ゆれるのレビュー・感想・評価
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人はゆれながら生き続ける
カメラマンとして成功して東京で派手に暮らす弟(オダギリジョー)と家業のガソリンスタンドを継ぎ老いて怒りっぽい父と暮らす冴えない兄(香川照之)。この二人が法事で久しぶりに会ったことで起こる悲劇を描いた作品。
優しく面倒見が良い兄がひそかに思いを寄せる二人の幼なじみで弟の元恋人の女(真木よう子)を送ったあと部屋で抱いてしまう。その翌日三人で出掛けた渓谷のつり橋で女が転落死してしまう。
事故か殺人か、兄の自白も弟の気持ちも’ゆれる'
兄はどこまで彼女と自分の関係を知っていたのだろうか。
兄も弟も葛藤に悩む。その葛藤を監督はゆれるという表現の映像で細かい描いている。
兄の香川照之の優しくでも怪物性を持ち合わせた演技とプレイボーイでだらしなさを持ってるが才能ありモテ男の弟のオダギリジョーの演技は最高に良かった。
対照的な男の生き方を見るのも面白かった。
兄から平凡な幸せを取り上げてしまった罪悪感に気づき最後は一緒に家に帰ろうと叫んだが兄はかすかな笑みで答える。兄の心の内は?
見ているものの気持ちも答えがなくゆれる。
徹底した主人公の視点で、何もかにも「ゆれる」
本作は、徹底してオダギリジョー演じる主人公の視点からはずれない。その徹底ぶりがすごい。
もう一人の主人公とも言えるのが香川照之演じる兄だが、その兄の気持ち、行動、日常の暮らしぶり、映画で語られる兄に関する全てが、主人公である弟からの視点だ。
兄だけでなく、他の登場実たちも同様で、殺された女(真木よう子)の事もまた、弟が知っている情報しか観客に与えられない。例えば、兄が服役している間、主人公は父親と交流していないわけだが、そんな父親がどうやって過ごしているか観客が知るのは、主人公が父親が雇っている従業員から得た情報だけである。このように、観客に提示される全ての登場人物や出来事が、弟が持ち得る情報だけで構成されている。
だからこそ、観客は常に、主人公と共に考え続ける。与えられない情報について、想像を巡らせ補完することを求められる。だから、よく分からない。
映画とは、基本的に観客に対して「神の視点」が与えられる。物語を俯瞰して見ることができるから、あらゆる登場人物が持ち得る情報を全て手に入れることができる。ところが本作は、主人公が持っている情報以外は持っていないから、観客は常に、モヤモヤとしながらストーリー展開を見守るしかない。観客の視点もまた「ゆれる」のである。
しかも、本作の主人公は、事件に対する記憶が曖昧だ。女を死なせてしまった兄の行動を見ていたはずなのに、兄が突き落としたのか、はたまた偶然落ちてしまったのか、主人公の解釈と記憶が「ゆれる」たびに、観客のそれも、また「ゆれる」。
ラストシーンの兄の表情への解釈や、兄が実際に犯罪を犯したかどうか、あるいは兄が判決を受け入れた理由など、観客達の間でさまざまな解釈が議論を呼ぶ。それはそのまま、主人公の心の葛藤である。
冒頭で「主人公の視点に徹底している点がすごい」と記したが、「この映画は主人公の視点だけで構成されています」ということが、ものがたりの終盤まで、あるいは見終わった後まで、観客に気がつかせない、その構成が非常に効果的であることが何よりも素晴らしい。
西川美和監督の手腕に脱帽だ。
もちろん、監督の演出の成功を支えたのは、オダギリジョーや香川照之の演技があってこそだという事は言うまでもない。
アジアトーン
日本人の、アジアの顔はこういう話がよく似合う気がする。
静かな中に渦巻く人間の葛藤。
さすが、ワビサビのジャパンである。
ゆれる吊り橋に比喩した兄弟の差の表現が非常に巧い。
無駄が無い映画でした。
香川照之さんは本当に良い演技をする…。
ラストが好きすぎてそこだけ何度も観てしまったなあ。
『ゆれる』という題名があってますね。
見終わってからずっと何故猛はは嘘の証言をしたのか、バスには乗ったのか…ずっと考えてしまった。
猛は稔にへの面会を通して、自分が見てきたと兄と本音をぶつけてくる兄が違う人間のように思えて不安と兄への嫌悪感がよぎったのではないか、だから嘘を言ったのだと思う。
私は稔はバスに乗ったと思う。兄は弟に全てを奪われた、最後に兄は弟から『兄』という存在を奪ったのだ。兄はこれから自分の人生をやり直すのだろう。
見てよかったと思える映画だった。最後のシーンが良かった。
香川照之とオダギリ・ジョーの兄弟
兄弟関係が単純に面白い。対照的な兄弟の間に生まれていた懸隔が露になってしまう。最後の終わり方は賛否両論かもしれないが、個人的には最高の終わり方だった。走りながら兄に向かって叫ぶオダギリ・ジョーの演技、そして香川照之の応える表情に涙がこぼれそうになった。邦画では一番好きな作品。
ラストの曖昧さがいい
果たして稔はうちへ帰ったのでしょうか…
主題歌のタイトルが「うちにかえろう」ですが(ちょっと笑った)、個人的には帰ってほしくない。
あの笑みは「おまえ、今更何いってんだよ」じゃないのかなあ。
せっかく監督が答えを曖昧にしてるんだから、あまり色々言うのはナンセンスかもしれませんが。
智恵ちゃん、けっこう、あれ、しつこいだろう
映画「ゆれる」(西川美和監督)から。
事件の真実は、兄の腕に残る傷跡だけが知っている、
そんな心が揺さぶられた結末であった。
兄が恋心を抱いていた女性は、弟の昔の彼女。(らしい)
それを知りつつ、弟に彼女を送らせた兄は、大人なのか。
彼女の部屋で激しいセックスして帰宅後、
後ろめたさを感じながらも、兄に「ただいま」と挨拶。
そんな雰囲気を感じながらも、またまた大人の会話。
「智恵ちゃん、けっこう、あれ、しつこいだろう」・・
ドキリとする弟の動揺を見透かしながら、
しばらく間を置いて「酒飲みだすと・・」と付け加える。
「あっ、そう、意外と飲めるんだよね」と体裁を整えるが、
事件後、彼女は下戸で、ビール一杯でもコトンとなるくらい
アルコールに弱いことを知り、兄の質問の意味を知る。
前半部分の仕掛けが、後になって利いてくるから面白い。
舞台となるガソリンスタンド「135円・125円・98円」の
価格表が、妙に気になってしまったが・・(笑)
いろいろ考えさせられる映画だった気がする。
ぐっときます
いや〜うちの彼も田舎から家業を継がずに上京してきてるカメラマンなんで、ちょっと重ね合わせてみちゃいました。家業は三男が継いでいますが。事件が起きてからの、まるで今までの人生のすべての毒を吐き出すかのような兄の発言にドキドキしました。なぜ急にあんな事言い出してしまったのか。「良い人」のままでいれなかったのか。そして、弟の判断は間違っていたのかどうなのか。わざと兄にそうなるようにしむけられたようにも伺えます。久しぶりにぐっときて、何度も見返しました。是枝監督が入っているだけあって、是枝節も随所に見え隠れして楽しいです。
逃げないこと。
間違えなく20代の集大成になる」「名作になる確信に近いものがある」と主演のオダギリジョーに言わしめた、西川美和監督の4年ぶり完全オリジナル長編映画『ゆれる』。
最終的に、稔(香川照之)が有罪なのか無罪なのか。突き落としたのか落としていないのか。映画を見終わったあとに堰を切ったように話し合ったのだけれど、結局のところそれはどうでもいいのかな、と途中から思ってしまった。
「真実」は一つではなく、それを見つめる人間の数だけ存在し、それがその人間自身の感情のゆれによって常に変化し、そこに関わる人間関係の変化に呼応してさらにゆらいでいく。そんな危うい「真実」によって判断してしまう人間の危うさみたいなもの。
ただ、そんなふうに「ゆれる」ことから、たぶん僕たちは逃げることはできないんだろう。だからこそ、その「ゆれ」を抱えながらどう生きていくのか。
経験でしか「真実」を判断できないのであれば、血を流して広く深く多くの経験を重ねていくことしかないだろうし、見えている(と思っている)「真実」を自問自答するだけでなく、相手や誰かに問いかけて、他人の目で直視してもらうことを粘り強くやっていくしかない。でも、それはとても強い気持ちが必要なこと。
人間関係において、一方が限界まで想いを巡らした(と思い込んで)、一方的に下してしまう決断は、結果的に何処にも辿り着かないのだろうなと、この作品を観てあらためて考えさせられる。判断した側は苦渋の決断だと思っているから、そこにある種のカタルシスすらあるけれど、「真実」を探り当てるためにお互いをぶつけ合う大変な消耗、目前のつらい状況、その両方から逃げてしまったことからは何も生まれないし、いずれは逃げたことすらも忘れてしまうだろうから。
もちろんそこで逃げずに踏みとどまることは、とても大変なことだ。なかなかできることじゃない。できれば逃れたい。相手もその気持ちに気づき、一緒に歩いていくために手を差し伸べることが必要だ。猛(オダギリジョー)の行動を責めることは誰にもできないだろう。
そして猛は「真実」へとたどり着くまでにとても長い年月を使ってしまった。取り返しのつかないほどの年月を。最後のシーン。向き合う2人の間に、「真実」を取り戻すことができたのだろうか。
と、ちょっと真面目に書いてしまいましたが、すごく考えさせてくれるいい映画です。そして『これまでで一番演じていない』というオダギリと、『正常という異常』を見事に演じてみせた香川照之の2人のやりとりは夏の鳥肌。必見でしょう。
感動。。が、理解に苦しむ
なぜ最終的に刑務所送りにする必要があったのか、少し理解に苦しむところが・・。でも基本的に2人とも演技はうまい。最後のオダギリのセリフはなかなか感動させる
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