさでは上回ってはいなかったと思います
比較してしまうのです
また三の城の落城シーンも蜘蛛巣城のクライマックスと相似形です
スケールがより大きくなっていますが、これもまた既視感があります
横殴りの雨のような矢の嵐は蜘蛛巣城の強烈さを上回っていたと言えるでしょうか?
これもまた比較してしまうのです
白黒映画時代の蜘蛛巣城でやりたかったことをカラー撮影で再度やり直した感があるのです
フランスの資金を得て潤沢な製作費で、黒澤監督の完璧主義を満足させて撮り直した蜘蛛巣城といった体なのです
マスベスとリア王との物語の違いはあれども、本作は結局のところ、蜘蛛巣城のリメイクだったのだと思います
主演の仲代達矢は正に当て書きそのもので、彼にしか演じれないものでしょう
完璧であると思います
狂阿弥のピーターは本作の独自のものですが、中性的存在の期待された役どころを発揮出来ていたかというと不足していたと思います
また狂言としての芸のレベルが今一つ低く、観客を感服させる域に達していないのは残念でならないと思います
その点、盲目の鶴丸を演じた野村武司の方が遥かに存在感を示しています
お末の方の宮崎美子ともども、もっと画面に登場させれば、本作のテーマをより一層陰影を付けれたのではと感じました
撮影は色彩の鮮やかさ、望遠を多用していながら、手前から背景まで全ての焦点の合い方など驚嘆すべき映像がとれていると思います
影武者の撮影よりも格段に優れています
衣装、セット美術もまた世界最高峰のものだと思います
影武者よりも美術の統一感が上がっています
戦闘シーンの数百人の隊列の動き、数十の騎兵の猛速度の表現、戦闘の推移の簡潔な表現
黒澤監督にしか撮れない映像です
これも影武者の経験を踏まえてより的確に効果的になっています
音楽も影武者のような無理矢理な西洋風味ではなく、西洋のクラシック音楽でありながら日本的であり重厚さを失っていません
蜘蛛巣城の既視感はあれど
本作はやはり名作であるのは間違いの無いことです
期待していなかったんですが非常に感動しました、発表当時あまりに評判...
期待していなかったんですが非常に感動しました、発表当時あまりに評判が悪くて黒澤明が好きな故に敬遠してきました。確かに血糊や主人公のメーキャップが如何かというのはありますが、その時観たらまだ学生まがいでしたので「なんだこの暗さは!」で反発したはずですが歳とったので「あぁ絶望していたんだなぁこの頃の黒澤は」「この世はもう終わりだ家族も人間も世の中も全く希望が持てない、そんな気持ちになっていたらこの映画はズッと観入れる映画だなぁ」「今の自分にはなんとなくだがシックリくるなぁ」という流れで大好きです。※『天国と地獄』以降の黒澤映画は、偏見ですが50歳過ぎて子供が成人し親が老いぼれ栄達も叶わぬぐらいの境遇になってから観た方がいいような気がしました。
タイトルなし(ネタバレ)
映像は確かに凄いが中身が薄い。私は黒沢明は余り評価していない。娯楽映画は良いが、深刻な材材になると描き方が途端に青臭くなるから。女の描き方も下手だし。本作でも原田美枝子のシーンはこちらが恥ずかしくなるくらいの演出の下手さ。原田美枝子もこの頃はまだまだで「蜘蛛巣城」の山田五十鈴の凄さには到底及ばない。草原でピーターが踊るシーンもぎこちない。もっとどろどろした人間ドラマに出来たのに、絵としての美しさを優先したのかな。まあ、それも映画の一つのあり方ではあるけど、私には燃える城を背景に虚ろに歩く仲代達矢よ映像しか目に残っていない。
骨肉の悲劇…巨匠黒澤のライフワーク!
Blu-ray(4Kデジタル修復版)で2回目の鑑賞。
初めて観たのは高校生の頃。DVDを購入しました。仲代達矢のふとすると吸い込まれそうな目力に抵抗出来なくなり、狂ったまま荒野を彷徨する秀虎の姿に呆気に取られました。
一文字三兄弟の血で血を洗う後継者争いは、戦国時代の習いとは言え、結局誰も報われななかった結末に、虚しさとやるせなさを感じて、現代にも通じるような内容なだけに、人間社会の無情に呆然としてしまったことを覚えています。
終始、熱量に圧倒されっぱなしでした。大規模なセットを組んで撮影された合戦シーンはもちろん、一族の骨肉の争いの果てに訪れた凄惨な悲劇に息を呑みました。スペクタクルシーンがもたらす迫力と、登場人物たちが繰り広げるドラマがもたらす人間的な迫力に満ちていました。心を鷲掴みにされました。
楓の方の情念に震え上がりました。
一文字家への恨みを胸に秘め、秀虎引退をこれ幸いと、その息子たちを巧みに操縦し、一族を滅亡へと導きました…。最期のセリフが頭から離れません…(泣)
「怖い女だな」と思うと同時に、もしかすると歴史は、女が動かしているのかもしれないなと思いました。女の強い想いほど、恐ろしいものは無いのかもなぁ…。
黒澤明監督が10年以上の歳月を掛けてつくり上げた執念の成せる業、渾身のライフワーク…。監督のフィルモグラフィーを総括し、これまで語られて来たテーマの全てが籠められている、集大成のような作品だなと感じました。
※修正(2021/09/11)
規格外
20世紀を代表する名画
黒沢映画が世界的に高い評価を得ていることは勿論知っていた。しかし敢えてDVDを借りて観るほどでもないだろうと高を括っていたのが正直なところだ。それが大きな間違いであったことがこの映画を観てよくわかった。
4Kデジタル修復版で仲代の凄みのある表情を余さず観ることができたのは非常にラッキーだと思う。
俳優陣はいずれも達者な演技振りで、寺尾聰の太郎、根津甚八の次郎は、気の弱い凡人が強烈なエゴイストたちに振り廻される情けない姿を遺憾なく演じきっていた。井川比佐志が演じた次郎の筆頭家臣の鉄(くろがね)修理は豪胆な武将の存在感にとても重味があった。
凄かったのはやはり主演の仲代達也と原田美枝子だ。ふたりとも怪演という言葉が相応しい大迫力の演技だった。この二人が演じた秀虎と楓の方の強烈な思いがストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。歴史は構造的に作られる面もあるが、こういった強烈な個性によって動かされることもあるということを改めて感じた。
そしてピーターが演じた道化師の狂阿彌。権力に縛られない恐れ知らずのこういう存在を登場させることで、権威を相対化し、物語に奥行きを与えている。ピーターはほぼ出ずっぱりの大活躍だった。
性格悲劇という考え方を16世紀末の演劇の世界に持ち込んだシェークスピアは、性格の齎す益と害が、権力者においては多くの人々の命にかかわる一大事であることを数々の作品で表現した。
黒沢監督はそのひとつ、リア王をさらに大きなスケールで演出し、必然と偶然、同盟と裏切り、誠実と欺瞞を対比させつつ、壮大な人間ドラマに仕立て上げた。いま観てもまったく古臭さを感じさせない。人類普遍のテーマを表現した映画はいつまでも新しいのだ。
音楽は武満徹。私には「死んだ男の残したものは」(詞:谷川俊太郎)の作曲家として胸に刻まれている天才である。ティンパニと小太鼓大太鼓を効果的に使って場面ごとに迫力のある印象を残す。武満の曲の指揮が岩城宏之で、いまとなってはビッグネームばかりのキャストとスタッフだ。
20世紀を代表する名画のひとつである。
今となってはもう作れない映画
馬鹿な親鳥だよ
映画「乱」(黒澤明監督)から。
作品のラストシーン、こんな台詞がある。
「神や仏は、泣いているのだ!何時の世にも繰り返す、
この人間の悪行。殺し合わねば生きていけぬ。
この人間の愚かさは、神や仏も救う術はないのだ!
泣くな、これが人の世だ。人間は幸せよりも悲しみを、
安らぎよりも苦しみを、追い求めているのだ!」
たぶん、監督が伝えたかったことの一つだろう。
しかし私のアンテナには、途中、ピーター演じる「狂阿弥」の
こんな台詞が妙に引っかかった。
「蛇の卵は白くて綺麗だ。小鳥の卵は、シミがあって汚ない。
鳥は汚ない卵を捨てて、白い卵を抱いた。
孵った卵から蛇が出て来た。鳥は蛇を育てて、蛇に呑まれた」
我が子を信じ、捨てられ、殺されそうになった父親(秀虎)が、
狂った挙句に「ここはどこだ? 俺は誰だ?」と叫ぶと、
「狂阿弥」は「馬鹿な親鳥だよ」の言葉を投げ捨てる。
この例え話が、私は気に入った。
世の中には「うちの子に限って・・」と声高に叫ぶ親がいるが、
親バカも甚だしいケースを良くみかける。
子どもを育てるということは、楽しいことであるが、
非常に難しいということも、理解しておいて欲しい。
一番信じていた者に裏切られることほど、辛いことはない。
いつの世も、親子の関係は、切っても切れない課題なんだろうなぁ。
心の失明
ストーリーはリア王なので、詳細は省くとして、とにかく画像というか、...
黒澤映画。キレイ
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