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人間の根本的なフラジャイルさを、巨大怪獣も天変地異も用いることなく、たった一滴の悪意だけで暴き出す。コーエン兄弟はそういうのが本当に上手い。
片田舎のどこにでも起こりうる不倫騒ぎが血で血を洗う大惨事へと発展してしまった理由は何かといえば、それはマーティが自分たちの生活空間の内側にフィッセルという異物を招き入れてしまったからに他ならない。
不倫騒ぎの当事者であるアビー、レイ、マーティの三者は互いの腹の内を探りながら一進一退の心理戦を繰り広げる。そして己の不利を悟ったマーティは探偵のフィッセルを雇い、彼にアビーとレイを殺すよう依頼する。
しかしフィッセルはマーティを裏切り、彼に瀕死の重傷を負わせた隙に金庫から彼の店の金を奪い去る。数刻後、店にやってきたレイが瀕死のマーティを発見。それをアビーの仕業だと思い、必死の隠蔽工作に走る。
レイはアビーに全て終わったから安心しろと伝えるが、当然アビーは何のことだかわからない。もどかしい口論が延々と続く。この清々しいまでのすれ違いっぷりがコーエン兄弟だよな…
アビー、レイ、マーティの三者がかくも理不尽な悲劇に巻き込まれた理由を挙げるとするならば、それは彼らが人間の良心を過信していたことにあるだろう。彼らは互いを憎み合っていたものの、暴力も辞さない野蛮主義とは一線を画していた。いくら不倫とはいえ暴力による解決はよくない。正当な法的手続きや話し合いによって互いの妥協点を模索するべきだろう、と。
ただ、それが通用するのは、互いに良心を持った人間同士の関わりにおいてのみだ。したがってフィッセルのような内面が完全に欠落した異常者の存在(『ノーカントリー』のアントンもそうですね)を、彼らは信じられないばかりかそもそも思い描くことができない。そして彼らは良心の弾き出した誤答の上をフラフラと歩き回り、それによって取り返しのつかない結果を招いてしまう。
このへんの「ズレ」が、コーエン兄弟の作品が「ブラックコメディ」と呼ばれる所以なんだろうけど、本作の物語のアイレベルは常に良心を持った被害者たちに合わせられている。だから何もかもから遠ざかって高みからバカ笑いするような品のない冷笑とは全く違う。というかむしろ極限状態で発揮される人間の奇怪なダイナミズムを真正面からカメラに収めてやろう、という明確な当事者意識を感じる。
ラストシーンの攻防戦は処女作とは思えない凝りようで思わず唸ってしまった。隣の部屋の窓に伸びてきた腕をナイフでグサッ!あれは思いつかんわ。壁に次々と銃弾で穴が開いて真っ暗な部屋の中に光の筋が増えていくの演出もすごい。そりゃまあ大成するわな…と否が応でも納得せざるを得ない圧巻の出来だった。
『バートン・フィンク』『ファーゴ』『ノーカントリー』といった後年の作品群のルーツを窺い知ることができる傑作だ。