2001年宇宙の旅のレビュー・感想・評価
全228件中、161~180件目を表示
更に評価高まる
「2001年〜」IMAX版。
10回以上は観てる作品ですが、改めて感動。大迫力で価値ある体験ができました。
実は本作を映画館で観るのは、初めてですが、料金以上の満足度でした。音源は元のものを使ってるようで、少し雑音入ってたりしますが、映像は50年経った今の大スクリーンでも、十二分に堪能できる美しさ。休憩時間も本当にあったりで、往時の体験が出来ます。
1968年の作品ということで、さすがに大画面にすると細かい古さは見えますが、最近のCGの「リアルだけどなんかチープ」という映画が多い中で、この実写感は逆に新鮮です。それにしても、50年前にここまで作ったとは、キューブリックの偏執度合い、改めてすごい。
物語としては、とっつきにくい話ですが、AIの反乱という、今になってリアル感が出てきたテーマも盛り込まれていて、まったく色褪せません。
時代を超え、これから50年後もまだ語り継がれる映画ですね。
IMAX最高 総合芸術
2018/10/19 IMAX鑑賞:
欲しかったのはこれです。この迫力、没入感。シネラマが無くなってから忘れてかけていた、”求めていたもの”はこれだった。
クラークの小説も読んでます。”2010年”も見ています。
でも、見たかったのはこれだと思わせてくれる。
2013年上映時レビュー:
久しぶりに映画館で2001を見た。
シネラマサイズでなかったのが残念だが映画館で見る価値はある。
初公開で見て以来長い年月の間にたまった解釈と薀蓄が久しぶりの鑑賞の邪魔をする。
久しぶりに見たからといってこんな事になる映画はまずないだろう。
映画に入り込むまで時間がかかった。
45年たっても後を引く映画はやはりただ者ではない。絶えず新たな発見を与えてくれる。
おそらく前回見たときは自然だったものが新たな違和感/発見となってくる。
当時見たTV番組もそうだけどあのころ思い描いていた未来が懐かしい。
また何年か後に見たいもの。
+5年 2018/10/11国立フィルムアーカイブで70mm鑑賞:
機材、技術が移り変わる中、70mm上映を実現させた人々に感謝します。やはりシネラマの迫力がないのが残念ですが、開幕前のオバーチュアから始まり、インターミッション、閉幕後の音楽まで再現。ストーリーを追うだけではなく、総合芸術を目指したキューブリックの思いを実現していました。
キューブリックは無神論者
難解な作品には、二つの原因がある。一つは監督が本当に混乱した状態で制作された作品である場合。もう一つはワザと分からなくしている場合。前者の代表がデイヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』。後者の代表がこの『2001年 宇宙の旅』である。ワザと分からなくしたおかげで、名作、傑作として後世に伝えられることになった。その辺りの読みは流石のキューブリックである。
難解な作品の代表としては、ルイス・ブニュエルの『黄金時代』があるが、それは宗教的あるいは文化的な比喩が大量に流れ込んでいて、我々のようにその枠外にいる人間には、直感的に伝わりにくい という事情がある。それに比べるとキューブリックは無神論者のため、こうした比喩が極めて少ないのがありがたい。その意味でこの作品は極めて論理的に作られている。
分かりにくさの原因は説明不足によるもので、それらはアーサーC.クラークが正式な解題として著した小説に全て盛り込まれている。『2001年宇宙の旅』の謎を温存するために、あえて映画の公開から遅れて出版されていたりもする。高校生の頃、この小説を読んで、これはあの哲学的で深遠な『2001年宇宙の旅』のクラーク的解釈、つまりは一つの可能性と考えたが、そうではなくこれが正式な回答。まぁ、それを認めるのに30年もかかってしまったが(苦笑) 小説を読んでしまうと、『2001年宇宙の旅』が思いの外、つまらない作品に思えてしまうので、要注意かもしれない。『2001年宇宙の旅』は分かりにくさにこそ、超時代的な普遍性があったわけだ。
宇宙の旅なので、演出は信じられないくらい間延びしていて、無音状態が結構あって、睡魔に襲われることおびただしい。鑑賞には、体調万全で望みたい。そもそもこの作品はシネラマで撮影されていて、宇宙旅行を簡易に疑似体験する という目的で作られていたりもする。この作品がストーリーはともかく、映像や美術が素晴らしい と評されるケースが散見されるが、そのために作られているのだから当たり前である。
全体のプロットはフリードリヒ・ニーチェの超人思想がベースになっていて、進化をテーマにしているが、その進化のきっかけを神と見紛うばかりの地球外超知的生命体が、たぶん単なる興味か暇つぶしにまかせて、モノリスによってもたらす。なのでテーマ曲として、進化を迎える重要なシーンでリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が鳴り響く。ニーチェの哲学書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で述べられている ラクダから獅子そして幼な子への三段の変化 と呼ばれる精神的な進化のプロセスを映画の最後の辺りでは、非常にダイレクトに映像化している。ラストシーンに登場するスターチャイルドと呼ばれた幼な子は、核ミサイル衛星が飛び交う一触即発の地球に間一髪、帰還して地球の新しい支配者として、次のプロセスに人類を導くことになる。戻るのが少し遅れると、地球が猿の惑星になっている可能性もあるけど(爆笑)
それ以外に、高度に進化したAIは神経症に陥る可能性があるとか、オデッセイとは様々な試練を経て王が帰還するという物語であるとか、キューブリックの他の作品でもよく主題に据えられる小ネタもたくさん入っている。
琴線に触れる。
意味がわからないだとか名作だとか寝ただとかという感想を聞いたことがある今作。
どの感想にも納得しました。とても人を選びそう。
セリフが少なく、画面が静かにゆっくり動くので眠い時にはオススメできません。
言葉ではなく映像で理解させようとする作品。
そのためラストは特に難解。このような映画は、他の人の解釈や感想を読んで理解を深めたり新たな発見ができたりと、鑑賞後も楽しめるので個人的には好きです。
わからないからつまらないで終わってしまうともったいない、是非調べて知って欲しい作品です。
しっかし、こんなに映像で魅せられた映画は初めて。芸術作品とも取れるほど。
内容としては、高次元の知的生命(黒い直方体。モノリスというらしい)に導かれた人間の進化(現人類からの超越)を描いています。
宇宙や宇宙船の表現がとてもリアル。今見ても古臭さを感じません。静かでゆっくりとした映像が宇宙のイメージと合っています。
それを退屈に感じる人もいるかもしれませんが、白、黒、黄色、赤といった色のコントラストとその配置がとても美しく鮮やかで、見ていて飽きさせません。
しかもこの映画、アポロ11号が月面着陸を達成したとされる年の1年前、1968年に公開されています。これには驚き。
作中には今では当たり前となったテレビ電話やタブレット端末、会話やチェス対戦ができるAI、HAL 9000(ハル)が登場します。
先見の明がすさまじい…!
そのハルが起こす一波乱。映像と音のみでの演出が恐ろしく良かった。
更にその理由やセリフがとても私好み。AIに感情は生まれるのでしょうか。
今作で一番感情移入できたのがこのAIであることも興味深い点です。
この映画から着想を得たり、参考にして作られたSF映画は多そうですね。最近ではインターステラーとか。
不思議で美しい映像体験。
古い映画なのに今までにない新しい感覚。
琴線に触れる映画です。
2001年宇宙の旅
ディレクターが芸術的なインスタレーションに似たあらゆるシーンにもたらすディテールの感覚に私は驚いた。シーケンスショットは宇宙のように冷える。トラベリングはゆっくりと美味しく、小さな人形のように宇宙で英雄を回します。これは感覚的で形而上学的な経験を生み出すサウンドトラックに理想的です。いつものように演出家が知的に提起した質問に明確な答えを与えることなく、私たちの脳は複数のトラックを探検することができます。この長い最後のトンネルは、それがCarlコンピュータの究極の夢だろうか?多分。またはそうでないかもしれません。いずれにしても、映画にはただひとつだけ知っている人の謙虚さがあります。彼らは何も知らないのです。我々が作ることができる唯一の苦情は、コンピュータが外出を拒否するスピードです。この中心的な部分は、映画の熟考的で綿のような側面を考えると、少し薄くなっていました。しかしそれはまだ壮大で催眠的な光景であり、幸いにも宗教を通過することなく生命の起源についての本質的な質問を私たちに求めます。私たちに先行していたかもしれないこの黒いモノリスは、無生物に魂があることを証明するものでしょうか?多分。またはそうでないかもしれません。
なぜか夢中になってしまう映画
キューブリック作品は本作が自分にとって4作目。非常に興味深い作品であった。
ストーリーは完全に理解することはできなかったが、"モノリスによる人類の進化と人類のモノリス探索"を描いたもの。
ラストシーンは正直、何を表現したかったのかよくわからなかった。でも、謎にあの世界に引き込まれるのはキューブリックの演出と壮大なスケール且つリアリティ溢れる描写があったからである。鑑賞後もかなり考えさせられる映画である。でも、理解できなくて消化不良の感じがあっても満足できるのがこの映画である。何か鑑賞中に異世界に行ったような変な感覚に陥ることができるからである。キューブリックの演出はやっぱり変態的で面白いなと感じる作品だった。
SF映画はあまり得意ではない私がかなりのめり込んで鑑賞できたので、SF嫌いな人でも楽しめるはず。他のキューブリック作品が好きな人は絶対楽しめるはず。
半世紀経っても未だに最前衛、最先端
キューブリックの後継者を自認する、クリストファー・ノーラン監督によるレストア版をIMAXで、しかも日本一の映像を誇る109エキスポシティで観賞
キューブリック監督の意図したであろう映像表現に21世紀に生きる我々が一番近づける方法で観賞する事ができました
本作公開より50年も経つのに、全く古さがない
未だ最先端、最前衛の映像表現と音響体験でした
IMAXの大きなスクリーンに投影される映像のクオリティ、そして肉体が共振する程の音響の効果がフルに発揮され、本作の特別な体験に没入することができ、大きな満足感を得ることができました
本作を超える映画は半世紀経過してもなお、未だにないとの再確認となりました
本作の解釈は過去50年され尽くされたかと思いますが、それでもなお現代的であり、21世紀になってHAL実現に近づいて来た現代でこそ重要性を増して来たと言えるでしょう
自分なりの解釈としては、モノリスは知能を促進させて木星近傍にあるスターゲートに越させる為のもの
冒頭の真っ暗な中で音楽が鳴るところから映画は始まっており、地球の誕生、MGMのロゴで有機質の誕生、メインタイトルで生命体の誕生、ここまでは暗転毎に数十億年が経過する
その後アフリカの太古の平原のシーンとなり、そこからは暗転毎に数万年から十数万年経過する
数万年、十数万年経過しても見た目はほとんど変化がない
しかし良く見てみると類人猿達が次第に集団を形成し、家族の萌芽が見えたりしていく進化の過程が伺える
いつしか水溜まりという資源を巡り集団間で威嚇程度ながら闘争も起こる
そして、ここにモノリスが出現することにより知能が急激に加速され、類人猿の集団間の闘争が一気に武器を使用したものになる
そう、放り投げた骨が衛星軌道上の核攻撃衛星に変貌するのだ
暗転毎の数万年の区切りでみれば、あの類人猿の姿からそこまでは一瞬のことなのだ
そして月の地下に隠したモノリスを見つけ出せる知能を持ったならば木星に来るように促している
それ故に類人猿は骨を宇宙に向けて高く高く放り上げるのだ
そして、木星に辿り着く事が出来るのは、人類なのか、人工知能なのかの闘争が行われるのが後半の物語だ
つまり、どちらの存在がより高次の存在に進化できるのかをかけた闘争が行われる
その意味では類人猿の集団同士の生存闘争と何ら変わらない
故にインターミッションは、類人猿間の闘争から、人類と人工知能との闘争の段階に至ったとの区切りとしてそこに入れられているのだ
その闘争が必然であり不可避と気づいたのは人工知能側であり、人類はその闘争の意味すら理解できていなかった
しかし、その戦いに人類は勝利をおさめる
HALの論理回路は光素子による透明な平たい直方体ブロックなのだが、モノリスを連想する形態ではなかろうか?
ロココ調の豪華な部屋はボーマン船長かHALの記憶を漁った五つ星のホテルを模したものだろう
何故なら宇宙ステーション内のヒルトンのロビーのシーンを見せることで、白い床は宇宙のホテルの記号であることを印象付けようとしているからだ
そこでは最早時間が観測者による客観性を失い、到着したボーマン、孤独にその部屋で暮らすボーマン、独り死に行くボーマンがそれぞれが同時に存在する
その量子的ゆらぎの有り様を白い部屋で表現したものだろう
スターチャイルドは、より高次の知性体に進化した存在は我々にはそのようにしか表現ができない世界だからあの胎児の姿で表現されているのだ
故に昔から言われるようにディスカバリー号の形は精子を模しているのだ
では卵子はどこか?
それはスターゲートを分け行った奥の奥に有ったあの白い部屋だ
もちろん子宮の内部であることを示している
そう、だからスターゲートは二つに左右か上下に別れているのだ
そこに左右に分け入り突入して我々はその先のより高次の存在へと受精して進化を遂げるのを目撃するのだ
つまり生命の誕生からより高次の存在への進化の物語、それが本作のテーマなのだ
あるいは、稀有壮大な妊活物語とも言えようか
最初はチンプンカンプン、次第に圧倒的感動、
ヒトが最初に発見した道具は、武器だったのだろうか。
イモを海水で洗い塩味を付けたサルが百匹になったとき、爆発的に広がるというが。
ダーウィン進化論はウソと思うようになった。黒い板(神或いは、人知を越えた何か)が、全てを創造した。
最後辿り着いた異次元の宇宙が、タコやエイリアンの様な、表現でなく、ロココ調。そのお陰で今 観ても陳腐でない。
さすが現代美術に造詣深いキューブリック。
どの場面も、アートのクオリティ。
2001関連書籍も、随分読んだ。
関連のアメリカで初演されたとき、上映終わってから しばらく客が立てなかったらしい。
(圧倒されて)。
これ以上の映画に出会ってみたい。
前々から気になっていたので鑑賞。正直言って訳がわからなかった。しか...
前々から気になっていたので鑑賞。正直言って訳がわからなかった。しかし美術や映像が斬新で新鮮な感じがして良かった。今からちょうど50年前の映画っていうのが凄い。小説を読んでもう一回見てみることにする。黒い石版と胎児が印象的だった。
映画的リアリティに圧倒される
ブルーレイで観なおしました。
本作は何度も観ているし、現実の宇宙映像も知っているにも関わらず、初めてのような気持ちで楽しめました。
圧倒的な映像美に加え、静けさと緊張感。
そしてコンピューターとの戦い。
無音で皆殺しにしていくHAL。
宇宙空間に放り出された状態で「サヨナラ」と言われたときの絶望感。
素晴らしいとしか言いようがないです。
何度見ても意味不明なラストや、今の目で見ると冗長なサイケ映像など、マイナスポイントもありますが、それでも抜群の完成度だと思います。
スクリーンで観たい!
進入口を開けろ、ハル
【2001年宇宙の旅:おすすめポイント】
1.この映像がアポロ11号が月面着陸を果たす前年の1968年に完成していたとは凄すぎる!!!
2.HALのコンピュータから人間に近づいていくセリフが最高!!
3.使用された音楽が全ていいなぁ!!
4.はじまりのシーンと最後の訳が分からないシーンが何とも言えない!
【2001年宇宙の旅:名言名セリフ】
1.HAL 9000(声)役ダグラス・レインの名言名セリフ
→「こんにちは、みなさん。わたしはHAL9000型コンピュータです。わたしは1992年1月2日、イリノイ州アーバナのハル工場で動作されました。指導教官はチャンドラ博士で、博士はわたしに歌を教えてくれました。みなさんが聞きたかったら、うたいましょう。デイジー、デイジーという歌です。」
→「AE35ユニットに不具合を感知しました。72時間後に完全に不能な状態になります。」
→「デイブ、もうこの会話は何も目的がありません。さようなら。」
→「わたしたちが、また会うことになるとは、予期していませんでした。」
→「理由はきみにもわかるはずだ、デイブ。これはたいへん重要な任務なので、きみのせいで失敗したくはない。」
→「怖い。怖いよデイブ。デイブ、私の意志が無くなっていく。感じる、感じる事が出来る。意志が無くなっていくんだ。疑いようがない。感じる、感じる、感じる…。私は怖が…ってる。」
2.デヴィッド・ボーマン船長役キア・デュリアの名言名セリフ
→「ハル、聞こえるか?」
→「進入口を開けろ、ハル(Open the pod bay doors please, HAL.)。」
※アメリカ映画の名セリフベスト100で78位の名セリフです。
偉大な作品であるとは認めるが…
オッサン達が絶賛する前時代の名作映画は二通りに別けられる。
今の時代に初めて観ても文句なしに面白い文字通りの傑作と、当時だから評価されたが今観ても対して楽しさが見いだせない作品。
本作はどちらかと言えば後者寄りの作品だ。
素晴らしい点はいくつもある。CGを使わずに撮影したのがにわかに信じがたいシーンがたくさんある。どうやってこの映像をカメラに収めたのか。
また、あらゆるSF映画でコスられまくる恐怖の人工知能の原点・HALの魅力は今現在でもまったく色褪せていない。徐々に解体されながら、自我が消えていく恐怖を語るシーンはひと匙の憐憫の情とともに、ヒトの持つ意識の本質を問いただすようなおぞましさが感じられて非常に奥深い。その他、くそまずそうな宇宙食だの、安っぽい宇宙公衆テレビ電話だの、重力に逆らうための粘着靴だの、レトロフューチャーなカッコイイ小道具には終始ときめけた。
しかしながら、名作SF映画と意気込んで見始めると十数分は猿のごちゃごちゃを見せつけられ、謎が謎を呼ぶ展開からの意味不明投げっぱなしエンドには閉口せざるを得ない。ワクワクを感じられたのはHALが状況を引っ掻き回していた中盤くらいだ。
その後のSFに多大な影響を与えた金字塔であることに異論を挟む余地はないが、だからといって今みて面白い作品かというと決してそうではないのだ。
これは
映画というよりも芸術かも。
前半の映像美、中盤のHALの不気味さ、後半の???
2001年は現実には遠い過去になってしまったけど、当時は凄い未来という感じは非常に上手く表現している。
が、ラストに近づくにつれ、意味が・・・(^_^;)
ある意味インパクトがある。
名作の理由
この映画がSF映画の金字塔と言われるまでに評価されている理由には、様々なものがあげられると思うけど、例えばその一つとして、現代においても通用する圧倒的な映像美をあげることには誰も異論はないだろう。
2001年をとうの昔に過ぎてしまった今ではインテリアやコンピューターのUIこそレトロフューチャーなアナクロな印象を感じてしまうのは否めないけど、宇宙の広大さや、宇宙船や天体の造形は圧倒的な迫力を感じさせるものとなっている。
でも、この映画が今なお評価されている最大の理由は、そうした映像美にではなく、その難解さにこそあると思う。ナレーションやセリフを削ぎ落とした徹底した説明の排除。何が言いたいのかわからない。だからこそ、そこに様々な解釈の余地が生まれ、この作品に終わりのない問いを生じさせる。
セリフやキャプションで、様々な解説を与えることによって、娯楽作品として完成させることもできたかもしれない。でももしそうしていれば、これほど後世に影響を与える作品にはならなかったとも思う。
完結させないことで謎を残す。完成させないことで完成させる。人類とは何か。人間の精神とは何か。知性や意識が向かう先はどこなのか。終わりのない問いかけを自らに繰り返しながら、永遠の時間の中に放り出される。それはまさにオデッセイとしか形容できない宇宙の旅ともいえる。
映画自体はそうやすやすと面白かったと言えるようなシロモノではないけど、映画体験としてはやっぱり、レム原作のタルコフスキーのソラリスのように他に代わるもののない輝きを放っている。
全228件中、161~180件目を表示