ロッキー・ザ・ファイナルのレビュー・感想・評価
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夢のオヤジファイト
ちょっと前、テレビのニュースで、オヤジファイトの特集番組を見ました。
オヤジと言われる年齢なのに、ある意味人生をかけて、ボクシングで一生懸命戦っている人々の特集です。
もちろんけっこう年をとっているので、正式な試合には出られません。
目標はなんですか?と聞かれると、「若くて、早くて、強いやつに一泡ふかせることです。」と答えていました。
なんだかそれを見ていたら、男として、とても共感でき、ホロリときました。
オヤジファイト最高です。
そんなのでホロリときているのに、この映画では正式な試合どころか、現役のヘビー級世界チャンピオンと戦ってしまってます。
まさしく映画ならでは、夢の世界。
私の好みの映画、直球、ど真ん中です。
だいたいズルイですよ、続きものの映画、5本もみてしまったら、6本目も見ざるをえないでしょう。
なんだか前作も、最後、最後って言ってたような気がしてきました。
貧乏な日本人(私)から、いくらお金とればきがすむんでしょう?
英語の題名にはファイナルってついてなかったので、続きがありそうです。
こういうのって最初にかえるのが最近のパターンなので、「ロッキービギニング」なんていうのが、数年後にできるのでは?
できたらやっぱり見るけど・・・・
楽しくなければエンタテイメントじゃない
最近、歯を磨いたあとのうがいで、水が歯茎に染みて痛さを感じるたびに、クリント・イーストウッドの「スペース・カウボーイズ」の最初の部分で、歳よりも若いことを強調するかのように、固い氷をボリボリ食べるイーストウッドの姿を思い浮かべて、「俺のほうが歳とるのが速いみたいだなあ」なんてつぶやいしてしまう、のですが、
この「ロッキー・ザ・ファイナル」は、その固い氷を食べるようなことを、後半の大部分に費やした、ある意味、贅沢なエンタテイメントです。
もう50を越えた往年のヘビー級王者ロッキーバルボアが、夢を求めてもう一度リングへとあがる物語。いかにもアメリカ映画らしいトゥルー・オブ・ドリーム話で、
ノスタルジー丸出し、しかも落としどころが死んだ妻などに捧げる家族愛など、いい加減、使い古されたストーリーと鼻白むような演出の数々なのに、ボクシングのためのトレーニングや試合になると、観客は客席から身をのりだし、最後には感動の渦に巻き込まれるのは、まさに生粋のエンタテイナーであるスタローンの魅力とそんな映画が撮れる腕によるところが大きいのですよ。
以前からそうですが、スタローンが製作する映画には、難しいことなど言わせない、映画本来の魅力に満ち溢れているのが素晴らしいところ。それは昔のクロスビーやアステアのミュージカルのように、定番の内容なれどついつい映画館に足を運ばせる、エンタテイメントを常にスタローンは提供し続けているからなのです。
そういう映画というのは、評論家連中や芸術家肌の映画鑑賞眼をもった人には、バカにされやすいものです。でも、思い出してみてください。日本でも映画が娯楽の中心だったころ、毎度おなじみの筋立ての「若大将シリーズ」や「無責任シリーズ」に多くの人たちが熱狂していたではないですか!!。
この作品でも、今までのロッキーシリーズと同じようなのですが、それでもさわやかに、そして楽しい気分で見終わることができる。このせちがらい世の中で、そんな体験ができたのは貴重だったなあ、と私は感慨深いものがありました。
ですから、とやかく言うのはヤボというもの。エンタテイメントを素直に認めない者は映画を見る資格はない、との個人的な意見もあってなのですけど、この作品に出会ったことへの喜びが今も心に染み渡っています。
ロッキーのような映画を見たあとに、興奮した心を落ち着かせるのは、お香が一番、なんてね。年寄りかなあ。
人生を2時間で描いている。
【サヨウナラ ロッキー】
冷静に見れば脚本のベタっぷりは凄まじいし、過去作観賞前提強めの内容等 シリーズ未見者を排斥する作りは気になる。 加えて監督スタロンの演出も決して巧いとは言えず他にもっといい監督はいくらでもいるだろう。
だが…。
シリーズ「5」から今作迄の長い空白を補完する描写は 過去シリーズへの想いに溢れているし、監督スタロンの不器用な演出も そのままロッキー自身の不器用さへとピタリと重なるのだ。 〜 ボクシングしか出来ずに再びリングに戻るロッキーは そのままアクションしか出来なかったスタロンその人であり、劇中ロッキーとスタロン自身の心象は全く同じものだろう。
巧い下手の次元を越えこれは「スタロン自身が監督した事」そのものに意味がある映画なんだ(T-T)
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自らの映画人生と劇中ロッキーの人生をオーバーラップして訴える言葉は どんなに不器用でも 否、不器用だからこそ胸を打つ。
夢を勝ち取る事を主題にしていた初期作品に対し、この最終作では 夢を失った者の自己認識性崩壊危機(アイデンティティークライシス)により「決して夢を諦めるな」と力強く説く。 その訴えは定年退職前後の世代に最も響くのではないだろうか。
息子とのエピソードや、拳で心の交歓を果たす試合も力強いメッセージだった。
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最後に オカエリ、アリガトウ、そして寂しいけれどサヨウナラ…。
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《劇場観賞》
懐かしさと相まって、それなりに満足
やっと本来の姿に戻れたロッキー
「ロッキー」という映画は、スタローンの人生そのものだ。ロッキーもスタローンも1作目「ロッキー」で一躍有名になった。その後、興行優先の作品が5作まで続く。だが、ふたりの望みは有名になることではなく、小さな舞台でも構わないから自分を出し切ることだったはず。ロッキーもスタローンも、こりゃオレ本来の姿じゃないぞって、ずっと思っていたのだろう。興行成績に関係なく、原点に戻った作品で締めくくりたかったのに違いない。だから、この作品のロッキーの年齢が60だろうと70だろうと関係ないのだ。
冒頭の墓参りのシーンはシアン系の色調で重いが、ラストの同じシーンでは色彩感のある明るい映像で、この作品のロッキーの心情をそのまま表している。
男性更年期のための活力アップ映画
Rocky Balboaですが、意外におもしろかったっす。全く期待しないで見たのですが、(スタローン主演だけでなく、監督もですからね!期待しないっすよ、普通。ってごめんなさい。)それがよかったのか、最後までぐいぐい見せてくれました。奇しくもIMDbポイントも過去最高点です。
全編通して、オフトーンで、まるで単館インディ映画のような作り。もちろんタラーラータラーラー♪の音楽が流れると興奮しますが。Rockyシリーズ最後の締めくくりとしては最高の出来ではないでしょうか?過去の名作の続編(主演俳優年取りすぎ映画)ラッシュですが(ダイ・ハード、インディ・ジョーンズなどなど)そんな中では、こういう作り方はありかな、と思いました。
60越えても、がんばろー!!と、思わせてくれる映画ですよー!お父さんたち、見て見て!
あきれるが許せる
スタローンってお方は本当、ご都合主義だと本作を観て思いました。新作「ランボー」もしかり、展開的に無理が生じても、その都合の悪い部分は強引に都合よくしちゃうんですよね。いくら映画が虚構の世界だからって、それはないんじゃないのみたいな。
それでも「ロッキー」最終章(であることを切望している)の本作は、それなりにハートのこもった良いB級映画だと思いました。とてもシンプルかつストレートにメッセージが伝わります。裏を返せば単純なんですが、それはロッキーだから許せます。
本作もスタローンが監督、脚本、主演を務めています。人の意見に耳を傾けるのがわずらわしいのでしょうか。撮影現場は王様状態だったみたいですね。でも、監督としてのスタローンは、「ランボー」もそうでしたが、時空間の感覚がなかなか独特。なかなか独創的な厚みがあって意外でした。つぎは色んな人材を集めて映画を撮ってみてほしいです。
還暦スタローンは、まだ戦う!
シリーズ第1作・「ロッキー」から30年。シリーズ前作の「ロッキー5」からでも既に16年が経過し、主演のスタローンは還暦!こんな状況の中で遂に“完結編”として製作されたのが、本作。あれ?でも前作「ロッキー5」のサブタイトルは確か「最後のドラマ」でしたよね(^^;?
吾輩、過去にかなり批判的なことを書いてこのシリーズの復活を否定してきました。理由はとにかく、『60歳のスタローンがリングに上がって戦うのを見たいと思う奴が、果たしているのか?』という一点のみでございました。ところがいざ映画が始まり、オープニングでお馴染みの“ロッキーのテーマ”が流れますと…吾輩、あっという間に陥落(^^;。いやあもお、ゾゾ毛総立ちになっちゃいましたよ。『おお、コレやコレや!』ってね。ホント、今まで色々書いてゴメンナサイm(_ _)m。で、肝心の中身なんですが、スタローンが暑く(暑苦しく)人生について説くシーンが多いので、ちょっと説教臭くてダルいなあって、中盤くらいまでは感じてたんですが、ボクシングのシーンが始まるとそんなモヤモヤは一気に吹っ飛んでしまい、もお後は拳を握り『行け!そこだ~!』と心の中で叫び、最後には思わず感極まって涙ぐんじゃいました。ホントにスタローンの思うツボ(^^;!ただ、吾輩くらいの世代の方々には、文句なく受け入れられるとは思うのですが、今の若い人達(「ロッキー」を知らない世代)には、果たしてどうでしょうか?この映画、そこが一番心配かな?と吾輩は思います。
映画の中では、過去のシリーズ(特に1作目)にオマージュを捧げるかのような、懐かしのシーンが随所に再現されています。フィラデルフィア美術館前での、階段駆け上がりからのガッツポーズ。生卵5個のイッキ飲み。精肉工場にぶら下がる肉のサンドバッグ等など…。更にはロッキーが経営するレストランに出入りする“スパイダー”という男。この人「ロッキー」の冒頭シーンで最初にロッキーに負けたボクサーで、今回も当時と同じ俳優(て、言うか元ボクサー)が演じています。そして極め付けは、音楽担当・ビル・コンティ!最近、この人が音楽を担当した映画っていうのを、トンとお見かけしたことが無かったので、本作の制作が決まった頃から少々不安だったのですが、やはりロッキーの音楽は、この人でないとダメです。相変わらず素晴しいスコアの数々を聞かせてくれます。
シリーズ全作を通して、NEVER GIVE UPの精神を謳い続けたスタローン。ここまでされると、もお『お見事!』以外の言葉は見つかりません。シリーズ最終作(?)にふさわしい、素晴しい終幕を飾っていると思います(ただ、こうなると「ロッキー5」って何だったのよ?って言いたくなりますが…(^^;)。
初めてロッキーを見た感動をもう一度!!
僕が始めてロッキーに出会ったのは小学生の映画鑑賞会。映画の後は男子は、隣の子とロッキーのまねをして冗談で打ち合っていたことを思い出します。学生のときには、ロッキーのテーマのカセットテープを目覚ましにして起きている友人もいました。勝てそうにもない強敵に対して、尋常ではないトレーニングで立ち向かうロッキー、ハングリー精神、慎ましいデート設定、必ずしも勝ちが最初からは見えない試合展開、日本人の若者が共感できる要素がふんだんに盛り込まれていて、それだけに、ロッキー・ザ・ファイナルには、期待と不安が入り混じった気持ちで鑑賞しました。
感想としては、初代ロッキーを連想させる納得の内容だったと思います。ただ、個人的には、熟年ロッキーのその後に割く時間が長め目かなと思いました。もう少し、トレーニングシーンや試合シーンを増やして欲しかったなと思いました。でも、年をとったら、1からもういっぺん全シリーズ見直してみたいと思います。
再チャレンジ宰相は、見るのでしょうか?
1990年の『ロッキー5』から17年。ロッキーが帰ってきました。ただ今回の戦いは、これまでのようなチャンピオンシップに関しての戦いではなく、自分自身との戦いとなっています。
やっぱりあのトランペットの”タータタタータタタータッター”と言うファンファーレを聴くと、心が躍りますね。シルヴェスター・スタローンは、1946年 7月6日生まれなので既に60歳を超えているのですが、この映画のために体を鍛え上げて、還暦を越しているとは思えないすばらしい体に仕上げていました。凄いです。
エイドリアンの死、息子の反発、満たされない自分の思い・・・。今回は、ロッキーのそんな心との戦いがメインとなっているので、今のロッキーの心情を描くシーンがほとんどになっています。厳しいことを言えば、ちょっと冗長な感じもしますが、そもそもロッキーと言うのは、ボクシング映画ではなく、ヒューマンドラマなので、それでいいのかもしれないですね。劇中「最後の戦い」と言うせりふが随所に出てくるので、邦題は『ロッキー・ザ・ファイナル』となっていますが、原題は『Rocky Balboa』です。ロッキーそのものの心を描くと言う意味では、原題のほうがより適していますね。
最後のラスベガスでの試合のシーンですが、実際に計画されていたボクシングの試合にあわせて撮影を行い、14000人もの観客の下で撮影したらしいです。確かにその盛り上がりは、結構凄かったですね。マイク・タイソンも本人役で出ていたし。また、ロッキーの故郷フィラデルフィアでのシーンは、これまでのロッキーシリーズで出てきた場所も随所に出てきて、その光景の移り変わりと共に時代の流れを感じさせていました。フィラデルフィア美術館前階段でのシーンは、このロッキーシリーズを象徴するシーンですが、変わったものと変わらないものを感じさせました。
”ネバー・ギブ・アップ”というのがこの映画のテーマらしいですが、時の首相、安倍さんも好きそうな言葉ですね。彼は結構映画に行くそうですが、この映画には行かないのでしょうか?
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