劔岳 点の記のレビュー・感想・評価
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その道は、誰のための道か?
明治になって数十年、いまだ踏破されずにる立山連峰の劔岳登頂を目指して、様々な人間が集う。
陸軍陸地測量部は、地図を完成させるため。
日本山岳会は、自らの好奇心と名誉のため。
村の人間は、登りたいという人を登らせるため。
行者は、自身の修験道を極めるため。
それぞれが厳しい山の中へと、自分自身を賭けて飛び込んでいくのだ。
動機や使命は様々だが、すべての人間に共通していることが1つある。
それは「自らが信じる道を、黙々と、信念をもって進み続ける」ということだ。
それに対し周りにはいろんな人間が出てくる。静かに夫の仕事を見守る妻や、メンツのために人や仕事の尊厳を見失った上層部、村のおきてに逆らう父親に反発する息子、測量部の仕事を皮肉り冷や水を浴びせる人間、逆に時代への理解を示してくれる人、実に様々だ。
この映画にはドラマチックな、誰にでもわかるような葛藤は描かれていない。さながら記録映画だ。皆が自分の信じる道を、黙々と進み続けるだけだ。ゆえに所見ではよくわからない人も出てくるであろう。私もその一人だ。
しかし、学生を終えて社会に出て、いろいろな環境で仕事をしていると、作中の人物が浴びせられた言葉が、その人にいかに突き刺さっているかを手に取るように想像できるのである。
そういう時になってようやく、私はこの映画の何たるかを少し理解できたような気がする。
好きなシーンは、陸地測量部と村の案内人衆が合流した所。案内人が自身の息子と口論になるシーンだ。息子の頬を張った後に
「こいつはこいつで、生きていかにゃあかんのですちゃ」
この言葉が持つ意味は、とてつもなく重い。この言葉の意味を、実感をもって理解できたときに、この映画の良さが見えてくる。
話が変わって恐縮だが、私は映画というのは、その人の人生のリトマス試験紙だと思っている。理解できない、評価できない、それはそのままその人が人生においてまだまだ知るべきことが多いということを教えている。
あと野暮ったいことを少々述べたい。
私は趣味で登山をしている。といっても無雪期だけで、春から秋にかけて関東の秩父多摩甲斐のエリアばかりの初級ハイカーだ。
実体験や色んな著書を読んでみて思うことは、パーティーで山行していて、ドラマチックなことなど起きては失格だということだ。
例えば仲間割れ、中途半端な葛藤など、それはパーティーの分裂や瓦解に直結する。荷物を分担していもっていた場合どうなるだろう?食料担当が行方不明になったら、どうするつもりなのか?夜が迫る中で探しに行って二重遭難から全滅する可能性をどう考えるつもりなのか?
以上の事から、経験者のはしくれとして、作中の一行は逆説的に結束の強さを示しているとすぐ分かる。
そういう意味で、評価とは別に、私にとってこの作品はとても特別なものでもある。贔屓と承知で星は5つとしたい。
そんなに盛り上がらないかな。
松田龍平見たさに見ました。キャスト陣は豪華です。時代背景も明治で、たた監督が木村大作ということで、どこか懐かしいカメラワークでした。彼らの情熱、仲間としてのチームワークの大切さが垣間見られましたが、物語としてはドキドキするような山場があまりなく、眠たくなるひともでてくるかも。でも、劒岳の景色は素晴らしいです!
途中までしか見なかった
期待していたが、失礼ながら映画の途中で笑ってしまった。映像はこの時代としては美しい部類には入らない。役者は額に汗ひとつかかず、衣類には汗ジミや汚れひとつなく、演技は真に迫るものがない。秋(10月初旬)の剱山荘裏からのやさしいルートでもさえも、首に巻いた手拭いがぐっしょりとなる程なのに。 皆さんの評価を見ると賞賛の声も結構あるが、私の感覚がおかしいのかとさえ思えてくる。批判の為の誇張はしたくないのだが、数十年間数々の映画を見てきた私としては、本当に申し訳ないが、駄作としか思えないのである。木村氏ってこの程度なのだろう。新田次郎氏に失礼だとさえ思えてくる。
山は美しい、そして怖い。 この手の映画はその恐怖を存分に見せつけて...
山は美しい、そして怖い。 この手の映画はその恐怖を存分に見せつけてくれるはずだ。 いつ来るんだ?とうとう来たか、いやまだまだこれからだな。えっ、これ下見の話? 今からが本番か、ようし、こっからやな、来たか?あれ? 期待は儚くも… 宮崎あおいがいい、ほんと着物が板につく女優さんですね。無駄に使っちまったな。
仲間たち
日本地図完成の為、未踏の地・劔岳の測量に挑んだ男たちを描いた、名カメラマン・木村大作の初監督作。 公開時からCG一切ナシの本物の映像や苦行とまで言われた過酷な撮影話ばかり注目されがちだが、自分はこの作品を見る度にそれら以上に満たされたものを感じる。 人への敬意。謙虚さ。誠実さ。 ライバルは居る。達成した時は称え合う。 一つの偉業を成し遂げるのではない。やり遂げる。その誇り。 本作で描かれる“本物”は映像だけじゃない。その結束力だ。 本作で映し出される“美しさ”も映像だけじゃない。日本人の姿だ。 育まれた絆は役柄も演者もスタッフも超え、大黒柱を絶対的に信頼して身を任せているのを感じる。 エンドクレジットの唯一の肩書き“仲間たち”がその証。
よぅ撮ったちゃ
日本地図完成のため、劔岳登頂を目指す主人公達。
地元の山岳信仰では、剱岳は死の山とされ、登頂は到底無理と恐れられていたよう。
目的の測量よりも、下見ですら一苦労で、測量地点に到達するまでが困難極まりなく、主人公柴崎は
「なぜ登るのか」
と疑問を感じ始めます。
そして映画では幾つも答えを用意してくれています。
① 挑戦そのものに意義があると考えるから
② 困難を乗り越え、登頂の喜びと絶景の感動を味わいたいから
③ とにかく地図のために「悔いなくやり遂げることが大切」
④ 前人未到の業績という名誉が欲しいから…
でも…現実的な答えは最初に出てるんですよね…。
⑤ 陸軍と軍事のため… (*_*;)
劇中特にクローズアップされるのは、西洋の登山グッズで登頂を目指す山岳部との競争。つまり④です。
しかし、一番感動したい登頂の瞬間は描かれません。クライマックスに対して単にセンスがないのか、物理的に撮影出来なかったのか、そもそも登頂がゴールではないのであえて描かなかったのか…。
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です」という素敵な台詞が柴崎宛ての手紙に出てきます。
わざわざ汚すこともないのですが、冷静に鑑賞すると、描かれている「何のために?」は、陸軍測量部は④と⑤、山岳部は①と④なんです。②は案内人の息子を、③は柴崎個人を応援していましたが。
一方「なぜ地図を作るのか」は比較的シンプルな答えです。これも当時は結局⑤ですが、その延長には、世界の、国の、何処に自分はいるのか、地図を通して伝えることができる、永遠に人々の自己探求の一助になる筈であるという信念です。
色々と盛り込んでも詰めが甘いせいか、National Geographic にドラマを足したような感じになってしまいました。「厳しさの中にしかない」美しい自然もテーマなので、Vivaldiの「四季」などが採用されたのでしょうが、クラシックのサントラも、剱岳絶景ドキュメンタリー感を増大させたように思いました。
柴崎は、黙々と真面目に任務を遂行する良い人で、薄味キャラの印象でしたが、日本地図の完成に貢献した、名もなき多勢の努力家で誠実な先人達の象徴なのかな、と思えてきました。
ドラマ部分は惜しいですが、絶景と雷鳥は鑑賞の価値がある作品でした。
ただ黙々と山中を歩くだけ
総合:60点 ( ストーリー:65点|キャスト:70点|演出:60点|ビジュアル:80点|音楽:70点 ) 実際に測量と登山をするならばそれほど派手な場面ばかりあるわけではなく、作品中の言葉を借りれば「黙々と作業を進めていく」ということになるのだろう。だがひたすら山の中を黙々と歩く場面だけが続くと抑揚が乏しい。危険なことも起きるし山岳会との競争や陸軍内部での事情と描くことはあるのだが、それでもこの演出はどうにも盛り上がりに欠けていた。登場人物の描き方もたいした葛藤も無く任務にひたすら忠実で人間味が少ない。 ただ実際に山に行って撮影したであろう映像はなかなかのもの。この監督は目に見えるものは良く撮影できても、感情や人間関係や責任感といった目に見えないものを描くのが下手だったのかな。
厳しさの中にある美しさ
木村大作による監督・脚本・キャメラマンの映画だ。 雪山での一つ一つのカットにこだわりを持っていることが伝わる。 壮大で、時には歯を向く厳しい自然こそ、美しいと感じる。 そこへ挑む人間はちっぽけだ。 しかし、厳しい挑戦をする彼らは美しい。 その厳しさの中で、本当の絆が生まれる。 監督に影響されてか、撮影現場の大自然に影響されてか、一人一人の役者の演技が素晴らしい。 言葉は少ないが、伝えたいことが心に響いてくる。中々の良作だ。
映像は綺麗
映像はとにかく綺麗。 ただ、登山道などの当時にはあるはずがなかったモノが映りこんでいるのは、このくらいはCGで処理してよ、と思った。 見てる人には判らない、と思ったのだろうけど、そして事実99%の人には判らないだろうけど、剱岳を知っている人には判ってしまう。 それと明治期と今では山の植生なんかも少しは変化しているのだけど、撮ったままの映像なので、山が「明治の立山・剱」に見えず、現代の山に見えてしまう。 話は原作を「適当に改変した」って感じ。 地図作製のための測量は、あくまで軍の職務だったのに、いかにも現代の甘ったれたサラリーマンの苦悩を持ち込まれても・・・ 長治郎と息子の関係、生田のエピソードなど、原作になく映画独自に挿入した要素は全て現代的な甘ったれたものなので、映画全体に明治を感じない。明治の衣装を着たコスプレに見えてしまう。 逆になぜ測量隊が登頂に成功し、山岳会は登頂できなかったのか、というエピソードはばっさり削られてしまった。 なので、測量隊を見送る山岳会がアホに見えてしまう。 木村大作はカメラマンとしては素晴らしい腕を持ってるけど、監督は無理かな、というところかな。 映像だけで鑑賞の価値はあると思うけど・・・
山岳映画と時代映画のミックス
ただひたすら登頂を目指して山を登るということ それがしっかりドラマになっていて CGも使わないのにこれほど美しい映像になる 火薬、CGを多用したアクション娯楽作品が巷にあふれる中 山岳映画というものの素晴らしさを思い知った作品だった。 男たちが互いを支えあって山を登る。 争ったもの同士もお互いを認め合う。 それだけにラストの描写はなんだろうか、 なぜわざわざあんな終わり方にしたのだろうか そこだけが惜しまれる。 だが素晴らしい作品
なんのために登るのか
日本地図最後の空白である剣岳を測量するために奮闘する人たち。
それを嘲笑するかのような日本山岳会。
物語の途中で、主人公が思うように、
人は、なんのためにそこまでして、山に登ろうとするのだろう。
ただ、地図をつくるためだけに?
なにかが違うと思うのは、当然だと思う。
物語の筋は、とても好感がもてるものだったけど、
ライバルであるはずの日本山岳会、あきらめるの早くない?
最終的に登頂できるのが、あっけなくない?
もうひと押しがほしい作品だった。
苦しいだけじゃエンターテインメントとしては疑問符です
レビューの評価がえらく高いですが、僕は個人的には「惜しい」低評価です。 まず、この作品がドキュメントなのか、エンターテインメントなのか。 スタッフや役者さんたちの苦労は解るのだが、僕は(客は?)、出演者たちの荒行が観たくて映画を観ているわけじゃあない。 「ハッピーフライト」のレビューでも書きましたが、苦労をこれでもか、これでもかと繰り出してくる作品ってのは魅力無いんですよ、残念ながら。 「これだけ、頑張りましたよ」と前面に出されると引いてしまう。 あくまでさりげなく、スパイスとして、ファインプレーをファインプレーに見せないのが真のプロフェショナル。 そういう意味では、熱いんだけど、面白くないこの作品。 僕が言いたいのは苦労は苦労として認めますが、映画としての完成度はそれではとてもじゃないが不完全だろうということです。 題材、素材は良かっただけにもっと面白くできたんじゃないのと思う、惜しい作品となりました。
山岳映画 日本人の根っこを描く映画
有名役者達があの険しい山に自力で登り、本物の雪山に泊まり込んで撮影をしている、ということだけでも驚きの作品。こんなことを役者に要求する監督も、それに応えた役者達も、重い撮影機材を山頂に担ぎ上げたスタッフ達もすさまじい。 現在のような優秀な装備も、近代的な登山技術も、確立された登山路もない状況で、冒険としてではなく測量という仕事のために、人を寄せ付けない険しい岩山に挑む測量士達の姿に引きつけられてしまう。未踏峰に登るために様々なルートを試したり、雪で失われた道を探りながら歩くことがこんなにも危険なことなのかと思い知りました。 大げさに感情を表現することなく、功を焦ることもなく、職業人として淡々と、しかし強烈な責任感を秘めて果敢に劔岳に挑む柴崎に、日本人の根っこを感じます。山を知り尽くした地元の山岳ガイド宇治長次郎の謙虚で実直な人柄も、失ってはならない日本人らしさを感じます。ラストの山頂で発見される意外な物によって、自然と一体化した日本人の根源的な宗教心も感じます。 この映画には、派手な演出も、劇的な死も、ドラマ作法としての激しい対立関係もありません。淡々とした演出と抑えた演技で構成されています。しかし、だからこそ山の厳しさが浮かび上がり、その厳しい山に挑む男達の内に秘めた強さが浮き彫りになります。 役者達の演技も、山岳風景も、人間ドラマも、何から何まで素晴らしい。
本当の映画
現在のCGを多用する映画とは一線を画す、映像とはこういうもんだという監督の思いが詰まった作品です。 明治時代に日本地図を完成させるために劔岳に挑むのですが、当初の思いとは別の初登頂という軍部のプライドに、翻弄され動かされる測量隊の様を描いています。 自然の荒々しい映像とは対照的に、人と人の会話や生活は、とても穏やかで、その対比がとても心地よく感じられます。 「本当に大事なのは何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」 監督自身がこの言葉を胸にこの大変な作品を作り上げたのではないでしょうか? 素晴らしい作品です。ぜひ映画館でみることをお薦めします。
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