ゆれるのレビュー・感想・評価
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兄と弟の間にかかるつり橋
フィクションの多くは、キャラクターの台詞や言動によって、その人の心情や内面や過去を明快に表現することで、ラストへと導き、観客に問題が解決したという満足感を与える。だが、実際の生活において、必ずしも私達は自分の心情を赤裸々に吐露したり、思っている事をそのまま相手に伝えたりしないものだ。
人間の表層と深層心理には、断絶がある。そしてこの『ゆれる』という作品は、ある兄弟のそんな人間の心の断絶を、深く掘り下げた映画だった。
物語は、東京でカメラマンとして活躍する猛(オダギリジョー)が、母の一周忌の法事の為、地方の故郷へと帰ってくる所から始まる。実家では、兄の稔(香川照之)が家事と実家の稼業をこなしながら、父の勇と男二人で暮らしている。
悠々自適に都会で生活する猛とは違い、長男の稔は稼業を継ぎ、小さなガソリンスタンドで働いている。猛はそんな兄に、稼業から逃げたという負い目を感じていた。
猛は車でトンネルを通り、故郷へと向かう。それはまるで明るい都会から、どこか異界へと通じる道を進むかのよう。故郷のシーンは、主にローキーな照明で撮影され、全体的に暗い閉塞感を印象づける。これにより、故郷が猛にとって心安らぐ場所ではなく、陰鬱な所であることを、画面は示す。
稼業のガソリンスタンドには、猛の昔馴染みの女性・智恵子(真木よう子)も働いている。智恵子は最初、車のガラス越しに猛に気付くが、猛は智恵子に気付かないふりをする。二人の視線は直接交わらず、猛は車のミラーごしに智恵子を確認して去っていく。このシーンで、智恵子が一方的に猛に好意を抱いている事を、カメラは暗示する。
一周忌の後、働いている稔と智恵子の仲の良い様子を見て、猛は兄が智恵子に好意を抱いている事を見抜く。だが女たらしの猛は、智恵子を家に送る際、彼女を誘惑し、性的関係を持ってしまう。
その翌日、稔は猛と智恵子を誘い、風光明媚な渓谷へ出掛ける。暗いトンネルを抜け、渓谷という異界へ、3人の乗った車はたどり着く。
澄んだ川で子供のようにはしゃぐ稔とは対照的に、昨日の情事のせいでぎくしゃくする猛と智恵子。智恵子は故郷の生活に行き詰まりを感じており、猛を追って東京に出ていきたい気持ちを、案に漏らす。そんな深刻な雰囲気に気まずさを覚えた猛は、稔と智恵子を置いて、つり橋を渡り、一人で渓谷の奥へと写真を撮影しに行く。
すると智恵子は稔を置いて、猛を追い、つり橋を渡ろうとする。そんな智恵子を稔はつり橋の上で引き留めようと追ってくる。稔と智恵子の感情のぶつかりを、手持カメラは激しくぶれながら追う。
このシーンにおけるつり橋は、非常に暗示的な装置としての役割を果たしている。
智恵子にとって、つり橋のあちら側へ行くという行為は、猛という好きな人の元へ行くということのみならず、猛が住む東京へ出ていく決意を意味する。そしてそんな智恵子を追ってくる稔は、自由のない、故郷の行き詰まった生活の象徴そのものだ。
智恵子は稔と故郷の暗い日々から逃れようと、稔の腕を振りほどこうとする。そして一方で、智恵子のこの拒絶は、稔にとっては、稼業を継ぎ、地味に生活する自分の人生を否定されること、そのものであった。
つり橋の二人の様子を一瞥しながら、写真を撮る猛は、不穏なものを感じとるが、戻らない。だが気になり、もう一度つり橋を見る。するとつり橋には智恵子の姿は無く、橋の板の上で呆然としゃがみこむ稔の姿だけがあった。智恵子はつり橋から転落したのだと悟り、慌てて猛はつり橋へと戻る。
茫然自失の稔を見て、事件の予感を感じながらも、猛は智恵子が勝手につり橋から落ちたと思い込み、警察に連絡する。
警察から事情聴取を受け、事故扱いで処理されるようになり、猛は胸を撫で下ろす。しかし、罪悪感に堪えきれなくなったのか、稔は勝手に警察に自首をし、逮捕される。
そして、智恵子の殺人容疑をめぐり、稔は法廷で追及される。あの時、一体つり橋では何があったのか……法廷を通して、猛は自らも知らなかった兄の心の闇を覗くことになる。
物語の後半は、裁判のシーンを中心に描かれる。裁判の序盤は、被告人であるにも関わらず、カメラのピントは稔に合わずにぼやけ、背景の弁護士や検察官、傍聴席をはっきり映す。それにより、何を考えているのか分からない稔の心を、画面は暗示する。
しかし、裁判が進むにつれ、稔が猛に黙っていた事実が判明し、稔の心の歪みが明らかになっていくにつれ、カメラのピントははっきりと稔の表情を捉えだす。
都会に出た猛は、稼業を継ぎ、親の面倒を見、長男としての役割を果たしている兄の稔に、常に負い目を感じていた。稔の立場は、現代に残った家父長制の犠牲の典型のようにも見える。
しかし猛は同時に、自分は稔のようにならなくて済んだという事に、どこか安堵を覚えている。
裁判にかけられた兄を守ろうとして猛は奔走するが、ある時、そんな彼に稔は「俺を守るふりをして自分を守ってきただけだ」と、猛の欺瞞を暴く。
そして、兄弟の間に脆くも掛かっていたつり橋は落ち崩落し、決定的な断絶が、二人の間に生まれるのだ……。
物語の終盤、あることをきっかけに猛は子供時代の稔との記憶を甦らせる。
そして自分が、兄の言葉の通り、本当に兄を信じていなかったこと、なぜ兄を信じて別の可能性を考えられなかったのかと、激しい後悔を抱く。
弟と兄、二人の間に、再び橋は掛かるのだろうか……。ラストで、渡れない大きな断絶を挟んで、猛と稔は視線が合う。
そこに希望を見いだすか否かは、私たち観客に委ねられている。
タイトルなし(ネタバレ)
西川監督の独特なポップさと重たい感情表現の演出は本当に上手いなと感心する。
愛する人を助けられなかったという罪の意識を拭う為弟を逆なでして嘘の証言を吐かせた香川照之。一方で、弟のオダギリジョーは兄の愛する人を寝とってしまった罪悪感と合わせて、面会室でのやり取りで感情が動いてしまった。
やるせない感じもあるが、いい話っぽい感じも持たせてる。
なんかオダギリジョーがただただ踊らされてる感があって、物語全体の共感性はない。
永い言い訳もそうだったけど、独特なモヤモヤを残す人だなと改めて思った。蛇イチゴくらいポップさがある方が純粋に楽しめるな。
イトル通りの“ゆれる”名演技でした。
キネ旬シアターの西川美和監督特集で見てきました。『あの橋を渡るまでは、兄弟でした。』のコピーが示しているように、吊り橋転落事件の真相を巡って、殺人犯として逮捕された兄と、その裁判で証言台に立つ弟との葛藤を描いたドラマです。
当初は、兄を庇うため奔走していた弟。当然兄の無実の証言をするはずでした。ところが、転落させてしまった兄弟と幼なじみの女性との関係を巡って、兄弟が嫉妬し合い、対立することに。一転して裁判で兄は嘘の証言をいいだす弟。
ラストシーンまで、吊り橋転落事件の真相が明かされないなかで、果たして兄弟の食い違う言い分のどちらが正しいのか。また兄は贖罪の思いから、わざと弟を怒らせて裁判を不利な方向に持ち込んでいったという可能性も示唆されて、兄が引き起こしたという吊り橋転落事件で、兄のほうに殺意はあったのか、事故だったのか、最後の最後まで真相は明かされず、本当はどういうことだったのか、真相に引き込まれました。
香川照之とオダギリジョーの息の合った演技が絶妙。特に香川の演技は、兄の心境や殺意を表裏両面でケムにまくもので、タイトル通りの“ゆれる”名演技でした。
東京で写真家として成功している猛は、忙しくも自由気ままな生活をしていました。一方、地方に残り実家の商売を継いだ兄の稔は、幼い頃から温和で誠実な人柄で、いまだに独身で父親と2人で暮らしていました。
母の一周忌で久しぶりに帰郷した猛は、稔とふたりの幼なじみの智恵子と3人で近くの渓谷に出かけたのです。そこは、兄弟が幼かった頃、よく両親が連れてきてくれた場所でしたが、猛はそのことをすっかり忘れてしまっていたのです。そんな懐かしい場所を訪れたことではしゃぎだす稔。そんな稔の目の届かない場所で、猛と一緒に東京へ行くとこっそり言い出す智恵子。
しかしそのあと渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまいます。その時そばにいたのは、稔ひとりでした。兄をかばうため稔が奔走する中、稔の裁判が始まります。
事故だったのか、事件なのか。猛の前で、稔は次第にこれまでとは違う一面を見せるようになるのです。兄は本当に自分がずっと思ってきたような人間なのだろうか。当たり前と思い疑いもしなかった事柄の裏面が見え隠れし、裁判が進むにつれて猛の心はゆれていきます。やがて猛が選択した行為は、誰もが思いもよらないことでした。
兄弟と呼ばれるその絆はどこまで確かで、そして脆いものなのでしょうか。一度離れてしまったふたりは歳月を越えて再び出会えるのでしょうか。そして記憶はいかに人をだますものでしょうか。一度壊れた人と人が繋がりは、再生が可能なのでしょうか。裁判の結審から7年後、事件の記憶も薄らいでいた中で、猛は再び「真実」について大きくゆれることになるのです。
兄と弟・・
凄いですよ、西川美和さん!
家族って、こじれたときは、あらゆる人間関係の中でも最も煩わしい存在になりますよね。
だけども、他の人たちとではありえないだろう、そこからの修復というのも可能にしてくれます。
映画ではそこまでは示していませんが、期待を含める余韻を残す作品でした。
これ、10年前の作品だったんですね。
今見ました。
ずっと、ず〜っと見たいと思っていた映画でした。
「西川美和監督が好きで見た」のではありません。『ディアドクター』『夢売るふたり』が面白くて、この監督誰だろうと調べたら彼女でした。
そして『永い言い訳』を先日見ました。
やはり追い続けてみたいと思える監督でした。
この作品は、以前からずっとずっとずっと気になっていた作品なので、ちゃんと落ち着いた時に見ようと溜めていました。
本が出ていることを知り、先に小説を読みました。
凄いですよ、西川美和さん。
小説も味わい深いし、映画も全く違うテイストで楽しませてくれるんですね。
この『ゆれる』に関しては、小説と映画の両方を味わえてよかった!と思える作品でした。
まだまだ追い続けたい監督です。
これまでのどの映画も見て損は無し。
気になる人は、ぜひ本と映画の両方を!
まいったわ〜
ゆれる。
想像する「余白」がある映画
主人公目線なのに主人公の気持ちが一番分からなくて、「自分だったらどうするだろう」という想像と、「これからどうする気だろう」というハラハラ感を味わえるシナリオでした!
出演者や映像の雰囲気がおしゃれだからって、なんだか評価が高すぎる気がします。
家業を継いで自分を犠牲にしながら真面目を生きる兄。
東京に出て自分のやりたいように生きる自由奔放な弟。
極端なまでに対照的な二人の物語。
ただ、わたしこの映画納得できませんでした。
兄から弟への「心がゆれる」は痛いほどわかります。
弟に好きな女を寝取られて、自分に家業を押し付けられているのだから。
けど、弟から兄への心の「ゆれ」がどうしても見当たりません。
エデンの東のように兄が親にちやほやされて、その嫉妬心でゆれている、とかならわかるけど、好き勝手に生きて、兄の好きな女と寝て、兄を嘘の証言で獄中に入れて…。
観ていて「?」って感じでした。
兄を陥れてしまったことに対して心がゆれているのなら、とんだ自分勝手ではないですか。
出演者や映像の雰囲気がおしゃれだからって、なんだか評価が高すぎる気がします。
なんだかわからないけど
ドラマと映画の違いがよくわからなかったけど、この作品を観終わった後に「映画ってこういう事か」みたいに感じました。うまく説明できませんが。
評価は分かれるんだろうなと感じました。淡々と進んでいくリアルな日常に物足りなさを感じる人もいるだろうし、観終った後によくわからないっていう友人もいました。
所々小説のような描写がいくつかあり違和感を感じた部分もありました。
やたらに高評価だが
確かにゆれていた
東京で売れっ子カメラマンとして充実した日々を送る弟、猛(オダギリジョー)。
実家で年老いた父の面倒を見ながら、家業のガソリンスタンドを継いだ兄、稔(香川照之)。
容姿も性格も正反対の二人は、それでも仲の良い兄弟だった。
あの橋を渡るまでは---。
「ゆれる」っていうタイトルがすごい女性的だなぁ〜なんて思った。
って言ってるそばから園子温監督の「ちゃんと伝える」を思い出したから全然女性的でもなんでもなかった。
オダギリジョーかっこいいなぁぁぁぁ〜〜
特にオープニングのキスシーンあれはまじでやばい。
ドア開けて出て行くところとかあれはまじでやばい。鬼。
なんで今まで好きな俳優でオダギリジョーの名前を挙げなかったんだと猛省するしかなかった悔しい!
ここで唐突に現在の順位を確認。
殿堂入り✨阿部寛✨
⒈ 井浦様
⒉ 染谷将太
⒊ ピエール瀧(角ハイボールのCMが自己ベスト)
⒋ 小出恵介
⒌ オダギリジョー
番外編✨ 鴨居玲✨
ね、あんなにかっこよくても5位っていうのがね。ピエール瀧に余裕で負けてるっていうのがね。女心って難しいよね☆
そしてさらば窪田正孝。さらば賀来賢人。Nためイケメンズは惜しまれつつもランク外へ。
モノクロ写真対決だったら鴨居玲が1位だよ。
って「ゆれる」と全然関係ない話になったわ。
どうしよう話を戻そうかもうこのまま終わろうか。
まぁ戻すけど、この映画の感想は詰まるところ「オダギリジョーかっこいい」に集約されると思うんだ。
調子乗ってるオダギリジョー、適当にあしらうオダギリジョー、動揺するオダギリジョー、決意するオダギリジョー、立ち向かうオダギリジョー、打ちのめされるオダギリジョー、溢れ出すオダギリジョー。
そう、ゆれるオダギリジョー。
橋より何よりオダギリジョー自体がひたすら揺れていた。
あまりに揺れすぎて、はっきり見ていたはずの事件当事の記憶すらも揺れる。
ここまで来たらゲシュタルト崩壊で「オダギリジョー」の文字列すらも揺れている。
最後、稔はバスに乗ったのかなぁ。。。
あの終わり方はすごく好きだったな。
とても面白い。 「ゆれる」理由となる両端の重りともいえる対比が、弟...
とても面白い。
「ゆれる」理由となる両端の重りともいえる対比が、弟の視点から絶妙に描かれる。
田舎での兄の暮らしと東京での弟の仕事の描写。
兄の部屋と東京の弟の部屋
兄や幼馴染や父の言動と弟と叔父の仕事。
田舎の女と東京の女。
地方都市と東京での仕事現場。
こと対比のさせ方がわざとらしくなく、観る者の意識に自然に入る。
そして、それらが「ゆれる」につながっていることが理解される。
兄弟がなぜそんなことを言うのか?なぜそんな行動をとるのか?(なぜ「ゆれる」のか?)ゆれる両端につながるものは理解できるが、それでも見るものは考えさせられる。ゆれるのはわかるが、一目瞭然ではないからだ。なぜ?が良い按配で残っている。
セリフひとつひとうに意味があり、全てに監督の考えが行き届いている。
うまい構成。うまい配役。
面白かった。
最後に。
キム兄だけ、瞬間、ん?と感じたが、「ゆれる」につながっていない狂言回しとしては、いいじゃないかと思い直した。
『ゆれる』
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