ニュー・シネマ・パラダイスのレビュー・感想・評価
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『自分のすることを愛せ』
アルフレードがお別れの時に言ったセリフ
『自分のすることを愛せ』は心に温かく染み渡りました。
その言葉はとても単純なのに、とても深くて
グッと背中を押してくれる素敵な言葉だと思いました。
ニューシネマパラダイスの有名な主題歌、
この音楽がフワっと包み、
悲しいけどとても温かい人の関わり、出会いを想わせてくれます。
2回目の視聴でしたがやっぱりいいですね。
自分の仕事や環境が、うまくいかず落ち込んでいたり
自信がなくなっている時に観たい。
まるで自分がトトになったような
少年になってアルフレードがそっと強く、冷たく、温かく
応援してくれてるような
そんな気がします。
大好きな映画です。
映画愛に溢れる名画
映画は娯楽じゃない、芸術だ
久しぶりに涙が止まらなかった。ああ映画っていいなあ、純粋にそう思えるような作品だった。
映画はいい、けど映画というものは所詮娯楽、そう考える人も多いだろう。確かにそうかもしれない、特に今は劇場に行ってもトリッキーなジャンルの映画は放映されてないし、逆に選択肢が多い動画配信サービスで好みの作品をいつでも見れるのでわざわざ変なものは見ないだろう。
しかしこの映画が舞台となった主人公の幼少期の時代は当然ネットも何も無い、レンタルビデオ店も無い時代だ。そんな時代の田舎の楽しみは映画だけだろう、それは金持ちや貧乏人、知識人や字が読めない者も関係なく楽しめるからだ。
映画が唯一の娯楽だった時代、映画は自由だった、ジャンルが広かったのだ。短絡的なアクションや訳の分からない芸術作品、ただのエロもの、これらにどっぷり漬かり大人は熱くなり、子供は夢を見たり、社会の汚い部分を学んだ。
恐らく今を生きる若者よりも映画というものが人生において占める位置が大きかったに違いない。これら喜怒哀楽が豊かだった時代の映画を娯楽という一分野で簡単に片付けられるはずがない、そう感情を映像化した究極の芸術作品である。
この映画はそんな時代の映画を愛し、懐かしむ人々に見てほしい作品だ。
仮にそんな時代の映画を知らない人にはただ映画が好きで好きで仕方ない、そんな純粋な子供心を疑似体験でき、楽しむことができるだろう。
郷愁と初恋と恩人への想い…
20年ぶりに鑑賞!
泣かせる名セリフ 『俺を忘れろ』、 イタリアの寅さん
青年が、師匠と分かれる場面。 師匠が青年に言う。『俺を忘れろ。お前とは会わない。』 青年は、師匠の深い愛情を即座に理解し、静かに一言『グラッツエ』(ありがとう)
『男はつらいよ』 寅さん的な、温かさ。いい涙が出ました。
人生最高の映画! 何度も泣いた!
郷愁と共に謳い上げる人世讃歌。間違いなく名作です。
ほぼ全ての映画館が再オープンした今、名作のリバイバル上映で久しぶりに観てあらためて感動した。
1989年のイタリア映画の名作。当時映画館で確か続けて2回観て、映画雑誌スクリーンに感想を送ったほど感動した記憶が。
その後ビデオでも何度か観て、ご無沙汰してました。
やっぱり大画面はいいですね〜
古き良き映写機の時代。舞台はシチリア島。
映写技師アルフレッドに弟子入りしたいたずらっ子トトの物語。
2人は親子のような関係を結ぶも、時の流れとともに街も変わり、戦争もあり、人も変わり、恋に敗れ、若き青年の旅立ちの時がやってくる。
「故郷を振り返るな。手紙も送るな。おまえはローマで大きくなれ。羽ばたけ」と突き放して送り出すアルフレッド。
何度も観たはずなのに、動き出す列車から見るアルフレッドの背中がどんどん小さくなり、涙で霞む。
昔よりも、映画の中身をより味わえている自分がいました。軽い驚きでした。
それだけ私も経験や年を重ねたということ。
この映画でも、そう。
ローマで出世して30年ぶりに帰郷したトトと同じ目線で眺める故郷の町、懐かしい人々。
すっかり古びた廃墟の映画館。
時の流れには誰も抗えない。
必ず年老いて、死んでいく。
短い一生の中で、精一杯生きること。
愛をみつけること。
『自分のすることを愛せ』と
遺言のようなアルフレッドの言葉と共に、
トトに遺した形見のフィルムの映像は、涙なしでは観られません。
どんな思いでこのフィルムを繋いだのか…
シチリアの、名もなき映写技師の人生は平凡ですが、トトの人生にどれほどの影響を与えたことか。
人とは、小さくも大きなものですね。
映画愛と人生愛が溢れている、素晴らしい映画。
音楽も大好きです。心にジーンと染み入ります。
コロナ禍の特別上映にホッコリ
映画は夢でしかない 、ならば夢のまま
訳がわからないほど泣いた 。
ラジオやテレビが発展し 、映画館の客足が減るばかり
「もう映画は夢でしかない」
その言葉が脳裏に刺さる 。
映画館というものが 、その村にとって唯一の娯楽であり夢でもあった 。
その時間を楽しむために人々は何時間も並び 、劇場にぎっしりと埋まるほどの観客が1つの夢を同時に見る 。
なんて素敵なことだろうと感じた 。
今や1人でも手元のデバイスで楽しめてしまう 。
映画館にいても外部との連絡が絶たれるのが怖いのか映画に集中できない人もいる 。
どんなにクリアな映像や音声 、リアルな怪物が襲ってきたとしてもこのニューシネマパラダイスと同じような夢は見れないであろうと思った 。
映画は夢でしかないのかもしれない 、ならば夢のままでいい 。
いつまでもアルフレードやトトが繋いできた夢を見ていたい 。
永遠に残る名作
映画好きには必須
矛盾した構図とテクニシャンの処女
村上龍の料理小説「ウェルク」じゃないけど、愛に溺れる者は人々に愛を見せる者になることはできない。
つまり映画を作りたかったら、映画への愛に溺れてはいけない。
主人公は郷愁を禁じられながら、作品自体が掻き立てるものは紛れもなく古きよき時代への郷愁、という巨大な矛盾が提示されます。
トトはいちおう主人公らしく描かれていますが、それにしては故郷のパートが極端に長すぎる。
同じ帰郷ものである「ヤング≒アダルト」なんかと比べれば一目瞭然です。普通は何十年後に帰る、そこで起こることがメインになるはず。
とすれば真の主役は表題に象徴される映画館と名もなき観客たち、彼らが映画とともに生きていた時代そのもの、というこのなのかも…
一見するとクラシカルな匂いが強烈ですが、構造としてはメッチャ現代的なんですよね。
おそらく当人もものすごい映画好きなんだろうな、と思わせる作り手の映像技術が炸裂してて、ものすごいテクニカルな作品だと思います。
その点でタランティーノにも通じるものを感じる。
なのにそれを感じさせずに映画好きのみなさんにグズグズに愛されているあたり、すごいなあ。テクニシャンの処女ってこういうことを言うのかしら。。
でもいくら名曲だからって、テーマ曲はいくらなんでも多用しすぎ、本家がすでにコント化してませんか? っていう。
それすらも狙いだとしたら…((((;゚Д゚)))))))
それはともかく、アルフレードも相手がトトだからこそ、理想的なメンターとしての姿勢を貫けたんだろうな、という師弟関係はまちがいなく感動的で、そこが一番好きなところでした。
トトのラストの表情の意味 〜 あのとき自分が選んだ人生
アルフレードの形見のフィルムが上映されるラストシーンで、トトは何を思っているのか?午前10時の映画祭の映画館上映を鑑賞した後、一日中考えてしまいました。
幸せそうな表情には見えたのですが、幸せなのはアルフレードの愛を感じたからなのか・・・いや、それだけではないのだろうなと考えるようになってきました。
アルフレードの死の連絡を受ける前のトトは、決して幸せだとは思えません。30年を経てどうやら偉くなってはいるものの、故郷に帰ってから過去にエレナを撮影したフィルムを観るシーンからは未練が感じられ、常に異なる女性と関係を持つものの愛のある伴侶には巡り会えていないようですから。
・・・この様々な女性と関係を持つトトの人生って、キスシーンが連続する形見のフィルムみたいですね。そして、そのフィルムを欲しいと申し出たのは、幼少期のトト自身でした。
もしかしたら、良いことも良くないこともあるトトの人生を選んだのはトト自身であるということを、少年時代の回想と形見のフィルムからトトは思い起こせたのではないかと思います。
つまり、トトをラストシーンで癒したものは、あのとき自分が選んだ人生だったのだという納得感なのだと、今、私は考えています。しかも、この人生の選択は、「子供の時、映写室を愛したように」といわれるように心からの愛が起点にある選択です。ですから、それを思い出しさえすれば、幸せな人生だと思うのです。
誰の人生にも良いことと良くないことが共存していると思うのですが、それは過去に自分が心から好きで何かを選択した結果なのだということを思い出せれば、癒されるように思いました。
(そして、さっきから私自身の人生を思い出し始めています。)
@@@
エンニオモリコーネの音楽、良いですね。「お前の話は聞きたくない。お前の噂が聞きたい。」という言葉にもグッときました。帰郷後に取り壊し間近の映画館を目にするシーンでは泣きました。私が観たのは約2時間の短縮版なのですが、約3時間の完全版があるそうですね。いつかそちらも観てみたいです。
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