ピアニストのレビュー・感想・評価
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無音のエンドロールが
主演女優がすばらしい。40歳手前の女性と年若い男性の性愛を描く。主人公の女性は厳格な母親にもとに育ちいまだに母親と二人暮らし。抑圧された性愛がねじ込められた様を描く。最後は自分を傷つけて、去っていった建物の通りを引き構図の長回しで撮影。そのまま無音の黒いエンドロールが入るのはわたし好み。
気持ち悪いけど興味深い最後の表情は見たことない。
おそらく父親が抜けた跡であろうベッドに並んで横になるユペール。シューベルトの才能がある教え子の話をするが、シューベルトはお前のものだ。誰にも負けちゃいけないよ。と諭される。幼い頃からこう言われてきたのだろう。
シューベルトの晩年 自らの狂気を悟り、最期の一瞬正気にしがみつく。(エンドと同じだ)それこそ完全な狂気に至る直前の、自己喪失を意味する。
[夢を見て はかない この世を渡る
朝になれば消える
それでも
欲にかられ(頑固な中流階級)
手を差し伸べても
つかめるものは…]
[吠え続けろ 番犬どもめ
眠らせずに追い立てろ
私は とうに夢を捨てた
夢見る人に用はない
私は とうに夢を捨てた
夢見る人に用はない]
[昨夜の嵐で雲は千切れ
切れた 一つひとつが
争って 空を翔ける]
ユペールの唇の演技、手指の演技、まばたきの演技、首と目線の演技
リハ 見回すユペール 教え子アンナ緊張腹痛遅刻 アンナを助けるクレメール、安定したアンナの演奏とパートナーの歌 ドアに寄りかかり聞くエリカ 涙目 ホール出て階段降りて、一度座る、グラス割って教え子のコートの右ポケットに入れる
ここの感情がわからない。(嫉妬でも救済でもなく、絶望かもしれない。なんとなくハネケは演技する上での解釈をユペールに委ねた感じがした。あるブログで破壊衝動と書かれた文を読んだ。その方はその破壊衝動がやがて自分に向くのにそう時間はかからないとも言っていてなるほど納得しました。)
ウサギのようなユペール。
[人の行く道を
故なく避けて
隠れたこの道を探し続ける
雪に埋もれた岩間の道を求める
隠れたこの道を探し続ける
雪に埋もれた岩間の道を求める
やましいことなど何もないのに
人を避けてる
人を避けてる
愚かな願いに
身を蝕まれる
身を蝕まれる…]
エリカの愚かな願い、トイレでのテスト。と手紙。支配欲求、従属欲求、、、
自分の母親と教え子アンナの母親を重ね合わせてるのかもしれない。
アンナ母「すべてを犠牲にしてきたのですよ」
エリカ「アンナがでしょ」
アンナ母「誰にも負けませんわ」
そういう意味では結果的にエリカは教え子を、救ったかもしれない。
付けてきたクレメールに手紙を読ませる。初見では手紙を読もうとするクレメールに対するエリカの表情は、何処か勝ち誇っているような気がしたが、二度目は理解を求めて期待しているような気がした。
知的な顔してクソ同然の内容だ。やはり理解されない。からかわれているのだと感じるクレメール。
本当に愛してた。そんな愛もあるんだよ。と言って去るクレメール。
誰にも理解されない孤独。母親に馬乗りに覆い被さり、接吻した。愛してると。母親にすがったが彼女にも狂ってると言われた。
ワルターに直訴、自らの狂気を悟り、最期の一瞬正気にしがみつく。完全な狂気に至る直前の、自己喪失。喪失の後は自己回復があるかもしれないが。自我を捨て、普通にやろうとした。
ワルタークレメールもユペールを理解しようと頑張ったように見えたが、結局は出来なかった。ただ努力はしていたと思う。母親の隔離、母親からの解放。遊び方を教えてよ、先生。ルールはふたりで作るんだろ。少しは協力してよ。人の心を乱しておいて。僕だけにやらせるな。愛してくれ。
秘密にしておこう。君に忠告しておく。男をもてあそぶな。愛に傷ついても死ぬことはない。じゃあ。
ワルターを殺そうとナイフを持参するも、何も無かったかのように普通に接せられ、持ってきたナイフを自らの胸に突き刺した。最期の表情。
服に血を滲ませながらホール玄関を後に。通りからスクリーンアウトしてエンド。
本当に気の毒だ。抑圧された自我がどう出るかが見ものだった。お父さんの存在。屋内の倉庫から屋外のスケート場に開けた瞬間カットが素晴らしかった。どう子育てするか考えさせる。鏡カット、テレビカット。オープニングカット。いつまでも娘を管理下に押さえつけたい母親。病院に入った父親の存在。
挿入シーン TV
手術台、馬
こじらせピアノ講師の狂気
・個室ビデオで使用済みティッシュを嗅ぐ、バスタブで股間にカミソリをあてる、カーセックスを覗いて放尿など生理的に嫌悪感を抱くような性的倒錯シーンの数々
・緊縛を要求する、物置部屋でフェラしたら嘔吐、母親にキスをする、殴られてセックスするも無表情
・ラストは先生がナイフで自分の胸を刺して会場から出ていってエンド、思わず「えっ!?」って声出た
・監督がこの作品で世に訴える並々ならぬ意欲は伝わってくる
・この見ていて逃げだしたくなる感覚はハネケならでは
ハネケにまた1本取られた
ハッピーエンド見る前のハネケ2本目
ファニーゲームでしてやられたからかなりの覚悟でいったけどやっぱさすがハネケ師匠。
イザベルユペールの演技は圧巻。
胸が苦しく頭を少々抱えたくなるところもあるがなぜかみてしまう。みなくてはならないと思ってしまう。
偏った癖
先生と生徒のラブストーリー。
ビデオ試写のシーンは当分の間忘れないほど印象深かった。
壁崩壊に挑む女性のひたむきさ
ユペール演じるエリカはピアニスト。
自分の求めるピアニストにピアニストは果たしてなれるのだろうか?自分自身で鍵盤を弾き満足出来る音に出会えるのだろうか?私にはこの作品のエリカはただひたすらその事だけしか考えてないのではないだろうか?と思えて仕方がない。性描写や精神描写などは
全て自分の理想の音を求めての行動それと共にワルターのピアニストとしての才覚の探究心これに尽きる気がする。また近々見直したい作品。
何度見ても飽きなさそうだが連続で何回も見たら
私もチョット何かに持ってかれそうな気もする
やや甘い危険の香りが漂ってる作品。
ハネケ監督作品の奥の奥まで突っ込み昇天したいものだ。
性の倒錯と歪んだ衝動
男性社会の中でキャリアを積む女性というのは、ある種誰しも精神的には男性にならざるを得ない場面が多々あると思う。そうした中で、無意識にも精神的な性の倒錯、偏った成長に伴う歪んだ衝動が生まれるのではないかと思った。反発し合うそれらはある面から見たら狂気的で恐ろしいのだけど、また裏返すととても幼く純粋で美しくすらある。最後のナイフを使うシーンの主人公の表情は凄まじかった。そして、その後の颯爽とした去り際…。それでも自分らしく生きるしかない。強く儚く美しい。印象深い作品でした。
ドン引きだけではない
10年ぶりぐらいで再鑑賞。
初見のとき生理やと思ってたシーン、よくみたら剃刀…?わけわからんくてぞっとした。
ひたすら変態ババアの話という記憶しかなかったけど、2度目みたらエリカは勿論ワルターもちょっとネジ外れてるのではという感想。地味な中年に熱上げたり自宅まで尾けてきたり殴ったり、やってることはまあまあヤバイ。
イケメンで社交性も高いワルターがなんでエリカなんかに惚れたのか、そこがわけわかんなすぎて、彼のシュールなほどツンデレな行動の意味が全然わからん。
ショッキングな各演出を差し引くと、結局テーマは誰にも愛されない絶望なのかな。
いつか誰かに愛されるかも→ワルター登場→拒絶→ママ愛してる→拒絶→やっぱワルター→拒絶→死んでやる
の心の動きは正直共感できた。
てか、ミヒャエルハネケ作品と初めて知った。道理で気持ち悪いはずや。
ファニーゲームと、愛、アムールが完全にトラウマになった因縁のミヒャエルハネケ…
痛々しいし嫌悪感はんぱないけど、結局いろいろ考えさせられながら観ちゃうんよなあ。
始終押さえ込まれたような暗さがある
落ち込んでる時には絶対見ないほうがいいです。
主人公の性癖をあからさまに描いていて、見たときは衝撃でした。
男性だったら個室ビデオ屋などに行っても別に…という感じですが
どうして女性だとこんなに痛々しくなってしまうのでしょうね。
ラストシーンはすごく比喩的?ですが、
なんかほんとにみていて胸が潰れるような息苦しさを感じる映画です。
本当に救われない…
映画でここまで表現できるのはすごい。
ちょっとズレてるド変態ツンデレわがままこじらせ女子ライフ
ちょっとズレてるド変態ツンデレわがままこじらせ女子ライフ。
誰しも秘めてるであろう感情や欲望について考えさせられる映画です。
全く説明的ではないので観る人によってはかなり苦手な人もいるかもしれないですね。
女性の求める愛、男性の求める愛、その時々の愛の形は違うというのを象徴的に表していると思いました。
圧倒された
主人公のおばさんが高齢処女のなれの果てで、持て余した性欲でどんどんおかしくなっていく話なのかと思ったら、処女ではなかったようであった。
主人公は他者に対する配慮のなさは未熟な童貞と同じで、自分のことしか考えられないクソで、しかも老婆である母親と共依存のような関係にある。そんな内面なのに社会的には芸術家や先生としての地位もあり、アンバランスで、常に発狂寸前のような緊張感のある役どころを本当にそのもののように演じていて素晴らしかった。
しかしそんな人も感情を持った人間として世界に存在していることをきちんと表現している。クライマックスでそんなクソ女がどれほど素晴らしい演奏をするかと思ったらそこは肩透かしだった。その代わりに地味な自殺行為があって、それはそれでびっくりした。
ステレオタイプじゃない、本当のSMってこういうことなんだろうなあと思い、怖かった。変態の狂おしさは見事に表現されていた。
クソ人格の人間の行き着く果てを描いていた。また、世界にクソをぶっかけてやろうという気概に溢れていて、とにかく圧倒的な作品だった。
ハネケ節全開
オーストリア人監督、ミヒャエル・ハネケは人を不快にさせる映画をバンバン作ってる人です。そのやり方はほんとすごくて、よっぽどの確信犯的な自信がないと出来ないほど。「この人、友達いるんだろうか?」って余計な心配してしまうほどです。ちなみに、わたくし彼のファンです。
この映画の、音楽と人との関係は、「戦場のピアニスト」などの作品とはまったくの対極。音楽ばっかりして常軌を逸し、それでも尚人生を生きてる女性が題材です。あくなきプロ根性と申しましょうか。究極に突き進んだ人ゆえの痛さと悲しさが、胸につきささります。そして、そんな人は恋愛ですらも屈折してしまうんですね。普通を超越している故に、普通の感情表現ができないのです。
そういった主人公に、ハネケ監督は救いの手を安易にさしのべたりしません。すごい集中力で彼女を突き放しつつ、見捨てずに、最後まで描ききります。それが、この手の作品にややもすれば付着してしまう独善性を見事に払拭しているのです。あくまで見る人の目を意識し、判断を監督自身でするのでなく、観客に委ねているんですね。お見事です。
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