それから(1985)
劇場公開日 1985年11月9日
解説
漱石の名作の映画化。生きるためだけに働くのは非人間的だとして“遊民”の生活を送る代助(松田)は、かつて友の本望に殉じて密かに愛し合っていた三千代(藤谷)を平岡(小林)に譲るが、三千代は代助を愛し代助を待ちながら、世俗的な平岡のもとで苦しんでいた。やがて代助は愛を告白するが、友と家からの絶縁が待っており……。明治末期の雰囲気を忠実に再現し、森田独特のリズムと映像美に貫かれた恋愛映画の傑作。国内の多くの映画賞を獲得した。
1985年製作/130分/日本
スタッフ・キャスト
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4.0誠
和洋折衷の住宅、居間の縁側がサンルームのような書斎になっていて木部は淡い緑色でふちどられた明るい空間に同系の淡い色に身を包む松田優作。ソテツが植る中庭をぐるりと廊下が回り、居間の反対側に応接間が位置して、双方から見える。実に魅力的な住宅と衣装であるが、この映画全体で目が惹きつけられることも多い。藤谷美和子の愛らしさは重要な要素であるが、彼女の和装のいでたちがどハマりしていることも大きい。煌めく麦酒にラムネ。独自の時代表現であるが、洗練されていて収まりが良い。奇抜な演出は抑え気味で、お芝居を中心に据える。充実の俳優陣が漱石に挑む。
2021年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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1 作品の時代背景
紋付袴に丁髷から半世紀も経たない大日本帝国は、西欧列強に伍することを至上命題に富国強兵に邁進していた。
旧社会は急拵えの安普請な西洋文明の急速な導入に軋み、国家意識も変容し、個人主義も芽生えたが、未だ婚姻には家族が介在し不倫は犯罪である時代、知識人の量産に努めた結果、帝大出のインテリもダブつき希少価値が低下してきた時代…それが本作の舞台である。
2 主なストーリー
主人公・代助は若気の至りから、好いた女性三千代を友人平岡の結婚相手に周旋するが、それから3年、就職もせず結婚もせずに、家からの支援で高等遊民の気楽な生活をエンジョイしている。
そこに先の平岡夫婦が帰京、何度も会ううちに代助は三千代にどうしようもなく惹かれていく。
夫婦の経済的苦境を助け、三千代の孤独を慰めるうち、自分は彼女なしには生きられないと悟る。
ついに思いを打ち明ける代助は「世間的には罪を背負ってもあなたの前に懺悔できればよい」と結婚を申し出て、三千代は「しょうがない、覚悟を決めましょう」と応じる。
時代が時代である。これは犯罪に等しく、家や友人知人から人間のクズ扱いされてもしょうがない決断だ。
他方、代助は家から財産家の娘との政略結婚を迫られており、日に日に強い圧力を受ける。この一件が明らかになれば、すべての生活支援を打ち切られることは火を見るより明らかである。
それにもかかわらず二人は決断し、代助は平岡に君の細君をくれと申し出る。平岡は絶交と家への顛末の暴露を引き換えに了承する。その結果、代助は生活をすべて失い、病気の三千代が本当に自分の元に来てくれるかどうかも分からない宙ぶらりんのまま、これからの多難な暮らしを予感させる強風の中を歩き回る…
代助が両肩に背負うのは恋愛がもたらす社会関係からの排除と、生活のレベルダウンで、現代とは物理的にも心理的にも桁違いの重荷に違いない。
それにもかかわらず、友人の妻を横取りせずにいられない恋愛のリアリティーが、漱石にあったのだろう。決して一朝一夕の気の迷いなどではない。恋愛とは、何と重いものなのだろう。
3 映像等について
1)映像美への拘り
森田監督はそれまで、あまり美術に拘る印象を受けなかったのだが、本作は徹底的に映像の美しさを追求している。
代助と友人が再会を祝して飲むビールのグラスには夕陽が差し込み、キラキラ黄金色に輝く。
古い街灯の柔らかな光に照らされた石畳の道、路面電車、逆光に輝く屋台店…等々、枚挙にいとまがない。
また、森田は初期、本作に頻出するような脈絡のないイメージショットを多用し、あることを暗示したり、雰囲気を盛り上げたりしてきたが、本作でもそれがなんとも効果的だ。
代表的なのが代助の孤独を表すように、彼の背中の輪郭が光輪に包まれ、そこに桜の花びらがはらはら散るシーン、遊女街で賑やかな女達に囲まれながら索漠とした遊びに耽るシーン、路面電車などだろう。
2)百合の象徴するもの
そして何よりも監督が拘って、美しい造形を作り上げたと思われる百合のシーンの数々。
百合はさまざまな象徴に利用されるが、ここでは清楚と男根を意味する。
結婚前の三千代と代助が百合を囲んで向き合うとき、百合は清楚の象徴だ。
次に、再会したとき三千代が買い求めてきた百合は、もはや清楚ではなく、夫に邪険にされ寂しい人妻の性的ニュアンスを漂わせている。
最後に代助が三千代に告白する時は、二人の背後に大きな百合の生花が置かれている。これは二人の関係がプラトニックから、肉体的な性愛に移行することを暗示しているのである。
3)俳優、音楽について
俳優陣は適役揃いで、中でも豪放磊落だが、代助の屈折した心中など理解出来そうもない中村嘉葎雄が素晴らしい。
三千代役の藤谷美和子も、儚げだが実は重い恋愛を受け止める強さのある女性が十分伝わってくる。
松田優作は達者に軽やかな高等遊民と、恋愛に真摯な若者役を演じわけている。
小林薫はやや作り物めいた大仰な話し方が耳につくものの、段々この時代はこんな話し方だったのかなと納得してしまう。
特筆すべきは、破天荒な食い詰めインテリを自由自在に演じ切ったイッセー尾形。蕎麦屋で自分を真似る噺家を揶揄って、突然ロシア語の演説をし始めるところなど爆笑した。
最後に梅林茂。本作には全編を通して、一つのメインテーマとそのいくつかの変奏曲が流れているが、その上品でさり気ない哀感が、このある意味で悲恋モノに大変調和し引き立てている。見事な楽曲だ。
小生は日本映画史に詳しくないが、これらすべての素晴らしい要素を見れば見るほど、本作は日本映画史に残る傑作だと思う。
再々…見。劇場初見。
鑑賞中は退屈したが、日が経つと再見したくなる魅惑の一本。
優作美和子の動から静への転身、旬の小林薫、時代の寵児森田芳光が漱石ロマンの原作に集うイベント性に未だ痺れる。
神保町シネマ、上映は感謝だが、あの重要な台詞も飛ぶフィルム劣化は残念。
2021年4月23日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
想いを寄せつつも片想いで終わった相手を
思い出しながらの鑑賞となった。
この作品の二人は相愛ではあるが、
男の未練を残した想いには共感出来る。
私も若い頃は、寅さん風に言うと
「思い起こせば恥ずかしきことの数々」
といったレベルで、とても想いを寄せる人
への対応を優先する生き方は出来なかった。
代助は知識人ではあるものの、
食べるために仕事をするから上手くいかない
と豪語する位だから、勘当後は、
貧しい生活を営むしかないだろうし、
三千代との新たな関係でも
上手くいくことはないだろう。
原作でもラストシーンは
暗たんたる先行きを暗示するばかりだ。
しかしながら、
不幸に突き進む代助とは言え、
愛する女性と添い遂げようとの生き様には
羨望の念をいだかざるを得ないことも
なくはない。
原作に絡む話だけになってしまいましたが、
映画の方は、硬い語り口調に
明治と言う時代性を感じさせようとの
演出手腕を感じつつも、
雰囲気はピッタシながら
上手いとは言えない藤谷美和子の演技と、
画面の切り替えと繋ぎにおける
ぶつ切り的な編集処理には違和感を感じた。
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