ベルリン・天使の詩のレビュー・感想・評価
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なぜ詩(うた)なのか
私がもっとも好きな映画です。私のようなものでも、具体的な説明抜きで理解したような気分になれるから。もっとも、正しく理解出来ているか、正直怪しいところでは、あるけれど。
それほどに、好きではあるけど、実に難解な映画だと思います。説明がなく、難解だからこそ、思索、考察が止まらない。見るたびに発見がある。何度も見たにもかかわらず、4K版劇場公開と聞いて、新作映画をほったらかして選んでしまった。
手書きで詩が歌われる。ドイツ語だろうか、でも、その節回しで童歌のような詩であるとわかる。まず、子供に帰れということか。
続いて、恐れ気もなくビルの屋上に立つ男。恐れ気もない。つまり、死ぬ恐れはない。見え隠れする翼。映画のタイトルも助けて、天使であると理解する。SFXとして、実に地味な演出だけど、超常的な存在であることは理解出来る。派手な演出は要らない。見るものがそうと理解出来れば、それで良いということか。それ以後も、派手な特撮など行わずに、人混みのなかで誰が天使かを悟らせるのも面白い。
加えて、それを見上げる子供たち。見上げるのは子供だけ。誰もが何処かで聞いたことのある噂。子供だけが見える超常的な存在。その理由は私には判らないけど、子供の頃にしか判らないこと、子供だからこそ感じたこと、子供だから恐れない、苦しみをしらない。
そして大人達の思惑が飛び交う。実質的で、現実的で、物理的な苦しみに苛まれる。大人になればなるほど、その苦しみが積み重なる。生きづらさ。生きるのは実に辛いことだ。
天使達はその合間を巡りながらも、喜びを見出していく。メモに取り、何気ない発見を語り合う。そして、主人公の天使は「見せたいものがある」と誘う。同僚を導いたのは寂れたサーカス。
寂れたサーカスで繰り広げられるささやかな見世物。誘われた同僚がどう感じたのか知らないけれど、誘われた本当の理由が見出される。主人公の天使は、人間の女性に魅せられていた。恋をしたのだ――という理解で正しいでしょうか。サーカスの締めくくりで、子供たちだけが風船を追って舞台に降りるのも印象的。大人はその有様を見守るだけ。
本筋とは外れているかもしれないけれど、特に空中ブランコのシーンが素晴らしい。華麗に宙を舞う彼女を、落ち着かなく見上げる天使。加えて、サーカスの団長でしょうか。タキシードに蝶ネクタイで、ジッと緊張した面持ちで見上げる姿。地面にネットを張らずに行われる曲芸、万一があれば飛びついて受け止める覚悟なのだろう。客にそれを悟らせない。でもブランコの彼女と同様、一瞬でも気を抜けない状況で微動だに出来ない。しかし気持ちは落ち着かなく歩きまわる天使と同じ気持ちだろう。その三人の様。
他にも素晴らしいシーンは多々あります。鏡越しに見つめ合う二人のシーンは、ハリウッド版でもあったんだったか。まるで彼女が天使の存在に気付いているかのような。そんな筈があるはずもないのに。
やがて天使は現実に生きることを選ぶ。多くの大人達が生きづらさを感じつつ生きている人生を選ぶ。「一つずつ学んでいこう」と意気揚々と歩き出す。私たちに、生きる喜びを改めて見出そうよと誘い掛けるかのように。壁の落書き、一杯のコーヒー、空気の冷たさ、傷の痛みですら、生きている実感として喜びとなる。見知らぬ人と交わす言葉、不思議な出遭い、やがては恋をし、愛し合えたなら最高じゃないか――なんて、私たちもそんなに上手くいけば良いのですが。
そして、映画は詩で閉じられる。なぜ、詩で始まり、詩で閉じられるのだろう。判らないけど、様々な言葉で綴られる詩を感じ取るように、様々な出来事で綴られる映画を詩のように感じ取りなさいということなのだろうか。
一番好きな映画だけど、理解出来ているようで、やっぱり難解ですね。童歌で始まり、最後は老人の言葉で締めくくるのも象徴的です。歳をとると子供に還るようなところもありますから。スタッフロールで囁かれる囁くような様々な歌声も印象的だった。うーん・・・難しい。面白い。素晴らしい。
声を紡ぐ
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
なぜ今まで観てなかったんだろうと思うぐらいいい映画でした。
映画の可能性に満ちた作品。
天使のダミエルとカシエルには人々の内なる声が聴こえる。
その声は様々だ。他愛無い思いから悲惨な心情、愛の希求など。
そんな彼らの声が天使を媒介にして映画で語られる。
声が語られることは重要である。ベルリンの壁が今なお存立し、戦争の痕跡が残り続ける現在に、生を語り絶えず現前させること。それが歴史を堆積させることに繋がるのである。
だが天使は媒介者として、永遠の者として、言葉それ自体として、存在するがために、自らの声を語ることができないのである。なぜなら生き続け存在し続けるのだから声として自らの生の痕跡を語る必要がないからである。
だから天使のダミエルは人間になることを決心する。音楽を奏でるミュージシャンのように、そして恋するマリオンのように、自らの「声」で語る存在になろうとするのである。
また終盤のダミエルとマリオンの出会いのシーンでは、決断することが人間たらしめることをマリオンが語る。
「先の運命が分からなくても決断する時…」
「私達の決断は、この街のーすべての世界の決断なの。」
「今しか 時はないわ。」
過去でも未来でもなく、今しか生きることが私たち人間は、絶えず決断し、声を紡がなくてはいけないだろう。そしてその声が語られるためにも、天使を信じなくてはいけないだろう。見えない天使に触れるP・フォークのように。
モノクロとカラーのコントラストは絶妙
静かな良作
「午前十時の映画祭14」TOHOにて鑑賞。
90年代にレンタルビデオかスカパーか忘れたが、見た記憶がある。モノクロ画面、天使の話でサーカスのシーンがあったな…ぐらいで内容をさっぱり覚えていなかった。
「PERFECT DAYS」を鑑賞した頃、改めて今作を見たいと思った。ここのところ、ヴィム・ベンダースとウォン・カーウァイ作品が、よくリバイバル上映されるので良い機会と映画館へ。
天使は町中の人の心に耳を傾ける。
誰しも不安や悩みがある様が描かれる。天使ダミエルはサーカス団のマリオンに恋をして、自らも人間の世界へ。
昔友人が、あなたのそばにも天使がいる、見守ってくれる人がいる…みたいな事を言ってこの映画をオススメしていた。それもそうだし素敵な恋の話でもあるが、この時代の世相も反映した、新しく生きる事を始める話なのかなーと思った。
途中少し眠くなったが~~持ちこたえた。退屈な天使の世界(無垢な子どもにも通じる世界)から、触れあえて感じられる有限の人間の世界へ。
*****
初めてダミエルがコーヒーを飲むシーンでは、自分もコーヒー片手にしてたので一緒に飲んでみた。
「絶望と救い」天使の眼差しによるドキュメンタリー映画
ベルリンにいる
街の天使たち。
人は迷い悦び挫折し生きる
天使はその内なる声を聞き
人の世を知ってゆく。
痛切な思い
ヴェンダース監督演出
モノクロ映像に心が宿り
絶望と希望が語られる。
天使を必要としたベルリン
語ることを必要とした人々
触れられて温もりを感じる
光を感じた天使の選択
彼は心の声に誘われたのだ。
- ※ -
映画は1980年代後半、東西に別れた都市の姿、その時代背景に生きる人々と、戦争による傷跡を見ることができる。同じ空爆の有った日本はバブル真っ只中、どの都市も裕福で華やかな毎日を送っていた。分断された国ドイツ、分断されたベルリン市民の心の中に存在する“壁”は現実であり、それを打ち砕くことは、本当の自由への希望であったはず。
映画で表される彼らの心の声、それを聞くことの出来る天使の存在は”救い”温かみであり優しさでもある。恐らくヴェンダース監督の”必要であった”この発想は、他人に対する思いやりから来ているのでは無いかと思う。
静かな眼差しを持った人
光を知る人だと思う。
- ※ -
色がついていく喜び
この作品の色調は、ある程度の展開まではモノクロをメインに進行する。しかしある瞬間から世界に色が付き始める演出になる。この「色が付く」という描き方は、まるで世界が生まれ変わるような感動を体験することができる。
メインキャラクターの側は、まるで時間が止まっていて、我々との時間軸が異なっている存在だ。人間との距離は近いのに、生身の存在には触れることができない。まるで幽霊かのように。
そんな世界の存在の一人である主人公が人間の生活に触れていくにつれ、人間に憧れるようになる。
物語の中盤から彼は、その憧れていた人間に変わり、その世界に入りこむ。そうすると、白黒だった画面が息を吹き返したかのように色鮮やかなカメラに切り替わるのがとても味わい深い。
今まで触れなかったものが触れる。掴めなかったものの感触が分かる。味わえなかったコーヒーが飲める。出来なかったことが出来るようになる。
画面が色づくにつれて以前出来なかったものが「できるようになる」という感覚が視覚的に分かるようになるのがとても素晴らしい。
そして人間となった彼が日常を楽しんでいる喜びのようなものを観ることができる。
最初は誰しも何もできない状態で生まれてくる。しかし今までできなかった物ができるようになったときは達成感があるが、それが慣れるにつれて味気ないものに変わっていく。最初は色がついていたものが徐々に抜けていくように。
しかし彼のように、目の前のことを楽しむという意識を持つだけで、もしかしたら慣れたことでも色がついたもののように楽しめるようになるかもしれない。
子供が子供だった頃とは、どういうことを意味しているのでしょうか?
ベルリン天使の詩
1989年10月29日西ドイツ公開
本作は一体何の映画なのでしょうか?
何がテーマなのでしょうか?
「子供が子供だった頃」
何度となくこのフレーズが使われます
ヴィム・ヴェンダース監督は
1945年8月14日生まれ
子供とは誰のこと?
それは監督を含む、戦争を知らない戦後生まれの子供達のこと
それはいつのこと?
1961年にベルリンの壁が出来るまでのこと
監督なら16歳になるまでのこと
ベルリンの壁
1961年8月13日から1989年11月9日まで存在した東西ベルリンを分断した壁
昨日まで同じ街だったのに、突然往き来出来なくなったのです
無理に壁を抜けようとすると銃撃される壁です
中年男の主人公は何者?
誰にも見えないし、触っても気づかれない
人間の心の声を聞くことができ、どこにでも意のままに移動できます
時には時間ですら、過去に移動もできます
でも、色や味などはわからない
天使ということになっています
外見など見た目は監督を投影しているようですが、実は、私達映画の観客のことなのだと思いました
フィルムに写された人物をあながあくほど見つめても、触れようとしてもスクリーンの人物には関係のないこと
今映写されていてもそれは、いつかの過去のこと、今ではない
子供が子供の頃の映画は白黒映画の時代だから色は分からないし、味も匂いもわからないということでしょう
だからサーカスのステージと客席の間の敷居はフィルムの形をしていたのです
天使は誰にも見えないし、どこにでも行けるのに、壁の向こう側の東ベルリンには行けません
共産主義社会の東ベルリンでは、ロックバンドのライブなど許可されず、摘発されないようにコソコソ隠れてするしかなかったものでした
だから、東ベルリン市民はロックに憧れる色のない世界に生きていたのです
そうしたことを監督は天使になって、壁のあった時代のベルリンの現実を観客に紹介して回っているのです
天使なら、本当は西ベルリンでも東ベルリンでもどこにでも意のままに往き来できるのです
主人公の天使は人間になりたいと望み、西ベルリンの側で人間になります
東ベルリンから脱出し西ベルリでて人間になった人々もいるようです
ベルリンの壁が崩れるのは1989年11月9日のこと
まだ2年近く先
東西ベルリン市民はひとつになりたいと強く願っていても、自分達ではどうにもならない
サーカスの空中ブランコの美しい女性は何を意味しているのでしょうか?
ひとつ間違えれば転落死する危険な仕事
ベルリンは東西分断の最前線です
第三次世界大戦が起これば真っ先に戦火が起こる都市だということでしょう
つまり、本作とはそのようなことを私達に訴えようとしている映画なのだと思いました
東ベルリンとの統一を夢見てもかなわない夢想だったのです
そして2025年の秋
本作公開から38年
ベルリンの壁崩壊から36年
ウクライナ戦争は3年半
ウクライナの次はロシア軍はさらに西ヨーロッパに進めてくるとEU 諸国は覚悟を決めて戦争に備えようとしているようです
またベルリンの壁が出来るかも知れない恐怖が渦巻いています
それゆえに
本作は今観る意味と意義があるのだと思います
何がいいのかわからない
なんて優しいの
天使たちの優しさよー
誰かが、何かが、いつも見守ってくれていることの安心感
きっとそういう存在はいると思う(思いたい)
神様なのか、仏様なのか、ご先祖様なのか人によってちがうかもしれないけど
天使が散々色んな人間たちを見てきて、それでも人間になりたいと思うラストに、ヴェンダース監督の人間への希望を感じ取れた
最後にトリュフォーと小津安二郎に捧ぐって出てきたのが新鮮だった
心に寄り添う
ベルリンには、天使がいる。だが、それは子供にしか見えない天使だった。そこにいることは、誰にも分からない。その天使は、触れる事でその人の心に寄り添う事が出来る。
当たり前のように見えている世界の彩りも本当に色づいてあるのかは、分からない。
明日に希望を持って生きている事もない。
そんな辛い事ばかりを考えていると死にたくなってしまう。
そんな事を思っていても誰も口に出す訳ではない。
天使が人間になってから彩られる世界がとても綺麗で同じように見えているよりも希望に満ち溢れた世界に見える演出が素晴らしいと感じました!
言葉の節々がとても哲学的な様子でこの作品は、見る人によって解釈を選ばせる作品でした。
とても楽しめる作品です!
1000年の監視者
1000年の監視者はただ見てる
人の愛し憎む姿を
(筋肉少女帯「1000年の監視者」)
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散文詩のような脚本と、モノクロとカラーの対比が印象的な演出が魅力的な映画。物言わぬ天使たちが人間に寄り添う姿には、優しさと物悲しさが同居しているように感じられます。天使たちは人間社会を否定しているわけではなく、むしろその深い愛情をもって、人々の心に触れているようでした。
特に、「天使の視点を通して人間の心を覗き見る」というアイデアが非常に面白く、哲学的な問いを投げかけていると感じました。孤独を抱えた人々の思考や感情をモノローグで描写するシーンは、人間の弱さや儚さを繊細に映し出していました。
唯一、自殺した人に対して天使が抱いた「残念な気持ち」を表す場面は、とても強烈でした。あのシーンでは、救いの手を差し伸べられなかったことへの無力感が、観ている側にもひしひしと伝わります。人間の孤独がこの映画の大きなテーマであることが象徴されているようでした。
それでも、この映画には希望がありました。ダミエルが「人間として生きる」ことを選び、愛や喜びを見出そうとする姿勢は、私たち自身が人生の素晴らしさを再発見するきっかけを与えてくれます。孤独の中にも、希望や愛、そして生きることの喜びを見つけられる素晴らしい作品だと思います。
空中ブランコ乗りの舞姫に恋して人間戻る守護天使‼️
《即興的な映画だったとは?》
1987年(西ドイツ・アメリカ合作)
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
以前に観た時は、美しい映像詩に衝撃を受けました。
しかし台詞が詩篇の断片でできているためか意味不明で、
美しいけれど不可解な映画だと感じました。
Wikipediaを読むと少し合点がいきます。
ヴェンダース監督は次回作の撮影開始が遅れたため、
その合間の時間で、ペルリンを舞台にすると言う気条件で、
この映画に着手したそうです。
ドイツ語の美しさを引き出すために脚本を書かず、
詩人のペーター・ハントケさんの
書いた詩の断片を集めて、それをつなぎ合わせるとにしたのです。
撮影は映像監督の名匠アンリ・アルカン(ローマの休日の撮影)さんを、
説き伏せることにより、幻想的な映像美と荘厳さを併せ持つ
作品となりました。
登場人物は2人の天使、
黒いコートに髪を後ろで束ねたおじさん2人。
ブルーノ・ガンツと細面のオットー・ザンダー
(彼は、ほぼ喋らない)
そして守護天使のダニエル(ガンツ)が好きになってしまう
サーカスのブランコ乗りの舞姫マリオン(ソルベェーダ・ドマルタン)
彼女に恋して天使をやめて人間に生まれ変わるのです。
ピーター・フォークが「コロンボ」撮影に来ている設定で、
軽妙な雰囲気を醸し出しています。
ライブハウスが2度登場します。
その場面、当時流行りのオーストリア出身のバンドで、
ヴェンダースはロック・ミュージックが大好きだったそうです。
「PERFECT DAYS」でも古いカセットテープを宝物のように
大事にしていましたね。
この映画も色々な軌跡が重なって、ドキュメンタリーとも詩劇とも
つかない素敵な芸術作品。
ヴェンダース監督らしく、敷居は高くありません、
時期はベルリンの壁の崩壊の頃。
まだ東西に隔てられた「壁」があります。
「ベルリンの壁」が崩壊するのは、映画撮影から2年後のこと
だったそうです。
ヴィムベンダースの天使
ベルリンが舞台と思いますが、ドイツのベルリンが荒廃した都市と一般意...
やっぱり「この世」(人間界)が佳境か。
浮世に生きている評論子らにしてみれば、食べるためには働かなければならないなど、何かにつけて苦労の多い人間界ですけれども。
実際、ブランコ乗りのマリオンにしてみても、戦争が終わったばかりの不安定な経済下で、サーカスの破産や、季節雇用の不安定さが、評論子の印象には残りました。
しかし、天使ダニエルは、モノクロで生活実感のなく、そして「天使」とは言いつつも自殺者の一人も止めることができなかった自分の無力さから、天使界よりも人間界を選んだということになりそうです。
加えて、「そういう者はたくさんいるよ。」というピーター・フォーク役で出演しているピーター・フォークのセリフも、妙に沁みました。
十分な佳作であったと思います。
評論子は。
(追記)
作中で言及されるように、子供の頃は、自分が何者であるかすら意識していなかったはずで、そういう意味では母親の胎内から生まれてきたという確証すら、本人にその記憶がない以上、どこにもないことになりそうです。
そういう「何者か分からない」まま長じた今の自分は、自らの意識で「何者であるか」を求めていかなければ、いつまでも「何者か分からない」ままなのかも知れません。
「ベルリン」モノトーンの街
「ベルリン」と聞くと
僕はどうしても冷戦時代の恐怖のイメージが拭えない。
「暗い印象がその街の名に染み付いてしまった例」は・・、そうだ、僕らは世界の各地にいくつも思い浮かぶのではないか。
あの壁を越えようとして幾千が命を失い、あの壁を越えることを幾万の人間が諦めた。
諦めの街ゆえに、
絶望と沈黙のあるところに、
哲学と希望の文学は生まれ出るようだ。
・ ・
ところで、話は変わるが、
あのイブ・サンローランのブティックには「CINEMA」というパフュームがある。ご存じだろうか。
映画好き、そして香水好きの自分としては、どんなものかと思い、サンプルを求めてみた。
「映画祭」といえば、世界各国には名だたるアワードがあるのだけれど、メゾン・ド・サンローランはいったい何処の街を、そしてどの映画祭をイメージしたのだろうか?
この「CINEMA」は、はたして、リゾート地に咲き誇るピンクの夾竹桃の花びらと、オレンジママレードを一緒に煮詰めたような、甘ったるい、むせ返る香りがした。
つまりパフューム「CINEMA」は、海辺の街、陽光満ちる南国、シャンパンとパーティードレスのさんざめきを想わせる香りで
南欧フランスの港街、カンヌの映画祭をイメージしたものだったわけだ。
カンヌと、そして、一方はベルリン。
かたや北緯52゜北の国ドイツの、陸の監獄だったあの地=「ベルリン国際映画祭」の“臭い"とはまったく異なる香り、
・・サンローランの「CINEMA」はたいへん華やかなしろものだった。
・ ・
本作、西独・仏共作だが
この邦題『ベルリン・天使の詩』(べるりん・てんしのうた) は、ドイツ語題の直訳。
独: Der Himmel über Berlin.
しかし
英: Wings of Desire.
仏: Les Ailes du désir.
つまりフランス語と英語での原題が「欲望の翼」となっていることは少し意表を突く。
ブルーノ・ガンツ演じる天使の、その後の彼の動向に重きを置いた着題だろう。
モノクロームの画面。
モノローグの天使。
DVDを観ながら、そして週に一回のアルコールをやりながら、夜食をつまむ。
無性に腹の立つ上司のことや、会社の不躾な若造たちのことを考えると、大変な一週間だったけれど、
ベルリンの天使は、焦点の合わない外斜視の目で、ボソボソと呟いているので、老人特有のこの怒りの感情も だんだんと落ち着いてくると云うものです。
・ ・
「パリ、テキサス」では、電話ごし、ガラスごし、背中合わせでしか想いを交わせない、そのような人間の哀しみを描いたヴィム・ヴェンダース。
本作ではベルリンの壁ごしに、
姿は見えないが、どこからか囁やき聞こえる「声」に人格を与えている。
「声」への受肉を監督は試みている。
・ ・
うちのどら息子は、
「アバウト・タイム」のDVDを僕にくれた子。
どういうことだか、何年にも渡って、彼は父親である僕になんの連絡も寄越さないのだが、風の便りで、まさかの今、 そのベルリンに、彼は起業して住んでいるらしい。
冷戦時代の、まだ暗く冷えた空気が、通りの石畳や家並みの壁に染み付いているのなら、
また家々の壁に銃創や、舗道のシミや、涙の痕跡がまだその街に残るのなら、
ベルリンにはまだ天使がいてくれるのだろうか。
心を病まずに穏やかに暮らせるように、優しい天使には、あの子のそばに付いていてもらいたいものだ。
劇中、子供には天使が見えている。
天使も子供たちには直接に語りかける。
たとえ齡三十を超えても、それでも誰かの子供であるその息子たち、娘たちよ、
苦難に遭遇しているのなら、フワリ 舞い降りる心やさしい守護天使に、そばにいて守ってもらいなさい。
僕もきみのために、遠く壁の外からではあるが、言霊をもって語ろう。
それでも「生」を肯定する映画
あの「壁」がまだ存在していた時代のベルリン。
人が容易に入れないであろう高層ビルの上に
1人の男が立っている。
小さい子供たちにはその姿が見えるらしく
何人かの子供は指を刺して、立ち止まる。
よく観るとその男の背中には大きな羽があった。
彼は、人間社会を見守る天使。
人間の心の声が手の取るように聞こえるけれど
人間に直接、手を触れたり言葉をかける事は出来ないが
人間のすぐそばに寄り添うことで、
少しだけ人間の心に小さな「何か」を芽生えさせる事はできる。
そんな天使のダミエルはある日、
サーカス団の花形、空中ブランコ乗りの
美しい女性マリオンに恋をする。
それと同時に、これまでの長い間、
ただ人間を見守るだけで、
人間が五感で感じる喜びを感じることの出来ないことに
物足りなさを感じて来た事を
天使仲間のカシエルに告白してある行動に出る!
前半はモノクロのシーンも多く静かな内容ですが、
人間の苦しみ、悲しみを知り尽くした天使が起こす
ある行動に「生」への肯定感を感じる良作だと思います。
刑事コロンボを演じるピーター・フォークが
本人役でキーパーソンとして出演しているのも
なかなか面白いです。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
公開してしばらく経ってから衛星放送で鑑賞。
なんかいい映画だったと言う印象で、
昨年、神戸、新開地のパルシネマしんこうえんで久々に鑑賞。
今年「午前10時の映画祭14」で三度目の鑑賞。
天使たちが感じ取る人間の心の声。
親や子供や恋人といった人間関係の不安や
お金や健康や先行きの心配。
様々な苦しみ悲しみ不安を抱えて生きる人間たちを
見守ることしか出来ない天使達は
やがて人間達が争いを始めたり、
絶望のあまり自死してしまう姿に
実は深く傷ついていることが明かされる。
人間の苦しみ悲しみ不安を嫌と言う程観ていた
不老不死の天使でありながら
限りある人間の「生」に惹かれていく主人公。
人間の「生」を丸ごと肯定する結末が私は好きだな〜
主人公の後半の大転換後にこの世界を丸ごと、
身体中で受け止める喜びに満ち溢れた表情が最高です。
作中、天使は人間とは会話が出来ないので
人間の心の声はたくさん出てくるけど
出演者同士の会話はあまり多く無いので
そこに拘らなくても良いかもしれない。
って言うか、
最後のマリオンの言葉が意味が不明だったです。
(私の理解不足かしら??)
天使の時の様に無言で寄り添うダミエルの方が
逆に心に伝わってくるところが
言葉って実は空虚なもの〜そんな風に感じました。
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