ヴァージン・スーサイズのレビュー・感想・評価
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【”誰も5姉妹の少女から大人の女に変わる微妙で繊細な心情に気付かなかった。”男の子達の子供っぽさや、5人姉妹の両親の過保護過ぎる姿が惹き起こした悲劇をセンスある音楽と映像で映し出した作品。】
■美しいリズボン家の5人姉妹。
彼女たちの厳格な母親は、この宝たちを世俗から守ろうと必死になっていた。
そんなある日、13歳のセシリアが手首を切って自殺を図る。
何とか一命を取り止めるが、精神科医は抑圧された生活が自殺の原因だと診断を下し、彼女は再び命を絶つ。
そして、残り4人も・・。
◆感想
・結末の悲惨さにしては、映像の美しさ、音楽のセンスの良さが光る作品。その後のソフィア・コッポラの作風の一端が伺える。
・登場人物の中でも、14歳のラックス・リスボンを演じたキルスティン・ダンストの妖艶さは、少女ではない。 最早、一人の若き女性である。
それに比して、彼女を落とそうとしたトリップ(ジョシュ・ハートネット)の幼稚さが目立つ。
マア、男の子と女の子の精神的成熟度合いのスピードの違いは、医学的にも証明されているけれど。
<今作は、物語の展開の軽快さと、ラストの重さのアンバランスが不可思議な余韻を醸し出す作品である。>
ガーリームービーと言えばコレ
パリ五輪閉会式でエールがフェニックスとplayground love演ってて懐かしくなって再鑑賞
映画館で観た'00当時はお洒落な映像と真っ暗なストーリーのチグハグさに(わっかんねー)と頭抱えつつ選曲がツボでサントラCD鬼リピしてた
今観るとキルスティン・ダンストのための作品ですね
ジョシュ・ハートネットの髪型は時代とは言え変で何で奴がモテるのか
惨憺たる出来のデビュー作
ソフィア・コッポラは『ロスト・イン・トランスレーション』や『SOMEWHERE』が割と気に入っていたので初期作品も見ておこうと思い鑑賞。同じ監督が撮ったとは思えないほど不快だった。
とにかく映像が酷い。当時のアメリカ映画にお決まりの文法をバカ正直にそのまま流用しているだけな印象を受ける。ショットはポップネスのためだけに好き勝手切り刻まれ、並べ立てられているため、余韻が生じる余地すらない。物語のほうは明らかにある程度の余韻を必要としているにもかかわらず、だ。かといってジョン・ウォーターズが『シリアル・ママ』でやったような、当時のアメリカ映画のポップな文法を愚直に模倣することで物語の奇形性を逆説的に強調するといった策略性や批評性も感じられない。単に映像と物語の波長が合っていないだけ。
監督の父親でありアメリカ映画界の大巨匠であるフランシス・フォード・コッポラは叙事詩的な(つまり第三者視点からの「観察」に徹した)大作を数多く撮り上げている。そこではロングショット/長回しが基調を成していた。一方でソフィア・コッポラはきわめて個人的な(登場人物の内面の「生成」に徹した)どちらかといえば地味な作風を得意とする。彼女は父親の作風とその文法との単純な対比関係から、さして考えもせずにクローズアップ/モンタージュという安易な対立軸を採用しただけなのではないか、と邪推してしまう。
本作のちぐはぐさ(映像と物語の乖離)についてソフィア・コッポラ自身も自覚的であったようで、以後の作品からは本作のような軽率なアメリカ映画っぽさは消えている。その結果、父親と同じようなロングショット/長回しの文法に寄ってしまったことはある種の因果というか運命というか。
物語そのものに関していえばいつも通りのソフィア・コッポラという感じ。生死の境界線上をうつらうつらと彷徨う少女たちの姿は『ロスト~』のシャーロットや『SOMEWHERE』のジョニーに重なり合う。それゆえ映像とのミスマッチが一層腹立たしい。
死にたい理由を周囲に種明かしすることなく死んでいった少女たちを「男に消費されない女」の象徴としてウーマンリブの文脈で称揚することもできなくはないが、それにしては男たちの身勝手なエモーショナリズムに対する批判が足りない。「オレたちバカだったよな・・・」と思い出に浸る男たちを眼差すカメラはむしろ同情的でさえある。
ラストのパーティーシーンでプールに飛び込んだ青年が「俺は悩める10代なんだ!」と喚き散らしたことからもわかるように、やはり本作の主眼も『ロスト~』や『SOMEWHERE』と同じく「内面の空虚さに悩む個々人の描出」なんじゃないか。少女たちは死にたい理由を周囲に言いふらさなかったのではなく、言いふらすほどの理由がなかったのだと思う。
彼女たちのもつ独特の脆さは、「死」が彼岸にないことに起因
10代の5人の美人姉妹の儚く切ない死にまつわる物語。
10代のもつ危うさは、水を入れられてパンパンに膨らんだ風船に似ている。ちょっとした刺激で、一気に破裂し、中の水が溢れてしまう。しかも、割れてなお、床をびちゃびちゃにするハタ迷惑さ。
彼女たちのもつ独特の脆さは、「死」が彼岸にないことに起因する。きっと彼女たちにとっては、彼方の地平線上にあるが、それでも同じ陸続き。途中には海や山のような大きな障害物は存在せず、遠いには遠いが、たぶん、行こうと思ったら行ける。
年を重ねることは、風船の中の水の量はそのままに、ゴム部分だけが徐々に伸びきっていく様に似ている。いつしか風船の容積は増え、相対的に水が占める割合が減っていく。それに無自覚でいることへの畏れは静かにヴァージンを蝕む。
ソフィア・コッポラの第1回監督作品。他の作品に比べ、多弁で脚本に起伏や事件性のあるところは第1回監督作品ならではの、らしさ。
90分の作品中、85分までは、まあまあ、最初の作品だしな、と思いながら観ていたが、ラスト5分でソフィアらしさ大爆発。ガスマスクとプールに背面から飛び込む少年に、天恵のセンスを感じる。
キルスティン・ダンストが可愛い
キルスティン・ダンストがとりあえず可愛いです!
チアーズ、スパイダーマンのイメージが強いので、キャピキャピした役以外を観るのも新鮮でしたし、彼女の全盛期?というくらい可愛かった。
他の人に埋もれない、個性的でキュートなビジュアルが魅力だなぁと、あらためて思いました。
ジョシュ・ハートネットが出演していてビックリ。
もう引退したんですよね?
彼の出演しているブラックホークダウン大好きなので、新しい役で観るこができないのが残念です。
映像はとても美しくて、10代の絶妙な感情や、学校生活、親との関係を描いていて、飽きません。
自分の昔を思い出す…とはいきませんが、なんか納得します。
ただ、観る人を選ぶ映画だとは思うし、何回も観たいかと言われたらそこまでの魅力は感じませんでした。
13歳の女の子じゃないとわからない
「だって先生は13歳の女の子じゃないもの」
この台詞にこの映画の全てが詰まってると思う。
私がこの映画を見たのは13歳を少し過ぎた頃だったけど、少女たちの大人になることへの退屈と絶望を感じて「あぁ彼女たちは大人になりたくなかったんだな」と思った。だから見終わった後に不思議な感じはあまりしなかった記憶がある。
多くは大人になることを理解した時には少女時代が過ぎ去っているものだと思うけど、少女の時に大人になることを理解してしまったら…
それ程に少女の時は美しくて幸せだったのだと思う。
当時から見返して無いので、今見直したい作品のひとつ。
ダンスト
キルスティンダンストのアイドル映画なんだなと。ティーンの憧れとして、日本で言う広瀬すずや昔の広末みたいな感じだったのかなあと。コッポラ娘の殊勲はエールの起用でしょうか。
最後のシーンはスタンドバイミーみたいでよかったね。
やっとやっとやっと観れた本作
「裸足の季節」のレビューにて多くの方が引き合いとして出されていた作品。
ずっと観たかったんだけどなんだかな〜。
山場のシーンは最高なんだけど。
原作が素晴らしいだけに、監督によってはほんとカルト的映画になったかもしれない。
ただ、ソフィアコッポラ監督っていつもタイトルが秀逸でお洒落なイメージがある。
「ヴァージンスーサイズ」
処女喪失。知らなかった世界へ行くこと。
やっぱ、ハリウッド女優ってえげつないな。
キルステンダンスト。
二人きりになりたいハリウッド女優ナンバーワン。
どこが良いのかわからない
TSUTAYAで私の好きな沢山の作品に並べられて置いてあったので借りてみたけど…
全っ然良くなかった…
内容もよく分からなくて、見終わって解説を見てなんとなく理解。
それでも、で??…という感じ。
原作は面白そうだと思う。実際ベストセラーになったらしい。
監督はお父さんも監督でその娘が初めてメガホンをとったらしい。若干27歳で。出演者も従兄弟だったり、近所の子だったり…家族で楽しんで撮った自己満な作品としか思えない…
病的だけどいけてる
おっさんには共感は難しいのかもしれない。女の子たちの気持ちは理解不能。むしろ病的な母親に眼が行ってしまう。
少女の物語というより病的な母親の物語としてみえる。
とにかく観ていて落ち着かない。そわそわする。ソフィアコッポラの闇がみえる。
でも、そこがいいんだよね。病んでるけど、それを隠さない作品っていうのは素晴らしいね。闇をちゃんと表現している。そういう姿勢はこっちの心にも刺さるね。観ていて落ち着かないのはそういうことなんだろう。
切なくて美しい、今までで観た中で一番の青春映画
雰囲気で一気にやられてしまった。
美しい音楽、映像、姉妹、青春。
劇中流れる音楽が良かった。
そして青春ならではの悩みや葛藤。親に締め付けられている彼女たちをこんなにもポップで綺麗で繊細に描くソフィアコッポラと彼女の作品に心を奪われた
心がまるで恋をしているような気持ちなる
そして最後には考えさせられる。
今までに観たなかで一番の青春映画だ。
描写が美しい…
ソフィア・コッポラ監督作品は本作が3作目。彼女の作品の素晴らしいところは描写が美しい点だと改めて実感した。
ストーリーは、美しい5姉妹がいる家族が次女の自殺により家庭崩壊していきながら、それを傍らで見ている少年達のフラストレーションを描いたものである。
ソフィア・コッポラ監督は小物を使うのが非常に上手いと思った。人もそうだが、物を写して臨場感を出している。
個人的にはキルスティン・ダンストがイイなと思った。スパイダーマンの時には感じなかった若々しい色気が作品を盛り上げている。
姉妹たちが主人公ではあるのかもしれないが、それよりも姉妹に惚れている少年と同級生にも焦点を当てている。何かノスタルジックでもありながら、思春期特有の感情を繊細に映し出していた。
サウンドトラックも最高だったし、見る価値は大いに有り。
暗闇
両親の愛情表現の歪みが
少女達をどんどん冷たい目にさせていた。
10代女の子特有の湿り気ある気だるい
全然霧が晴れないノスタルジックな気持ち
昔の自分に見せたいくらい共感する
エンドロールに流れるairのねっとりした声が
5人姉妹の姿を蘇らせてくれる。
美しいままで
いろいろ考えさせられる作品。5人の美しい姉妹の話。彼女たちは確かに愛に飢えていたと思う。でもそれだけじゃない。
一番下の妹が自殺未遂をしたときに、医者に言った「あなたは13歳の女の子じゃない」という言葉に印象が残った。確かにそう。ティーンエイジャーを経験した女性なら分かる気持ちだと思う。そして厳しい両親、とくに母親。彼女は愛情をしつけと勘違いしていたのかな。厳しいからこそ反抗したくなる娘たち。とくにラックスには印象が残った。彼女がこっそりと、でも堂々とタバコを吸う姿が印象的だった。
この映画のすごいところは、あのラストでも悲劇で泣けるという印象を与えないところ。ソフィアコッポラはそういう微妙なところが上手いと思う。
生きると死ぬ
が逆転しているような姉妹だった。生き生きしたものを奪われている。奪ったのは両親だけではない。
両親もどこか死んだように生きている。父親には戦争の影を感じた。
男の子達はどうなんだろう? レコードをかけあっている所は良いシーンだった。
トリップは愛とか言っていたけれど、単なる欲求としか思えない。
近所のきれいな女の子、同級生でチャンスがあればデートしたい。でもその人のコアには触れたくない。きれいなところだけ見ていたい。だから救いようがない。
姉妹はまるで五つ子のようだ。彼女らの中で言葉以上の結びつきがあって、他人、親にはわからない。
救いようがない状況では、死ぬ事が出口に見える。夢のように美しくすら見える。その美しさ?を映画は美しくとらえている。
雰囲気だけでは映画になりません
ソフィア・コッポラ監督は観たことがなかったんですね。それは、なんとなく失望したくないというか、大コッポラの娘がこんなもんか、なんて思いたくなかったっていうのがあるんですね。
で、まぁ、私、キルスティン・ダンストのファンなわけでありまして、そうしたらこの映画と『マリー・アントワネット』は外せないのかなぁなんてのもあって、ついに観てみたわけです。
で、悪い予感は的中・・・ 映画は本来が面白いものであるってことを理解しないで撮ってる感じですかね。ちょっとオシャレな構図にして、ちょっとポップな音楽をのっけて、そしてアンニュイな雰囲気出して・・・って、それじゃあ、やっぱり映画ではないんですよね。せめて、雰囲気映画に徹すれば良いものを、なんかコメディタッチの編集をちょいちょい入れてくるし、意図がよく分からないですよ、これ。
ひたすら回想の台詞で状況を説明し続けるし、4人の娘が一度に自殺するほどの行き詰まった感じもまったくないしね。だって、まぁ、お堅い親っていうのは、それなりにいるじゃないですか。それが厳しければ、自殺なんていう選択肢を取る前に、もっと反抗するとか色々やるでしょ、普通。そんなのすっとばして、突然、ああいったことになるかね。もっと映画的にしたいなら、せめて4人全員が一箇所で死んでいてほしかったですよ。または、ラックスの死んでるカットは、説明の台詞なしで撮ってほしかったですよ。
良かったのは、終盤の男の子たちとのコンタクトシーン。あのアイディアは甘酸っぱくて良かったかな。
しかし、うーん、これはいくらキルスティン・ダンストのファンだといっても、『マリー・アントワネット』にいくかは微妙ですね、はい。
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