「子供が子供だった頃とは、どういうことを意味しているのでしょうか?」ベルリン・天使の詩 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
子供が子供だった頃とは、どういうことを意味しているのでしょうか?
ベルリン天使の詩
1989年10月29日西ドイツ公開
本作は一体何の映画なのでしょうか?
何がテーマなのでしょうか?
「子供が子供だった頃」
何度となくこのフレーズが使われます
ヴィム・ヴェンダース監督は
1945年8月14日生まれ
子供とは誰のこと?
それは監督を含む、戦争を知らない戦後生まれの子供達のこと
それはいつのこと?
1961年にベルリンの壁が出来るまでのこと
監督なら16歳になるまでのこと
ベルリンの壁
1961年8月13日から1989年11月9日まで存在した東西ベルリンを分断した壁
昨日まで同じ街だったのに、突然往き来出来なくなったのです
無理に壁を抜けようとすると銃撃される壁です
中年男の主人公は何者?
誰にも見えないし、触っても気づかれない
人間の心の声を聞くことができ、どこにでも意のままに移動できます
時には時間ですら、過去に移動もできます
でも、色や味などはわからない
天使ということになっています
外見など見た目は監督を投影しているようですが、実は、私達映画の観客のことなのだと思いました
フィルムに写された人物をあながあくほど見つめても、触れようとしてもスクリーンの人物には関係のないこと
今映写されていてもそれは、いつかの過去のこと、今ではない
子供が子供の頃の映画は白黒映画の時代だから色は分からないし、味も匂いもわからないということでしょう
だからサーカスのステージと客席の間の敷居はフィルムの形をしていたのです
天使は誰にも見えないし、どこにでも行けるのに、壁の向こう側の東ベルリンには行けません
共産主義社会の東ベルリンでは、ロックバンドのライブなど許可されず、摘発されないようにコソコソ隠れてするしかなかったものでした
だから、東ベルリン市民はロックに憧れる色のない世界に生きていたのです
そうしたことを監督は天使になって、壁のあった時代のベルリンの現実を観客に紹介して回っているのです
天使なら、本当は西ベルリンでも東ベルリンでもどこにでも意のままに往き来できるのです
主人公の天使は人間になりたいと望み、西ベルリンの側で人間になります
東ベルリンから脱出し西ベルリでて人間になった人々もいるようです
ベルリンの壁が崩れるのは1989年11月9日のこと
まだ2年近く先
東西ベルリン市民はひとつになりたいと強く願っていても、自分達ではどうにもならない
サーカスの空中ブランコの美しい女性は何を意味しているのでしょうか?
ひとつ間違えれば転落死する危険な仕事
ベルリンは東西分断の最前線です
第三次世界大戦が起これば真っ先に戦火が起こる都市だということでしょう
つまり、本作とはそのようなことを私達に訴えようとしている映画なのだと思いました
東ベルリンとの統一を夢見てもかなわない夢想だったのです
そして2025年の秋
本作公開から38年
ベルリンの壁崩壊から36年
ウクライナ戦争は3年半
ウクライナの次はロシア軍はさらに西ヨーロッパに進めてくるとEU 諸国は覚悟を決めて戦争に備えようとしているようです
またベルリンの壁が出来るかも知れない恐怖が渦巻いています
それゆえに
本作は今観る意味と意義があるのだと思います
共感ありがとうございます。確かにこの映画はベルリンの壁の崩壊直前を描いていますが、すでにソ連はペレストロイカ時代に入り東欧の革命も進行していて世界はやや楽天的な夢を見始めていました。この作品にはなんとなくそれらを受けた明るさや希望を感じられます。「子どもたち」というのは希望そのものを指し示していたのかもしれません。
共感ありがとうございます。
東西ドイツの統合にはデビッドボウイやニナハーゲンも絡んでいて、監督のロック魂に触れる部分も大きかったんでしょうね。
統合出来た幸運も在れば、分離を許せない主張も在る、人間は進化出来ないですね。
共感ありがとうございます。
ひとつのメッセージとして考えさせられる素晴らしいレビューですね。人によって感想も印象も違っていていい。監督は多くは語りませんが作品中には様々なメッセージが散りばめられていると感じます。このレビューを読んでまた本作をゆっくりじっくりと鑑賞したくなりました。




