シークレット ウインドウのレビュー・感想・評価
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謎が多くて理解できない
意味が分からなかった。シューターが人格の一つで、モートの身体を乗っ取ったことしか分からん。
エイミーとテッドが殺された描写あったのに、生きて出てきたのは何故。登場してすぐ殺されてるし謎。
最後は焼いた死体を溶かして、トウモコロシにして食ったってこと?
それともトウモコロシ畑の下に埋まってるの?
謎が多くて理解できない映画だった。
「 秘密の窓 」
タシュモア湖畔に在るロッジに愛犬チコと暮らす作家モート・レイニーを、ジョニー・デップが演じる。
寝癖のついた髪でスナック菓子を頬張る姿だったり…ジョニー・デップの何気ないお姿をたっぷりと見せてくれる作品。
じわじわと不穏さが増し…ゔぁ…。。
テレ東を録画にて鑑賞 (吹替版)
映画開始10分で結末がわかってしまうという残念な内容。ジョニー・デ...
映画開始10分で結末がわかってしまうという残念な内容。ジョニー・デップはあまりにもジョニー・デップ過ぎる。結末が早くから分かってしまっている分、クライマックスで別居中の妻とその恋人を殺してもほとんど驚かなかった。万事予定通りに物事が落ち着いたという感じ。殺した人々を湖に車ごと沈めたり、自宅の庭に埋めたりした部分はいかにも素人殺人鬼っぽくてある意味よかった。そのあたりは確実に捜査対象に入るはずだから、主人公モートが早晩刑務所入りしたことは間違いなさそう。ミステリー作家として落ち目となった彼は、自分で自分の結末を書き記すことが最後の仕事となった。
コミカルホラー?
ボサボサ頭、ボロボロのバスローブ。顎パクパク。クセになる(笑)
グロいし怖い話なんだけど、なんかコミカルなのはジョニーデップのせいであろう。
どうなるのかとドキドキしながら観たが、そうくるか〜!と。
真面目に観てた自分がバカみたいに思えるのだが、やられた感はそれほどない。
余談だが、ティモシー・ハットン!懐かしい。
「普通の人々」が無性に観たくなった〜。
そして、チコはかわいかったな…残念だったけど。
テーマは『ペルソナ』...21世紀の『シャイニング』?
原作者がスティーブン・キングということもあり、「主人公が小説家」「孤独な山荘」「妻を襲う」「壁に描かれた"SHOOTER/SHOOTHER"の文字」「犯人はお化けのせい?ストーカーのせい?」といった展開はいかにも『シャイニング』(1980)。
しかし、実際にお化けが存在していた可能性も否定しない『シャイニング』に比べると、今作は幻覚の存在を明確に否定。
「犯人は自分だった」というネタバレの要素が強いどんでん返し系作品だ。
不眠という要素も相まって、『ファイト・クラブ』(1999) 『メメント』(2000) 『インソムニア』(2002)といった20世紀末〜21世紀初頭の映画作品の潮流に載せて語られるべき一作。
少し後になると『複製された男』(2013)や『二重螺旋の恋人』(2017)『告白小説、その結末』(2017) がある。
『ファイト・クラブ』という衝撃作がありながら、かつてテレビで繰り返し放送されたのがこちらの作品だったのは、今作の方がマイルドなため規制に引っかかりにくく、尺もちょうどよかったか。
原作では超常現象の存在を全面に押し出しているという『シャイニング』だが、映画版では父親の犯行を、本人の狂気によるものかそれともお化けが本当に存在しているのか、曖昧にしている。
それに比較すると、本作は明確にストーカーの存在を否定。
主人公の狂気が犯行の原因だとし、精神疾患やパーソナリティ障害的な問題に帰している点がモダン。
本作には、原作との相違点はあるのか。
ちなみに『シャイニング』の原作刊行は1977年、映画版公開は1980年。
『シークレット・ウインドウ』の原作は1990年発表『秘密の窓、秘密の庭』。日本においては『ランゴリアーズ』に収録。
「ストーカーは主人公の作り上げた別人格で、彼の妄想だったんだね。よくあるオチだ。犯人は自分だったんだよ!寝ている間に、夢遊病のように犯行していたんだね!」などと批評し低評価するのは容易いが、「なぜ主人公の別人格はそのような犯行を犯したのか?」と問いを立て、説明していく作業は楽しい。
主人公が盗作の疑惑を晴らするために取る行動の1個1個が、疑惑を晴らされると困るかのように、自分自身の手で破壊されていく。
主人公の内面における善悪の葛藤、とも取れるが、ラストにはもはや清々しさすらあり、「本当の自分」の解放とも言える。これが悪の勝利。
疑惑を晴らすための行動を自己破壊する理由は、悪の側の立場でしか合理的な説明がつかない。
けれども悪の側から善の側を見たときに、主人公は善の顔によって何に蓋をしていたのだろうか?
主人公は、盗作を行っていないにもかかわらず、なぜ「自分が盗作をした」という疑惑を自分自身にかけるのか?
それは「善の顔」は仮面を意味する、剥ぎ取りたいもの、破壊したいものだからだ。
「善の顔」に盗作疑惑をかけるのも、盗作を「寝取り」に重ね合わせているから。
妻を寝取られた主人公は、その恨みを自分自身に向け、盗作に寝取りを重ね合わせることで、善の顔が破壊されたとき、同時に寝取り男への恨みを晴らそうとしている。
結局妄想の域にとどまらず、現実の行動に出てしまうのだが。
寝取り=盗作
寝取り男=善の顔
寝取り男を倒す=善の顔に勝ち、悪の人格が勝利する=本当の自分の解放
これはどうやら『JOKER』にもまた近く、「ペルソナ」という人類永遠の課題に帰着する話題だ。我々が普段見せている姿は「真の姿」なのだろうか?社会生活を送る上での「仮面」ではないか?我々は真実を見せるべきか?いや、仮面を剥げば争いを生む。真実は人を傷つける。方便も必要......と。クリストファー・ノーランが毎回、自分の作品の中に盛り込む要素でもある。彼はまた自分の作品を通じてこうも語りかけてくる。映画は方便だ、と。真実ではないが、映画の見させる夢が、人々に希望をもたらし、社会生活を回していくのだよ、と。
さてつまり、この映画は、社会生活において自己の安全を保証する「ペルソナ」を破壊してしまう男が、その過程を、自己の中で葛藤の物語に仕立て上げるお話なのだ。
*****
・振り返ってみると、冒頭で主人公は、車に乗りながら何やらブツブツと呟いている...これもまた、主人公内部における別人格との葛藤であったわけだ。
・劇中で2回ほど、カメラが窓ガラスや鏡を透過するズームイン演出がある。今後はこれについて記事を執筆したい。
探偵とジイさんを湖に落とした時に腕時計を一緒に落としたから、これが...
探偵とジイさんを湖に落とした時に腕時計を一緒に落としたから、これがラストの伏線だと思ったのに。中盤以降、展開が慌ただしすぎて消化不良。
数年に一回観たくなる。
今まで地上波やdvdなどで何回か観賞している。
まず惜しいところだが、誰が見ても分かるようにジョニデがかっこよすぎる。
特別ファンではないが、寝癖や破れたガウンを着ていても全く冴えない男には見えない。
チャーリーとチョコレート工場では少し気持ち悪い男を演じきれていたが、
本作ではこの容姿でしかもそれなりに売れている作家なのに、
妻を他の男に奪われているのがものすごく不自然で、観衆の頭には「何故?」が浮かぶ。
ジョニデよりハンサムというのは難しくても、
テッド役はせめてジョニデより若い俳優にすべきでは?というのが惜しい点。
どう考えてもモートを捨ててテッドを選ぶことが不自然で、最後まで気になったままであった。
そして、後述の良い点で言及するが、元妻とテッドの死はむしろスカッとして良い展開なのだが、
それだけに、犬と探偵と近所の老人を殺す必要性が感じられない。追い詰められている
(と思い込んでいる)演出のために必要なのだろうが、なんだかなあ。
良い点は、たくさん批判を受けている「オチ」である。
原作と変更されたそうだが、自分はこの「オチ」がとても好きだ。
元妻とテッドは自分達が不貞行為を行っておいて、
何故あそこまでモートに横柄な態度を取れるのかが不思議だったが、
このオチのためか。観ている方もスッキリする。
そうでないと、元妻とテッドはあまりにも悪人が過ぎるし、
モートはあまりにも無抵抗過ぎる。元妻に未練があるのはわかるが、
何も家まで奪われなくても…。
全編においてどこまでも殺されて当然な行動を取ったこの二人のお陰で、オチに関しては満点。
望みを成し遂げた後の、モートのスッキリした様子にむしろ共感。
とはいえ犬と探偵と近所の老人は可哀相なのだが…
特別ファンではないが、覚醒したモートが帽子を被ってドアの陰から現れるシーンがかっこいい。
明らかにこのシーンは恐怖感より、かっこよさを狙っていると思う 笑
40点
映画評価:40点
一言でこの映画を紹介するとすれば
「現実と想像の区別がつかなくなった男の末路」
それをミステリアスに演じるジョニー・デップ
そこら辺が見所でしょうね。
ただ、それ以下でも以上でもないので
それなりの作品でした。
【2015.09.20鑑賞】
ゾックゾクする。 スティーブンキング原作ですからね〜こうこなくっち...
ゾックゾクする。
スティーブンキング原作ですからね〜こうこなくっちゃね〜
ジョニーデップいい。狂気が似合う男。
小説家が現実とフィクションが分からなくなって人格を形成し怯えて、受け入れてと
バッドエンドですが、作品としてはいい終わり方なのではと思う。
自問自答のシーンは引き込まれますな。ダークな内容なのになぜか愉快。デップオンステージな感じ。凄く嫌いじゃないです。
本当にノーメイクのデップの演技は良いですね。メイクがあるとオーバーがオーバー過ぎて、コミカルがコミカル過ぎちゃう。
それがまた良くて人気出ちゃうんでしょうが、確実にこっちのデップが真のデップで、好きですな。
単純だけど....
ジョニー・デップの演技に惹かれました。
ちょっと間抜けな特有の演技。
くしゃくしゃの髪型にぼろぼろの寝巻き。
単純なありきたりなストーリーだけど
見てて面白かったです。
特に妻がshooterと彫られた部屋を
見渡すシーン。
どこから主人公が出てくるのか....
見ているこちらもドキドキするような
カメラワークでした。
最後の妻の死体を埋めた土に植えたとうもろこしを貪るシーンではゾッとしました
単純だけどおすすめです。
なかなかどうして
何年も前にレンタルして観たよな~と思いながら、深夜の地上波OAを録画で鑑賞。
レンタル時の印象が全くなく。って事はイマイチやったんかなぁと思いきや、なかなかどうして、これがかな~り面白かった!
初っぱなのモーテル襲撃シーンの後の、オープニングの別荘のシーン、ワンカット長回しで庭→二階の小窓→一階のジョニデというカメラワーク。何でわざわざこんな面倒な…実は最後のカメラワークへの伏線だったのね!!
でもって、奥さんの死体から養分吸ったトウモロコシをガツガツ食らう主人公…めっちゃ怖くないっすか!!!!
確かにサスペンスのトリックというかオチは比較的早い段階でわかっちゃいますけど、それでもなお引き込まれてしまうのは脚本の良さと役者の怪演の賜物でしょうな。レンタル時の私は「すぐにオチがわかったし~つまらんな~」という安直な感想しかなかったんでしょう。
全体的に薄暗い、というか地味な印象なので、劇場鑑賞してたら少しだけ後悔したかもしれませんが、部屋でじっくり観るのが正解かも。DVD特典の監督コメンタリーが面白いらしいので、また改めてレンタルしてみようかな、と思いました。
怖い人であるべき人が怖くない
総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:60点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
ジョニー・デップ演じる小説家レイニーに異様な男が盗作だといって難癖をつけてくる。だが売れっ子作家の作品ならば盗作かどうか簡単にわかりそうなものなのに、その問題がちっとも解決しそうにない。やけに明白なくだらないことをひっぱるなあ、その裏にある本当のことは何だろうか。
後半に自分がそれに気がつくまでに、異常者に追い詰められる作家の周りに起こる怪事件の怖さはそこそこに楽しめた。謎解きは二の次でどうでも良くて、この異常者をどうやって対策していく話なのかと最初は思っていた。
しかし真実がわかるにつれて粗も見えてくる。自分で何も出来ない彼が、シューターという他の人に頼るのは理解できる。しかし探偵や近所のトム爺さんをわざわざ殺す理由は何だろうか。シューターが目撃されていないくらいでは動機が弱すぎるし危険が大きすぎる。警察も町の人もレイニーに疑いを持っているが、どこでそれがわかったのだろうか。
それとジョニー・デップが過去の出演作の印象もあってか、いつものように飄々とした動きをする彼がどうにも怖くない。作家レイニーのときは勿論だが、シューターに変わったときですら怖くない。「パブリック・エネミーズ」では犯罪者役でそれなりに見れたのに、ここではもっと狂気に走った役作りが必要だったのではないか。
また引っ張った前半に比較して後半は急ぎすぎたし、重要な部分を簡単にまとめてしまっているし、自分の妄想することを小説で実現しようとするレイニーのことを描きすぎて犯罪計画と捜査の部分がおざなりになっている。
ジョニデ以外観る所なし。
スティーブン・キング原作っぽいと言えば、その通りなんですが
ストーリーの中盤の緊張感や錯綜感が思いのほか少なくって・・・。
細かいプロットもなく、はっきり言って先の展開がばればれです。
うーん、この作品、ジョニデでなくても良かったのでは・・・。
何と言えばいいのか・・。正直言って彼だとマスクが端正すぎて
狂気の作家のイメージがつかみづらく、感情移入しづらい。
スティーブン・キングの原作は大ヒットか駄作か
くっきりわかれるんもんですが、これは明らかに駄作です。
個人的には彼の小説は殆ど読んでるのであえて言いますが
原作の不気味さや、狂気の描写が全然、原作に追い付いていない。
まあ、ジョニデ頼りのプロデューサーがやはり、駄作ばかり作った
監督に任せてって感じが歪めません。
彼の作品ではダーク・シャドウに次ぐ駄作です。
途中でわかっちゃうなぁ
話の中盤いかないくらいで結末が読めちゃう
最後まで大どんでん返しがないし
みんなやられちゃうんだーと思った
ミステリーなのに早いうちから先が読めちゃうとつまらないな
せめて一つの人格にもう一つの人格が決定的に殺されるシーンとかあったら違うのかなぁ
そもそも結末を変えろって
変える前の結末ってどんなんだったんだろう?
見逃しただけかしら?
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