二十四時間の情事のレビュー・感想・評価
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七十二時間の広島サミット
1959年公開、日仏合作、白黒、フランス語作品
ものすごい傑作です
世界的映画賞をいくつも受賞したのは当然と思います
2023年5月G7 広島サミットが開催されました
核保有国も含め参加各国の首脳が原爆ドーム、平和記念公園、平和資料館を見学したのです
原水爆反対へのメッセージを、これまでにない強力なレベルで世界に発したと思います
更には戦争中のウクライナからゼレンスキー大統領が駆けつけ参加されたことで、この広島サミットは大変に意義のあるものになったと思います
ウクライナは、いつロシアから核攻撃受けるかも知れない状況にあるのですから
サラエボの一発の銃声が第一次世界大戦を引き起こしたように、ウクライナでの一発の核爆弾は、第三次世界大戦を引き起こすに間違いないのです
それはすぐさま全面的な核戦争にエスカレーションするでしょう
それは欧州だけでなく、米国もアジアも核の応酬を受けることになることでしょう
そのとき日本だけが局外にあれる訳はなく必ず巻き込まれると思います
日本に核が再び落ちる可能性は排除できないのです
だからこその広島サミットだったのです
本作の原題は「ヒロシマ、モナ・ムール(訳:広島、我が愛)」
本作のテーマは冒頭15分程までの会話にあり、原題の意味もそこにあります
長いですが少し書き起こします
君は広島で何もみていない
すべてみたわ
原爆病院だって見た、確かよ
広島にいるのよ
見ないですませられる?
君は病院を見ていない
何ひとつ見ていない
4回も資料館に行ったわ
中略
資料館で広島を見たわ
見学者の姿も見た
ふさぎこんで写真付きや展示を見る人々
写真、また写真
果てしなく続いている
写真、そしてたくさんの展示物
解説と展示物
それしかない
資料館に行って見たのよ
気が沈んだわ
鉄、焦げた鉄、砕けた鉄
土のようにもろい鉄
瓶のふたの塊
考えられる?
焼け残った皮膚が苦痛を物語る
燃えた石、砕けた石
女性達の髪も見たわ
一晩で抜け落ちたそうよ
平和公園は暑かった
爆発で一万度の熱
知ってるわ
太陽の熱があの広場に
無視できる?
人々の死を
君は何も見ていないよ
展示品は真に迫っていた
映画も真に迫っていたわ
映像は正直よ
だから見学者は涙を流すの
真実だもの
見学者は泣くしかないでしょ?
私も広島の運命に泣いたの
違うな
君が何に泣けるんだ?
ニュース映画も見たわ
被爆二日目の映像を
中略
君は見ていない
すべて思い込みだ
中略
私は広島を忘れないと思った
恋のように
広島サミットは3日間、二十四時間ならぬ七十二時間でした
サミットは半月前に閉幕し、参加各国の首脳は平和資料館の記憶を胸に帰国されました
ゼレンスキー大統領もまたウクライナに戻りました
サミットで各国の更なる支援を取り付けた今いよいよ反攻を開始すると断をくだしたといいます
君達は何も見ていない
本作のメッセージは、公開から64年もの時を超えて、21世紀に広島サミットが開催されることをまるで知っていたかのようです
各国首脳、そしてゼレンスキー大統領が献花した原爆死没者慰霊碑にはこう刻まれています
安らかに眠ってください
過ちは繰り返しませぬから
先ほどの台詞の続きにこんなくだりがあります
私は忘却を知っているわ
君は忘却を知らない
そうあって欲しいことを切に願います
表面的には男女の物語でありながら、本作は核戦争の恐ろしさを表面的な理解だけで分かった気になるな
恋のように一生忘れられない熱情で考えろというメッセージだったのです
本作公開は1959年6月
フランスが核実験を成功させて、四番目の核保有国になったのは1960年2月のこと
たった8ヶ月後のことだったのです
広島サミットでもフランスのマクロン大統領は、核のボタンが入っているカバンを部下に持たせ平和資料館に入って行きました
これが現実なのです
夢想的に平和を祈念しているだけでは平和は維持されないのです
私たちはそんな世界に生きているのです
『ひろしま』
最初は男女の絡み映像なのだが、仮名ヌベール(リヴァ)が広島原爆の惨状を博物館などで見た光景を織り交ぜながらストーリーが進む。両者とも既婚であるが、家族を失った広島での出来事は忘れたいとばかりに岡田英次は淡々と愛を語る。残り撮影は1日、24時間後には帰国しなければならないヌベール。朝方、これでお別れとばかりに切り出すも、岡田は納得できない。撮影が終ると、すぐさま自宅へ招き入れ二回戦の始まりだ・・・
徐々に別れがたくなってくる両者。今度はヌベールの過去が語られる。ドイツ人との禁断の恋。破局、銃殺、そして彼女自身非国民だと地下に閉じ込められたこと。辛い過去があったからこそ、岡田との恋にのめり込み、広島の惨状に涙できたのだ。
原爆体験をフランス人目線からではあるが、世界に発信できたのは大きな功績。反戦反核映画と言えないこともないが、日本人目線からは当時の広島の様子、特に、不夜城となるくらい繁華街が活発だったりしていたことも興味深い。
序盤に登場する広島の惨劇の映像は映画『ひろしま』からの映像だったと後から知った。
戦争の傷の芸術的表現
総合:50点 ( ストーリー:50点|キャスト:65点|演出:60点|ビジュアル:60点|音楽:65点 )
第二次大戦後の2人の出会いから、彼らの過去の戦争の傷に触れていくことで戦争の悲惨さを表現する。
それはけだるく感傷的で孤独で、詩的でもあり芸術性を感じる。
だが分かり辛いし、悠長で退屈する部分も多い。戦争の被害者の断末魔が、彼らのいる原爆で破壊された悲惨な広島というすぐ近くからではなく、何かもっと遠い彼方から聞こえてくる。現実の戦争の悲惨さに1つ芸術という緩衝材を挟むことで、直接的な表現が少なくなり難解で抽象的な概念になってしまっている。戦後何年もたって未だに生きる屍のような気力を亡くした女を通じて、彼女の内側に残された傷だけを味わっているよう。
こういう表現方法の価値もわからないではないが、万人向けではない。ちょっと観るのに気力がいる。こんな作品もとりあえず経験として観ておいてもいいかというところ。
ただし妖しい力もある。もし自分が心に傷を負い孤独でいる時に観たのならば、登場人物と共にどっぷりと自分自身もその雰囲気に沈んでしまいそう。そんな時に観たのではなくて良かったかもしれない。
弄んでいるようにしか思えない
ヒロシマ・モナ・ムール
悲惨な出来事をアートというベールで包み込み、好き勝手に弄んでいるとしか思えない、かなり辛辣な表現になってしまったけれど、正直な感想をいうと、そうなってしまった。
原爆の悲惨さは、決して理解されないものなのかもしれない、そう思わざるを得ない。
そもそもこの映画を原爆を描いたものと捉えて鑑賞すること自体間違っているのかもしれない。単に広島とフランスの交わりを描いたに過ぎないわけで、そこに悲惨な出来事も当然のように絡んでくるだけに過ぎない。しかしながら、そう捉えたとしても余計に作品の価値を見いだせなくなってしまうだけのような気がする。
なかなか作品の意図が見えなかったので、評価もしづらい。
これもヌーヴェルバーグ?
??謎、意味不明!何が言いたいんですか、これ。 フランスのイケイケ...
難解で美しい
被爆地での行きずりの情事(不倫)。
一体どんな関連性や意義があるのかと興味が湧きました。
体験と記憶、記録と見聞、そして忘却による救いと破滅がテーマのようです。
1959年広島。
反戦映画出演のためヒロシマに滞在中のフランス人女優(34歳)と建築家らしき日本人男性(36歳)が出逢い愛し合う。
物語はほぼ彼らの会話だけで成り立っており、時間の経過が分かりづらいので整理します…。
彼女にとってヒロシマ最後の夜、
退屈そうにしている彼女を彼がナンパし、彼女のホテルの一室で情事。
ベットではひたすらヒロシマの話題①。
翌日撮影に出かける彼女。
彼は撮影現場まで出向き、彼女を執拗に(^_^;)口説く。
午後彼は仕事をサボり、妻不在である彼の家で情事。
床では彼女の故郷Neversの話題に。
離陸時間まで残り16時間となった夕暮れ時に、ヒロシマの街へ繰り出す二人。
「どーむ」という名の喫茶店兼バー。
ここで彼女は初めてNeversでの辛い体験を他人である彼に話すことになる②。
そして夜が明けて…
過去と現在の「行きずりの愛」に揺れ動く彼女を、引き留めたい一心の彼はひたすら追いかける…。
厳密には知り合ってから24時間以上経過していますね。
①ヒロシマの話題
彼女が「病院も行った。原爆資料館には4回も行った。被爆者の写真や映像や模型があった。だから知ってるわ。見学者には泣くことしかできないでしょう?」と語るのに対し、
「君はヒロシマで何も見てない。一体君は何に泣いたんだ?」と返す彼。
彼の家族は原爆投下時ヒロシマに居た。
彼は戦地に出向いていたため留守だった。そう話す彼に答える彼女の一言「運が良かったわね。」
②Neversの話題
戦時中18歳だった彼女は23歳のドイツ兵と駆け落ちするつもりが、ドイツ兵は撃たれてしまう。泣きつく彼女の身体の下で息を引き取った恋人。敵兵と恋仲だったことから、彼女はリンチで髪を刈られ、父親は仕事を畳むことになってしまい、両親にも煙たがれる。愛する人を永遠に失ってしまった喪失感と孤独感から彼女は発狂気味になり、2年間地下室に閉じ込められ20歳を迎える。
劇中でも言われていますが、原爆が投下され世界は歓喜に沸いたと。
海外…(少なくともアメリカ)で無知の人はナガサキをろくに知らず、
ヒロシマ=原爆=終戦(嬉!)
なんですよね…。
映画では、①わずか9秒間で28万人が死傷(本作より)する大惨事と②敵兵の恋人が殺され、ひとりの女性が失恋し家族に幽閉されるという悲しい体験が回想されます。
フランス人女性は、若さゆえドイツ兵に純粋に恋していたのでしょう。それがナチス劣勢となり街から軍が撤退したのを機に、彼女の世界は一変してしまいます。彼女にしてみたら、ナチス支配下のほうが幸せだと感じたことでしょう。彼女がヒロシマに関心を持つのは、広島も、投下直後の地獄の様と比べたら、投下前(海外目線だと戦時中)のほうが余程幸せだったのではないだろうかと、無意識に共感しているのではと思いました。
ヒロシマもNeversも、規模は違えど2人にとって悲劇の地であることに変わりありません。2人とも各地で命を落とす可能性すらありました。「運良く」被曝しなかった男性とNeversの一件で今の「彼女らしく」なった女性が出逢うには必要な悲劇だったのかも知れません。
①ヒロシマのような惨劇を繰り返さないためには、記録を残し後世に語り継いでいかねばなりませんが、どれだけニュースを見ても、何度資料館に足を運んでも、「見た」だけに過ぎないのです。14年後のヒロシマは、ネオン輝く眠らない街へと復興しています。たとえ「見えなくても」あの時のヒロシマを思い出せるのは、経験者だけです。何が起きたか「知る」努力は必須で、その感覚を想像しなければならないけれど、「知った気」になってはいけないのです。
②「人生に起こる困難をときには考えないほうがいい。」
忘却は人間が生き延びるために必要な能力。
しかし女性は、相手がまたかつての敵国出身者という、14年ぶり2度目の、叶うことのない行きずりの恋愛にはまり、再び裏切りと不貞と嘘のスリル、恋の破滅と共に死んでいくような感覚を思い出してしまったようでした。
どんな悲劇も、どんな大恋愛も、時間が経てば忘れてしまうのだろうか、残したい記憶さえもかすれてしまうのだろうか、あんなに愛した人を忘れる自分は薄情だろうか、恋人の死体は運ばれてしまい、墓を建てるわけにも、原爆のように石碑を建てるわけにもいかない、誰にも言えなかった過去をよく知りもしない日本人に話している自分は、あの悲劇を乗り越えたのだろうか…、と彼女の葛藤は続きます。記憶に留めておきたい反面、忘れないと生きていけない、しかし忘れた頃に相手を替えてまた同じことを繰り返してしまう人間の危うさ。戦争もそうでしょうか…。
2人が無言で見つめ合うクラブの名はCasablanca。
“Hiroshima Mon Amour”
それは彼女にとっての彼のこと。
果たして彼女の選択は…。
この見目麗しい素敵な男女にベンチで挟まれ不思議そうにしているおばあちゃんが可愛いかった(^^)。
詩的なやり取りが続くので、万人受けではない作品かと思いますが、最初の1/3だけでも是非観ては如何かと。特に政治家や核兵器賛成の方々…、口唇が吹き飛んだ男児、全身焼けただれた少年らの眼に映る絶望と困惑の光を見ても、核に頼りたいですか??
主な舞台となった広島の風景、「どーむ」の雰囲気、全てがとても美しく、地獄の面影はありません。
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