ファイト・クラブのレビュー・感想・評価
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しんどい笑
地下格闘技の設定とビジュアルが先行して話題になった作品だと思うけど、一方でトリック要素が強いサイコサスペンスということになるのかな。だから、最初観たときは、あれ、こんな感じなの?と意表を突かれ個人的にはハマらなかった映画。よくできてるのはわかるが凝り過ぎててしんどい笑
それを言うとセブンもそうだけど。。
だから、人生嫌になった普通のおっさんが夜な夜な集まってボクシングをする地下クラブ、だけで十分訴えてくるものはあっておもしろいのだが、そこから先の二重人格みたいなトリックが、あっそう、すごいね、てなる。別に冷めた見方してるわけではないのに、当時そうなったのはどこかテクニック論臭さを感じたから。
あらためて観ても変わらずだが、これは好みの話ということだろう。
ブラピかっこよすぎ
ダークでナイトメアな世界観
村上春樹+ブルースリー=ビル爆
古びてない
少なくとも、朝見る映画ではない。
今観ても面白い
ガチンコファイトクラブ
【”虚無的な日々を送る冴えないサラリーマンが無自覚に脳内で創造したモノ。”デヴィッド・フィンチャーワールド炸裂作品。】
ー 原作未読。ー
◆感想
ー 今更ながらなので、端的に。
但し、今作は2度観ると面白さは倍加すると、個人的に思います。ー
・サブリミナル効果という言葉が、劇中で何度も使われる理由。
・現状の冴えないサラリーマン生活に屈託を覚えている”僕”(エドワード・ノートン)の固有名詞が出て来ない理由。そして、劇中彼のモノローグが延々と続く理由。
・移動途中の機内の”僕”の臨席に座った、石鹸販売の男タイラー(ブラッド・ピッド)が”僕”に、”世の中でフツーに使われているものから”爆弾”は作れる・・。”と言うシーン。
・鬱屈した生活を、”一対一の戦い”で、肉体を傷つけながら(自傷行為)、生きている意味を感じ取る男達の姿。
・マーラ(ヘレナ・ボーナム=カーター)と”僕”と、タイラーの関係性の描き方の妙。
<再後半になって、”僕”と、タイラーの関係性が明らかになって行くシーンの見せ方の巧妙さ。
デヴィッド・フィンチャーの作品の中では、最後半までは難解さが際立っているが、その後の展開と、”僕”が日々フラストレーションを抱えていた消費社会に対する、痛烈な皮肉を表したラストシーンの爽快さは、図抜けている作品である。>
とにかくブラピがかっこいい
面白い!
人によっては覚醒剤の映画
殴り合え!スカッとするぜ!
【極力ネタバレしない様にレビューしてみました】
冴えない会社員のジャックは不眠症に悩まされていた。そこに破天荒な男タイラーが現れ、ある日飲みに行き仲良くなる。その帰りにどういう訳か、殴り合いをすることになる。お互いボコボコに殴り合うが、これでジャックはストレス発散できた。毎晩のようにジャックとタイラーは殴り合った。それを見ていた見物人達が、自分たちも殴り合いたいとなり、ファイトクラブが結成される。
本編はこの後、様々な展開を迎え、タイラーの犯罪行為などもあるが、観ている方はスカッとしてしまう。そして衝撃的なラストを迎える。
私も仕事のストレスで不眠症気味になり、運動不足解消のために総合格闘技を始めた。似たような境遇で、心に刺さるものがあった。でもこの感情は私だけでなく、この映画の見物人や、この映画を好きな多くの人に共通する感覚なのだろう。
オスの本能、生きている実感、殴り合うことでそれが満たされる。自分たちは知的な生き物のふりをしながら、獰猛な動物に戻りたがっているのかもしれない。
何か自分を変える、イマイチな人生を変えるヒントがあるような気がした。
最後にこの映画の結論としてはブラピがかっこ良い!
ブラッドピット全開!
若者だからこそ
各所に散りばめられた巧妙な伏線の数々とは裏腹に、映画の展開はかなり破茶滅茶で、そこがウケるかウケないかでこの映画の評価は分かれると思います。
しかし、消費社会の奴隷となる人々への批判と、内なる自分の解放を見事に表現したデビッド・フィンチャー監督の手腕は素晴らしいとしか言いようがありません。
また、この映画が公開された90年代末ごろは日本で「ゆとり世代」などと若者が批判に曝されたのと同様に、アメリカでも若者は「スラッカー(怠け者)」と呼ばれていたようです。主演のエドワード・ノートンはそういった若者が抱える虚無感や無力感を理解した上で演じていたようなので、この映画にも説得力が生まれたのだと思います。
90年代以上に社会の結びつきが弱まり、人々の関心が自らの内面に向かっている現在において、この映画は若者にこそ刺さるのかもしれません。
ブラピのかっこよさで成立してる映画だけどそれだけで傑作
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