千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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資本主義化したカネの亡者への警鐘
基本的には面白い作品だけに序盤の両親の豚だけはどうしても理解出来ない。
「ここはね、人間の来るところじゃないんだ。
八百万の神様達が疲れを癒やしに来るお湯屋なんだよ。
それなのにお前の親はなんだい!お客様の食べ物を豚のように食い散らして。当然の報いさ。」
両親は食い逃げをする気はなく料金を支払うと言ってる。現金もクレジットカードも用意してるからいくらでも支払う用意はある。資本主義社会や貨幣制度を全否定してるようにしか感じない。
もう一つは腐れ神。
オクサレ様の正体は、名のある川の神様です。
神様の中でも名がある存在なのに、どうしてゴミまみれになってしまったのか。それは現代社会の実情を表していると言われています。
コミカルに描きながらもポイ捨てや不法投棄が増えることによって自然が破壊されることを描いた宮崎駿監督の訴えは考えさせられるものがあります。
以上はSNSの引用です。
不法投棄なヘドロは勿論公害問題ですが問題にすべきは国民の意識ではなく法令です。
廃棄物の処理及び清掃に関する法律、要はゴミのポイ捨てと不法投棄は犯罪です。
違反した場合は懲役か罰金の刑罰が課せられます。
要は腐れ神のような被害者を出した犯人は逮捕されるんですね。
日本列島は法治国家ですから腐れ神を出した犯人を逮捕しない警察が問題なんですね。
カネの問題じゃないと湯婆婆、法律の問題じゃないと湯婆婆、
要はここは資本主義社会じゃないんだから資本主義社会の常識を持ち込まれても困ると言いたいのかな。
ススワタリ全員と契約書交わしたんか
読書徹夜の明け方になんとなく鑑賞。千尋ちゃんの両親が勝手に飯を食い出すシーンがかなり怖いです。「そんなことしない方がいいよ」ってことを、自分の親が平気ですると信頼できなくなります。親を信頼できないと、基本的に子どもは寄る辺なき孤独と不安を生きざるを得なくなりますよね。その意味で物語終了後の千尋ちゃん、どうか幸せであれと願います。
大人になって観ると、カオナシのなんと腑におちるものか。金や食料を差し出す以外のコミュニケーションがまともにできないやつ。「俺は客だぞ」「俺は腹が減ってるんだ」日本には年々カオナシが増えているように感じます。あのお面はコロナマスクだったんですね。
美しい川にゴミを投棄してヘドロ川にしてしまう人間、神様へのお供え物を勝手に食って豚に変身させられてハタキでペシペシ追い払われる人間、カオナシのような人間、2001年時点で宮崎駿が失望している現代人は20年以上経っても挽回しきれてないように思います。
ちなみに私はススワタリになりたい。サイズも謙虚で真面目に働き、女の子に甘えちゃったりして。ちゃんと靴預かるしエンガチョを見たら真似してみる好奇心。絶対幸福度高いすよ。てかあいつら全員湯婆婆のとこいって名前書いてきたんすかね。労働の報酬の金平糖は湯婆婆がちゃんとそのために仕入れてるんでしょうからね。
何か解決したの?/するの?
20年ほど前の記憶
やはり宮崎作品は視覚的に楽しめる要素がふんだんに盛り込まれている。...
社会におけるアイデンティティについて、考えさせられる深い映画です。
アニメではあるけども、大人も楽しめるような深い映画です。
人が自立し、成長していく様子が描かれているように感じます。
大人は完全に脇役として、上手に、主人公「千(千尋)」のチャレンジと成長をアシストしています。
映画の中で流れる緩やかなテンポで心地が良い音楽は、その成長を見守れるような安心感を創り出している気がします。
子供ながらも、自身のアイデンティティを守るために生きていく様は、
現代の一人一人の実質的な状況を描写してるような深い映画です。
「自分は何のために生きているのか?」
「どうなりたいのか?」
「自分が存在している理由は?」
深く考えさせられる映画です。
観劇のため予習
やはり名作
やはりいい、
何度観ても良さがわからん
宮﨑アニメ&ジブリ映画自体、基本的にあまり好きではないが、良さは謙虚に評価・賛美したいと思っている。
しかして、本作だけはまったく良さがわからない。
何故、これだけ日本中で、いやさ世界中で評価が高いのか?
シカゴサンタイムズもニューヨークタイムズもロサンゼルスタイムズも読んだ。しかし、やはり具体的にどこを褒めているんだかさっぱりわからん。抽象的なフワッとした大絶賛ばかりだ。
しかし、どれだけ世間の評価が高くとも、私は感覚的に非常に強い嫌悪感を覚えてしまうのだ。
おそらくは、宮﨑監督自身が「非常にネガティブな動機」に掻き立てられて本作を創造しているからだろう、と推察する。
まず、千尋の両親の造形が嫌で嫌で堪らない。本作は「10歳前後の女児」を対象に創作されたそうだが、自分の両親をあのように描かれて喜ぶ子供がいるものだろうか?
いるとしたならば、相当な抑圧を親から受けているのだろうが、しかし10歳の子供というものはストックホルムシンドロームよろしく自分の親を心から愛したいと願っている健気な存在なのだ。
この両親のキャラ設定は、宮﨑氏が「今ドキの若い親」というイメージに対して描いている(いた)、年輩者としての上から目線の偏見に他ならないと強く思う。
湯屋に象徴される「世間の穢らしさと厳しさ」
客達に透けて見える資本主義や権威、従業員に重ねられている意志薄弱、そういった様々な世相に対しての宮﨑氏の唾棄するかのような嫌悪感。
(また、女性の初潮に対して監督が抱いていると思われる、男性目線の過剰な価値観も不快感を禁じ得ない。)
一見、少女の逞しき成長譚&美談と思わせるような表面上の造りと裏腹に、監督の厭世観をひしひしと感じてしまう本作。そこに、堪らない嫌らしさを感じてしまうのだ。
本作を絶賛する人々こそが、監督の眼には「豚」だと映っているように思えてならない。
さて、20年の歳月を経て、10歳前後の少年少女が純粋に夢中になる鬼滅の刃がついに本作の日本歴代興行収入記録を抜いた。(鬼滅を大人が絶賛する現在の風潮もどうかとは思うが。10歳前後に人気がある理由は非常によくわかる。少年漫画とは斯くあるべき、と思う。)
今の宮﨑監督ならば、本作の事をどう振り返るのであろうか?
よく、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と同カテゴライズされるようだが、断じて違う!と個人的には考える。
人生円熟期に入る宮﨑監督ならば、制作当時とは違った評価を本作に与えるのであろうか?是非、問うてみたいものである。
宮崎作品は奥が深い
2度目の鑑賞
ただし、前回は酔っぱらって後半を覚えていない
豚になってしまった両親を人間に戻すために頑張る主人公の物語
途中、ハクを助けるために寄り道してしまうけど
最後は両親を助けることができた
宮崎作品は色々なメッセージが込められているからか
こちらがどう見るかで感想が変わる
だから見終わると「?」な気持ちが残る
よきかな
千尋の成長
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